辺境騎士が、涙を流すとき【完結】

てる

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第三章 ザハラ王国編

61 俺を呼ぶ声

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「また、王が使いを寄越してきたか」

 煩わしい……と、アシークが低く呟いた。 
 王から王女との婚姻を命じられても、アシークは頑なに拒み続けている。
 俺以外は、何も望まないと。

 だが、すでに王命は発せられた。王宮からの使者は、アシークを王の前に連れて行かねば罰を下される。彼を説得できるまで、彼らは何度でも押しかけてくるだろう。
 アシークは諦めたように、ため息をついた。

「仕方ない……」
 
 彼が呪文のようなものを呟くと、足元の影が黒い染みのように広がった。その影がゆらゆらと立ち昇り、次々と兵士の姿へと形を変えてゆく。
 兵たちはアシークの身体を拭き、服を着せ、髪を整える。
 彼らは、戦場ではアシークの手足となって戦い、平常は、こんなふうに彼の身の回りの世話をしているのだろう。 

 支度が整うと、アシークは名残惜しげに俺の頬に触れ、低い声で囁いた。
 
「逃げるなよ」
「……心配するな」

 逃げたりしたら、彼は直ぐにでも停戦交渉を打ち切って、ラクロス国へ攻め入るに違いない。そんなことをさせるわけにはいかない。

 アシークは俺を見つめたまま、また何かを呟いた。

「……ザグン、出てこい」

 すると、彼の声に応えるように足元の影が伸びた――
 
 グウォーッ!

 その影の中から飛び出してきたのは、白銀の毛並みに血のように赤い目を持つ、巨大な白虎。
 戦場ではアシークを背に乗せ、その鋭い爪と牙で兵を次々と引き裂く姿を、俺は何度も目にしていた。 
  
「ここでロイドを見張ってろ」

 そう一言命じると、アシークは兵を従えて部屋から出ていった。

 扉が閉まる音がして、俺はこの部屋に魔獣と共に取り残された。 
 魔獣は床に身を伏せ、真っ赤な目を俺に向けている。少しでも目を逸らせば、その瞬間に飛びかかられるかも――そんな気がして、全身が強張った。

 だが、睨み合っていても仕方ない。
 俺は寝台の端に腰を下ろして、ゆっくりと息を吐いた。
 
 疲れた……
 
 首を垂れると、半裸に剥かれた肌の上には、赤い痕が幾つも残されていた。
 
 ――情けない。

 覚悟したはずだった――戦を終わらせるためなら、彼のものになってもいいと。
 それなのに、散々嬲られただけで、結局彼を怒らせてしまった。
 
 快楽に溺れることが後ろめたかったのか、それとも怖かったのか――
 彼に心を開いてしまったら、俺の中からルシアンが消えてしまいそうな気がして。

 そして、今、ルシアンの姿を見ただけで、こんなにも動揺している。 
 今朝、あんな思いまでして別れたというのに。

「なんで、来るんだよ……」

 ぽつりと呟いて、見るともなしに床に伏す魔獣へと目をやった。
 魔獣は、くだらないと言いたげに大きく欠伸をすると、俺に向かって人の言葉を話し始めた。

「あれほどあるじから思われているのに、他の男のことを考えているのか?」

 驚いた、魔獣のくせに言葉まで話せるのか?

「そんなに驚かなくてもいいだろう」

 次の瞬間、魔獣の姿が白いもやのようにぼやけて、目の前に若い男が姿を現した。

「お前……あの魔獣なのか?」 
「魔獣ってなんだよ。僕にはザグンって名があるんだよ」

 あの恐ろしげな獣が、こんな魅惑的な青年に姿を変えるとは。
 しなやかで、野性味を帯びた身体つき。灼けた肌は、戦場の陽を浴びていたからだろう。背の中ほどまでまっすぐに流れる髪は白銀の毛並みそのままで、彼が動くたび軽やかに揺れる。
 その瞳は深い紅色――鮮やかな血の色だ。

