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六冊目 愛しい名前
愛しい名前―3
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桜子は、とりあえず依頼者を席につかせて、自分も座った。しかし、紅茶がないことにそわそわしている。
「おぬし、紅茶は淹れられるか?」
「紅茶? 普段パックのしか飲まないけど、出来ると思うよ」
その言葉を聞いて、桜子はぐいぐいと手を引っ張ってキッチンまで連れていった。戸惑ったままの女性は、置いてあるティーポットとカップを見て、そして目線を合わせるため中腰になって、桜子に聞いた。
「紅茶を淹れたらいいの?」
「うむ」
桜子は頷いたが、茶葉が見当たらないことを思い出し、慌てて彼女の服の裾を引っ張った。
「茶葉がどこにあるのか分からないのじゃ」
「ん? 茶葉ってこれ?」
その手には、見たことのある入れ物があった。まさに桜子がさきほどまで必死に探していたものだった。
「む!? ど、どこにあったのじゃ!」
「この棚に置いてあったよ」
指差された場所は、彼女くらいの背の高さなら、普通に視界に入るのだろうが、桜子が台に乗るとちょうど死角になるところだった。
「む……」
「じゃあ、淹れてみるね。あまり上手くないと思うけど、いいかな?」
「頼むのじゃ」
試行錯誤しながら、茶葉で紅茶を二杯淹れることに成功し、改めて席についた。彼女は、ここでやっと自己紹介をすることが出来た。
「私、青木沙希と言います。今は大学院生。物書き屋のことは、ひとみから聞いて、私も依頼をしたいと思って」
「ひとみ? ああ、あのウシのぬいぐるみのやつか」
「そう。ひとみとは高校のときの同級生なの」
沙希は、ふわりと笑った。その笑顔から二人の仲の良さが窺える。ひとみが言ったお菓子作りが得意な友人というのが彼女なのだろう。桜子は紅茶を飲み、少し眉をひそめた。美味しいのは美味しいのだが、何かが違う。同じ茶葉のはずなのに、柳は淹れるものとは違っていた。
「あの、やっぱり美味しくなかった……?」
桜子のわずかな表情の変化を察した沙希が、おずおずと聞いてくる。桜子はさらにもう一口飲んでから、言った。
「そんなことはない。淹れてくれて感謝しておるのじゃ。それで、依頼のことを聞かせてもらおうかのう」
沙希は改めて背筋を伸ばして、店に来た直後と同じ言葉を口にした。
「出張で、書いてくれないかな」
「どういうことじゃ? ウシのあいつから物書き屋の仕組みについては聞いたのじゃろう。物をここに持ってきてくれれば、二週間ほどで執筆をするのじゃ」
柳が、という付け足しは心の中だけでしておいた。沙希は顔を曇らせて、ぽつりと言った。
「それが、出来なくて」
「なぜじゃ?」
「ここに持ってくることが出来ないの。書いてほしい物は――博物館にあるから」
桜子は、目をまるく見開いた。予想外の依頼内容だった。そして少し考えるように顎に手をやる。
「ふむ、なるほど」
「やっぱり、難しいよね。ごめんなさい、変な事言って」
見るからに無理をして笑顔を作る沙希の手を、桜子はぽんぽんと叩いた。安心を与える和やかな笑顔で頷いた。
「まあ、とりあえず、その博物館にわたしを連れて行くのじゃ。話はそれからじゃよ」
「ありがとう、桜子さん」
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