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第8章「神智を超えた回生の夢」
200話 神々を裁く煉獄(1)
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*
目を覚ましたとき、いつもと変わらぬ灰色の天井が目に入る。うまく寝付けなかったせいなのか、頭が痛い。机の時計を見ると、普段よりも一時間くらい早く目が覚めたのだとわかった。
何か夢を見ていた気がする。内容は思い出せないけれど、なぜか悪夢ではないことだけは確信していた。もう一度眠る理由もなかったので、着替えて書斎を出た。廊下を歩き、牢屋が集まっているエリアへとやってくる。その中にある金属の扉の一つをノックした。
「おはよう、ジュリオ」
「……クリムか。珍しいな、こんな早く来るなんて」
扉の奥から声が聞こえてくるとは思っていなかったので、ちょっとだけ驚いた。僕はその扉の鍵を開け、中に入る。相変わらず軍服みたいな普段着を着たまま牢屋の中で過ごしているジュリオは、ベッドに寝そべって考え事をしていたみたいだった。
「君こそ、今日は早起きのように見えるよ。寝起きの顔には見えない」
「まあな。いつもより早く目が覚めてしまった」
ジュリオは身体を起こしてベッドから降りた。僕が牢屋の扉を閉めてジュリオに近づくと、彼は気まずそうに口を開く。
「昨日、シファ様がデウスプリズンに来たんだろう。何か言ってたか?」
「いや、特に君のことには触れていなかったけど」
「そうか。じゃあ……おれはもういらなくなったってことか」
ジュリオには、昨日の出来事はほとんど話していない。シファがデウスプリズンにいたということも、こちらが若干の騒ぎになったときに声が聞こえたからわかったのだろう。
つまり、彼は自分が所属していた組織がとっくに壊滅していることを知らないのだ。
「ミストリューダは壊滅したってさ。昨日、預言者……ニールがそう言っていたよ」
壁に寄りかかりながらそう伝えると、ジュリオは信じられないと言いたげに怪訝な表情を浮かべた。
「は? 預言者様が? じゃあ、シファ様とノーファ様はどうなったんだよ」
「シファはなぜか別行動してたみたいだけど、ニールに連れていかれたよ。ノーファは多分、ニールと一緒に行動してると思う」
「……そうか」
気が抜けたのか、ジュリオはベッドに座ったまま壁に寄りかかる。まだ疲れは抜けきっていないように見えた。
「クロウリーはどこに行ったんだ。あいつに聞きたいことがあるんだが」
若干汚れた天井を仰ぎながら問うてきたジュリオ。まだ朝早い時間帯な上、クロウ自身が夜型な部分があるので、さすがに起きていないと思う。
「まだ寝てると思うけど、聞きたいことって?」
「お前は何も疑問に思わないのか? なんであいつが『二度も』生き返ったのか」
壁に寄りかかりながら目だけをこちらに向けてくる。少し鋭くなった金色の瞳はアイリス様と同じ色だ。
「一度目はお前、二度目はおれが殺したはずだった。なのに未だにピンピンしている。いくらおれたちが人間の死体からできているとはいえ、普通に考えたらありえないだろ」
「た、確かにおかしいとは思っていたけど……クロウは、シファが『薬』をくれたおかげで身体を元通りにできたって言ってた。それに、この世界には死者を蘇らせる禁忌の術があったらしいって」
「言っておくが、ノーファ様の『薬』に死者を蘇生させる機能なんかないぞ。過去に何度も試したらしいが、死者蘇生だけはどうしても成功しなかったと言っていた」
そうなると余計に意味がわからなくなる。僕は、ミストリューダの隠れ家でクロウと話したときのことをひたすら思い返す。すると、彼が妙なことを言っていたことも徐々に思い出していった。
「クロウはこうも言っていたよ。『身体は使い物にならないまま朽ちていくのに、意識だけはずっとはっきりしていた』って」
