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第三章 ザハラ王国編
42 闇の邂逅
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俺たちはザハラ国に入ったものの、直ぐにサリーム王に会えるわけでもなく、謁見は後日だと一方的に言い渡されて、ひとまず宿舎に案内された。
案内された宿舎は、元は貴族の館として建てられたのか豪奢な造りで、中央に設えた広い中庭には植物が植えられ、大きな噴水まであった。
親父どのの大声が、どこからか響いてきた。誰か不運な奴が逆鱗に触れたらしい。
まあ、エリスは着いて来るし、セリーヌ夫人は馬から降りるなり部屋に駆け込んでしまうし、親父どのの機嫌が悪いのも当然だ。
少し様子を見に行った方がいいかもな……なんてことを考えながら、割り当てられた部屋に入ろうとしたら、ルシアンが俺を振り返った。
「片づけが終わったら、中庭で少しゆっくりしないか?」
「……話をするだけだぞ。この庭はどの部屋からも丸見えだからな」
「ははっ、私だってその気になれば紳士的に振る舞えるんだ……というか、部屋の中だと何をしてしまうかわからないから、外の方がいいというか……」
そう言って、ルシアンが鼻の頭を掻く。
俺は、思わず吹き出した。
「わかったよ、エリスの様子を見て、親父どのと話をしてから行くよ」
「じゃあ、後で……」
そして、親父どのの愚痴を聞いていたら思ったよりも遅くなってしまい、俺が中庭に戻ってきたのは夜も更けた頃。聞こえるのは、噴水から流れる水の音だけ。他の者たちは皆、部屋で寝る支度でもしているのか、静かなものだ。
その噴水の影で、微かな気配がした。
「なんだ、ルシアン、そこにいたのか! 遅くなった……」
ぐるりと噴水を回り込むと、ルシアンの銀髪が地面に広がっていた。そして、うつ伏せに倒れているその背に、魔獣の足がのしかかっている!
だが、ルシアンはびくりとも動かない。駆け寄ろうにも、その魔獣が俺を威嚇するように牙を剥く。その魔獣の眉間に星型の紋様があるのを見て、俺は戦慄した。
この紋様……まさか、あいつの!?
「久しぶりだな……」
影から出てきた男の姿に、息が止まった。
アシーク・シャドウが、俺の前に立っていた。
「……なぜ、ここに」
「お前に、会いに来た」
アシークが口端をわずかに上げると、頬の傷が歪んだ。
その姿に、思わず後退りしそうになったが、倒れたままのルシアンを放って逃げることなどできなかった。
俺の視線を辿って、アシークが足元に横たわるルシアンを見下ろした。
「こいつだな、ずっとお前の心の中に居座っていたのは……もう、想いは遂げたのか?」
「な、何を……」
「ずっと、こいつに抱かれたかったんだろう?でも、実際にお前を抱いていたのは、この俺だったけどな!」
その下卑た言葉が俺の胸を突き刺し、醜い過去を抉り出す。
俺は、きつく唇を噛み締めた。
「……ルシアンに、何をした!」
「ああ、ルシアンだったな……お前がイクときに、いつも口にしていた」
「……っ!」
「心配するな、魔力で眠らせているだけだ。同じように、この館中の人間も眠ってる。誰も、俺とお前がこうして会っていることに気づきもしない」
眠らされているだけなのか……
少しほっとしたものの、魔獣が威嚇するようにまた唸り声をあげて、俺は身を強張らせた。
俺が怯んだのを見て、アシークの瞳に火がついた。俺を組み敷く時はいつも、そんな目をして欲望を剥き出しにしていた。そして、その瞳の奥には果てしない漆黒の闇が広がっていることを、俺は知っている。
「こっちへ来い……言うことを聞かなければ、こいつを魔獣に食わせる。さあ、どうする?」
