辺境騎士が、涙を流すとき【完結】

てる

文字の大きさ
61 / 72
第三章 ザハラ王国編

61 俺を呼ぶ声

「また、王が使いを寄越してきたか」

 煩わしい……と、アシークが低く呟いた。 
 王から王女との婚姻を命じられても、アシークは頑なに拒み続けている。
 俺以外は、何も望まないと。

 だが、すでに王命は発せられた。王宮からの使者は、アシークを王の前に連れて行かねば罰を下される。彼を説得できるまで、彼らは何度でも押しかけてくるだろう。
 アシークは諦めたように、ため息をついた。

「仕方ない……」
 
 彼が呪文のようなものを呟くと、足元の影が黒い染みのように広がった。その影がゆらゆらと立ち昇り、次々と兵士の姿へと形を変えてゆく。
 兵たちはアシークの身体を拭き、服を着せ、髪を整える。
 彼らは、戦場ではアシークの手足となって戦い、平常は、こんなふうに彼の身の回りの世話をしているのだろう。 

 支度が整うと、アシークは名残惜しげに俺の頬に触れ、低い声で囁いた。
 
「逃げるなよ」
「……心配するな」

 逃げたりしたら、彼は直ぐにでも停戦交渉を打ち切って、ラクロス国へ攻め入るに違いない。そんなことをさせるわけにはいかない。

 アシークは俺を見つめたまま、また何かを呟いた。

「……ザグン、出てこい」

 すると、彼の声に応えるように足元の影が伸びた――
 
 グウォーッ!

 その影の中から飛び出してきたのは、白銀の毛並みに血のように赤い目を持つ、巨大な白虎。
 戦場ではアシークを背に乗せ、その鋭い爪と牙で兵を次々と引き裂く姿を、俺は何度も目にしていた。 
  
「ここでロイドを見張ってろ」

 そう一言命じると、アシークは兵を従えて部屋から出ていった。

 扉が閉まる音がして、俺はこの部屋に魔獣と共に取り残された。 
 魔獣は床に身を伏せ、真っ赤な目を俺に向けている。少しでも目を逸らせば、その瞬間に飛びかかられるかも――そんな気がして、全身が強張った。

 だが、睨み合っていても仕方ない。
 俺は寝台の端に腰を下ろして、ゆっくりと息を吐いた。
 
 疲れた……
 
 首を垂れると、半裸に剥かれた肌の上には、赤い痕が幾つも残されていた。
 
 ――情けない。

 覚悟したはずだった――戦を終わらせるためなら、彼のものになってもいいと。
 それなのに、散々嬲られただけで、結局彼を怒らせてしまった。
 
 快楽に溺れることが後ろめたかったのか、それとも怖かったのか――
 彼に心を開いてしまったら、俺の中からルシアンが消えてしまいそうな気がして。

 そして、今、ルシアンの姿を見ただけで、こんなにも動揺している。 
 今朝、あんな思いまでして別れたというのに。

「なんで、来るんだよ……」

 ぽつりと呟いて、見るともなしに床に伏す魔獣へと目をやった。
 魔獣は、くだらないと言いたげに大きく欠伸をすると、俺に向かって人の言葉を話し始めた。

「あれほどあるじから思われているのに、他の男のことを考えているのか?」

 驚いた、魔獣のくせに言葉まで話せるのか?

「そんなに驚かなくてもいいだろう」

 次の瞬間、魔獣の姿が白いもやのようにぼやけて、目の前に若い男が姿を現した。

「お前……あの魔獣なのか?」 
「魔獣ってなんだよ。僕にはザグンって名があるんだよ」

 あの恐ろしげな獣が、こんな魅惑的な青年に姿を変えるとは。
 しなやかで、野性味を帯びた身体つき。灼けた肌は、戦場の陽を浴びていたからだろう。背の中ほどまでまっすぐに流れる髪は白銀の毛並みそのままで、彼が動くたび軽やかに揺れる。
 その瞳は深い紅色――鮮やかな血の色だ。

「この姿の方が話しやすいだろう?」

 言葉の端々からは無邪気さが伺える。だが、その瞳には獣の気まぐれが見え隠れする。

「つれないね。主はずっとお前のことを待ってたんだよ。そのせいで、僕はあまり主に抱いてもらえなくなったのに」
 
 うっ……どうやらこの従魔は、アシークのことが好きでたまらないらしい。

「ずっと側にいるのに、主は僕の想いにちっとも気づいてくれない」
「ずっと?」
「そうさ、主がまだ幼い頃からずっと一緒。故郷の森を離れてからも、僕は主の影に潜んでずっと側にいた。戦場だけじゃない、主が寂しい時はこの身体だって差し出す」

