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第5章「神々集いし夢牢獄」

111話 死者の決断

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 一体、この戦いが始まってどれだけの時間が経っているのだろう。
 現実でどのくらい時間が経っているのかはわからないが、もう丸一日戦っている気がする。気も休まる暇がなく、魔力もすぐには回復できない。
 私の場合、エルザさんの幻影と戦った時に、既に一回「戦女神化」を使っている。一日に二度使うことは今まで試したことがない。
 身体に負担がかかる術だが、やむを得なかった。だが、そろそろ限界が近い。目の前の景色が歪み始めている。

「ユキア! ノインのところに行ってください、これ以上は無茶です!」
「わかってる……でも、セルジュさんだって病み上がりでしょ……」

 かろうじて仲間の言葉は聞こえる。セルジュさんも、一度気を失うほど激しく戦っているのに、まだ武器を構えることができていた。私もまだ、戦えなくはない。

「もういいんじゃな~い? 第五世代にしてはよくやったよ。魔特隊の彼らなんて、ぼくが本気を出したらすぐやられちゃったのに」
「っ……私の友達をバカにするな!!」

 空中で嘲笑うピエロを、魔力の爆発に巻き込んだ。もはや、些細な抵抗に過ぎない。身の内に溜まっていた魔力も、もうほとんど切れている。それでも諦めることだけはしたくなかった。
 ラケルは血を流せば流すほど、力を増していく。薄れた魔力の中から現れ、口の端から血を垂らしながら私へと突っ込んでくる────

「ユキア!! セルジュ!!」

 そこに、大きな刃が割り込んできてラケルを深く斬りつけた。とある店へ身体が吹っ飛んでいき、大きな爆音が鳴り響く。
 私だけでなく、セルジュさんもその人物に目が釘付けになった。緑と青のオッドアイ、薄い色の金髪、そしてクリムに似た白銀の翼────今になって、アリアが姿を現したのだ。

「アリア先輩! 今までどこに行ってたですか!!」
「話はあと! 何か見たことない格好になってるけど、ユキア大丈夫?」
「だ、大丈夫に決まってるでしょ。私はまだ────」

 言葉の途中で、視界がぐらりと揺れた。魔力が一気に抜け落ちるような感覚を覚える。「戦女神化」が解除され、元の姿に戻ってしまったのだ。セルジュさんが支えてくれて、かろうじて意識はまだ保てている。

「全然大丈夫じゃないじゃん! セルジュはまだ戦える?」
「ぼくはまだ大丈夫です……オルフ、ルマン! 来れますか!?」
「おー、ちょっと待て! すまん、ここ頼むわ!」

 アリアは先んじて、吹っ飛んだラケルの方へ向かっていった。オルフさんたちがこちらに走ってくるまで支えてもらい、彼らが来たらアリアの援護へ急いだ。

「うわ、ひでぇ魔力切れ……! ルマン、乗せていいよな!?」
『仕方ない。緊急事態だ』

 私は意識が朦朧としている中、必死にオルフさんにしがみついて倒れないように踏ん張った。オルフさんは私の身体を持ち上げると、自分の前に座らせて発進する。ノインのいる場所へ向かっていた。
 いつの間にかノインは移動しており、シオンとソルを一番近くの路地裏に寝かせていた。自分は座り込むこともせず、道の近くで戦況を見守っていた。
 私たちが走ってくるのに気がつくと、あっと驚いた様子でこちらに駆け寄ってきた。

「ユキア! アルバトスたちの方見てたんだけど、あのピエロがいる!」
「は……? ノイン、何言って……」

 バイクから降ろしてもらった私に指し示すように、ほら、とノインがある方向を指さした。アルバトスたちがメレディスさんと戦っている方角だ。
 そこには三人の姿しかないはずなのに、もう一人別の人影がメレディスさんに向かっていた。しかも、その姿は私たちがさっきまで戦っていたあのピエロと瓜二つだ。
 これにはオルフさんたちも驚いたようで、口をあんぐり開けていた。

「はぁ? ラケルってあっちで戦ってたんじゃねーの?」
「あたしにもわかんないよ! これもあいつの魔法じゃないの!?」
『……ある意味では、そうかもしれないが』

 アルバトスとシュノーも、突然の人物の登場に驚いて動きが鈍ったいるようだった。二人とメレディスさんの前に割り込んで、ピエロは二人の方に振り返って何かを喋っていた。私たちからは少し離れた距離で戦闘が続いていたので、声はよく聞こえない。
 やがて、アルバトスたちがこちらへ走ってきた。メレディスさんは武器を銃に切り替えており、こちらに銃口を向けていた。

「逃がさないよ。ここで全員────」
「メリー、ダメ!!」

 発砲される一歩手前で、ピエロがメレディスさんの前に躍り出た。当然というか、声はラケルとまったく同じだった。ただ、声色が少し柔らかく聞こえる。
 ラケルが使っていたピンとまったく同じ武器を召喚し、放たれた弾丸を弾き飛ばす。