「矛盾している……と言いたいところだが、それこそがあいつに隠された秘密なのかもしれないな」
普通ならありえないことに何度も遭遇しているからか、ジュリオはすんなりと矛盾を飲み込んだ。
クロウのことを考えると同時に、僕はニールに言われたことも思い出す。『右目』の権能……僕が一番覚醒するのが遅かったらしい力のことだ。
昨日、ミラージュの身体に宿っていた原初神の一人であるライランさんは、アーケンシェンの秘密を知りたいと言っていた。彼女が求めている秘密には、その権能とやらも関わっているのかもしれない。
「まあ、どの道今日はアーケンシェン全員で集まる予定だし、今から叩き起こしてくるよ」
「いいえ。そんな暇はありませんよ」
一旦牢屋から出ようと踵を返すと、金属の扉の外から声が聞こえてきた。
扉を開けると、心なしか警戒心を強めているように見えるヴィータが立っていた。彼女も結構朝早くに起きていたみたいだ。
「緊急事態です。クリム、ジュリオを牢から出しなさい」
「ちょっと待って、ヴィータ? 状況がまったくわからないんだけど」
「まずいことになりました。下手したら、夜明けとともにここが壊されかねません」
ヴィータは切羽詰まっているのか、普段よりも早口で話してきた。それから牢屋の中に駆け込んで、壁に寄りかかっていたジュリオを引きずり倒す勢いで腕を引いた。
「な、なにするんだ!? おい!」
「わたしはヴァニタスの封印を何が何でも守らなくてはなりません! 一緒に外の観測者を止めに行きなさい!」
無理やりジュリオを牢屋の外に連れ出したかと思えば、牢獄の最奥へと走り去っていった。観測者を止めろ、という不穏なワードが耳に入ったことで、警戒心が一気に強まる。
ヴィータが嘘を吐くとは考えにくい。本当のことであるなら迷っている時間はない。僕はガラスペンを手にして魔力を注入し、ガラスの剣に変形させる。その様子を見たジュリオの顔にも緊張が走ったのがわかった。
「ジュリオ。ヴィータもああ言ってることだし、一時的に君を釈放する。戦闘準備をして」
牢屋から出た彼なら、〈武器保管術〉を使うことができる。僕の言葉に従い、彼は白い狙撃銃を召喚してくれるが、緊張感が走る中で呆れた顔を浮かべている。
「随分と緩いな。それでいいのか、断罪神」
「四の五の言っていられない。ミストリューダにいたなら、この牢獄に封じられているヴァニタスがどんな存在かわかるでしょ?」
「まあ、そうだな。外にいる観測者というのも、もしかしたら」
「君が長年従ってきた相手だろうね。惑わされちゃダメだよ」
アリアやクロウのことも起こしに行きたいくらいだが、そんな暇はなさそうだ。僕はジュリオを連れて、武器を構えた状態でデウスプリズンから走り出る。
扉を開け放って外に出たが、まだ太陽すら出ていないので薄暗い。夜明け前ではあるものの、この時期ならもう少し明るいような気がする。入り口の近くには誰もいなかったので、道なりに進んで観測者を見つけるべく動き出す。
しかし、デウスプリズンからそこまで離れていない地点に、白い翼と黒い翼が見えた。僕たちが近づくと、それぞれ振り返ってこちらを呼んだ。
「クリム! ちょうどいいところに来たよ、デウスプリズンが何か嫌な気配に包まれてるの!」
すでにクロウと一緒にデウスプリズンの外にいたアリアの言葉で、僕は違和感の正体に気づいた。夜明け前にしてはやけに薄暗いと思っていたが、それはこの辺り一帯が何か煙のようなものに包まれているせいだ。それもただの煙じゃない、僕たちにとって確実に有害な瘴気だ。
「しっかし濃すぎるな。この瘴気の量、さすがに異常すぎる」
「恐らく、ノーファ様かシファ様が薬を使ったんだ。薬の服用によるアストラルの増幅だろう」
「って、ジュリオ? オマエなんで!?」
「仕方ないだろ、あの観測者の妹に行けって言われたんだよ」
