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【巨大聖戦編】第7章「誰がための選定」

147話 大好きな面影

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 照明が消された部屋に、窓から青白い光が差し込んできた。ドアの向こうからは、まだ複数の声が聞こえる。イレギュラーへの対応で騒ぎが続いており、まだ終わる気配はない。
 ここは、アイリスの寝室に利用されている部屋だった。絵画や調度品の他、天蓋がついた広いベッドなどが置かれている。
 アイリスはそのベッドの上で寝息を立てており、アリアもソファの上で同じく眠り続けていた。一人残っていたアスタは、ベッドのそばに膝を抱えて座り込んでいる。

「……どうして、こんな気持ちになるんだろう。嫌いだったはずなのに、こんなに心が苦しくなるなんて」

 膝に顔を埋めて、消え入りそうな声で呟く。自分以外の全員が眠る部屋で、誰にも聞かれないつもりで声を漏らしたのだ。

「それは、お主が妾を嫌いになりきれていないからじゃないかの」

 ベッドの上から、声が聞こえた。顔を上げたアスタは、飛び跳ねそうになる勢いで立ち上がる。今まで眠っていたはずのアイリスが、薄っすらと目を開けていた。

「あ、アイリス? 大丈夫なの?」
「……お主、ひどい顔をしておる。泣いておったのかえ?」
「なっ、泣いてなんかない! 誰がキミのために泣くもんか!」
「……なんじゃ、元気そうじゃの」

 アイリスは、右腕をかなり重たそうに動かした。頭に腕を乗せ、気だるげに天蓋を眺めている。

「はぁ……頭が割れるように痛いわい。全身もやたら痛い……なぜじゃろうか」
「覚えてないの? 瓦礫に埋もれてたんだよ」
「……ああ、そうじゃ。撃たれたんじゃ」

 記憶をゆっくりと遡っているかのようだった。アスタはアイリスが戦っていた現場を見たわけではないが、何が起きたのかは彼女の言葉でなんとなく想像がついている。

「なんで頭撃たれたのに生きてるの? いくら最高神でも、さすがに致命傷だったんじゃないの?」
「ん……さあな。妾もここまで大怪我したことはなかったからのう。カルデルトか誰かが治してくれたのじゃろう」
「クーが回復魔法を使ったって言ってた。カルデルトはどこにいるかわからないみたい」
「クー? ……ああ、そうか。本当に真面目で、優しい子じゃ」

 痛みに苦しんだりするような様子もないが、目を閉じながらたどたどしく返事を返す。アスタは少し棘のある態度で接しつつも、アイリスから目を離せずにいる。外から漏れる月光が、彼女を異様なほど青白く染めているからだ。

「……妾のせいじゃ」
「えっ、どういうこと?」
「妾とカルデルトで、この繁華街をさらなる混沌に陥れようとする輩を葬り去ろうとしたのじゃ。だが、相手があまりにも強かった……カルデルトは重傷を負いながら、応援を呼ぼうとしてくれたのじゃが……」

 そこまで言って、口を閉ざした。詳しく語られなくとも、不穏な空気にならないわけがなかった。
 アイリスはゆっくりとまばたきを繰り返し、ただ頭上を仰いでいる。ずっと考え事をし続けているのだ。

「……ノーファと名乗る娘が言っておった。妾は傲慢だと。確かにその通りじゃ……傲慢な行いをしたツケが回ってきたのじゃろう」
「ノーファって……! アイリス、まさか」
「のう、アスタ。この前、妾を最高神の座から引きずり下ろすと言っていたじゃろう」

 実際に過去に言った、不敬極まりない発言がアイリスの口から飛び出す。やぶから棒になぜそんな話をするのか、アスタは怪訝な目を向ける他なかった。

「お主がわざわざ手を出さなくとも、そのうち玉座は勝手に空く。そのときはどうか、爺様と一緒に『次』を決めてはくれんかの」
「……は? 次って、何?」
「言葉通りの意味じゃ。妾は、もうじき死ぬのじゃよ」

 あまりにも、唐突すぎた。アスタは呆然とするしかなく、自分の身体が小刻みに震えていることにも気づけなかった。
 ふかふかと柔らかく膨らんでいる布団を弱々しく握りしめ、アイリスは続ける。

「元々、そんなに長くない命だったのじゃ。自分の血肉といったあれこれを使って、神を何百人も作っていた。身体が小さいのはそれが原因じゃし、大量の血を流す頻度も多かった。他の神たちより、寿命は遙かに縮まっていたのじゃよ」
「……だからって、いくらなんでも急すぎるよ」
「今すぐではない。ただ、その時が刻一刻と近づいている……生命としては当たり前の原理じゃろう。妾たちがおかしいだけなのじゃ」

 生命には、寿命という名の限りがある────それは世界にとっての当たり前だ。神は不老であるが不死ではないし、人間にいたっては百年で老いて死に至る。アスタを始めとした観測者のような、不老不死が当たり前であることの方が異常なのだ。
 聞けば聞くほど、アイリスの言葉が悲観的なものになっている。彼女のアスタを見る目も、以前とは違い物悲しいものになっていた。

「お主は無礼で不敬な奴だと思っておったが……今見ると、随分と懐かしい気持ちにさせられる顔じゃ。まるで、昔どこかで会ったような」
「気のせいだよ。ボクはキミを勘違いしていただけで、キミのことなんか知らなかった」
「……アスタ……昔、中庭に咲いていた花の名によく似ておる。今はもう咲いておらんが、この世界のどこかには咲いているのじゃろうか」
「なんで急に花の話なんてするのさ? 本当に大丈夫なの、おばーちゃん?」

