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前編
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ぼふんと白い煙のようなものが叶を包んだかと思うと、次の瞬間には子どもの姿に戻っていた。
「本来の姿になるのは、力をたくさん使うから疲れるんだ」
「あれが本来の姿……? 力って……?」
優月はうわ言のように、叶の言葉を繰り返した。二段上に立つ叶が、優月に手を差し伸べてくる。
「境内で話そう。歩けるか」
「大丈夫です。一人で歩けます」
親切で言ってくれているのだとは思うが、叶に触れるのは何だか怖かった。特に気にした様子もなく、叶は先に階段を上っていった。優月は踏み外さないように、一段一段ゆっくり上がった。
「そもそも、神は人間の気を力に変えているんだ」
「気?」
「陽の気と陰の気がある。まあ、感情と言った方が分かりやすいか」
叶は、両手を出して、右手にはさっきの赤黒い糸、左手には鮮やかなオレンジ色の糸を、ふわふわとさせている。
「陽の気はポジティブな感情のこと、陰の気はネガティブな感情のことだ。さっきのは、陰の気を取った」
「感情を取ったってことですか。全部、忘れさせたってこと……?」
「違う」
叶は、即座に否定した。そして、どう説明すべきかと悩んでいるようだった。
「例えば……昔、泣くほど悔しかったことはあるか?」
「ええっと、幼稚園の運動会で転んだ時、とか、ですかね」
「ずいぶん遡るんだな、まあそれは置いておいて。その時のことを思い出した今、同じように泣くか?」
「え、それはない、です」
「でも、悔しかったことは覚えているだろう。出来事を忘れたわけではないが、感情は徐々に風化するものだ。さっき取ったのは少しだけ。その分、風化を早めただけだ。覚えているが、妬みが薄くなったわけだな」
叶の説明に、一応は納得した。先輩の様子にも合点がいく。先輩に何か危害が加わったわけではないと分かり、ほっとした。そういうところがお人好し、と言われるのかもしれないが。
「その、取った気はどうするんですか」
「こうする」
袂から取り出したガラス玉を手のひらに乗せた。赤黒い糸がするするとガラス玉に吸い込まれていき、透明だったガラス玉が赤黒く染まった。
「持ってみるといい」
「えっ」
叶から渡されたガラス玉は、手に持つと氷のようにひんやりしていた。
「冷たい……」
「それが陰の気の特徴だな。逆に陽の気は温かい」
「これが、神様の力になるんですか」
「いや、陰の気は力にはならない」
「え、じゃあ何のために取って……」
「君のために」
当然だろう、というような口調で言われて、優月は固まってしまった。よくよく考えてみれば、お人好しを直したいと願い事をしたことや、着物を直したことの礼だからなのだが。ついさっき見た本来の姿を思い出すと、変に意識してしまう。自分は実は面食いだったのだろうか、と悩み出してしまうところだった。
「まあ、あとは、陰の気を取ることで、いいことが起こりやすくなるんだ。神社に来て、空気が澄んでいると感じたり、気持ちが落ち着くのはそのためだな。境内にはそういう力が働いている」
「なる、ほど」
叶は神様の力を使って、先輩を傷つけることなく、一番いい方法で優月を助けてくれたのだとようやく理解してきた。
「叶、さん。あの、ありがとうございました」
優月は叶に向かって頭を下げた。自分ではどうしようもなかったことを解決してくれたこと、感謝している。
「いいや。こっちも良い陽の気をもらった」
顔を上げると、叶が嬉しそうに微笑んでいた。手のひらでしゃらりと音がしていたから、優月の感謝の感情がガラス玉に込められたのだろう。
「ガラス玉を保管している部屋がある。見るか?」
「はい、ぜひ」
「本来の姿になるのは、力をたくさん使うから疲れるんだ」
「あれが本来の姿……? 力って……?」
優月はうわ言のように、叶の言葉を繰り返した。二段上に立つ叶が、優月に手を差し伸べてくる。
「境内で話そう。歩けるか」
「大丈夫です。一人で歩けます」
親切で言ってくれているのだとは思うが、叶に触れるのは何だか怖かった。特に気にした様子もなく、叶は先に階段を上っていった。優月は踏み外さないように、一段一段ゆっくり上がった。
「そもそも、神は人間の気を力に変えているんだ」
「気?」
「陽の気と陰の気がある。まあ、感情と言った方が分かりやすいか」
叶は、両手を出して、右手にはさっきの赤黒い糸、左手には鮮やかなオレンジ色の糸を、ふわふわとさせている。
「陽の気はポジティブな感情のこと、陰の気はネガティブな感情のことだ。さっきのは、陰の気を取った」
「感情を取ったってことですか。全部、忘れさせたってこと……?」
「違う」
叶は、即座に否定した。そして、どう説明すべきかと悩んでいるようだった。
「例えば……昔、泣くほど悔しかったことはあるか?」
「ええっと、幼稚園の運動会で転んだ時、とか、ですかね」
「ずいぶん遡るんだな、まあそれは置いておいて。その時のことを思い出した今、同じように泣くか?」
「え、それはない、です」
「でも、悔しかったことは覚えているだろう。出来事を忘れたわけではないが、感情は徐々に風化するものだ。さっき取ったのは少しだけ。その分、風化を早めただけだ。覚えているが、妬みが薄くなったわけだな」
叶の説明に、一応は納得した。先輩の様子にも合点がいく。先輩に何か危害が加わったわけではないと分かり、ほっとした。そういうところがお人好し、と言われるのかもしれないが。
「その、取った気はどうするんですか」
「こうする」
袂から取り出したガラス玉を手のひらに乗せた。赤黒い糸がするするとガラス玉に吸い込まれていき、透明だったガラス玉が赤黒く染まった。
「持ってみるといい」
「えっ」
叶から渡されたガラス玉は、手に持つと氷のようにひんやりしていた。
「冷たい……」
「それが陰の気の特徴だな。逆に陽の気は温かい」
「これが、神様の力になるんですか」
「いや、陰の気は力にはならない」
「え、じゃあ何のために取って……」
「君のために」
当然だろう、というような口調で言われて、優月は固まってしまった。よくよく考えてみれば、お人好しを直したいと願い事をしたことや、着物を直したことの礼だからなのだが。ついさっき見た本来の姿を思い出すと、変に意識してしまう。自分は実は面食いだったのだろうか、と悩み出してしまうところだった。
「まあ、あとは、陰の気を取ることで、いいことが起こりやすくなるんだ。神社に来て、空気が澄んでいると感じたり、気持ちが落ち着くのはそのためだな。境内にはそういう力が働いている」
「なる、ほど」
叶は神様の力を使って、先輩を傷つけることなく、一番いい方法で優月を助けてくれたのだとようやく理解してきた。
「叶、さん。あの、ありがとうございました」
優月は叶に向かって頭を下げた。自分ではどうしようもなかったことを解決してくれたこと、感謝している。
「いいや。こっちも良い陽の気をもらった」
顔を上げると、叶が嬉しそうに微笑んでいた。手のひらでしゃらりと音がしていたから、優月の感謝の感情がガラス玉に込められたのだろう。
「ガラス玉を保管している部屋がある。見るか?」
「はい、ぜひ」
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