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第8章「神智を超えた回生の夢」
201話 神々を裁く煉獄(2)
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どれくらい視界の異常と耳鳴りに苦しめられたのかはわからなかった。症状が止んだ頃になって、僕はようやく動けるようになった。瘴気がだいぶ薄れている……いつの間にか、ノーファとシファの姿が消えていた。
アリアとジュリオは気を失って倒れている。だが、クロウだけは鎌を突き立てて立ち上がろうとしていた。シファのカードの効果が切れたようだ。
「っ……ノーファめ、詠唱つきの星幽術を使いやがったな……まずいことになったぞ」
「な、何が? クロウはわかるの?」
クロウも僕が動けることに気づき、こちらを向いた。他の二人が気絶していることもわかったようで、ため息をつきながら立ち上がった。
「星幽術の中でも、詠唱がついているタイプはとりわけ効果が絶大だ。行使者によってちょっとずつ変わってはくるんだが、その中でも観測者の詠唱つき星幽術は威力がバカ強ぇ。さっきの感覚異常でわかっただろ」
「……まさか、これで終わらないってこと?」
「ああ。アイツらの星幽術は本来、一つの国を一夜で壊滅させるほどの力があると言われている。ここで初めてそれを披露したってことは、今までずっと手加減してたっつーことだ。本格的にオレたちを潰そうとしてやがる」
歯を食いしばりながら、見たこともないくらいの焦りを滲ませている。ミストリューダにいた頃に話を聞いたりしたのだろうか、クロウはやけに観測者の星幽術に詳しいみたいだった。
瘴気自体は薄れているものの、アリアとジュリオをデウスプリズンに運ぶのは危険だ。とはいえ、二人をここに置いたままノーファたちを止めに行くのも良い策とは言えない。中央都市から離れているこの辺り一帯に魔物が潜んでいる可能性は大いにあるのだ。
「クリム、オマエはアリアとジュリオを守ってろ。アイツらはオレが止める」
「クロウ一人で!? さすがにそれは危険すぎやしないかい!?」
「オレを心配してんのか? 御大層な優しさなこった。それは『汚れ役』に向けるものじゃねぇだろ?」
そんなことを言ってニヤリと笑ってから、漆黒の翼を広げて飛び去っていった。
それから間もなく、何か嫌な気配が僕の周囲を包み込む。何もない地面があちこち盛り上がり、何か頭のようなものが這い出てきた。血の気などなく、肉が腐って目が落ちくぼんだ顔は、到底生きているものとは言えない────死者のものだった。
地面の中から生えてきた死者の頭たちは、やがて完全に地面から這い上がってきた。一糸まとわぬ、やせ細って骨と皮だけの身体を持つ奴らは、空想上では「ゾンビ」と呼ばれるような化け物たちだった。
「まさか、ノーファの星幽術の影響……!?」
ゾンビたちには言葉が通じないようで、何も反応を返さない。それどころか、だらしなく口を開けながら細い両手を伸ばし、こちらに迫ってくる。気づけば、全方位から似たような化け物たちが迫ってきていて、僕と気絶している二人は包囲されているも同然だった。
これ以上近寄ってこないように、剣に風の魔力をまとわせて放つ。奴らには魔法をかき消したり回避するほどの知能はないようで、当たったら後ろに倒れ込む。それでもしばらくすれば起き上がり、そもそも数が多いから止めきれない。
腐敗臭が漂い、吐き気を催しそうだ。
「……クリムさん。ここにいたんだ」
こちらが必死に魔法を行使し続けていた際、誰か別の声が聞こえ振り返った。その先には、深緑の制服を着た運び神の少年が立っていた。
「レーニエ君、どうしてここに!? 危険すぎるよ、中央都市に避難して!」
「平気。俺は大丈夫だよ」
