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第三章 ザハラ王国編
51 遠い記憶
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柔らかな陽だまりの中――
美しい黒髪の女性が大きくなったお腹を愛しそうにさすっている、その微笑みはどこまでも優しい。
彼女によく似た黒髪の女の子が母親の膝に寄り添って、嬉しそうにお腹を撫でている。
『もうすぐあなたはお姉さんになるのよ』
『はい!弟かしら、妹かしら……とても楽しみ!』
『ふふ、そうね……赤ちゃんも、早くあなたに会いたがってるわ』
母と娘の笑い声が春風のように優しく響く。
そのお腹にいるのは……ああ、俺なんだな。
不意に白銀の光が射し込み、別の情景が浮かび上がってきた――
美しい月夜。
母さんに寄り添う男性は……ああ、父さんだ。
けれど、母さんは父さんの腕の中で怯えるように身を震わせていた。
『ザハラ王は、私の力が欲しいのよ……でも、どうして? 私を無理に娶ったところで、王が私の力を手に入れることなどできないのに』
震える母さんの手を、父さんがそっと包み込む。
『いくら王の命令でも、君を手放すなんてできない……この国を出よう。 贅沢は望めなくても、この子たちがいれば十分幸せだ』
『ええ……逃げましょう。私、貴方と一緒ならどこだって平気よ』
二人は互いを深く想い合っているのに、ザハラ王によって引き裂かれようとしていた。
すると、急に場面が暗転した――
荒れ狂う砂嵐の中、一頭の駿馬が必死に駆け抜ける。
馬上には父さんと母さんの姿が見える。行く手は砂塵にかすみ、二人の全身はすでに砂にまみれていた。
母さんは髪を振り乱して後方を振り返って、何度も娘の名を叫んでいた。
『あの子を置いて行けない! お願い、今すぐ引き返して……!』
父さんが、泣き叫ぶ母さんを強く抱きしめる。
『もう戻るのは無理だ……この嵐で無理をすれば、お腹の子まで命を落とす。王は君の代わりにあの子を手に入れた……これからは王女として守られるはず……』
その声も、吹き荒ぶ風音にかき消されてしまう。
父さんは、母さんの肩に顔を埋めた。その目尻には、涙が滲んでいた。
激しい風音が遠ざかってゆく――
どこからか、弱々しい泣き声が聞こえてくる。
ここは、ザハラ王宮の一室。
黒髪の女の子が、身を震わせて泣きじゃくっている。
「……母さまっ……父さまっ!」
砂漠色の髪をした少年が、その女の子の小さな肩を抱きしめて、なんとか慰めようとしている。
「もう、泣くなよ……俺がついてるから」
「……あなたも、王さまに閉じ込められたの?」
「そうだ……でも、俺たちには特別な力があるんだ。だから、俺が強くなって君を守ってやるよ」
その少年の面差しは、どこか見覚えがある。
だが、その正体を掴む前に、その光景はかき消えてしまった――
ここは、戦場だ。
強烈な陽射しの下で砂塵が巻き上がり、兵たちの雄叫びが耳を裂く。
風に翻るのはガスト辺境騎士団の旗、対峙するのはザハラ軍。その中央には、豪華な甲冑を纏った王の姿が見える。
辺境騎士団から一人の騎士が進み出て、怒声を震わせた。
「ザハラ王よ! 我欲のために戦を起こし、これ以上何を望む!」
勢いよく兜を投げ捨てたその騎士は……ああ、父さん!
父さんは剣を構え直すと、ザハラ王へ向かって一直線に馬を駆けさせた。
魔力の一撃に爆音が轟き、敵兵が吹っ飛ぶ。だが、その力も既に尽きかけようとしていた。
それでも、父さんは敵陣の奥深くまで切り込み、とうとう王の喉元へ剣先を突きつけた。
「無能な王よ、貴様を仕留めるのはこの私だ! あの子が自由になるためにも! 」
だが、次の瞬間、一本の矢が風を切り裂いた。
――シュツ!
