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第5章「神々集いし夢牢獄」
110話 墓地に佇むピエロ
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墓地には、常に冷たい風が吹いていた。どこから来た影響なのか、粉雪が降り注いできた。
温度は下がり、草木は枯れ続け、二度と息を吹き返すことはない。未だに墓の前にうずくまるピエロは、それを知っていた。
知っていながら、何も動くことはできず、寒さに震えるばかりだった。
「やっほー。なんかここは寒いね」
背後から女の声が聞こえ、びくりと背中を震わせた。ピエロは恐る恐る後ろを振り返る。白銀の翼を持った緑と青のオッドアイの女性が屈みこみ、ピエロの顔を覗き込んでいた。臆病であるがゆえに腰を抜かしてしまう。
「だ、誰っ!? って……」
「そんなに驚かなくたっていいじゃん。私はアリアラス。アリアって呼んで」
「し、知ってます、けど……」
女性──アリアは息を飲んだ。
ピエロは彼女を知っていた。そもそも、神々の住まう世界を守る「アーケンシェン」を知らない神はいない。
「あ、じゃあ『デミ・ドゥームズデイ』より前に、私と話したことがある感じ?」
「えっと……そうです。仕事上、アーケンシェンの方とはある程度関わりがありますし……」
「そうなんだ。ごめんね、私、あの事件より前の記憶がないんだ」
「……そう、ですか」
粉雪はやまない。二人とも薄い服を着ているので、揃って寒さに震えていた。かといって雪を凌げる場所もない。
寒さを少しでも誤魔化せるように、アリアもピエロと一緒に墓の前にしゃがみ込んだ。
「あなたはラケル?」
「……いいえ。ラケルであって、ラケルじゃない……」
「じゃあ、あなたは誰?」
「レイ……レイチェル、といいます。ラケルと同じ身体に住んでる人格……です」
ピエロ──レイチェルは、時折言葉を詰まらせながらも自己紹介をする。ぎこちない喋り方であっても、アリアはそこに突っ込みはしなかった。
「えーと、つまりは二重人格ってこと? 初めて聞いたよ」
「ラケルとレイは、かなり特殊な部類らしいので……周りにも、あまり気づかれてないみたいです」
一つの身体には一つの魂、人格が宿るというのが生命における常識だった。身体単体に二つ以上の存在が宿るのは異常とされている。神が存在し、魔法が当たり前のこの世界でも、それは変わらない。アリアも同じ考えであった。
「なんでラケルとレイチェルの二人がいるの?」
「えっと……話した方がいいのでしょうか。周りにバレたら、怖い……」
「大丈夫、私からは話さないよ。ここでずっと泣いてるのを見てたら、なんだか話聞きたくなっちゃっただけ。秘密のままでも、私は全然構わないよ」
屈託のない笑顔を向けられ、レイチェルの心が揺らぐ。誰にでも優しい、天使のようなひとだと思った。
レイチェルは拳を握り、三つの墓を見遣りながら、ぽつぽつと語り出す。
「えっと……まず、レイとラケルは、同じ身体を共有している独立した人格同士なんです。元から表に出ていたのはラケルの方で、レイは裏でラケルを助けていました。でも、片方の人格がいなくなるだけで均衡が崩れる、ちょっと大変な体質でして……」
「ちょいちょい、待って? もっと詳しい説明プリーズ!」
「はひぃ、ごめんなさい……正直、レイにも説明が難しくて……ゆっくり話すので、はいっ……」
自分たちが特殊体質であることを、改めて話した。
ラケルとレイは、生まれたときから同じ身体で生きてきたという。どちらが先に生まれたのかはわからず、きょうだいというよりは「もう一人の自分」としてお互いを見ていたらしい。相手の考えることは常に把握していたこともあり、喧嘩はほとんどしてこなかったとか。
「ラケルは、いつも元気だと思うんですけど……それは、レイがラケルの悲しみや怒りをすべて受け止めて、消化していたからです。おかげで、レイはこんな社会不適合者みたいな性格に……」
「ま、まあ、特質は理解できたよ。できたら、もっと話を聞かせてくれる? もしかしたら、ラケルの目的がわかるかも」
優しい声色で話しているうちに、レイチェルの表情の堅さも少しずつ和らいでいった。一つの墓の前に近づき、続きを語っていく。
「ラケルとレイは……魔特隊の中で周りから優秀と言われ続けてきました。デミ・ドゥームズデイでも……みんなで魔物と必死に戦いました。結果的に街を守ることはできましたが……ラケルとレイは、唯一の親友を戦いで失くしました」