クロウは納得いっていない顔をしているが、僕たちは構わず瘴気を警戒する。
やがて、瘴気の中から白い人影が現れた。柔らかそうなドレスの生地が見えた時点で、相手が誰なのか察した。武器を持っている様子はなく、丸腰のようだ。
「あらぁ、クレーにエンゲル……いいえ、今はもうクロウリーとジュリオと呼んでもいいわね。ミストリューダはもうなくなったもの」
以前聞いたときよりも、なんだかとろけたような声だった。完全に瘴気から姿を現したとき、彼女は恍惚とした笑みを浮かべているようにも見えた。
かつて自分が付き従っていた相手を前にして、ジュリオは少しだけ後ずさりする。
「ジュリオ。すぐそばにあなたが求めていた完全な翼がいるのに、何もしなくていいのかしら?」
「何を言ったって無駄だよ、ノーファ。彼はミストリューダとは完全に手を切った」
ジュリオが何か応える前に僕が立ち塞がり、ガラスの剣の切っ先をノーファへ向けた。彼女は一向に武器を構える気配もなく、ただ微笑みを浮かべたまま僕たちを見つめてくる。
「きちんと翼が両方揃ってる子はいいわねぇ。片翼の飛べない苦しみを知らないのだから」
「ごちゃごちゃうるせぇよ、残虐女。こっちに話しかけんな。オマエ見てると腹立ってくる」
「あらあらぁ……クロウリーはわたくしたちへの恩すら忘れてしまったのねぇ。まあ、今更どうでもいいけどね」
ノーファは両手を広げ、まるで挑発するかのごとく強気な態度で笑いかけてきた。
「あなたたちにとって、この瘴気は毒の霧同然。止めたいならシファを見つけ出しなさい。その前に、わたくしがあの忌々しい神の牢獄を破壊するけどね」
「デウスプリズンを壊しに来たの!? もしかしてあなた、ヴァニタスって奴を解放する気なんじゃ……!」
「偽神ごときが我が神の御名を口にしないでくれる? あのお方の存在が穢れるわ」
アリアの口からヴァニタスという名が出ると同時に、ノーファの表情が凍りつく。目が据わり一切の笑みが消えて、空っぽの右手を夜明け前の天へと突き上げる。
「それだけはやらせねぇッ!!」
「クロウ!?」
黒い鎌が振り上げられた頃には、クロウがノーファのすぐそばに飛び込んでいた。凶器を振り下ろすとともに、赤黒い血液が辺りの土と草木を汚していったのが見えた。
そのとき、クロウは長い白髪を掴み上げ、生首となったノーファを吊るし上げる。僕の背後でジュリオがうっ、とえずくような声を漏らしたのが聞こえた。
「へっ、これでどうよ!? 声帯ごとぶった切ってやったぜ、ざまーみろ!!」
「……前々から思っていたけど、あなたって存外単純よねぇ」
「は?」
断ち切った生首は、不気味な笑みを浮かべながら黒ずみ、炭のように崩れていった。しかし、普通なら事切れている首のない身体がびくりと動いた。分断されたはずの首が、見る見るうちに再生していったのだ。
僕たちが不気味な復活に気を取られていると、突然アリアがその場に膝をついた。ジュリオも息苦しそうに胸を押さえ始める。
「どうしたの、二人とも!?」
「わ、わかんないけど、急に身体が震えちゃって……息が苦しいの……」
「おれも同じだ……多分、瘴気のせいだと思う」
はっとした僕は周囲を見回す。最初よりも視界が悪くなっており、辺りが黒い瘴気で埋め尽くされそうになっていた。
自分の身体には特に異常は起きていないしクロウも平気そうだが、アリアとジュリオだけはこの場から離さないとまずい。二人とも長らく黒幽病を患っていたのだから、アストラルに触れ続けさせるわけにはいかないのだ。
僕は二人に手を差し出そうとしたが、不意に接近してきた殺気を感じて背後にガラスの剣を振りかざす。その先は特に瘴気が強くなっていて、僕に襲いかかってきた殺気こそが瘴気の源だと気づく。
「姉さんの……邪魔を……するなッ!!」
「シファ!?」
「コイツっ、ノーファの薬飲んでアストラルを増幅させやがったな!?」