父さんの身体が馬上で大きく跳ね、砂上へと崩れ落ちた。
馬が駆け去った後に残されたのは、砂塵に横たわる父さんの姿――その額には、深々と矢が刺さっていた。
最期に、父さんの瞼の裏に噛んだのは――愛しい妻と子供たち。
騎士として勇敢に味方を守り、父として最期まで家族を愛し抜いた。
ああ、父さん……俺は、あなたのような男になりたい。
涙でぼやけた視界に、柔らかな光が差し込んできた――
明るい部屋の中、若い騎士が寝台の傍で項垂れていた。
背を向けた騎士の顔は見えない……いったい誰なんだろう?
『すまない、こんな辛い知らせを伝えて……』
寝台に横たわる母さんが、静かに涙を流していた。
病気なのだろうか、すっかり衰弱して息をするのも苦しそうだ。
『……ううん、私ももうすぐあの人のところに行くわ。でも、私までいなくなったら、この子はひとりぼっち……』
母さんの傍では、まだ乳飲子の俺が、小さな指をしゃぶりながらすやすやと寝息を立てていた。
『そんなことを言うな。この子のためにも、早く良くなってくれ』
『ふふ、そんな気休めは貴方らしくないわ。でも、どうかこの子をお願い…… 貴方にしか頼めないの』
『何を言ってるんだ、君もこの子も戦友の大切な家族。全て私に任せて、早く良くなってくれ』
『ありがとう……』
か細い声で礼を述べると、母さんは再び傍で眠る俺を見つめた。その眼差しは、愛しさに溢れていた。
『ああ……ずっとあなたの側にいてあげたい。寂しい思いなんかさせたくないのに……ごめんね、ロイド』
母さんが、俺の柔らかな頬にそっと口づける。
目を覚ました俺が、母さんを見て愛らしい声を上げた。
『……いつかあなたのお姉さんに会ったら、私がどれだけあの子を愛していたかを伝えてね……お願いよ』
母さんが俺に優しく微笑みかける。
だが、俺は無邪気な瞳で、傍の騎士を見上げていた。
『ふふ、この子ったら。あなたのことが好きみたい……よかったら、抱いてあげて?』
『ああ、ちょうど私の息子と同い年だな』
逞しい腕に抱き上げられると、赤ん坊の俺が嬉しそうに笑い声を上げた。
『お前の父親は立派な騎士だった。母親はとても優しく、こんなにもお前を愛してる。お前は両親の愛をたっぷり受けてこの世に生まれてきたんだ。強く、優しい男になれ……ロイド!』
力強い腕で、俺を頭上高く抱き上げるその騎士は――
「……親父どの!」
涙が溢れた。
俺には家族なんかないって、ずっとそう思ってたのに。
俺は――こんなにも愛されてた。
◆
背に石板の冷たさを感じて目が覚めた。長い夢を見ていたようだ。
ぼんやりと目を開ければ、黒い瞳が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
それが誰か、すぐにわかった。
「……姉さん?」
声が掠れる。ようやく会えたのだと、魂が震えた。
「……ロイドなのね?」
祈るような声だった。
潤んだ瞳から溢れた涙が、俺の涙に混ざる。
震える両手が俺の首にまきついて、ふわっと柔らかな黒髪が胸の上に広がった。
…… 温かいな
俺もありったけの想いを込めて姉さんを抱きしめた。
そして、その柔らかな頬に唇を寄せる。
この口づけは、母さんから……次は、父さんの分……
そして、俺からの愛を。
――ちゃんと伝えたよ……母さん。
耳元で、姉さんが涙声で囁く。
「ロイド……会いたかった。それに、母さまと父さまも……ずっと私のことを想ってくれていた……」
ああ、姉さんも俺と同じように両親の記憶を見ていたんだな――光の女神、感謝するよ。
そう心の中で祈りを捧げた途端、頭の中に女神の高笑いする声が響いた。
――ほほほ、もっと感謝なさい! そして、早くこの封印を解いて、私をここから出してちょうだい!