「君は……なぜ止めるんだい?」
「これ以上みんなを……あなたの大事な子供たちを傷つけないで! あなただって、傷ついてるはずでしょう!?」
「……君は何も知らないのかい。全部傷つけてでも壊せと言ったのは、ラケルの方なんだよ」

 再び動き出すメレディスさん。ピエロの方は若干の動きの鈍りを見せた。戦い方もラケルと同じであるはずなのに、どこか臆するような動き方をする。ラケル本人ではないように思えた。それはアルバトスとシュノー、オルフさんも同じようで、三人とも眉をひそめている。
 そんな中、ルマンさんは一言呟いた。

『……レイチェル』

 知らない誰かの名前を。

『オルフ、お願いだ。ボクをあのピエロの元へ連れて行ってくれ! 早く!』
「はぇ? ま、まあいいけどよ……?」

 それからいきなり声を張り上げたので、オルフさんは気圧されたようにシートに跨り、発進させた。私はもちろん、アルバトスとシュノーも変なものを見るような目で、戦いに目を向けていた。
 メレディスさんとピエロの間に距離が生まれた隙に、オルフさんたちがピエロの近くへ辿り着いた。

『レイチェル! レイチェルだろう!?』
「! その声は……マロン……!」
「え? マロン? ルマンじゃなくて?」
『オルフ、今は何も言うな。お願いだから』

 またもや知らない名前だ。レイチェルと呼ばれたピエロは、ルマンさんの声に目を輝かせる。遠くで戦っていても、会話は聞こえてきた。
 メレディスさんも、レイチェルさんの変化に気づいたのか動きを止め、じっくりと三人を眺めた。それから、何か納得のいったような笑みを見せた。

「ああ、やっぱりそうか。なんとなく聞こえていた声が彼にそっくりだと思っていたけれど……今はそんな姿になってしまったんだね」
『…………』
「君はもう知っているだろう、マロン。僕とエルザの正体を」
『ああ。キミたちは箱庭の外からやってきた『子供』によって作られた幻影だ。レイチェルと再会して、ボクはやっとラケルの狙いに気づいたよ』
「……やはり君は優秀な神だったよ。本当に、失ったのが惜しい」

 メレディスさんは武器を下げた。オルフさんたちの方はまだ身構えたままだが、向こうの戦う意思はどんどん消えていくように思えた。

「ラケルは僕らを、君を蘇らせようとしていたんだ。そのために、箱庭の外に存在する力に縋った。ある意味、この事件は起こるべくして起きたんだよ。レイチェル……君にさえ止められなかったのだから」
「……レイが悪いの。レイが逃げなければ、きっと……」
「わかるよ。失ってしまったものに執着してしまうのは、僕もエルも同じだ」

 彼の薄緑の目は、こちらを……厳密には、アルバトスを見ていた。いつの間にかノインもこちらに近づいてきていて、アルバトスの隣で目を潤ませている。

「でも……世話神になって気づいたよ。いつまでも執着していたら、未来には進めない。もしかしたら、君も誰かの親代わりになれていたら、もっと違う結果になっていたかもしれないけどね」
「……メリー……」
「ああ、なんだかここにいることが悪い気がしてきちゃったよ。こうするしか、ないかなぁ」

 メレディスさんの右腕が上がる。銃口が向けられたのは、オルフさんたちではない。未来を想像して、私たちの顔から血の気が引いていく。

「やだ!! やだやだやだ!! おじちゃんやめてよぉ!!」
「師匠っ! そんなことしないでくれ!!」
「やめてメリー!! いなくなっちゃいや!!」

 ノインは両目で目を塞ぎ、アルバトスとレイチェルさんに至っては、涙をぽろぽろ流しながらメレディスさんに駆け寄っていった。

「残された君たちに、これ以上迷惑はかけられない。ごめんね────」

 彼らが手を伸ばした頃には、もう手遅れだった。爆音とともに真っ赤な花が咲き誇ったかと思えば、身体が青い光となり分解されていく。誰もが目の前の状況を頭で処理しきれないまま、動けない。
 気づけば、そこにいたはずのひとは跡形もなく消えていた。
 アルバトスは呆然として、消えた跡を虚ろな目で眺めている。ノインは子供のように泣きじゃくった。私はどうすればいいかわからなくて、抱き着いてくるノインを受け入れることしかできなかった。

「なぁ……ルマン、これでいいのか……?」
『……いいんだ。どの道……こうするしか、なかったんだ……』

 震えていたのはオルフさんのハンドルを握る手だ。ルマンさん自身は動くことすらない。ただ、声だけはかつての生身のひとだった頃と同じであろう、ひび割れたようなものだった。
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