 そして、ザグンは悔しそうに俺を見た。

「でも、主は僕を抱きながら、お前の名を呼ぶんだよ」
「それは……」

 ザグンは、寂しそうに俯く。

「それでも、僕は主の悲しそうな顔を見るのが辛い。主の想いにお前が応えてくれればいいと思ってしまうほど」

 ああ、この従魔は心から主を慕っている。
 でも、彼の想いだけではアシークの心を満たすことはできないのだ。 

 俺の心の内を読んだのだろう、ザグンが僅かに目を細めた。

「同情なんかいらない。僕は主の側にいられるだけで幸せだから……」

 そう言って、ザグンは小さく笑った。
 
 だが、次の瞬間――
 ザグンが、何かの気配を察したように耳をそば立てた。

「どうした?」
「しっ、黙って……今、主とつながってるんだ……えっ、王宮に出向くって? どうしてだよ、今まであんなに拒んでいたのに……」
「サリーム王から呼び出されたのか?」
「そのようだね……レイラ姫との婚姻を承諾するようにって言われてる……ほんと、しつこいよね。レイラ姫だってこの結婚を望んでいないのに」

 姉さんは、サリーム王を説得すると言っていた。でも、この状況から察するに、王の意思は変わっていないようだ。

「王は、アシークと姉さんを無理やり結婚させるつもりか!」
「姉さんって……お前はレイラ姫の?」
「ああ、弟だ」

 俺の言葉に、一瞬ザグンが固まった。
 
「ああ、だからか……お前、レイラ姫と似たような香りがする」
「香り……そう言えば、アシークもそんなことを言ってたな」
「ああ、ザハラの神々に通じる力だ。その力は、光だな……えっ、そうすると主の想いは……いや、今は、主がどう動くのか確かめるのが先だ」

 謎めいた言葉を残して、ザグンはまた耳を澄ました。

「あっ、大臣まで来てるのか。あの小悪党……王の関心が政治に向かないよう、美しい少年たちをあてがって、その影で私服を増やしてる」

 なるほど、どこの国にも腐った家臣はいるものだ。
 そう言えば、姉さんもサリーム王を諭してたな。いつまで彼らの言いなりになっているのかと。
 
 家臣たちにしてみれば、将軍と王女が一緒になって神の力を発揮されては困るのだろう。その上、王位まで継がれてしまえば、もう思い通りに動き回ることもできなくなる。

 だが、そんな腐った者どもの罪を暴くのが、影の力だろう?
 俺はその疑問をザグンにぶつけた。 

「なぜアシークは闇の力を使わない? 悪党の罪を裁くなど、彼には簡単なことだろう?」

 すると、ザグンはあっけらかんとした口調で答えた。

「そんな事をしたら、王宮から誰もいなくなってしまうよ」
「それは……王の周りには、信頼できる者が一人もいないと言うことか?」
 
 ザグンは仕方なさそうに肩をすくめた。 

「王が心を許しているのは、レイラ姫だけさ。でも、主が王宮の悪党たちを見逃しているのは、何か考えがあってのこと。あいつらの背後に繋がる存在を炙り出そうとしてるのかも」

 大臣たちの背後に、まだ新たな存在がいると?
 ザハラ王宮の腐敗は、思う以上に根深いのかもしれない。

 すると急に、ザグンが声を上げた。

「主の怒りが伝わってくる……大臣の心の中を読んでる……」

 一瞬、ザグンが息を呑んだ。

「大臣の奴『将軍が拒み続けるなら、レイラ姫を始末してしまえばいい』って……」
「なんだって!」
「『手筈は整えてある。女神の神殿に手の者を忍ばせて……』って!」

 姉さんが狙われている! 
 ああ、なぜ気づかなかったんだ。姉さんがずっと後宮の奥に身を隠していたのは、こういう事だったんだ。
 
 だが、すぐにまた、別の疑問が浮かんできた。

「大臣の陰謀をはかりごと暴いたんだ、今すぐ彼だけでも断罪してしまえばいいのでは?」
「いや、それは無理」
「なぜだ?」
「主は罪を暴く。そして、その罪を断罪するのは僕の役目だからさ」

 つまり、ザグンがここにいては、大臣の陰謀を防ぐことはできないわけだ。
 このままでは、姉さんの身に危険が及んでしまう!
  
「ザグン、 今すぐ王宮へ行くぞ!」
「そんなこと、できるわけないだろう……でも、主が僕を連れずに王宮へ出向くのは、確かに危険だな」
「なら、早く!」
「ちょっと黙れよ。あっ、別の人間が主に話しかけきた……ガスト騎士団の団長だと名乗ってるけど……」

 えっ、ルシアンが……?