「……っ、頭の中で大声を出すなよ! 」
俺は、キーンとする耳を押さえながら半身を起こした。
姉さんも眉を寄せ、俺と同じように耳を押さえていた。
「ナフリム!ようやく彼女に会えて嬉しいのはわかるけど、頭の中で叫ばないで!」
どうやら、姉さんの中でも男神が騒いでいるらしい。まったく、困った神さまたちだ。
すると、どこからか野太い声が聞こえてきた。
『……これは、どういうことだ!』
その声の主を探して辺りを見回すが……誰もいない。
いつの間に現れたのか、真っ白な毛並みをした仔猫が、ちょこんと姉さんの横に座っているだけ。
仔猫はひょいと姉さんの膝の上に飛び乗って、じっと俺を見る。
そして、その愛らしい口をゆっくりと開いて――
『私の女神を封じ込めたのは、お前か!』
仔猫に怒鳴られた。
ガラス玉のように透き通った瞳で睨みつけられて、なぜか既視感が蘇る。
すると、既視感の元――烏が、俺の肩に止まるなり女神の声で喋り始めた。
『愛しいナフリム! やっと会えたのに、あなたに触れることもできないなんて……』
『ナヒーラ! すぐにそこから出してやるぞ……っ、 なんだ? このやたら頑丈な封印は!』
親父どのの馬鹿力による封印は、男神でもそう簡単には解けないらしい。
『あなた、無理をしないで。この封印を解く方法はもうわかっているから』
『さすが私の女神だ! で、その方法とは?』
『あそこで騒いでいる、あの銀髪の若者よ。彼に抱かれれば、すぐにでも……』
仔猫と烏がルシアンへ目を向けて、ニヤッと笑った。
「ああっ! 姉さんの前で何を言い出すんだっ!」
焦る俺を見て、仔猫が目を細める。
その表情……嫌な予感しかしない。
『なるほど……では、この封印を解くにはあの者が必要なのだな』
仔猫が、口が裂けるほどに大きな笑みを浮かべた――
バチバチッ!
火花が弾け、空間が歪む。
ルシアンが神殿の中に飛び込んできた。
「ロイド!」
ルシアンが勢いよく俺の背に抱きついて、その柔らかな銀髪が俺の頬をくすぐった。
「お前が倒れるのを見て、心臓が止まるかと思った……」
俺の肩に顔を埋めるルシアンの吐息が、まだ震えている。
振り返ると、藍色の瞳が怒りと嫉妬で燃えていた。
「誰にも渡すものか!」
「ルシア……っ!?」
いきなり、唇を塞がれた。俺は彼のものなのだと言うような、深く激しい口づけ。
その独占欲すら嬉しくて、俺も夢中で彼の熱に応える。
『ふむ、これは……』
『ねっ、言った通りでしょう?』
仔猫と烏が頷きあう。
視線を感じ、はっと我に返ると、姉さんが首筋まで真っ赤になっていた。
「えっと、ロイド……そちらは……?」
俺の首には、まだルシアンの腕がしっかりと巻きついている。その様子を見て、姉さんが戸惑ったような表情を浮かべる。
「これは、その……」
何をどうやって説明すればいいのか。
でも、ルシアンは俺の大切な人だと、姉さんにわかってほしい。
「彼は、俺の……」
だが、ルシアンの低く冷たい声が、俺の言葉を遮った。
「レイラ王女。見ての通り、私はロイドを心から愛している。王族だろうが、神の使いだろうがかまうものか、ロイドは渡さない!」
「えっ……ロイド?」
姉さんが、縋るように俺を見た。
会ったばかりで、これは……ちょっと、申し訳ない。でも、ルシアンは……
「彼は、俺の……恋人で……」
『恋人か!』
『まあ、ステキ!』
目を丸くする姉さんの横で、女神と男神がはしゃいでる。
だが、ルシアンは俺を抱きしめる腕に力を込めて、まだ姉さんを睨みつけたまま。何か誤解をしているようだ。
おろおろする俺を見かねたのか、仔猫が口を開いた。
『ルシアンとやら、この者がレイラに心惹かれるのは無理からぬ話』
「なぜだ?」
『二人は血のつながった姉弟なのだ』
「……姉だと?」
ああ、これでルシアンも納得してくれるはず。ほっとして、ルシアンを振り返った。
だが、その表情を見て思わず息を呑んだ――藍色の瞳が怒りに染まっていた。