その「大丈夫」には何の根拠もない。彼ができることなど、この場から誰かを安全な場所に運んでもらうことくらいで────
「そうだ、アリアとジュリオを中央都市まで運んで! 診療所に行けばカルデルトが」
「なんで俺が、赤の他人のあんたのために動かなきゃいけないの?」
返された答えは天邪鬼よりも冷たくて、思わず固まってしまった。
そのとき気づいた。ゾンビたちはなぜか、レーニエ君には見向きもしていない。戦う力を持たない彼を狙う方が、奴らにとっては都合がいいかもしれないのに。
「クリムさん。あんたは自分のことを冷酷な断罪神だと言って、卑下してるつもりかもしれないけどさ。それは卑下でもなんでもない、事実だろ」
その言葉とともに、背後から硬い腕がまとわりついてきた。そこから腐った肉体たちが群がってきて、僕は前に倒れ込んだところをゾンビたちに押さえつけられてしまう。
ゾンビの個体の力が強すぎるせいか、数が元から多いせいなのかはわからないが、身体を起こせない。剣を持つ腕も押さえ込まれ、満足に振るうことすらできない。おまけに、押さえ込まれた場所から魔力を吸い取られている感じがした。
レーニエ君は、僕がゾンビに捕まって逃げられなくなっている姿を冷たい目で見下ろしていた。
「そいつら、触れた奴の魔力とか生命力とか根こそぎ奪うんだってさ。逃げられないと、色々な意味で悲惨な死に方するかもよ?」
「どうしてそんなことを知って……レーニエ君、一体どういうつもりなんだい……!?」
「俺さ、あるひとから聞いたんだ。百年前……俺の兄貴が死んだときのこと。俺、兄貴がどうして死んだのか、ずっと知らなかったんだ」
彼の言葉で、僕はデミ・ドゥームズデイで、自分の目の前で死んだ神のことを思い出す。
暴走したアリアに殺されそうになった僕を庇って、レオーネと名乗った運び神が死んでしまった。実質的に、彼はアーケンシェンに殺されたのだ。
「兄貴は、アリアさんに殺されたんだろ? それを見てあんたは逃げた。あんたは俺の兄貴を見殺しにしたんだ」
突然、ゾンビの一人が僕の肩に噛みついてきた。服越しなのに、歯が深く突き刺さって激痛が走る。余計に力が抜けていく感覚が強まり、起き上がろうとするのもつらく感じてきた。
押さえつけられているはずの身体が震える。今の今まで、彼の弟がレーニエ君だったということを知らなかった自分に嫌気が差してくる。
「俺が他の運び神から神隠し事件の犯人と疑われていたとき、あんたはどんな気持ちで俺に話しかけてきたんだ? いや、そもそも俺がレオーネ・エピストゥラの弟だって気づいてなかったんだろ? 百年前の悲劇の犯人を殺して後悔し続けていたくせに、兄貴のことは忘れていたのか?」
忘れてなど、いない。僕がアリアを力づくで止めていれば、僕かアリアが死んだとしても、レオーネ君が殺されることはなかった。彼だって、赤の他人である僕よりも実の兄が生きていた方が嬉しかっただろう。
ジュリオは以前、僕に「死んだ者たちのことを忘れたのか」と聞いてきたが、忘れられていたらこんな気持ちにはならない。その誤解だけでも解きたくて、しっかりとレーニエ君の目を見た。
「僕は君のお兄さんを……レオーネ君を忘れてなんかいない!! 本当は、僕が死んででもレオーネ君を守るべきだったんだ!! 僕がもっと早く異変に対応できていれば、レオーネ君も他の神も────」
「……トルテが心の底であんたを憎んでたのもわかるよ。思い上がるのもいい加減にしろ」
僕を軽蔑しているのは明白だった。僕が何を答えたところで、今のレーニエ君の心には届きそうにない。
でも、レーニエ君の言っていることがよくわからなかった。トルテさんと僕は実際には会ったことがない上に、僕にお菓子を贈ってくれたことくらいしか関係を持っていない。そんな彼女が僕を憎んでいるとしても、レーニエ君はどこでそれを知ったんだ?