獣のように目を見開き、歯をむき出しにしたシファの身体からは、周囲と同じ黒い瘴気が噴き出していた。クロウもシファの襲撃に気づき鎌を振りかざそうとするが、シファが先に金色のカードを投げつけた。カードが身体に突き刺さったクロウは、首から下がまったく動かなくなった。
「ちっ、動かねぇ! シファのカードの能力だな!? くそが……!!」
「うふふっ、ざまあみなさい。あなたたちじゃ真なる神の子である観測者を止めることはできないわよ」
アリアとジュリオは戦える状態じゃない……動けるのは、僕だけだ。
でも、観測者を二人も相手取って、どのようにして奴らを止めればいい? 今の僕に、奴らを止める術があるとするなら、ニールが言っていた「権能」くらいしか思い当たらない。しかし、いくら権能が覚醒したと言われたとて、その権能の正体も使い方さえも知らなければ何の手段にもなり得はしないのだ。
「恥知らずにも神を名乗った罰を受けなさい。どの道、あなたたちはもう終わりよ」
「終わらせてたまるか。勝手な理由でたくさんの命を奪った悪を裁かずに、僕は終われない!!」
剣を片手に、ノーファへと突撃する。その行く手を阻んだのは、狂気を孕んだ目をしたシファだった。
ノーファに近づこうとすると、シファの背後から黒結晶の破片が飛んでくる。破片を回避しつつ風の魔力を刃に宿し、風の刃として放っても黒結晶の破片でかき消される。無言でこちらの攻撃を防ぎ、攻め続けてくるシファには、昨日のような人間味を感じられない。
そうこうしている間に、ノーファが再び空に片手を突き上げた。
「傲慢たる罪科は天を見ず、煉獄に還り散れ! 『《Hubris Purgatorium》』!!」
僕の神幻術よりも遥かに短い詠唱だった。狂気じみた幼い声とともに、視界が狂った。目の前が赤と緑に染まって分裂し、激しい耳鳴りで頭に直接ダメージを負わされる。それは他のみんなも同じだったようで、僕たちは立っていられず謎の症状に苦しめられるしかなかった。
目を覚ましたとき、いつもと変わらぬ灰色の天井が目に入る。うまく寝付けなかったせいなのか、頭が痛い。机の時計を見ると、普段よりも一時間くらい早く目が覚めたのだとわかった。
何か夢を見ていた気がする。内容は思い出せないけれど、なぜか悪夢ではないことだけは確信していた。もう一度眠る理由もなかったので、着替えて書斎を出た。廊下を歩き、牢屋が集まっているエリアへとやってくる。その中にある金属の扉の一つをノックした。
「おはよう、ジュリオ」
「……クリムか。珍しいな、こんな早く来るなんて」
扉の奥から声が聞こえてくるとは思っていなかったので、ちょっとだけ驚いた。僕はその扉の鍵を開け、中に入る。相変わらず軍服みたいな普段着を着たまま牢屋の中で過ごしているジュリオは、ベッドに寝そべって考え事をしていたみたいだった。
「君こそ、今日は早起きのように見えるよ。寝起きの顔には見えない」
「まあな。いつもより早く目が覚めてしまった」
ジュリオは身体を起こしてベッドから降りた。僕が牢屋の扉を閉めてジュリオに近づくと、彼は気まずそうに口を開く。
「昨日、シファ様がデウスプリズンに来たんだろう。何か言ってたか?」
「いや、特に君のことには触れていなかったけど」
「そうか。じゃあ……おれはもういらなくなったってことか」
ジュリオには、昨日の出来事はほとんど話していない。シファがデウスプリズンにいたということも、こちらが若干の騒ぎになったときに声が聞こえたからわかったのだろう。
つまり、彼は自分が所属していた組織がとっくに壊滅していることを知らないのだ。
「ミストリューダは壊滅したってさ。昨日、預言者……ニールがそう言っていたよ」
壁に寄りかかりながらそう伝えると、ジュリオは信じられないと言いたげに怪訝な表情を浮かべた。
「は? 預言者様が? じゃあ、シファ様とノーファ様はどうなったんだよ」
