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第5章「神々集いし夢牢獄」

109話 死に物狂いのピエロ

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 クリムを軸に、非戦闘要員や怪我人たちは夢の中から消え去った。無事に戻れていることを祈るばかりである。
 それにしても、セルジュさんとアリアはどこにいるのだろう。さっき、クリムたちと合流したときには見当たらなかった。今この場にいるのは、私、シオン、ソル、シュノー、オルフさん、ルマンさん、ノイン、アルバトス、そして────

「逃げられてしまったね。うーん、僕も腕が鈍ったのかなぁ」

 口調は穏やかでいながら、両手に銃を構えたまま悠然と立つ男。確か、メレディスと呼ばれていただろうか? 普通の神からは感じられない、崩れぬ威厳のようなものが彼をまとっている。
 なんとなく似ている……私たちがさっき戦った、エルザさんに。

「おじちゃん……何かの間違いだよね?」
「そうに決まってるだろ。師匠が魔物以外に攻撃するなんてありえない!」

 先程も思ったが、彼を見るノインとアルバトスの目が、明らかに動揺の色に染まっている。口ぶりからして、かなり親しいひとだったのだろうけど……。
 二人に対し、シュノーとオルフさんはまだ冷静さを保てていた。私たちはわけがわからないまま呆然と立ち尽くすしかなかった。

『……エルザの次は、メレディスか。ようやく、ラケルの狙いがわかった』
「えっ……エルザって。ルマン、どういう────」
「やっぱり? ルマくんは賢いね」

 シュノーがルマンさんに尋ねようとしたところで、地面に人影が降りてくる。空から粉雪と一緒に、ラケルが羽のようにふわふわ舞い降りてきた。小脇に、白い片翼の天使を抱えながら。

「セルジュさん!?」
「セルちゃんはやられちゃった。期待してたんだけどな~。相手が悪かったね」

 砕けた言葉とともに、セルジュさんを地面に向かって投げ捨てた。シュノーが真っ先に動き、セルジュさんを受け止める。素早く私たちの後ろに駆け寄ってきた。

「一応、生きてはいる。気を失ってるだけみたい」
「……だよね。セルジュが死ぬはずがない」
「そーだそーだ!」

 一瞬命の安否を心配してしまったのは、どうやら私だけのようだった。やはり、魔特隊の神は強い。
 問題は、ラケルが未だに調子よく微笑みながら私たちを見下ろしていることの方だろう。

「アリアちゃんはどこ行ったかわかんない。もうね~、ぼくちんも管理しきれないよ。みんな好き勝手に動き回るからさぁ」
「お前……! ステラ様や子供たちまで巻き込んで……『神々の英雄』がやる所業じゃない!!」

 アルバトスの堪忍袋の緒が切れた。私たちほぼ全員、同じような気持ちである。
 ラケルは、武器を構えたままのメレディスさんの隣に降り立つ。地面に着地したときは顔を俯けていた。ゆっくりと私たちに向けられた赤い目は、ひどく虚ろで沼の底のように濁っているように思えた。

「もう、そんなものどうだっていい。どうせ……失ったものは、もう二度と取り戻せないんだ」

 自分の周囲に、紅紫色のピンを召喚し浮遊させる。私たちも一斉に臨戦態勢をとった。

「メリー。あいつらを始末しちゃってよ」
「うん、いいよ。ラケル」

 悠然と構えていた分、素早く銃弾が放たれた。私やシオンたちでは、反応できない────

「〈ノクス・ガードサークル〉!」

 アルバトスがとっさに、闇の魔力でみんなをドーム型の防壁の形で覆う。だが着弾した瞬間、とんでもない威力の爆発が起きる。周辺の建物の壁が吹き飛ぶほどで、一発の銃弾だけで防壁は破壊されてしまった。
 かつて、メアに戦い方を教えていたというアルバトスの方が、基礎的な戦力は私たちを上回っているはずなのに────。

「シオン、アスタは!?」
「あいつは来てないってシファの野郎が言ってた。ラケルの奴、あいつだけハブりやがった!」
「……もうなりふり構ってられない。ノイン、セルジュをお願い」
「シュノー!」

 ノインに無理やりセルジュさんを押し付け、刀を引き抜きながらシュノーが駆け出す。メレディスさんの足元へ走り込み、刀を首元へ刺しこもうと構え直す。メレディスさんもまた、シュノーの額へ銃口を突きつけ、引き金に指をかけた。

「させるか!!」
「おっと────」

 アルバトスが黒い双剣で斬りかかったことで、メレディスさんがシュノーを突き飛ばし離れた。態勢を立て直したシュノーが再びメレディスさんに刀を突き立てようとする。だが、その頃には二丁の銃ではなく、古びた黄金の双剣を以て二人の斬撃をいなしていた。オルフさんとルマンさんは高速で移動しつつ、援護射撃でメレディスさんの動きを乱そうとする。
 ノインはセルジュさんを地面に横たわらせたものの、辺りを見回すばかりで動き出さない。というか、足がすくんで動けなくなっている。