「貴女がロイドの姉だと……ふざけるな!」
怒りに震える声が、姉さんを突き刺した。
「姉だと言うなら、どうしてロイドを助けてくれなかった! ロイドがアシークに囚われ酷い目に遭わされていた間、貴女は何をしていた! すぐ近くでロイドが何をされていたのか、まったく気づかなかったとでも言うつもりか!」
その言葉を聞いて、姉さんが真っ青になった。
美しい黒髪の女性が大きくなったお腹を愛しそうにさすっている、その微笑みはどこまでも優しい。
彼女によく似た黒髪の女の子が母親の膝に寄り添って、嬉しそうにお腹を撫でている。
『もうすぐあなたはお姉さんになるのよ』
『はい!弟かしら、妹かしら……とても楽しみ!』
『ふふ、そうね……赤ちゃんも、早くあなたに会いたがってるわ』
母と娘の笑い声が春風のように優しく響く。
そのお腹にいるのは……ああ、俺なんだな。
不意に白銀の光が射し込み、別の情景が浮かび上がってきた――
美しい月夜。
母さんに寄り添う男性は……ああ、父さんだ。
けれど、母さんは父さんの腕の中で怯えるように身を震わせていた。
『ザハラ王は、私の力が欲しいのよ……でも、どうして? 私を無理に娶ったところで、王が私の力を手に入れることなどできないのに』
震える母さんの手を、父さんがそっと包み込む。
『いくら王の命令でも、君を手放すなんてできない……この国を出よう。 贅沢は望めなくても、この子たちがいれば十分幸せだ』
『ええ……逃げましょう。私、貴方と一緒ならどこだって平気よ』
二人は互いを深く想い合っているのに、ザハラ王によって引き裂かれようとしていた。
すると、急に場面が暗転した――
荒れ狂う砂嵐の中、一頭の駿馬が必死に駆け抜ける。
馬上には父さんと母さんの姿が見える。行く手は砂塵にかすみ、二人の全身はすでに砂にまみれていた。
母さんは髪を振り乱して後方を振り返って、何度も娘の名を叫んでいた。
『あの子を置いて行けない! お願い、今すぐ引き返して……!』
父さんが、泣き叫ぶ母さんを強く抱きしめる。
『もう戻るのは無理だ……この嵐で無理をすれば、お腹の子まで命を落とす。王は君の代わりにあの子を手に入れた……これからは王女として守られるはず……』
その声も、吹き荒ぶ風音にかき消されてしまう。
父さんは、母さんの肩に顔を埋めた。その目尻には、涙が滲んでいた。
激しい風音が遠ざかってゆく――
どこからか、弱々しい泣き声が聞こえてくる。
ここは、ザハラ王宮の一室。
黒髪の女の子が、身を震わせて泣きじゃくっている。
「……母さまっ……父さまっ!」
砂漠色の髪をした少年が、その女の子の小さな肩を抱きしめて、なんとか慰めようとしている。
「もう、泣くなよ……俺がついてるから」
「……あなたも、王さまに閉じ込められたの?」
「そうだ……でも、俺たちには特別な力があるんだ。だから、俺が強くなって君を守ってやるよ」
その少年の面差しは、どこか見覚えがある。
だが、その正体を掴む前に、その光景はかき消えてしまった――
ここは、戦場だ。
強烈な陽射しの下で砂塵が巻き上がり、兵たちの雄叫びが耳を裂く。
風に翻るのはガスト辺境騎士団の旗、対峙するのはザハラ軍。その中央には、豪華な甲冑を纏った王の姿が見える。
辺境騎士団から一人の騎士が進み出て、怒声を震わせた。
「ザハラ王よ! 我欲のために戦を起こし、これ以上何を望む!」
勢いよく兜を投げ捨てたその騎士は……ああ、父さん!
父さんは剣を構え直すと、ザハラ王へ向かって一直線に馬を駆けさせた。
魔力の一撃に爆音が轟き、敵兵が吹っ飛ぶ。だが、その力も既に尽きかけようとしていた。
それでも、父さんは敵陣の奥深くまで切り込み、とうとう王の喉元へ剣先を突きつけた。
「無能な王よ、貴様を仕留めるのはこの私だ! あの子が自由になるためにも! 」
だが、次の瞬間、一本の矢が風を切り裂いた。
――シュツ!