レイチェルは十字架を両手で撫でながら、涙をこぼした。
アリアも一緒に墓標を眺めた。レイチェルが愛おしく撫でている墓標には、「マロン・ローペリア」という文字が刻まれていた。
「マロンがいなくなったことで、レイは耐えきれなくなってしまいました。それからずっと、この夢牢獄……誰も来ない心の世界に閉じこもっていました。ラケルが悲しみを受け止めきれなくなったのは……何百年も一緒だった仲間がいなくなったときでした……」
今度は、二つの墓の前に座り込む。かつて、「デミ・ドゥームズデイ」の前線で魔物と戦い続けた英雄たちの名が、二つ刻まれている。
エルザ・ソレイユ……そして、メレディス・エルンドゥールの二人だ。
「ラケルも壊れてしまったのです。レイにはわかります……誰かと仲良くなるのが怖くなったんです。仲間を……たった一人の親友も失って、孤独になって……また誰かを失うと思ったら、怖くて怖くて仕方がなくて……自分から嫌われるように、道化を演じ続けているのです」
「……じゃあ、夢劇場って結局何なの?」
「パンタシアは……ラケルの逃げ場所のようなものです。レイの逃げ場所がこの世界であるのと同じ。ラケルもまた、パンタシアに誰かを呼び寄せて夢を見せ、いい思いをさせたりちょっかいを出すことで、自分の中に溜まった悲しみを吐き出しているんです」
涙は枯れ、伝った跡がくっきりと残っている。涙が止まっていることに気づいたときには、レイチェルの身体は小刻みに震えていた。
頭の中で念入りに咀嚼しながら話を聞いていたアリアだったが、知らないうちに複雑な表情になっていた。
「あの……ここまで聞いて、どうでした?」
「うん。嘘じゃないってことはわかった」
「え……アリア様、お話聞いたばかりなのに……」
「いや、最初は半信半疑だったのは認めるよ。でも、ここまで話を聞いて、あながちありえない話でもないかなって思ったんだ。なんだかんだ、最近変なことばっかり起こってたじゃない? もうなんでもこいって感じだよ、正直」
きっと、先日起きた事件のことを嘆いているのだろうと悟った。神隠し事件という比較的大規模な騒動に加え、強力な魔物の出現……ラケルの身体の中に閉じこもっていたレイチェルでも、ある程度は事情を知っている。
懐の大きさに安堵していたところで、再び彼女は難しい顔をした。
「でも、このままじゃダメな気がする。今回、どうにかしてラケルを止めたところで、また爆発したら似たようなことが起こる。それじゃあ、いくら神がいても足りないからね」
「……アリア様……」
「ねぇ、レイチェル。あなたは、どうしたい?」
できるだけ優しく聞いたつもりだった。しかし肩をびくりと震わせ、アリアを怯えた目で見つめるようになる。
「な、なんで……レイにはもう、何もできないです……レイはもう、ラケルの悲しみを受け止めてあげられない……」
「そうかもしれない。私には、レイチェルがどのくらいつらい思いをしたのかは想像できないから、なんとも言えない。でも……諦め続けることも、それはそれで苦しいと思うの」
アリアの言葉に顔を上げ、自分の頬を伝う涙を拭った。拭っても拭っても、雫は幾度となく流れ落ちる。レイチェルは違和感を覚えたように首を傾げつつも、目を擦り続けた。
「……ラケルが、苦しんでる……」
「わかるの?」
「レイとラケルは、いつも繋がってますから……悲しみも怒りも、全部流れ込んできます。今、こうして涙が出るということは、ラケルが負の感情を許容しきれなくなっているということ……」
あ、と小さな声が出た。顔を上げても、涙は依然として流れ続けている。しかし、弱々しい顔にだんだんと勇ましさが宿り始める。
「……行かなきゃ」
「ラケルを止めに?」
「はい……でも、レイだけで止められるか……」
「安心して、私も手伝うから。ラケルのところへ連れて行って」
アリアは立ち上がり、胸を拳で叩きながら宣言する。レイチェルは止まらぬ涙を拭いつつ、アリアを見上げて唇を噛み締めた。
墓地の付近には、鈍色の異空間の入り口があった。レイチェルとアリアは、二人で異空間に入って移動する。
異空間の中は、どこを見ても不気味な色合いの壁と道が続いていた。道が分かれている部分もあり、進む方向を違えれば簡単に遭難する。
「あの……アリア様は、どうやってあの墓地にいらしたんですか……?」
「え? んーとね、最初いた場所からこんな感じの道を見つけて、適当に歩いてたら辿り着いたの」