「あ、あたしどうしよう……セルジュさん、起きてよ~!」
「ぼーっとしてたら、死んじゃうよー?」
「やだああぁぁぁ!!」

 ノインが振り返ったときには、ラケルが紅紫色のピンを首筋めがけて振りかざそうとしていた。その場にうずくまったノインの前に、戦斧を構えたシオンが立ち塞がった。ソルが〈ヴェントゥス・エアーカッター〉を発動させ、風の刃でピンを吹き飛ばした。「あらら~!」とおどけたような声を上げながら、とっさに距離を置く。

「テメェ、後ろから殴るなんて卑怯だぞ!」
「ぼくちん、そういうこと考えて戦ってないも~ん」

 吹き飛ばされたものとはまた別のピンを召喚し、大きく飛び跳ねた。私たちは身構え、次の攻撃に備える。

「『クラウン・マリオネット』!」

 詠唱とともに、ラケルによく似たマスコット人形が生み落とされた。ぽこぽことコミカルな音を鳴らしながらこちらへ近づいてくる。
 これ、確か爆発したら麻痺する奴じゃ────

「うぉらあぁっ!!」

 シオンが戦斧で人形を彼方へ吹き飛ばした。空中で人形が破裂し、遠く離れたこちらにまで軽く衝撃が及ぶ。直撃していたらひとたまりもなかっただろう。

「わー、ホームラン! すっご~い!」

 パチパチと拍手しながら褒めたたえられても、誰も喜ばない。ラケルはさらにマスコット人形を生み出し続け、こちらに飛び込んできてはシオンによって叩き飛ばされる。空中で破裂しては、醜く赤黒い欠片となって地面に飛び散る。

「ユキア、人形はシオンに任せよう。そっちは前から仕掛けて」
「でも、あれじゃ隙がないよ」
「僕は後ろから回り込んで、小さい魔法を撃ち続ける。そうすれば、前と背中の攻撃を防ぐのに手いっぱいになるはず」

 このままでは防戦一方になってしまうことを悟った。私とソルで、それぞれ前と後ろから攻撃を仕掛けた。ラケルは両手にピンを召喚して私の剣を受け止め、ソルの風の魔法をかき消した。受け止められても力は弱めない。ソルも小威力だが攻撃を途切れさせないように放ち続けている。
 およよ~? と、ラケルが変な声を漏らしながら首を傾げる。物足りないと思ったのか、違和感に気づいたか。

「やって、シオン!」
「えっ、うそぉ~っ!?」

 ピエロの人形の供給が止まり、足元に魔力を集めて飛び上がったシオンが、電撃をまとわせた戦斧を振り上げた。

「よくもオレたちを惑わせやがって! 覚悟しろっ!!」
「ぐあぁっ!?」

 攻撃の瞬間に私たちは身を離した。ラケルの全身が大きく切り裂かれ、ぽたぽたと赤い点を作りながらその場に膝をついた。

「いったぁ……やるじゃん。今の若者も舐められないねぇ」
「いい加減目的を教えなさい! シファと繋がってこんな事件を起こしてまで、あんたは何をやろうとしてるの!?」
「……それはね。失ったものを取り戻すためだよ」

 口から血を流しながら、拭うこともせず答える。明るくふざけた雰囲気が消え失せ、私たちは警戒を強め武器を構えた。

「ぼくね、観測者くんと契約を交わしたんだ。彼らの敵である観測者の兄妹と、その兄妹と繋がっている神を始末したら、ぼくに死者復活の星幽術を教えてくれるってね」

 死者復活の星幽術という言葉が耳に残った。系統魔法でも、固有魔法でも、神幻術でも、死者を蘇らせるほどの力を持つものは聞いたことがない。それは書物でも、物語の中でさえも「禁忌」と呼ばれる代物で、実在はしないはずのものだった。
 だが、正直今は死者復活の話などどうでもいい。

「それなら、最初から私やクリムだけ呼べばよかった話でしょ! なんで何の関係もない子供たちまで巻き込んだの!?」
「こうでもしなきゃ、君たちは来ないだろうと思ったからだよ。君はわからないけど、クリームくんなんて特に、無駄に正義感が強いでしょ?」

 そりゃあ、彼は長年の役割があるし、正義感を強くせざるを得ないだろう。私だってクリムほどじゃないが、人並みの倫理観くらいは持っている。
 ラケルは、もう片方で起きている戦いに目を向けた。アルバトスとシュノー、オルフさんとルマンさんはメレディスさんと戦い続け、互いを傷つけ合っている。どちらもまだ倒れる気配はない。

「メリーはあの姉弟の世話神だった。エルもかつて、双子の姉妹を育ててた。でも……自分の子供に等しい彼らを、ぼくを残して二人とも死んじゃった。病気で、死んだんだ」

 顔を俯け、声がどんどん低くなっていく。身の毛がよだつようなおぞましさが、ラケルから静かに放たれているような気がした。

「『デミ・ドゥームズデイあの日』のせいだとすぐにわかったよ。魔特隊と関わりがあるなら知ってるはず。魔物を倒し続けている神は誰よりも早く『黒幽病』になって、死期を早めるんだ」