父さんの身体が馬上で大きく跳ね、砂上へと崩れ落ちた。
馬が駆け去った後に残されたのは、砂塵に横たわる父さんの姿――その額には、深々と矢が刺さっていた。
最期に、父さんの瞼の裏に噛んだのは――愛しい妻と子供たち。
騎士として勇敢に味方を守り、父として最期まで家族を愛し抜いた。
ああ、父さん……俺は、あなたのような男になりたい。
涙でぼやけた視界に、柔らかな光が差し込んできた――
明るい部屋の中、若い騎士が寝台の傍で項垂れていた。
背を向けた騎士の顔は見えない……いったい誰なんだろう?
『すまない、こんな辛い知らせを伝えて……』
寝台に横たわる母さんが、静かに涙を流していた。
病気なのだろうか、すっかり衰弱して息をするのも苦しそうだ。
『……ううん、私ももうすぐあの人のところに行くわ。でも、私までいなくなったら、この子はひとりぼっち……』
母さんの傍では、まだ乳飲子の俺が、小さな指をしゃぶりながらすやすやと寝息を立てていた。
『そんなことを言うな。この子のためにも、早く良くなってくれ』
『ふふ、そんな気休めは貴方らしくないわ。でも、どうかこの子をお願い…… 貴方にしか頼めないの』
『何を言ってるんだ、君もこの子も戦友の大切な家族。全て私に任せて、早く良くなってくれ』
『ありがとう……』
か細い声で礼を述べると、母さんは再び傍で眠る俺を見つめた。その眼差しは、愛しさに溢れていた。
『ああ……ずっとあなたの側にいてあげたい。寂しい思いなんかさせたくないのに……ごめんね、ロイド』
母さんが、俺の柔らかな頬にそっと口づける。
目を覚ました俺が、母さんを見て愛らしい声を上げた。
『……いつかあなたのお姉さんに会ったら、私がどれだけあの子を愛していたかを伝えてね……お願いよ』
母さんが俺に優しく微笑みかける。
だが、俺は無邪気な瞳で、傍の騎士を見上げていた。
『ふふ、この子ったら。あなたのことが好きみたい……よかったら、抱いてあげて?』
『ああ、ちょうど私の息子と同い年だな』
逞しい腕に抱き上げられると、赤ん坊の俺が嬉しそうに笑い声を上げた。
『お前の父親は立派な騎士だった。母親はとても優しく、こんなにもお前を愛してる。お前は両親の愛をたっぷり受けてこの世に生まれてきたんだ。強く、優しい男になれ……ロイド!』
力強い腕で、俺を頭上高く抱き上げるその騎士は――
「……親父どの!」
涙が溢れた。
俺には家族なんかないって、ずっとそう思ってたのに。
俺は――こんなにも愛されてた。
◆
背に石板の冷たさを感じて目が覚めた。長い夢を見ていたようだ。
ぼんやりと目を開ければ、黒い瞳が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
それが誰か、すぐにわかった。
「……姉さん?」
声が掠れる。ようやく会えたのだと、魂が震えた。
「……ロイドなのね?」
祈るような声だった。
潤んだ瞳から溢れた涙が、俺の涙に混ざる。
震える両手が俺の首にまきついて、ふわっと柔らかな黒髪が胸の上に広がった。
…… 温かいな
俺もありったけの想いを込めて姉さんを抱きしめた。
そして、その柔らかな頬に唇を寄せる。
この口づけは、母さんから……次は、父さんの分……
そして、俺からの愛を。
――ちゃんと伝えたよ……母さん。
耳元で、姉さんが涙声で囁く。
「ロイド……会いたかった。それに、母さまと父さまも……ずっと私のことを想ってくれていた……」
ああ、姉さんも俺と同じように両親の記憶を見ていたんだな――光の女神、感謝するよ。
そう心の中で祈りを捧げた途端、頭の中に女神の高笑いする声が響いた。
――ほほほ、もっと感謝なさい! そして、早くこの封印を解いて、私をここから出してちょうだい!