「……そうですか……運がよかったみたいですね」
遭難していたら見つけるのが難しかった、とレイチェルは内心で冷や汗をかいていた。涙はもう止まっていた。
そんな迷路のような道を、レイチェルが前に出て進んでいた。心の世界に住む本人の案内があれば迷う心配はない。実際、異空間にいた時間はそこまで長くならずに済んだ。
異空間の出口に近づくと、冷たい空気が流れ込んでくるのを感じた。外は雪が降っており、しかも強風が吹いているとわかった。そして吹雪に混じって、刃を交える音や爆発音が聞こえてくる。
レイチェルは臆し、立ち止まった。一度は止まっていた涙が再び流れ落ちる。
「……ラケルがこの先にいます。恐らくは、他の皆さんも……」
「よーし! さっさと止めちゃうぞー!!」
「あっ、待って……!」
折りたたんでいた翼をはためかせ、出口に向かって飛んでいくのを止められなかった。伸ばした手が空を掴んだことに気づき、レイチェルも慌てて後を追う。
異空間から外へ出る。吹雪に見舞われた繁華街は、戦いの舞台となっていた。アリアは地面に降り立ち、レイチェルも追いつく。
「見たところ、敵は二人ね。ラケルと……えーと」
「あ、メリー……メレディスですね。ラケルと同じ『神々の英雄』の一人です。でも……」
レイチェルはメレディスに攻撃を仕掛ける、三人の神を見た。黒髪の執事姿の青年と、刀を携える青い髪の少女、そして金色の二輪車型の武器に跨り弾丸を撃つリーゼントの青年……メレディスが三人の命を奪おうと動いているのは、すぐにわかった。
「あれは、本当のメリーじゃないです。最近ラケルに接触した子供……『シファ』の術で生み出された幻影でしょう」
「シファ? って、なんでそこまで知ってるの」
「この心の世界に何度か入ってきて、レイも実際に話しかけられたことがあるからです」
真剣な面持ちのまま、もう片方の戦況を見る二人。ラケルは、金髪碧眼の少女と片翼の天使の二人を相手に戦っていた。血まみれな状態でありながら、二人の神を蹂躙する勢いで攻撃を続けている。繁華街の建物の壁際には、負傷した神の姿もあった。
予想よりもひどい戦況に、アリアは目を見開き、自身の武器を召喚する。自身の身の丈と同等程度の長さを持つ薄桃色の大きな刃には、金色の文様が全体的に施されている。
「レイチェル! 私はラケルの相手するから、そっちを!」
「えっ? ま、まあ大丈夫ですけど……」
両手剣を構え、アリアは翼で飛び上がる。レイチェルは戸惑いつつも、もう片方で戦っているかつての仲間を止めに走った。
墓地には、常に冷たい風が吹いていた。どこから来た影響なのか、粉雪が降り注いできた。
温度は下がり、草木は枯れ続け、二度と息を吹き返すことはない。未だに墓の前にうずくまるピエロは、それを知っていた。
知っていながら、何も動くことはできず、寒さに震えるばかりだった。
「やっほー。なんかここは寒いね」
背後から女の声が聞こえ、びくりと背中を震わせた。ピエロは恐る恐る後ろを振り返る。白銀の翼を持った緑と青のオッドアイの女性が屈みこみ、ピエロの顔を覗き込んでいた。臆病であるがゆえに腰を抜かしてしまう。
「だ、誰っ!? って……」
「そんなに驚かなくたっていいじゃん。私はアリアラス。アリアって呼んで」
「し、知ってます、けど……」
女性──アリアは息を飲んだ。
ピエロは彼女を知っていた。そもそも、神々の住まう世界を守る「アーケンシェン」を知らない神はいない。
「あ、じゃあ『デミ・ドゥームズデイ』より前に、私と話したことがある感じ?」
「えっと……そうです。仕事上、アーケンシェンの方とはある程度関わりがありますし……」
「そうなんだ。ごめんね、私、あの事件より前の記憶がないんだ」
「……そう、ですか」
粉雪はやまない。二人とも薄い服を着ているので、揃って寒さに震えていた。かといって雪を凌げる場所もない。
寒さを少しでも誤魔化せるように、アリアもピエロと一緒に墓の前にしゃがみ込んだ。
「あなたはラケル?」
「……いいえ。ラケルであって、ラケルじゃない……」
「じゃあ、あなたは誰?」
「レイ……レイチェル、といいます。ラケルと同じ身体に住んでる人格……です」
ピエロ──レイチェルは、時折言葉を詰まらせながらも自己紹介をする。ぎこちない喋り方であっても、アリアはそこに突っ込みはしなかった。
「えーと、つまりは二重人格ってこと? 初めて聞いたよ」
「ラケルとレイは、かなり特殊な部類らしいので……周りにも、あまり気づかれてないみたいです」