「トルテが死んでから、俺はようやくあいつの本心に気づいたんだ」
「えっ……トルテさんまで……?」
「黒幽病、だっけ? 神々の裏切り者になった神はみんな、あの病気で死ぬんだろ?」
そういえば、生誕祭での事件以降、トルテさんはずっと行方不明だった。生誕祭で姿を消してからしばらくはトゥリヤと行動していたらしいが、そのトゥリヤも今はいない。それからどうしていたのだろうと思っていたが、結局見つけることができずにいた。
だが……かつてのナターシャのように、遺体すらも残らず命を落としたとすれば、見つけることなんかできるはずもない。
「トルテは兄貴の死の真相を知っていたみたいだけど、最期まで俺には話してくれなかったな。もしかしたら、『組織』に堕ちたときに真実を聞かされたんじゃないかな。じゃないと、自分が神々の裏切り者になったのがバレるから」
「組織って……待ってレーニエ君! そいつらを信用しちゃダメだ!! トルテさんだって、ミストリューダのせいで命を落としたのかもしれないんだよ!?」
「誰も救えない神なんて、神じゃない。あんたは神としても断罪人としても未熟すぎた。クリムさん────あんたには、神の罪を裁くことなんかできないよ」
なぜだか、その言葉は僕の胸に深く突き刺さった。刃のように刺さったかと思えば、自分の魂ごと深く深く抉られていくような気がした。
そのときになって、いきなりゾンビたちが音もなく光になって、泡のように消え去った。身体にのしかかる力はなくなっても、魔力を吸われ続けた身体そのものの力はほとんどなくなっていた。
今のうちに動かなきゃ。せめて、最凶最悪の存在の復活だけは止めなければ。どれだけ強く自分を叱咤しても、身体に力が入らない。
「そう、だ────僕は、神じゃない」
僕の意志とは関係なく言葉が出てくる。勝手に力ない笑いが込み上げてきて、涙が流れ始める。
僕たちは、人間の死体から生まれた神もどき。現代神とも、偽神とも呼ばれる僕たちが生まれる前、今の身体は人間として生きていたはずなんだ。
────辺りが、一瞬にして白く染まった。轟音とともに、すべてが吹き飛ばされ壊されていくのを自覚した。
そのとき、脳裏に見覚えのある少年の姿が浮かんだ。それは紛れもない僕……いや、正確には神として生まれ変わる前の僕だった。
夢の中で見た、僕に似た少年の正体。この「身体」は、最初からその答えを知っていたんだ。
*
次に気がついたとき、僕は真っ暗で何も見えない場所に座り込んでいた。
黒い地面には僕が映っていた。今の僕は、まるでかつての悲劇の後の死んだような顔つきだった。
「思い出してしまったのだな。君という命の本当の姿を」
声をかけられたので、顔を上げた。そのとき僕の目の前にいたのは、ミルクティーアッシュの髪と紅玉の瞳が特徴的な若い男だ。荘厳な模様が刻まれた黒い剣を地面に突き立てており、どこかの国の王のような相貌を持っている。
当然ながら、僕の知らない人物だ。だが、彼は他でもない僕を見つめていた。
「かつての君はクリス・ミスティリオという名の人間だった。優しい姉とともに暮らすただの少年に過ぎなかった君は、自らの死に際も思い出したのではないか?」
自分で、自分の記憶に蓋をする。割れ鍋に綴じ蓋であることはわかりきっている。
俯いた僕の顔は、再び地面に映りこんでいた。だが、地面に白いひび割れができていることに気づく。
「君はこのまま、終わりなき回生の夢に閉じこもるのか? いくら夢に浸ったとて、君が失ったものは戻ってこない。失ったすべてを取り戻せるわけではないのだ」
男の言葉は、厳しくも優しく諭すような声色だ。カトラスさんと似ても似つかない言葉だ、と思いつつ瞼を閉じ、視界を塞ぐ。
もう、何も見たくない。それが僕の正直な想いだ。
何が正しくて、何が間違っているのかさえわからなくなるほど、この世界は歪だ。そんな世界に翻弄されて死んだ挙句、神と名付けられた人造人間にされて、そこでも悲劇に見舞われて────疲れ切ってしまったんだ。