魔獣がアシークに応えるように、その牙をルシアンの首筋へと近づける。
「やめろっ!そいつをルシアンから離せ……そうすれば、お前のいう通りにするから」
とにかく、ルシアンを……俺は、どうなっても構わない。
この国では、こいつの意思ひとつで全てが動く。現に今だって、館中の人間が人質に取られたようなもの。俺が下手に逆らえば、皆の命が危うくなる。
「他の人間にも手を出すな……俺たちはラクロス国王の命を受けてやって来た。もし、誰か一人でも危害を加えられたら、国が黙ってはいない」
すると、アシークが苦笑した。
「ああ、わかってるさ。ザハラだってまた戦争をする気はない。まだ、その時ではないからな……」
そして、アシークは黙って、俺が動くのを待つ。俺を従わせたいのだ。
「言ったろ……お前は、俺の獲物だ」
拳を握った。
こいつはその魔獣のようなもの。少しでも近づいたら……喰われてしまう。
ここで判断を誤れば、ルシアンに危険が及んでしまう。
アシークに向かって一歩踏み出した。そして、また一歩……足が鉛のように重く感じられる。
なんとかアシークの前に立ち、正面から睨み返すが、アシークは口元をわずかに歪めただけだ。
こうして正面からアシークを見るのは、あの時以来かもしれない。
岩のような鍛え抜かれた身体、盛り上がった筋肉、日に焼けたブロンズの肌。濃い金色の髪は砂漠の色だ。彫りの深い顔立ちに、切れ長の目は見る者全てを萎縮させてしまう光を放っている……何もかもが、あの頃のままだ。
立ち止まったまま動かなくなった俺を、アシークが見下ろした。
「あの時も、こうして向かい合ったな……」
そして、吐息と共に思いがけない言葉を吐き出した。
「あれから、ずっと……あのことが忘れられない」
俺たちは、互いを見つめ合った。
「……あれが、どういう意味だったのか確かめようとしたが、お前はすぐに、俺の手をすり抜けて逃げやがった。それからずっと考えてる……何故あんなことを……」
「さあ、俺にもわからない……」
俺が言い終わらないうちに、アシークに抱き寄せられてしまった。
汗ばんだ肌、独特のスパイスのような香り、喉の窪みまで……何もかもが記憶のままだった。
そして、顎を持ち上げられて口づけられた。
まるで、野獣に噛みつかれるような激しい口づけと共に、アシークの魔力が俺の中に一気に流れ込んできた。
「うっ……っ!」
身体の中をドス黒い魔力が駆け巡り、腹の中がぐちゃぐちゃに掻き回される。
頭の中に、あの頃の自分の姿が浮かび上がっては消えてゆく。うつ伏せになった俺に覆い被さって蠢く野獣の姿が見える。
あ、あっ……やめろっ、もう、やめてくれ!!
俺の心の悲鳴が聞こえたのか、唐突に唇が離されたかと思うと、頭上から驚いたような声がした。
「なぜ……魔力が、解放されていない?」
アシークが、俺の両腕を掴んで激しく揺さぶった。
「 恋しい男の元に戻ったのだろう?……それなのに、どうしてお前の魔力は、まだ封じ込められたままなんだ?」
そして、アシークが高笑いを始めた。
「これはいい!もう、ラクロス国との停戦などどうでもいい。お前が、私の手に入りさえすれば事足りるのだから!」
俺を手に入れて、世界征服でもするつもりか.……でも、お前にそんなことはできない。
「また俺を好きなようにすればいい……だが、いくら俺に魔力を注ぎ込んだところで、この封印は解けない。この魔力は、決してお前のものにはならない」
「どうして、そう言い切れる……今だって、お前の身体は俺を欲しがってる。拒めるはずがない」
「そんなわけ……っ!」
アシークが、また俺に覆い被さって、その大きな手が俺の肌を弄り出した。
俺が、必死に抗うと、
「いいのか? 逆らえばどうなるか、わかってるよな?」
そう言われれば、俺自身を差し出す他に選択の余地はない。