「この姿の方が話しやすいだろう?」

 言葉の端々からは無邪気さが伺える。だが、その瞳には獣の気まぐれが見え隠れする。

「つれないね。主はずっとお前のことを待ってたんだよ。そのせいで、僕はあまり主に抱いてもらえなくなったのに」
 
 うっ……どうやらこの従魔は、アシークのことが好きでたまらないらしい。

「ずっと側にいるのに、主は僕の想いにちっとも気づいてくれない」
「ずっと?」
「そうさ、主がまだ幼い頃からずっと一緒。故郷の森を離れてからも、僕は主の影に潜んでずっと側にいた。戦場だけじゃない、主が寂しい時はこの身体だって差し出す」

 そして、ザグンは悔しそうに俺を見た。

「でも、主は僕を抱きながら、お前の名を呼ぶんだよ」
「それは……」

 ザグンは、寂しそうに俯く。

「それでも、僕は主の悲しそうな顔を見るのが辛い。主の想いにお前が応えてくれればいいと思ってしまうほど」

 ああ、この従魔は心から主を慕っている。
 でも、彼の想いだけではアシークの心を満たすことはできないのだ。 

 俺の心の内を読んだのだろう、ザグンが僅かに目を細めた。

「同情なんかいらない。僕は主の側にいられるだけで幸せだから……」

 そう言って、ザグンは小さく笑った。
 
 だが、次の瞬間――
 ザグンが、何かの気配を察したように耳をそば立てた。

「どうした?」
「しっ、黙って……今、主とつながってるんだ……えっ、王宮に出向くって? どうしてだよ、今まであんなに拒んでいたのに……」
「サリーム王から呼び出されたのか?」
「そのようだね……レイラ姫との婚姻を承諾するようにって言われてる……ほんと、しつこいよね。レイラ姫だってこの結婚を望んでいないのに」

 姉さんは、サリーム王を説得すると言っていた。でも、この状況から察するに、王の意思は変わっていないようだ。

「王は、アシークと姉さんを無理やり結婚させるつもりか!」
「姉さんって……お前はレイラ姫の?」
「ああ、弟だ」

 俺の言葉に、一瞬ザグンが固まった。
 
「ああ、だからか……お前、レイラ姫と似たような香りがする」
「香り……そう言えば、アシークもそんなことを言ってたな」
「ああ、ザハラの神々に通じる力だ。その力は、光だな……えっ、そうすると主の想いは……いや、今は、主がどう動くのか確かめるのが先だ」

 謎めいた言葉を残して、ザグンはまた耳を澄ました。

「あっ、大臣まで来てるのか。あの小悪党……王の関心が政治に向かないよう、美しい少年たちをあてがって、その影で私服を増やしてる」

 なるほど、どこの国にも腐った家臣はいるものだ。
 そう言えば、姉さんもサリーム王を諭してたな。いつまで彼らの言いなりになっているのかと。
 
 家臣たちにしてみれば、将軍と王女が一緒になって神の力を発揮されては困るのだろう。その上、王位まで継がれてしまえば、もう思い通りに動き回ることもできなくなる。

 だが、そんな腐った者どもの罪を暴くのが、影の力だろう?
 俺はその疑問をザグンにぶつけた。 

「なぜアシークは闇の力を使わない? 悪党の罪を裁くなど、彼には簡単なことだろう?」

 すると、ザグンはあっけらかんとした口調で答えた。

「そんな事をしたら、王宮から誰もいなくなってしまうよ」
「それは……王の周りには、信頼できる者が一人もいないと言うことか?」
 
 ザグンは仕方なさそうに肩をすくめた。 

「王が心を許しているのは、レイラ姫だけさ。でも、主が王宮の悪党たちを見逃しているのは、何か考えがあってのこと。あいつらの背後に繋がる存在を炙り出そうとしてるのかも」