自分がどうなろうと叶えようとした目的は達成した。もう、十分じゃないか。
「……やはり、こうなることは避けられないか。君たちは神とはいえ、精神性は人間と変わらない。とうに肉体を失った私には、止める権利などない……」
男の声に混じって、ガラスがひび割れるような音が聞こえる。鋭く耳障りな音であるにもかかわらず、僕の意識は緩やかに沈んでいるみたいだった。
「ならば、しばし眠るがいい。甘く儚い夢の中で、幸せな記憶を思い出すといい。どの道、この先に在るのは果てしない過酷だけだ」
一際強く、大きな破砕音が響き渡る。僕の意識も一緒にひび割れ、砕け散ったかのように大きな音だった。
アリアとジュリオは気を失って倒れている。だが、クロウだけは鎌を突き立てて立ち上がろうとしていた。シファのカードの効果が切れたようだ。
「っ……ノーファめ、詠唱つきの星幽術を使いやがったな……まずいことになったぞ」
「な、何が? クロウはわかるの?」
クロウも僕が動けることに気づき、こちらを向いた。他の二人が気絶していることもわかったようで、ため息をつきながら立ち上がった。
「星幽術の中でも、詠唱がついているタイプはとりわけ効果が絶大だ。行使者によってちょっとずつ変わってはくるんだが、その中でも観測者の詠唱つき星幽術は威力がバカ強ぇ。さっきの感覚異常でわかっただろ」
「……まさか、これで終わらないってこと?」
「ああ。アイツらの星幽術は本来、一つの国を一夜で壊滅させるほどの力があると言われている。ここで初めてそれを披露したってことは、今までずっと手加減してたっつーことだ。本格的にオレたちを潰そうとしてやがる」
歯を食いしばりながら、見たこともないくらいの焦りを滲ませている。ミストリューダにいた頃に話を聞いたりしたのだろうか、クロウはやけに観測者の星幽術に詳しいみたいだった。
瘴気自体は薄れているものの、アリアとジュリオをデウスプリズンに運ぶのは危険だ。とはいえ、二人をここに置いたままノーファたちを止めに行くのも良い策とは言えない。中央都市から離れているこの辺り一帯に魔物が潜んでいる可能性は大いにあるのだ。
「クリム、オマエはアリアとジュリオを守ってろ。アイツらはオレが止める」
「クロウ一人で!? さすがにそれは危険すぎやしないかい!?」
「オレを心配してんのか? 御大層な優しさなこった。それは『汚れ役』に向けるものじゃねぇだろ?」
そんなことを言ってニヤリと笑ってから、漆黒の翼を広げて飛び去っていった。
それから間もなく、何か嫌な気配が僕の周囲を包み込む。何もない地面があちこち盛り上がり、何か頭のようなものが這い出てきた。血の気などなく、肉が腐って目が落ちくぼんだ顔は、到底生きているものとは言えない────死者のものだった。
地面の中から生えてきた死者の頭たちは、やがて完全に地面から這い上がってきた。一糸まとわぬ、やせ細って骨と皮だけの身体を持つ奴らは、空想上では「ゾンビ」と呼ばれるような化け物たちだった。
「まさか、ノーファの星幽術の影響……!?」
ゾンビたちには言葉が通じないようで、何も反応を返さない。それどころか、だらしなく口を開けながら細い両手を伸ばし、こちらに迫ってくる。気づけば、全方位から似たような化け物たちが迫ってきていて、僕と気絶している二人は包囲されているも同然だった。
これ以上近寄ってこないように、剣に風の魔力をまとわせて放つ。奴らには魔法をかき消したり回避するほどの知能はないようで、当たったら後ろに倒れ込む。それでもしばらくすれば起き上がり、そもそも数が多いから止めきれない。
腐敗臭が漂い、吐き気を催しそうだ。
「……クリムさん。ここにいたんだ」
こちらが必死に魔法を行使し続けていた際、誰か別の声が聞こえ振り返った。その先には、深緑の制服を着た運び神の少年が立っていた。