一つの身体には一つの魂、人格が宿るというのが生命における常識だった。身体単体に二つ以上の存在が宿るのは異常とされている。神が存在し、魔法が当たり前のこの世界でも、それは変わらない。アリアも同じ考えであった。
「なんでラケルとレイチェルの二人がいるの?」
「えっと……話した方がいいのでしょうか。周りにバレたら、怖い……」
「大丈夫、私からは話さないよ。ここでずっと泣いてるのを見てたら、なんだか話聞きたくなっちゃっただけ。秘密のままでも、私は全然構わないよ」
屈託のない笑顔を向けられ、レイチェルの心が揺らぐ。誰にでも優しい、天使のようなひとだと思った。
レイチェルは拳を握り、三つの墓を見遣りながら、ぽつぽつと語り出す。
「えっと……まず、レイとラケルは、同じ身体を共有している独立した人格同士なんです。元から表に出ていたのはラケルの方で、レイは裏でラケルを助けていました。でも、片方の人格がいなくなるだけで均衡が崩れる、ちょっと大変な体質でして……」
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「ラケルは、いつも元気だと思うんですけど……それは、レイがラケルの悲しみや怒りをすべて受け止めて、消化していたからです。おかげで、レイはこんな社会不適合者みたいな性格に……」
「ま、まあ、特質は理解できたよ。できたら、もっと話を聞かせてくれる? もしかしたら、ラケルの目的がわかるかも」
優しい声色で話しているうちに、レイチェルの表情の堅さも少しずつ和らいでいった。一つの墓の前に近づき、続きを語っていく。
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レイチェルは十字架を両手で撫でながら、涙をこぼした。
アリアも一緒に墓標を眺めた。レイチェルが愛おしく撫でている墓標には、「マロン・ローペリア」という文字が刻まれていた。
「マロンがいなくなったことで、レイは耐えきれなくなってしまいました。それからずっと、この夢牢獄……誰も来ない心の世界に閉じこもっていました。ラケルが悲しみを受け止めきれなくなったのは……何百年も一緒だった仲間がいなくなったときでした……」
今度は、二つの墓の前に座り込む。かつて、「デミ・ドゥームズデイ」の前線で魔物と戦い続けた英雄たちの名が、二つ刻まれている。
エルザ・ソレイユ……そして、メレディス・エルンドゥールの二人だ。
「ラケルも壊れてしまったのです。レイにはわかります……誰かと仲良くなるのが怖くなったんです。仲間を……たった一人の親友も失って、孤独になって……また誰かを失うと思ったら、怖くて怖くて仕方がなくて……自分から嫌われるように、道化を演じ続けているのです」
「……じゃあ、夢劇場って結局何なの?」
「パンタシアは……ラケルの逃げ場所のようなものです。レイの逃げ場所がこの世界であるのと同じ。ラケルもまた、パンタシアに誰かを呼び寄せて夢を見せ、いい思いをさせたりちょっかいを出すことで、自分の中に溜まった悲しみを吐き出しているんです」
涙は枯れ、伝った跡がくっきりと残っている。涙が止まっていることに気づいたときには、レイチェルの身体は小刻みに震えていた。
頭の中で念入りに咀嚼しながら話を聞いていたアリアだったが、知らないうちに複雑な表情になっていた。
「あの……ここまで聞いて、どうでした?」
「うん。嘘じゃないってことはわかった」
「え……アリア様、お話聞いたばかりなのに……」
「いや、最初は半信半疑だったのは認めるよ。でも、ここまで話を聞いて、あながちありえない話でもないかなって思ったんだ。なんだかんだ、最近変なことばっかり起こってたじゃない? もうなんでもこいって感じだよ、正直」
きっと、先日起きた事件のことを嘆いているのだろうと悟った。神隠し事件という比較的大規模な騒動に加え、強力な魔物の出現……ラケルの身体の中に閉じこもっていたレイチェルでも、ある程度は事情を知っている。
懐の大きさに安堵していたところで、再び彼女は難しい顔をした。
「でも、このままじゃダメな気がする。今回、どうにかしてラケルを止めたところで、また爆発したら似たようなことが起こる。それじゃあ、いくら神がいても足りないからね」
「……アリア様……」
「ねぇ、レイチェル。あなたは、どうしたい?」
できるだけ優しく聞いたつもりだった。しかし肩をびくりと震わせ、アリアを怯えた目で見つめるようになる。