きつく目を閉じて、唇を噛み締めた。もう何も感じなくてすむように。
奴の手が、ゆっくりと胸から下腹へと降りてゆく……だが、今はただ耐えるしかないい。
「ここは、まだ俺のことを覚えてるようだ……ふっ、勃ってるな」
「あ、んっ……っ!」
昂りに触れられ、思わず緩んだ唇の隙間から、また魔力が注ぎ込まれる。
アシークの魔法は、人の心の闇に作用する。その闇を抉り広げて、絶望に陥れるのだ。
こうして俺を辱めながら、俺が絶望に泣き叫ぶ姿を見ようというのか。
じわり、じわりと心の中に暗い絶望が広がり始めた。
俺はなんて弱いのか……圧倒的な強者の前では、こんなにも無力だ。
なす術もなく屈服して、身体を捧げて、騎士としての誇りも消えていく。
ああ、ルシアン……助けて
お前の元に戻りたい。この身体は、お前だけのものなのに。
ルシアンを、愛してる……のに。
すると、突然アシークが唇を離した。
そして、信じられないものを見るような目で、俺を見た。
「お前の闇の中に光が見える……そんな、バカな!なぜ、そんなことができる。私には、光を抱きしめることなどできなかったというのに……レイラとは決して……」
その、戸惑ったような表情……あの時も、アシークはこんな顔をしていた。
「レイラ……彼女がお前の闇を作ったのか……お前は、まだ孤独の中にいるんだな.....」
だが、アシークは俺の言葉を遮るように、俺を地面に押し倒した。
ものすごい力で地面に押しつけるその手が怒りに震えている。
まさか……ここで犯るつもりなのか!?
だが、すぐ側では、魔獣がルシアンの上で唸り声をあげている。
逆らって、ルシアンに危害を加えられたら……
もう、どうしようもない……俺は、観念して目を閉じた。
次の瞬間、アシークが力任せに俺のシャツを引き裂いた!
だが、アシークは息を呑んだきり、俺の首筋を凝視したまま動かない。
そして、ようやく振り絞るような声を出した。
「……なんだ、この跡は?」
俺の首元に残っているのは、ルシアンの口づけの跡だ。
(ああ、私の愛がしっかり残ってる)
そう言って、満足そうな微笑みを浮かべていた。
ああ……俺は、ルシアンのものだ。
アシークの顔が怒りに染まった。
「誰に、この肌を許した!……ああ、なぜ、こんなに苦しい……こんな、胸が抉られるような痛み……」
そう言うなり、アシークが俺の首筋に噛み付いた。
鋭い歯が肌に食い込み、血が流れ……ああっ、喰われる!
「ああああああっ!」
俺の悲鳴に、アシークの声にならない咆哮が重なる。
それは永遠のようで、きっと一瞬のことだったに違いない。
気づくと、アシークは立ち上がっていて、地面に転がる俺を見下ろしていた。
どこか混乱したように、俺の首筋につけた自分の歯形を凝視していた。荒々しく息を吐きながら、その顔には怒りともつかない、言葉にならない感情が揺れていた。
「もう、いい……とにかく、魔力はまだそこにあり、お前はまだ誰のものでもないのだから……」
そして、アシークはふらっと魔獣の背に飛び乗ると、一足飛びに屋根を越えて姿を消してしまった。
俺は、ただ茫然と奴の背を見送った。
静けさが戻り、自分の荒い息遣いだけが耳にこだまする。
暫くして、首筋がじくじくと痛み始め、少しずつ感覚が戻ってきた。
俺は、ルシアンの元へ這っていき、息をしているか確かめようと、その口元に耳を寄せた。
規則正しい呼吸音と共に、胸が静かに上下する。
ほっと胸を撫で下ろした途端、涙が溢れてきた。
結局、俺はあいつの言いなりになるしかないのか。
俺が愛してるのは、ルシアンなのに。
こんなにも無力な自分が、悔しくてたまらなかった。
なぜ、こんな魔力を持って生まれてきてしまったんだ。
この魔力がある限り、俺はこんな目に遭い続けるのか……!