「レーニエ君、どうしてここに!? 危険すぎるよ、中央都市に避難して!」
「平気。俺は大丈夫だよ」
その「大丈夫」には何の根拠もない。彼ができることなど、この場から誰かを安全な場所に運んでもらうことくらいで────
「そうだ、アリアとジュリオを中央都市まで運んで! 診療所に行けばカルデルトが」
「なんで俺が、赤の他人のあんたのために動かなきゃいけないの?」
返された答えは天邪鬼よりも冷たくて、思わず固まってしまった。
そのとき気づいた。ゾンビたちはなぜか、レーニエ君には見向きもしていない。戦う力を持たない彼を狙う方が、奴らにとっては都合がいいかもしれないのに。
「クリムさん。あんたは自分のことを冷酷な断罪神だと言って、卑下してるつもりかもしれないけどさ。それは卑下でもなんでもない、事実だろ」
その言葉とともに、背後から硬い腕がまとわりついてきた。そこから腐った肉体たちが群がってきて、僕は前に倒れ込んだところをゾンビたちに押さえつけられてしまう。
ゾンビの個体の力が強すぎるせいか、数が元から多いせいなのかはわからないが、身体を起こせない。剣を持つ腕も押さえ込まれ、満足に振るうことすらできない。おまけに、押さえ込まれた場所から魔力を吸い取られている感じがした。
レーニエ君は、僕がゾンビに捕まって逃げられなくなっている姿を冷たい目で見下ろしていた。
「そいつら、触れた奴の魔力とか生命力とか根こそぎ奪うんだってさ。逃げられないと、色々な意味で悲惨な死に方するかもよ?」
「どうしてそんなことを知って……レーニエ君、一体どういうつもりなんだい……!?」
「俺さ、あるひとから聞いたんだ。百年前……俺の兄貴が死んだときのこと。俺、兄貴がどうして死んだのか、ずっと知らなかったんだ」
彼の言葉で、僕はデミ・ドゥームズデイで、自分の目の前で死んだ神のことを思い出す。
暴走したアリアに殺されそうになった僕を庇って、レオーネと名乗った運び神が死んでしまった。実質的に、彼はアーケンシェンに殺されたのだ。
「兄貴は、アリアさんに殺されたんだろ? それを見てあんたは逃げた。あんたは俺の兄貴を見殺しにしたんだ」
突然、ゾンビの一人が僕の肩に噛みついてきた。服越しなのに、歯が深く突き刺さって激痛が走る。余計に力が抜けていく感覚が強まり、起き上がろうとするのもつらく感じてきた。
押さえつけられているはずの身体が震える。今の今まで、彼の弟がレーニエ君だったということを知らなかった自分に嫌気が差してくる。
「俺が他の運び神から神隠し事件の犯人と疑われていたとき、あんたはどんな気持ちで俺に話しかけてきたんだ? いや、そもそも俺がレオーネ・エピストゥラの弟だって気づいてなかったんだろ? 百年前の悲劇の犯人を殺して後悔し続けていたくせに、兄貴のことは忘れていたのか?」
忘れてなど、いない。僕がアリアを力づくで止めていれば、僕かアリアが死んだとしても、レオーネ君が殺されることはなかった。彼だって、赤の他人である僕よりも実の兄が生きていた方が嬉しかっただろう。
ジュリオは以前、僕に「死んだ者たちのことを忘れたのか」と聞いてきたが、忘れられていたらこんな気持ちにはならない。その誤解だけでも解きたくて、しっかりとレーニエ君の目を見た。
「僕は君のお兄さんを……レオーネ君を忘れてなんかいない!! 本当は、僕が死んででもレオーネ君を守るべきだったんだ!! 僕がもっと早く異変に対応できていれば、レオーネ君も他の神も────」
「……トルテが心の底であんたを憎んでたのもわかるよ。思い上がるのもいい加減にしろ」
僕を軽蔑しているのは明白だった。僕が何を答えたところで、今のレーニエ君の心には届きそうにない。
でも、レーニエ君の言っていることがよくわからなかった。トルテさんと僕は実際には会ったことがない上に、僕にお菓子を贈ってくれたことくらいしか関係を持っていない。そんな彼女が僕を憎んでいるとしても、レーニエ君はどこでそれを知ったんだ?