 大臣たちの背後に、まだ新たな存在がいると?
 ザハラ王宮の腐敗は、思う以上に根深いのかもしれない。

 すると急に、ザグンが声を上げた。

「主の怒りが伝わってくる……大臣の心の中を読んでる……」

 一瞬、ザグンが息を呑んだ。

「大臣の奴『将軍が拒み続けるなら、レイラ姫を始末してしまえばいい』って……」
「なんだって!」
「『手筈は整えてある。女神の神殿に手の者を忍ばせて……』って!」

 姉さんが狙われている! 
 ああ、なぜ気づかなかったんだ。姉さんがずっと後宮の奥に身を隠していたのは、こういう事だったんだ。
 
 だが、すぐにまた、別の疑問が浮かんできた。

「大臣の陰謀をはかりごと暴いたんだ、今すぐ彼だけでも断罪してしまえばいいのでは?」
「いや、それは無理」
「なぜだ?」
「主は罪を暴く。そして、その罪を断罪するのは僕の役目だからさ」

 つまり、ザグンがここにいては、大臣の陰謀を防ぐことはできないわけだ。
 このままでは、姉さんの身に危険が及んでしまう!
  
「ザグン、 今すぐ王宮へ行くぞ!」
「そんなこと、できるわけないだろう……でも、主が僕を連れずに王宮へ出向くのは、確かに危険だな」
「なら、早く!」
「ちょっと黙れよ。あっ、別の人間が主に話しかけきた……ガスト騎士団の団長だと名乗ってるけど……」

 えっ、ルシアンが……?

「……館の中を調べさせろと言ってる。ここに囚われてる騎士を引き渡せって……ひょっとして、お前のこと?」
「そんなはずない……」

 ルシアンは、もう俺のことなんか忘れてるのだから。

「……主の機嫌が悪くなったよ。あの騎士団長のことがよっぽど気に入らないんだな。あーあ、ムキになって言い返してる『彼は、もうお前のことなど忘れたと言っていた。これからは、俺の元に留まるともな』って……へえっ、お前、そんなこと言ったんだ?」

 その時だった。


「ロイドが、私を忘れるわけないだろう!」


 ルシアンの叫び声が、耳に届いた。
 思わず窓に身を乗り出しかけると、ザグンが慌てて俺の腕を掴んで、部屋の中へ引きずり込んだ。

「何やってんだよ!」
「えっ、今……」

 ルシアンが、俺の名を呼んでくれた。

 胸の奥で、今まで抑え込んでいた想いが弾けた。
 喜びに心臓が飛び跳ねる。

「ひょっとして、お前の想い人って――あいつなの?」

 何も答えられなかった。
 今声を出したら、涙まで一緒に出てしまいそうだ。

「あーあ。そんな中途半端な気持ちで、主とあの騎士団長を両天秤にかけてたの?」
「そんなわけ……」

 いや、こいつの言う通りかもしれない。
 でも、どうすればよかったんだ。この戦を終わらせる方法が、他にあったのかよ……

 その時、誰かがこの部屋に向かって駆けてくる足音がした。
 扉の外で、叫ぶ声がする。

「ロイド、どこだ!」

 ああ、ルシアン!
 彼に名を呼ばれるだけで、こんなにも胸が熱くなる。
 
 でも――

 ルシアンはどうして俺の名を覚えてるんだ? 
 それに、俺がここにいるって、どうしてわかったんだろう?  
 俺、確かに彼に薬を飲ませたよな……?
 
 俺が色々悩んでいる横で、ザグンが慌てたように声を上げた。

「仕方ない、行くよ!」
「えっ……うわぁっ!」

 ザグンが俺の身体をぐいっと引き寄せた。
 真っ赤な瞳がシュッと縦に細まり、妖しい光を放つ。

「今は、お前をあの男に会わせるわけにはいかない……主のためだ」

 そう言う間にも、漆黒の闇が俺とザグンを呑み込んでゆく。
 闇の中でザグンの身体が膨らんで、いつの間にか、俺は柔らかな白銀の毛に包まれていた。

「目を閉じて……」

 ザグンの言葉が途切れ、宙に浮くような感覚に眩暈がした。

 バタンッ!

 部屋の扉が勢いよく押し開かれた。

「ロイド!」

 その声が部屋の中に響き渡った時は、もう――
 俺たちの姿はその場から消えていた。
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