「シファはなぜか別行動してたみたいだけど、ニールに連れていかれたよ。ノーファは多分、ニールと一緒に行動してると思う」
「……そうか」
気が抜けたのか、ジュリオはベッドに座ったまま壁に寄りかかる。まだ疲れは抜けきっていないように見えた。
「クロウリーはどこに行ったんだ。あいつに聞きたいことがあるんだが」
若干汚れた天井を仰ぎながら問うてきたジュリオ。まだ朝早い時間帯な上、クロウ自身が夜型な部分があるので、さすがに起きていないと思う。
「まだ寝てると思うけど、聞きたいことって?」
「お前は何も疑問に思わないのか? なんであいつが『二度も』生き返ったのか」
壁に寄りかかりながら目だけをこちらに向けてくる。少し鋭くなった金色の瞳はアイリス様と同じ色だ。
「一度目はお前、二度目はおれが殺したはずだった。なのに未だにピンピンしている。いくらおれたちが人間の死体からできているとはいえ、普通に考えたらありえないだろ」
「た、確かにおかしいとは思っていたけど……クロウは、シファが『薬』をくれたおかげで身体を元通りにできたって言ってた。それに、この世界には死者を蘇らせる禁忌の術があったらしいって」
「言っておくが、ノーファ様の『薬』に死者を蘇生させる機能なんかないぞ。過去に何度も試したらしいが、死者蘇生だけはどうしても成功しなかったと言っていた」
そうなると余計に意味がわからなくなる。僕は、ミストリューダの隠れ家でクロウと話したときのことをひたすら思い返す。すると、彼が妙なことを言っていたことも徐々に思い出していった。
「クロウはこうも言っていたよ。『身体は使い物にならないまま朽ちていくのに、意識だけはずっとはっきりしていた』って」
「矛盾している……と言いたいところだが、それこそがあいつに隠された秘密なのかもしれないな」
普通ならありえないことに何度も遭遇しているからか、ジュリオはすんなりと矛盾を飲み込んだ。
クロウのことを考えると同時に、僕はニールに言われたことも思い出す。『右目』の権能……僕が一番覚醒するのが遅かったらしい力のことだ。
昨日、ミラージュの身体に宿っていた原初神の一人であるライランさんは、アーケンシェンの秘密を知りたいと言っていた。彼女が求めている秘密には、その権能とやらも関わっているのかもしれない。
「まあ、どの道今日はアーケンシェン全員で集まる予定だし、今から叩き起こしてくるよ」
「いいえ。そんな暇はありませんよ」
一旦牢屋から出ようと踵を返すと、金属の扉の外から声が聞こえてきた。
扉を開けると、心なしか警戒心を強めているように見えるヴィータが立っていた。彼女も結構朝早くに起きていたみたいだ。
「緊急事態です。クリム、ジュリオを牢から出しなさい」
「ちょっと待って、ヴィータ? 状況がまったくわからないんだけど」
「まずいことになりました。下手したら、夜明けとともにここが壊されかねません」
ヴィータは切羽詰まっているのか、普段よりも早口で話してきた。それから牢屋の中に駆け込んで、壁に寄りかかっていたジュリオを引きずり倒す勢いで腕を引いた。
「な、なにするんだ!? おい!」
「わたしはヴァニタスの封印を何が何でも守らなくてはなりません! 一緒に外の観測者を止めに行きなさい!」
無理やりジュリオを牢屋の外に連れ出したかと思えば、牢獄の最奥へと走り去っていった。観測者を止めろ、という不穏なワードが耳に入ったことで、警戒心が一気に強まる。
ヴィータが嘘を吐くとは考えにくい。本当のことであるなら迷っている時間はない。僕はガラスペンを手にして魔力を注入し、ガラスの剣に変形させる。その様子を見たジュリオの顔にも緊張が走ったのがわかった。
「ジュリオ。ヴィータもああ言ってることだし、一時的に君を釈放する。戦闘準備をして」
牢屋から出た彼なら、〈武器保管術〉を使うことができる。僕の言葉に従い、彼は白い狙撃銃を召喚してくれるが、緊張感が走る中で呆れた顔を浮かべている。