「な、なんで……レイにはもう、何もできないです……レイはもう、ラケルの悲しみを受け止めてあげられない……」
「そうかもしれない。私には、レイチェルがどのくらいつらい思いをしたのかは想像できないから、なんとも言えない。でも……諦め続けることも、それはそれで苦しいと思うの」
アリアの言葉に顔を上げ、自分の頬を伝う涙を拭った。拭っても拭っても、雫は幾度となく流れ落ちる。レイチェルは違和感を覚えたように首を傾げつつも、目を擦り続けた。
「……ラケルが、苦しんでる……」
「わかるの?」
「レイとラケルは、いつも繋がってますから……悲しみも怒りも、全部流れ込んできます。今、こうして涙が出るということは、ラケルが負の感情を許容しきれなくなっているということ……」
あ、と小さな声が出た。顔を上げても、涙は依然として流れ続けている。しかし、弱々しい顔にだんだんと勇ましさが宿り始める。
「……行かなきゃ」
「ラケルを止めに?」
「はい……でも、レイだけで止められるか……」
「安心して、私も手伝うから。ラケルのところへ連れて行って」
アリアは立ち上がり、胸を拳で叩きながら宣言する。レイチェルは止まらぬ涙を拭いつつ、アリアを見上げて唇を噛み締めた。
墓地の付近には、鈍色の異空間の入り口があった。レイチェルとアリアは、二人で異空間に入って移動する。
異空間の中は、どこを見ても不気味な色合いの壁と道が続いていた。道が分かれている部分もあり、進む方向を違えれば簡単に遭難する。
「あの……アリア様は、どうやってあの墓地にいらしたんですか……?」
「え? んーとね、最初いた場所からこんな感じの道を見つけて、適当に歩いてたら辿り着いたの」
「……そうですか……運がよかったみたいですね」
遭難していたら見つけるのが難しかった、とレイチェルは内心で冷や汗をかいていた。涙はもう止まっていた。
そんな迷路のような道を、レイチェルが前に出て進んでいた。心の世界に住む本人の案内があれば迷う心配はない。実際、異空間にいた時間はそこまで長くならずに済んだ。
異空間の出口に近づくと、冷たい空気が流れ込んでくるのを感じた。外は雪が降っており、しかも強風が吹いているとわかった。そして吹雪に混じって、刃を交える音や爆発音が聞こえてくる。
レイチェルは臆し、立ち止まった。一度は止まっていた涙が再び流れ落ちる。
「……ラケルがこの先にいます。恐らくは、他の皆さんも……」
「よーし! さっさと止めちゃうぞー!!」
「あっ、待って……!」
折りたたんでいた翼をはためかせ、出口に向かって飛んでいくのを止められなかった。伸ばした手が空を掴んだことに気づき、レイチェルも慌てて後を追う。
異空間から外へ出る。吹雪に見舞われた繁華街は、戦いの舞台となっていた。アリアは地面に降り立ち、レイチェルも追いつく。
「見たところ、敵は二人ね。ラケルと……えーと」
「あ、メリー……メレディスですね。ラケルと同じ『神々の英雄』の一人です。でも……」
レイチェルはメレディスに攻撃を仕掛ける、三人の神を見た。黒髪の執事姿の青年と、刀を携える青い髪の少女、そして金色の二輪車型の武器に跨り弾丸を撃つリーゼントの青年……メレディスが三人の命を奪おうと動いているのは、すぐにわかった。
「あれは、本当のメリーじゃないです。最近ラケルに接触した子供……『シファ』の術で生み出された幻影でしょう」
「シファ? って、なんでそこまで知ってるの」
「この心の世界に何度か入ってきて、レイも実際に話しかけられたことがあるからです」
真剣な面持ちのまま、もう片方の戦況を見る二人。ラケルは、金髪碧眼の少女と片翼の天使の二人を相手に戦っていた。血まみれな状態でありながら、二人の神を蹂躙する勢いで攻撃を続けている。繁華街の建物の壁際には、負傷した神の姿もあった。
予想よりもひどい戦況に、アリアは目を見開き、自身の武器を召喚する。自身の身の丈と同等程度の長さを持つ薄桃色の大きな刃には、金色の文様が全体的に施されている。
「レイチェル! 私はラケルの相手するから、そっちを!」
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両手剣を構え、アリアは翼で飛び上がる。レイチェルは戸惑いつつも、もう片方で戦っているかつての仲間を止めに走った。
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