「トルテが死んでから、俺はようやくあいつの本心に気づいたんだ」
「えっ……トルテさんまで……?」
「黒幽病、だっけ? 神々の裏切り者になった神はみんな、あの病気で死ぬんだろ?」
そういえば、生誕祭での事件以降、トルテさんはずっと行方不明だった。生誕祭で姿を消してからしばらくはトゥリヤと行動していたらしいが、そのトゥリヤも今はいない。それからどうしていたのだろうと思っていたが、結局見つけることができずにいた。
だが……かつてのナターシャのように、遺体すらも残らず命を落としたとすれば、見つけることなんかできるはずもない。
「トルテは兄貴の死の真相を知っていたみたいだけど、最期まで俺には話してくれなかったな。もしかしたら、『組織』に堕ちたときに真実を聞かされたんじゃないかな。じゃないと、自分が神々の裏切り者になったのがバレるから」
「組織って……待ってレーニエ君! そいつらを信用しちゃダメだ!! トルテさんだって、ミストリューダのせいで命を落としたのかもしれないんだよ!?」
「誰も救えない神なんて、神じゃない。あんたは神としても断罪人としても未熟すぎた。クリムさん────あんたには、神の罪を裁くことなんかできないよ」
なぜだか、その言葉は僕の胸に深く突き刺さった。刃のように刺さったかと思えば、自分の魂ごと深く深く抉られていくような気がした。
そのときになって、いきなりゾンビたちが音もなく光になって、泡のように消え去った。身体にのしかかる力はなくなっても、魔力を吸われ続けた身体そのものの力はほとんどなくなっていた。
今のうちに動かなきゃ。せめて、最凶最悪の存在の復活だけは止めなければ。どれだけ強く自分を叱咤しても、身体に力が入らない。
「そう、だ────僕は、神じゃない」
僕の意志とは関係なく言葉が出てくる。勝手に力ない笑いが込み上げてきて、涙が流れ始める。
僕たちは、人間の死体から生まれた神もどき。現代神とも、偽神とも呼ばれる僕たちが生まれる前、今の身体は人間として生きていたはずなんだ。
────辺りが、一瞬にして白く染まった。轟音とともに、すべてが吹き飛ばされ壊されていくのを自覚した。
そのとき、脳裏に見覚えのある少年の姿が浮かんだ。それは紛れもない僕……いや、正確には神として生まれ変わる前の僕だった。
夢の中で見た、僕に似た少年の正体。この「身体」は、最初からその答えを知っていたんだ。
*
次に気がついたとき、僕は真っ暗で何も見えない場所に座り込んでいた。
黒い地面には僕が映っていた。今の僕は、まるでかつての悲劇の後の死んだような顔つきだった。
「思い出してしまったのだな。君という命の本当の姿を」
声をかけられたので、顔を上げた。そのとき僕の目の前にいたのは、ミルクティーアッシュの髪と紅玉の瞳が特徴的な若い男だ。荘厳な模様が刻まれた黒い剣を地面に突き立てており、どこかの国の王のような相貌を持っている。
当然ながら、僕の知らない人物だ。だが、彼は他でもない僕を見つめていた。
「かつての君はクリス・ミスティリオという名の人間だった。優しい姉とともに暮らすただの少年に過ぎなかった君は、自らの死に際も思い出したのではないか?」
自分で、自分の記憶に蓋をする。割れ鍋に綴じ蓋であることはわかりきっている。
俯いた僕の顔は、再び地面に映りこんでいた。だが、地面に白いひび割れができていることに気づく。
「君はこのまま、終わりなき回生の夢に閉じこもるのか? いくら夢に浸ったとて、君が失ったものは戻ってこない。失ったすべてを取り戻せるわけではないのだ」
男の言葉は、厳しくも優しく諭すような声色だ。カトラスさんと似ても似つかない言葉だ、と思いつつ瞼を閉じ、視界を塞ぐ。
もう、何も見たくない。それが僕の正直な想いだ。
何が正しくて、何が間違っているのかさえわからなくなるほど、この世界は歪だ。そんな世界に翻弄されて死んだ挙句、神と名付けられた人造人間にされて、そこでも悲劇に見舞われて────疲れ切ってしまったんだ。
自分がどうなろうと叶えようとした目的は達成した。もう、十分じゃないか。
「……やはり、こうなることは避けられないか。君たちは神とはいえ、精神性は人間と変わらない。とうに肉体を失った私には、止める権利などない……」
男の声に混じって、ガラスがひび割れるような音が聞こえる。鋭く耳障りな音であるにもかかわらず、僕の意識は緩やかに沈んでいるみたいだった。
「ならば、しばし眠るがいい。甘く儚い夢の中で、幸せな記憶を思い出すといい。どの道、この先に在るのは果てしない過酷だけだ」
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