俺はルシアンの胸に縋って、声を殺して泣いた。
案内された宿舎は、元は貴族の館として建てられたのか豪奢な造りで、中央に設えた広い中庭には植物が植えられ、大きな噴水まであった。
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まあ、エリスは着いて来るし、セリーヌ夫人は馬から降りるなり部屋に駆け込んでしまうし、親父どのの機嫌が悪いのも当然だ。
少し様子を見に行った方がいいかもな……なんてことを考えながら、割り当てられた部屋に入ろうとしたら、ルシアンが俺を振り返った。
「片づけが終わったら、中庭で少しゆっくりしないか?」
「……話をするだけだぞ。この庭はどの部屋からも丸見えだからな」
「ははっ、私だってその気になれば紳士的に振る舞えるんだ……というか、部屋の中だと何をしてしまうかわからないから、外の方がいいというか……」
そう言って、ルシアンが鼻の頭を掻く。
俺は、思わず吹き出した。
「わかったよ、エリスの様子を見て、親父どのと話をしてから行くよ」
「じゃあ、後で……」
そして、親父どのの愚痴を聞いていたら思ったよりも遅くなってしまい、俺が中庭に戻ってきたのは夜も更けた頃。聞こえるのは、噴水から流れる水の音だけ。他の者たちは皆、部屋で寝る支度でもしているのか、静かなものだ。
その噴水の影で、微かな気配がした。
「なんだ、ルシアン、そこにいたのか! 遅くなった……」
ぐるりと噴水を回り込むと、ルシアンの銀髪が地面に広がっていた。そして、うつ伏せに倒れているその背に、魔獣の足がのしかかっている!
だが、ルシアンはびくりとも動かない。駆け寄ろうにも、その魔獣が俺を威嚇するように牙を剥く。その魔獣の眉間に星型の紋様があるのを見て、俺は戦慄した。
この紋様……まさか、あいつの!?
「久しぶりだな……」
影から出てきた男の姿に、息が止まった。
アシーク・シャドウが、俺の前に立っていた。
「……なぜ、ここに」
「お前に、会いに来た」
アシークが口端をわずかに上げると、頬の傷が歪んだ。
その姿に、思わず後退りしそうになったが、倒れたままのルシアンを放って逃げることなどできなかった。
俺の視線を辿って、アシークが足元に横たわるルシアンを見下ろした。
「こいつだな、ずっとお前の心の中に居座っていたのは……もう、想いは遂げたのか?」
「な、何を……」
「ずっと、こいつに抱かれたかったんだろう?でも、実際にお前を抱いていたのは、この俺だったけどな!」
その下卑た言葉が俺の胸を突き刺し、醜い過去を抉り出す。
俺は、きつく唇を噛み締めた。
「……ルシアンに、何をした!」
「ああ、ルシアンだったな……お前がイクときに、いつも口にしていた」
「……っ!」
「心配するな、魔力で眠らせているだけだ。同じように、この館中の人間も眠ってる。誰も、俺とお前がこうして会っていることに気づきもしない」
眠らされているだけなのか……
少しほっとしたものの、魔獣が威嚇するようにまた唸り声をあげて、俺は身を強張らせた。
俺が怯んだのを見て、アシークの瞳に火がついた。俺を組み敷く時はいつも、そんな目をして欲望を剥き出しにしていた。そして、その瞳の奥には果てしない漆黒の闇が広がっていることを、俺は知っている。
「こっちへ来い……言うことを聞かなければ、こいつを魔獣に食わせる。さあ、どうする?」
魔獣がアシークに応えるように、その牙をルシアンの首筋へと近づける。
「やめろっ!そいつをルシアンから離せ……そうすれば、お前のいう通りにするから」
とにかく、ルシアンを……俺は、どうなっても構わない。