「……館の中を調べさせろと言ってる。ここに囚われてる騎士を引き渡せって……ひょっとして、お前のこと?」
「そんなはずない……」

 ルシアンは、もう俺のことなんか忘れてるのだから。

「……主の機嫌が悪くなったよ。あの騎士団長のことがよっぽど気に入らないんだな。あーあ、ムキになって言い返してる『彼は、もうお前のことなど忘れたと言っていた。これからは、俺の元に留まるともな』って……へえっ、お前、そんなこと言ったんだ?」

 その時だった。


「ロイドが、私を忘れるわけないだろう!」


 ルシアンの叫び声が、耳に届いた。
 思わず窓に身を乗り出しかけると、ザグンが慌てて俺の腕を掴んで、部屋の中へ引きずり込んだ。

「何やってんだよ!」
「えっ、今……」

 ルシアンが、俺の名を呼んでくれた。

 胸の奥で、今まで抑え込んでいた想いが弾けた。
 喜びに心臓が飛び跳ねる。

「ひょっとして、お前の想い人って――あいつなの?」

 何も答えられなかった。
 今声を出したら、涙まで一緒に出てしまいそうだ。

「あーあ。そんな中途半端な気持ちで、主とあの騎士団長を両天秤にかけてたの?」
「そんなわけ……」

 いや、こいつの言う通りかもしれない。
 でも、どうすればよかったんだ。この戦を終わらせる方法が、他にあったのかよ……

 その時、誰かがこの部屋に向かって駆けてくる足音がした。
 扉の外で、叫ぶ声がする。

「ロイド、どこだ!」

 ああ、ルシアン!
 彼に名を呼ばれるだけで、こんなにも胸が熱くなる。
 
 でも――

 ルシアンはどうして俺の名を覚えてるんだ? 
 それに、俺がここにいるって、どうしてわかったんだろう?  
 俺、確かに彼に薬を飲ませたよな……?
 
 俺が色々悩んでいる横で、ザグンが慌てたように声を上げた。

「仕方ない、行くよ!」
「えっ……うわぁっ!」

 ザグンが俺の身体をぐいっと引き寄せた。
 真っ赤な瞳がシュッと縦に細まり、妖しい光を放つ。

「今は、お前をあの男に会わせるわけにはいかない……主のためだ」

 そう言う間にも、漆黒の闇が俺とザグンを呑み込んでゆく。
 闇の中でザグンの身体が膨らんで、いつの間にか、俺は柔らかな白銀の毛に包まれていた。

「目を閉じて……」

 ザグンの言葉が途切れ、宙に浮くような感覚に眩暈がした。

 バタンッ!

 部屋の扉が勢いよく押し開かれた。

「ロイド!」

 その声が部屋の中に響き渡った時は、もう――
 俺たちの姿はその場から消えていた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】王宮勤めの騎士でしたが、オメガになったので退職させていただきます

大河
BL
第三王子直属の近衛騎士団に所属していたセリル・グランツは、とある戦いで毒を受け、その影響で第二性がベータからオメガに変質してしまった。 オメガは騎士団に所属してはならないという法に基づき、騎士団を辞めることを決意するセリル。上司である第三王子・レオンハルトにそのことを告げて騎士団を去るが、特に引き留められるようなことはなかった。 地方貴族である実家に戻ったセリルは、オメガになったことで見合い話を受けざるを得ない立場に。見合いに全く乗り気でないセリルの元に、意外な人物から婚約の申し入れが届く。それはかつての上司、レオンハルトからの婚約の申し入れだった──

運命よりも先に、愛してしまった

AzureHaru
BL
幼馴染で番同士の受けと攻め。2人は運命の番ではなかったが、相思相愛だった。そんな時、攻めに運命の番が現れる。それを知った受けは身籠もっていたが、運命の番同士の子供の方が優秀な者が生まれることも知っており、身を引く事を決め姿を消す。 しかし、攻めと運命の番の相手にはそれぞれに別の愛する人がいる事をしり、 2人は運命の番としてではなく、友人として付き合っていけたらと話し合ってわかれた。 その後、攻めは受けが勘違いしていなくなってしまったことを両親達から聞かされるのであった。

【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。 モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。 このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。 「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」 恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。 甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。 全8話。

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます

七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。 歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。 世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。 気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。

【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!

キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!? あらすじ 「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」 前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。 今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。 お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。 顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……? 「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」 「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」 スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!? しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。 【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】 「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。 完結しました!ありがとうございました。