 はっとして、隣にいるシオンとソルを見た。ソルはもちろん、シオンもいつもとは違う深刻な表情を見せていた。
 魔物は、普通の生命には異物でしかない「アストラル」というエネルギーでできている。これが、神が唯一患い死に至る黒幽病の原因になるということを、私は半月前に初めて知った。魔特隊の神々はこの病気のリスクを承知しながら戦っている。
 だが、英雄とも呼ばれるほどの功績を残した神なら、他の者よりも戦ってきた数は断然多いだろう。ラケルの言葉は基本的に信用できないけれど、このことだけは本当だと信じるほかない。

「だからぼくは、あの日に死んだ友達を蘇らせるんだ。それであの子も救われる」
「……あの子って、誰のこと?」
「君たちには関係ない!!」

 突然顔を上げ、怒鳴り散らした。再びピンを召喚してこちらに飛ばしてくる────が、急激に本数が増える。〈ルクス・ガードサークル〉でまるごとシャットアウトし、耐え凌ごうとする。
 あのピン、一体どれだけ持っているんだ……向こうはピンの本数などさして気にしていないようで、手当たり次第に多段化した攻撃をぶつけてくる。動きが粗雑になってきているのだ。

「あの悲劇を知らないくせに、ぼくの邪魔をしないで!! 『デスパレイト・デスペラード』!!!」

 ピンでの攻撃をやめてすぐに、また何か知らない魔法を発動させた。ラケルの身体がしなり、地面の赤い点の数と大きさが増す。
 魔法を使ったことによって血を流している────こちらの血の気が引きそうだ。

「おいっ、何か変だぞ!?」
「凄まじい魔力を感じる。シオン、ユキア、気をつけ────」

 ソルの声が途切れる。途切れたと認識した頃には、シオンとソルの身体が宙へ浮いていた。
 空気が激しく揺れた気がした。これはまずいと、本能が動き出す。

「〈Valkyrjaヴァルキュリア〉!」
「お前もぼくの邪魔をするんだなっ!!」

 とっさに「戦女神化」を行使し、双剣でラケルの攻撃を受け止める。しかし、武器が予想だにしていなかったもので唖然とした。
 赤黒い剣……先程までのピンとは打って変わり、一気におぞましさが増す。不気味なほどに艶やかな剣が何でできているかを、ほんの少しでも想像してしまったからだ。

「ほらほら、いいの~? お友達落っこちて死んじゃうよ~? キャハハハハッ!!」

 シオンとソルの身体は思っていたより高く飛ばされていた。受け止めなければ、無事では済まされない。慌ててラケルごと剣を吹き飛ばし、空へ飛び上がってシオンを受け止めた。だが、ソルの身体が地面へと吸い込まれていき、追いつけない────

「死なせはしない、です────っ!!」

 白い片翼の天使が、間一髪で受け止めてくれた。セルジュさんの意識が戻ったのだ。シオンを抱えたまま、セルジュさんの方へ飛ぶ。

「よかった、気がついたんだね」
「のんびりしてる暇はないです。ノインのところに預けるです」

 いつにも増してしっかりしたセルジュさんに驚きつつも、素早くソルを渡されたのでノインのところへ二人を運んだ。ノイン本人はメレディスさんとラケルからはそこそこ離れた道の端に移動していたが、その場にうずくまって動かない。

「二人をお願いね、ノイン。守ってくれるだけでいいから」
「う、うん……」

 一応声をかけてから置いていき、戦闘に戻った。
 気づけば、ラケルは四肢や胴体、頭などのあらゆるところから血を流していた。下手したら失血死するのではないか、と逆に心配になるほどに。

「なんだか観測者くんに似た力を感じるなぁ。ま、いいや。所詮、セルちゃんが回復してなきゃお友達は死んでたんだから」
「っ、いい加減にしてくださいラケルさん!! 死者を弄ぶなんて、バカのすることです!!」
「どうでもいいよ、セルちゃん! それよりさぁ、久々に楽しませてよ! 死にぞこないの英雄である、このぼくを!! あははははははッ!!!」

 気狂いとしか思えなかった。目を見開き、天を仰ぎながら高笑いをするピエロに対して、何も言葉が出てこない。
 セルジュさんは黙って、白を基調としたクロスボウを構えた。しばらくラケルを睨みつけてから、息を深く吸い込む。

「クリム先輩やアリア先輩を、みんなを巻き込んで……メレディスさんの大事な仲間でしたけど、ここでくたばりやがれです!!」

 最初は粉雪が降っていたのが、いつの間にか風が強まって吹雪に近い状態になっていた。凍り付きそうな身体を奮い立たせながら、双剣を構え飛び出した。
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