この国では、こいつの意思ひとつで全てが動く。現に今だって、館中の人間が人質に取られたようなもの。俺が下手に逆らえば、皆の命が危うくなる。
「他の人間にも手を出すな……俺たちはラクロス国王の命を受けてやって来た。もし、誰か一人でも危害を加えられたら、国が黙ってはいない」
すると、アシークが苦笑した。
「ああ、わかってるさ。ザハラだってまた戦争をする気はない。まだ、その時ではないからな……」
そして、アシークは黙って、俺が動くのを待つ。俺を従わせたいのだ。
「言ったろ……お前は、俺の獲物だ」
拳を握った。
こいつはその魔獣のようなもの。少しでも近づいたら……喰われてしまう。
ここで判断を誤れば、ルシアンに危険が及んでしまう。
アシークに向かって一歩踏み出した。そして、また一歩……足が鉛のように重く感じられる。
なんとかアシークの前に立ち、正面から睨み返すが、アシークは口元をわずかに歪めただけだ。
こうして正面からアシークを見るのは、あの時以来かもしれない。
岩のような鍛え抜かれた身体、盛り上がった筋肉、日に焼けたブロンズの肌。濃い金色の髪は砂漠の色だ。彫りの深い顔立ちに、切れ長の目は見る者全てを萎縮させてしまう光を放っている……何もかもが、あの頃のままだ。
立ち止まったまま動かなくなった俺を、アシークが見下ろした。
「あの時も、こうして向かい合ったな……」
そして、吐息と共に思いがけない言葉を吐き出した。
「あれから、ずっと……あのことが忘れられない」
俺たちは、互いを見つめ合った。
「……あれが、どういう意味だったのか確かめようとしたが、お前はすぐに、俺の手をすり抜けて逃げやがった。それからずっと考えてる……何故あんなことを……」
「さあ、俺にもわからない……」
俺が言い終わらないうちに、アシークに抱き寄せられてしまった。
汗ばんだ肌、独特のスパイスのような香り、喉の窪みまで……何もかもが記憶のままだった。
そして、顎を持ち上げられて口づけられた。
まるで、野獣に噛みつかれるような激しい口づけと共に、アシークの魔力が俺の中に一気に流れ込んできた。
「うっ……っ!」
身体の中をドス黒い魔力が駆け巡り、腹の中がぐちゃぐちゃに掻き回される。
頭の中に、あの頃の自分の姿が浮かび上がっては消えてゆく。うつ伏せになった俺に覆い被さって蠢く野獣の姿が見える。
あ、あっ……やめろっ、もう、やめてくれ!!
俺の心の悲鳴が聞こえたのか、唐突に唇が離されたかと思うと、頭上から驚いたような声がした。
「なぜ……魔力が、解放されていない?」
アシークが、俺の両腕を掴んで激しく揺さぶった。
「 恋しい男の元に戻ったのだろう?……それなのに、どうしてお前の魔力は、まだ封じ込められたままなんだ?」
そして、アシークが高笑いを始めた。
「これはいい!もう、ラクロス国との停戦などどうでもいい。お前が、私の手に入りさえすれば事足りるのだから!」
俺を手に入れて、世界征服でもするつもりか.……でも、お前にそんなことはできない。
「また俺を好きなようにすればいい……だが、いくら俺に魔力を注ぎ込んだところで、この封印は解けない。この魔力は、決してお前のものにはならない」
「どうして、そう言い切れる……今だって、お前の身体は俺を欲しがってる。拒めるはずがない」
「そんなわけ……っ!」
アシークが、また俺に覆い被さって、その大きな手が俺の肌を弄り出した。
俺が、必死に抗うと、
「いいのか? 逆らえばどうなるか、わかってるよな?」
そう言われれば、俺自身を差し出す他に選択の余地はない。
きつく目を閉じて、唇を噛み締めた。もう何も感じなくてすむように。