「……っ、頭の中で大声を出すなよ! 」
俺は、キーンとする耳を押さえながら半身を起こした。
姉さんも眉を寄せ、俺と同じように耳を押さえていた。
「ナフリム!ようやく彼女に会えて嬉しいのはわかるけど、頭の中で叫ばないで!」
どうやら、姉さんの中でも男神が騒いでいるらしい。まったく、困った神さまたちだ。
すると、どこからか野太い声が聞こえてきた。
『……これは、どういうことだ!』
その声の主を探して辺りを見回すが……誰もいない。
いつの間に現れたのか、真っ白な毛並みをした仔猫が、ちょこんと姉さんの横に座っているだけ。
仔猫はひょいと姉さんの膝の上に飛び乗って、じっと俺を見る。
そして、その愛らしい口をゆっくりと開いて――
『私の女神を封じ込めたのは、お前か!』
仔猫に怒鳴られた。
ガラス玉のように透き通った瞳で睨みつけられて、なぜか既視感が蘇る。
すると、既視感の元――烏が、俺の肩に止まるなり女神の声で喋り始めた。
『愛しいナフリム! やっと会えたのに、あなたに触れることもできないなんて……』
『ナヒーラ! すぐにそこから出してやるぞ……っ、 なんだ? このやたら頑丈な封印は!』
親父どのの馬鹿力による封印は、男神でもそう簡単には解けないらしい。
『あなた、無理をしないで。この封印を解く方法はもうわかっているから』
『さすが私の女神だ! で、その方法とは?』
『あそこで騒いでいる、あの銀髪の若者よ。彼に抱かれれば、すぐにでも……』
仔猫と烏がルシアンへ目を向けて、ニヤッと笑った。
「ああっ! 姉さんの前で何を言い出すんだっ!」
焦る俺を見て、仔猫が目を細める。
その表情……嫌な予感しかしない。
『なるほど……では、この封印を解くにはあの者が必要なのだな』
仔猫が、口が裂けるほどに大きな笑みを浮かべた――
バチバチッ!
火花が弾け、空間が歪む。
ルシアンが神殿の中に飛び込んできた。
「ロイド!」
ルシアンが勢いよく俺の背に抱きついて、その柔らかな銀髪が俺の頬をくすぐった。
「お前が倒れるのを見て、心臓が止まるかと思った……」
俺の肩に顔を埋めるルシアンの吐息が、まだ震えている。
振り返ると、藍色の瞳が怒りと嫉妬で燃えていた。
「誰にも渡すものか!」
「ルシア……っ!?」
いきなり、唇を塞がれた。俺は彼のものなのだと言うような、深く激しい口づけ。
その独占欲すら嬉しくて、俺も夢中で彼の熱に応える。
『ふむ、これは……』
『ねっ、言った通りでしょう?』
仔猫と烏が頷きあう。
視線を感じ、はっと我に返ると、姉さんが首筋まで真っ赤になっていた。
「えっと、ロイド……そちらは……?」
俺の首には、まだルシアンの腕がしっかりと巻きついている。その様子を見て、姉さんが戸惑ったような表情を浮かべる。
「これは、その……」
何をどうやって説明すればいいのか。
でも、ルシアンは俺の大切な人だと、姉さんにわかってほしい。
「彼は、俺の……」
だが、ルシアンの低く冷たい声が、俺の言葉を遮った。
「レイラ王女。見ての通り、私はロイドを心から愛している。王族だろうが、神の使いだろうがかまうものか、ロイドは渡さない!」
「えっ……ロイド?」
姉さんが、縋るように俺を見た。
会ったばかりで、これは……ちょっと、申し訳ない。でも、ルシアンは……
「彼は、俺の……恋人で……」
『恋人か!』
『まあ、ステキ!』
目を丸くする姉さんの横で、女神と男神がはしゃいでる。
だが、ルシアンは俺を抱きしめる腕に力を込めて、まだ姉さんを睨みつけたまま。何か誤解をしているようだ。
おろおろする俺を見かねたのか、仔猫が口を開いた。
『ルシアンとやら、この者がレイラに心惹かれるのは無理からぬ話』
「なぜだ?」
『二人は血のつながった姉弟なのだ』
「……姉だと?」
ああ、これでルシアンも納得してくれるはず。ほっとして、ルシアンを振り返った。
だが、その表情を見て思わず息を呑んだ――藍色の瞳が怒りに染まっていた。
「貴女がロイドの姉だと……ふざけるな!」
怒りに震える声が、姉さんを突き刺した。
「姉だと言うなら、どうしてロイドを助けてくれなかった! ロイドがアシークに囚われ酷い目に遭わされていた間、貴女は何をしていた! すぐ近くでロイドが何をされていたのか、まったく気づかなかったとでも言うつもりか!」
その言葉を聞いて、姉さんが真っ青になった。
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