 わざとからかうような口ぶりで話すものの、力なく笑われるだけだった。

「どうしてじゃろうな……昔のことばかり思い出してしまう。これでいいのだろうかと思いながら、無情なふりをした。そのせいで、あんな悲しい神を生んでしまった────妾は、どこで間違いを犯したのじゃろうか」

 何を思って呟き続けているのか、それを知る由はない。アスタはただ、懺悔にも似た彼女の言葉を耳に入れながら、静かに拳を握る。
 いい加減鬱陶しくなって𠮟り飛ばそうと思ったそのとき、寝室のドアが開く音がした。入ってきたのは、アイリスやアスタよりも遙かに身体が大きい初老の男だ。

「っ! カトラス、どうして────」
「すまん、全部聞いておった。容態を見に来たのじゃが、入れる空気でもなかったのでな。少し、アイリスと話をさせてくれんかの」

 アイリスが横たわるベッドに、カトラスが静かに歩み寄ってくる。アスタは自分が立っていた場所から横に逸れ、彼がアイリスとしっかり話をできるように場所を作る。
 養父が訪れたことで、アイリスの顔に表れていた悲しみが少しだけ和らぐ。だが、カトラスを見る目には一片の力強さも残っていない。

「爺様……妾は何かを間違えていたのかもしれぬ。妾のせいで、この生誕祭が壊れてしまったようなものじゃ」
「正解も、間違いもない。この世に、真に正解と呼べるものはない。みんながそれぞれ選び取ったものを正解と呼ぶことしかできないのじゃ」
「本当に、そうじゃろうか。初代は、もっとうまくやっておられたのじゃろう」
「古代と現代では状況がまったく異なる。比べても意味はない。お主はどれだけの悲劇が襲い、犠牲が生まれても、最高神の座から逃げるようなことはしなかったじゃろう。それだけで十分じゃ」

 大きく骨ばった手で、小さな頭を優しく撫でている。二人の姿は、ほとんど人間の家族と相違なかった。アスタはどこか遠い目でその光景を眺める。自分があの中に混じることはできない、そう思いながら。
 カトラスが手をどけたとき、アイリスがほんの少しだけ身体を起こし、寝室のソファの方を見遣る。

「そうじゃ……そこにアリアがおるのじゃろう。ここに連れてきてくれまいか」
「アスタ、アリアを持ってきてくれんか。わしはアイリスを起こす」
「えぇ? あ、うん……」

 物思いに耽っていたアスタが我に返り、ソファで未だに眠り続けるアリアを運んだ。アスタよりも彼女の方が身体が大きく、運ぶつもりが半分引きずるような形になった。
 アリアをアイリスの前に持ってきたのを確認したアイリスは、カトラスに支えられながら身体を起こす。そして壁に手を伸ばし、立てかけていた金色の杖を手に取った。かなりの年数使われているはずなのに傷一つなく、欠けた箇所もない。

「『クラーウィス・クラウダンス・フルヴァルキリー』」

 アリアに杖を向けながら、小さな声で詠唱する。魔力が青白い光となって、アリアの頭を包み込む。やがて、誰もが知るアリアに施されていた、青白い輪が蘇った。

「これで大丈夫じゃろう。明日には目を覚ますはずじゃ」
「そ、そっか。よかった……のかな」

 アリアをソファに戻した後、アスタは改めてアイリスの杖に目を向けていた。
 以前から、その杖にはとても見覚えがあった。そもそも、アイリスと最初に会ったとき、彼女と大事なひとを間違えた要因の一つである。

「そういえば……アイリスの杖って、ロミーの杖とよく似てるよね」
「っ!?」

 何気なく放ったアスタの言葉に息を飲んだのは、他でもないアイリスだった。カトラスは何も言わず目を逸らすのみだ。

「前々から気になってたんだけど。アイリスはロミーによく似てる上に、持っている杖まで同じ。もしかして────」
「いつまで初代の詮索をするつもりじゃ!? お主にあのひとの苦労はわからぬ!!」

 病み上がりの身で怒鳴ったことで、アスタの小さな肩がびくりと震えた。牙を剥き出しにしそうなほど険しい顔を向けられている中で、彼は逆に表情を失っていく。

「キミこそ、いい加減知った風な口を利かないでくれる? 本当は古代の悲劇について何も知らないくせに」
「アスタ、これ以上アイリスを責めるでない! 何も知らないのはアイリスのせいじゃ────」
「もういい。キミはどう足掻いたって、ロミーになれやしないんだから」

 カトラスの制止も聞かず、凍るほど冷たい声で言い放ってすぐに寝室を飛び出した。
 仕方なさそうにため息をついたものの、アイリスの表情に少しずつ苦痛の色が表れ始める。はっとしたカトラスがゆっくりと彼女の上半身を寝かせ、ベッドに置いたままの杖を壁に立てかけ直した。

「……すまぬ、爺様」
「いや、これに関しては、わしもいくらか悪い部分があるからのう」
「一体何をしでかしたのじゃ」
「詳しくは話せぬ。じゃが……悪いのは、最凶最悪の存在ただ一人なのじゃ。その他は、誰も悪くない……」

 カトラスはそう答えた後、口を固く閉ざして沈黙を漂わせた。
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