奴の手が、ゆっくりと胸から下腹へと降りてゆく……だが、今はただ耐えるしかないい。
「ここは、まだ俺のことを覚えてるようだ……ふっ、勃ってるな」
「あ、んっ……っ!」
昂りに触れられ、思わず緩んだ唇の隙間から、また魔力が注ぎ込まれる。
アシークの魔法は、人の心の闇に作用する。その闇を抉り広げて、絶望に陥れるのだ。
こうして俺を辱めながら、俺が絶望に泣き叫ぶ姿を見ようというのか。
じわり、じわりと心の中に暗い絶望が広がり始めた。
俺はなんて弱いのか……圧倒的な強者の前では、こんなにも無力だ。
なす術もなく屈服して、身体を捧げて、騎士としての誇りも消えていく。
ああ、ルシアン……助けて
お前の元に戻りたい。この身体は、お前だけのものなのに。
ルシアンを、愛してる……のに。
すると、突然アシークが唇を離した。
そして、信じられないものを見るような目で、俺を見た。
「お前の闇の中に光が見える……そんな、バカな!なぜ、そんなことができる。私には、光を抱きしめることなどできなかったというのに……レイラとは決して……」
その、戸惑ったような表情……あの時も、アシークはこんな顔をしていた。
「レイラ……彼女がお前の闇を作ったのか……お前は、まだ孤独の中にいるんだな.....」
だが、アシークは俺の言葉を遮るように、俺を地面に押し倒した。
ものすごい力で地面に押しつけるその手が怒りに震えている。
まさか……ここで犯るつもりなのか!?
だが、すぐ側では、魔獣がルシアンの上で唸り声をあげている。
逆らって、ルシアンに危害を加えられたら……
もう、どうしようもない……俺は、観念して目を閉じた。
次の瞬間、アシークが力任せに俺のシャツを引き裂いた!
だが、アシークは息を呑んだきり、俺の首筋を凝視したまま動かない。
そして、ようやく振り絞るような声を出した。
「……なんだ、この跡は?」
俺の首元に残っているのは、ルシアンの口づけの跡だ。
(ああ、私の愛がしっかり残ってる)
そう言って、満足そうな微笑みを浮かべていた。
ああ……俺は、ルシアンのものだ。
アシークの顔が怒りに染まった。
「誰に、この肌を許した!……ああ、なぜ、こんなに苦しい……こんな、胸が抉られるような痛み……」
そう言うなり、アシークが俺の首筋に噛み付いた。
鋭い歯が肌に食い込み、血が流れ……ああっ、喰われる!
「ああああああっ!」
俺の悲鳴に、アシークの声にならない咆哮が重なる。
それは永遠のようで、きっと一瞬のことだったに違いない。
気づくと、アシークは立ち上がっていて、地面に転がる俺を見下ろしていた。
どこか混乱したように、俺の首筋につけた自分の歯形を凝視していた。荒々しく息を吐きながら、その顔には怒りともつかない、言葉にならない感情が揺れていた。
「もう、いい……とにかく、魔力はまだそこにあり、お前はまだ誰のものでもないのだから……」
そして、アシークはふらっと魔獣の背に飛び乗ると、一足飛びに屋根を越えて姿を消してしまった。
俺は、ただ茫然と奴の背を見送った。
静けさが戻り、自分の荒い息遣いだけが耳にこだまする。
暫くして、首筋がじくじくと痛み始め、少しずつ感覚が戻ってきた。
俺は、ルシアンの元へ這っていき、息をしているか確かめようと、その口元に耳を寄せた。
規則正しい呼吸音と共に、胸が静かに上下する。
ほっと胸を撫で下ろした途端、涙が溢れてきた。
結局、俺はあいつの言いなりになるしかないのか。
俺が愛してるのは、ルシアンなのに。
こんなにも無力な自分が、悔しくてたまらなかった。
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