「随分と緩いな。それでいいのか、断罪神」
「四の五の言っていられない。ミストリューダにいたなら、この牢獄に封じられているヴァニタスがどんな存在かわかるでしょ?」
「まあ、そうだな。外にいる観測者というのも、もしかしたら」
「君が長年従ってきた相手だろうね。惑わされちゃダメだよ」
アリアやクロウのことも起こしに行きたいくらいだが、そんな暇はなさそうだ。僕はジュリオを連れて、武器を構えた状態でデウスプリズンから走り出る。
扉を開け放って外に出たが、まだ太陽すら出ていないので薄暗い。夜明け前ではあるものの、この時期ならもう少し明るいような気がする。入り口の近くには誰もいなかったので、道なりに進んで観測者を見つけるべく動き出す。
しかし、デウスプリズンからそこまで離れていない地点に、白い翼と黒い翼が見えた。僕たちが近づくと、それぞれ振り返ってこちらを呼んだ。
「クリム! ちょうどいいところに来たよ、デウスプリズンが何か嫌な気配に包まれてるの!」
すでにクロウと一緒にデウスプリズンの外にいたアリアの言葉で、僕は違和感の正体に気づいた。夜明け前にしてはやけに薄暗いと思っていたが、それはこの辺り一帯が何か煙のようなものに包まれているせいだ。それもただの煙じゃない、僕たちにとって確実に有害な瘴気だ。
「しっかし濃すぎるな。この瘴気の量、さすがに異常すぎる」
「恐らく、ノーファ様かシファ様が薬を使ったんだ。薬の服用によるアストラルの増幅だろう」
「って、ジュリオ? オマエなんで!?」
「仕方ないだろ、あの観測者の妹に行けって言われたんだよ」
クロウは納得いっていない顔をしているが、僕たちは構わず瘴気を警戒する。
やがて、瘴気の中から白い人影が現れた。柔らかそうなドレスの生地が見えた時点で、相手が誰なのか察した。武器を持っている様子はなく、丸腰のようだ。
「あらぁ、クレーにエンゲル……いいえ、今はもうクロウリーとジュリオと呼んでもいいわね。ミストリューダはもうなくなったもの」
以前聞いたときよりも、なんだかとろけたような声だった。完全に瘴気から姿を現したとき、彼女は恍惚とした笑みを浮かべているようにも見えた。
かつて自分が付き従っていた相手を前にして、ジュリオは少しだけ後ずさりする。
「ジュリオ。すぐそばにあなたが求めていた完全な翼がいるのに、何もしなくていいのかしら?」
「何を言ったって無駄だよ、ノーファ。彼はミストリューダとは完全に手を切った」
ジュリオが何か応える前に僕が立ち塞がり、ガラスの剣の切っ先をノーファへ向けた。彼女は一向に武器を構える気配もなく、ただ微笑みを浮かべたまま僕たちを見つめてくる。
「きちんと翼が両方揃ってる子はいいわねぇ。片翼の飛べない苦しみを知らないのだから」
「ごちゃごちゃうるせぇよ、残虐女。こっちに話しかけんな。オマエ見てると腹立ってくる」
「あらあらぁ……クロウリーはわたくしたちへの恩すら忘れてしまったのねぇ。まあ、今更どうでもいいけどね」
ノーファは両手を広げ、まるで挑発するかのごとく強気な態度で笑いかけてきた。
「あなたたちにとって、この瘴気は毒の霧同然。止めたいならシファを見つけ出しなさい。その前に、わたくしがあの忌々しい神の牢獄を破壊するけどね」
「デウスプリズンを壊しに来たの!? もしかしてあなた、ヴァニタスって奴を解放する気なんじゃ……!」
「偽神ごときが我が神の御名を口にしないでくれる? あのお方の存在が穢れるわ」
アリアの口からヴァニタスという名が出ると同時に、ノーファの表情が凍りつく。目が据わり一切の笑みが消えて、空っぽの右手を夜明け前の天へと突き上げる。
「それだけはやらせねぇッ!!」
「クロウ!?」
黒い鎌が振り上げられた頃には、クロウがノーファのすぐそばに飛び込んでいた。凶器を振り下ろすとともに、赤黒い血液が辺りの土と草木を汚していったのが見えた。
そのとき、クロウは長い白髪を掴み上げ、生首となったノーファを吊るし上げる。僕の背後でジュリオがうっ、とえずくような声を漏らしたのが聞こえた。
「へっ、これでどうよ!? 声帯ごとぶった切ってやったぜ、ざまーみろ!!」
「……前々から思っていたけど、あなたって存外単純よねぇ」
「は?」
断ち切った生首は、不気味な笑みを浮かべながら黒ずみ、炭のように崩れていった。しかし、普通なら事切れている首のない身体がびくりと動いた。分断されたはずの首が、見る見るうちに再生していったのだ。
僕たちが不気味な復活に気を取られていると、突然アリアがその場に膝をついた。ジュリオも息苦しそうに胸を押さえ始める。
「どうしたの、二人とも!?」
「わ、わかんないけど、急に身体が震えちゃって……息が苦しいの……」
「おれも同じだ……多分、瘴気のせいだと思う」
はっとした僕は周囲を見回す。最初よりも視界が悪くなっており、辺りが黒い瘴気で埋め尽くされそうになっていた。
自分の身体には特に異常は起きていないしクロウも平気そうだが、アリアとジュリオだけはこの場から離さないとまずい。二人とも長らく黒幽病を患っていたのだから、アストラルに触れ続けさせるわけにはいかないのだ。
僕は二人に手を差し出そうとしたが、不意に接近してきた殺気を感じて背後にガラスの剣を振りかざす。その先は特に瘴気が強くなっていて、僕に襲いかかってきた殺気こそが瘴気の源だと気づく。
「姉さんの……邪魔を……するなッ!!」
「シファ!?」
「コイツっ、ノーファの薬飲んでアストラルを増幅させやがったな!?」
獣のように目を見開き、歯をむき出しにしたシファの身体からは、周囲と同じ黒い瘴気が噴き出していた。クロウもシファの襲撃に気づき鎌を振りかざそうとするが、シファが先に金色のカードを投げつけた。カードが身体に突き刺さったクロウは、首から下がまったく動かなくなった。
「ちっ、動かねぇ! シファのカードの能力だな!? くそが……!!」
「うふふっ、ざまあみなさい。あなたたちじゃ真なる神の子である観測者を止めることはできないわよ」
アリアとジュリオは戦える状態じゃない……動けるのは、僕だけだ。
でも、観測者を二人も相手取って、どのようにして奴らを止めればいい? 今の僕に、奴らを止める術があるとするなら、ニールが言っていた「権能」くらいしか思い当たらない。しかし、いくら権能が覚醒したと言われたとて、その権能の正体も使い方さえも知らなければ何の手段にもなり得はしないのだ。
「恥知らずにも神を名乗った罰を受けなさい。どの道、あなたたちはもう終わりよ」
「終わらせてたまるか。勝手な理由でたくさんの命を奪った悪を裁かずに、僕は終われない!!」
剣を片手に、ノーファへと突撃する。その行く手を阻んだのは、狂気を孕んだ目をしたシファだった。
ノーファに近づこうとすると、シファの背後から黒結晶の破片が飛んでくる。破片を回避しつつ風の魔力を刃に宿し、風の刃として放っても黒結晶の破片でかき消される。無言でこちらの攻撃を防ぎ、攻め続けてくるシファには、昨日のような人間味を感じられない。
そうこうしている間に、ノーファが再び空に片手を突き上げた。
「傲慢たる罪科は天を見ず、煉獄に還り散れ! 『《Hubris Purgatorium》』!!」
僕の神幻術よりも遥かに短い詠唱だった。狂気じみた幼い声とともに、視界が狂った。目の前が赤と緑に染まって分裂し、激しい耳鳴りで頭に直接ダメージを負わされる。それは他のみんなも同じだったようで、僕たちは立っていられず謎の症状に苦しめられるしかなかった。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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