リュッ君と僕と

時波ハルカ

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三日目

廃村

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 すり鉢状に凹んだ湖の底の、やや隆起の盛り上がった先に、ポツリポツリと石灯篭が並んでいる。それを目でたどっていくリュッ君。その道標の立つ場所は、ここから見る限りはやや平坦な道のりの両脇に並んでおり、その向こうに通じるダム湖の対岸にも曲がりくねりながら、ゆるく坂道になって続いていた。

 あの道のりは、ダム湖に沈む前から、村道としてそこにあったのだろうか?

 日がやや傾き始め、斜めに差す日の光が、でこぼこした地面と、湖底に沈んでいた遺構を照りつけ、東の方向に長い影を落とし始めていた。。

「ユウキ!」

 ☆と一緒に喜び踊るユウキが、動きを止めてリュッ君の方向を向く。

「そろそろ行こう。日が傾き始めている」
 リュッ君の言葉にうながされ、太陽を見ると、慌てた様子でリュッ君のほうに戻って来た。“落書き地図”をたたんでリュッ君の中にしまうと、お腹に抱え直す。

「何処から行くの?」
「あそこ、ダムの対岸にある広場が見えるだろう?あそこのロープウェイを目指そう」

 リュッ君があごで対岸の先を示すと、ユウキが目を細めてその先を見つめた。

「下に下りて行くの?」
「そうだ。あのロープウェイから山に登る道筋を探そう。今日は、その先の神社に付いて一旦休憩だ」
「ロープウェイ!」喜び声が大きくなるユウキ。「乗れるの?」
「さあなあ・・・、そう都合よく動いてくれるかな?」
 期待をこめた目を向けるユウキに向かってしぶい声を上げるリュッ君。

「乗れるといいねえ」
 ユウキがロープウェイの方を見つめならが、うれしそうに応える。
「そうだな。とりあえず、あの点々と並んでいる石灯篭が見えるか?」

 ユウキがリュッ君の言葉に反応して、ダム湖の底辺りを見回す。そして、指を差して、「あれのこと?」 とリュッ君に尋ねた。「神社みたいなのも、あそこにあるねえ」とユウキが言うと、リュッ君が頷き「この公園の先にダム湖の水位を測るために下へと続く階段があるから、そこから降りて、一旦あの灯篭が指し示す社を目指そう」と言った。

「分かった」と言って、ユウキは、階段がある方向へと向っていった。


 階段を降りていくと、先ほどまでミニチュアのように小さく見えていた、湖に沈んだ山村の遺構の片鱗がはっきりと見えてきた。

 かつての生活動線だった道路や側溝、地面の段差に現れたかつての田畑、家屋の残骸、ボートや自転車やリアカーなど、変色して打ち捨てられた様々な残骸が、地面や残った水辺などのあちこちからその姿を覗かしている。ほとんどが泥とさびと黒ずんだ汚れに覆われていた。

 降り立ったユウキは、それら残骸と遺構の狭間から、対岸に向うためのルートを探しつつ、歩けそうな場所を選んで進んで行った。
「わあ…。なんか一杯沈んでるねえ」
「そうだなあ、こんなに形が残っているのは珍しいんじゃないか?」
 ものめずらしそうにリュッ君もキョロキョロしている。道すがら、周りには木片が飛び出して密集していたり、その枝葉や岩のくぼみ、家屋の残骸などに、タイヤや鉄板など、様々なごみも、半分土砂に埋まりながら引っかかって留まっている。

「リュッ君。あそこ、まだ水が流れているね」
「ああ、そうだな、干上がったとはいえ、まだ上流からは水が流れてきているようだから、足場には気をつけよう」
「うん、なんか、すっごいすべる」

 ユウキは、硬いところや歩きやすいところを慎重に探しながら、ピョンピョン飛び跳ねて、石灯篭が並ぶあぜ道にたどり着いた。

 その先には、傾き崩れた鳥居が建っていた。表面の色は完全に剥げ落ちて、白く彩度が抜けた乾いた色と、黒く湿って腐敗した染みのような色が表面に無残に混ざっていた。その向こうには小さな社のような木造の建造物が、土砂に埋まってかろうじて建っているだけで、その周りには何も見当たらなかった。

「リュッ君。ここも神社だったのかな?」
「そうかもな…。だが残念ながら、さすがにここまでなにも残っていないと、避難所として機能しそうになさそうだな・・・」

 鳥居の下をくぐって、残骸と化している社の前に佇むユウキ。社は、石造りの土台は残っているものの、上澄み部分は黒くくすんで腐れ落ち、柱と梁もあらわに辛うじて建っているような状態であった。荒涼としたダム湖の底は、まるで別世界のような有様で、ユウキもリュッ君も、口数も少なく呆然となった。セミの声と水が流れる音以外は、何も聞こえない。風も吹かなかった。

 ユウキとリュッ君が歩く湖の底はとても静かだった。

 不意に、バチャン、と音が鳴った。見ると、そこには、ビチビチと体をクネらせ跳ねている小魚の影が見えた。

「そうだ、お魚!」
「ああ!そうだったな!晩飯を確保しないと」

 何か、その場の雰囲気を取り繕うようにリュッ君も応える。

「見える範囲で、2~3匹捕っておこう。食えるやつ限定でな」
「うん」

 担いだクーラーボックスと水筒をおろし、その脇にリュッ君を置いて、身を軽くすると、ユウキは道の脇から魚が跳ねている水溜りに向かって降りて行った。灯篭が続く先から少し脇にそれて、あたりではねている魚がいるところに向かって歩いて行く。

「あまり深そうなところに行くんじゃないぞ!」
「うん!」

 少し落ち窪んだ水溜りで、数匹の魚が飛び跳ねたり泳いだりしていた。足場に気をつけて、水辺あたりに滑って降りていくユウキ。水溜りを進んで行き、泥の中を泳いでいる一匹に近付き、捕まえようと手を伸ばした。

 ぽちゃん!

 目の前で跳ねている魚とはまた別の波紋が広がった。

 手を伸ばしたユウキがその波紋に気付き、顔を上げてその先を見た。すると、泥を含んだ水溜りから黒い揺らぎがさざめき立ち、ゆっくりと泥の塊がぬるりと立ち上がり始めた。

 ドロリとした水溜りが盛り上がる様を不意に目の前にしたユウキは、言葉を失いそのまま固まってしまった。

「ユウキ、戻れ!ユウキ!」

 リュッ君がユウキに向かって叫ぶ。見ると、そこここの水溜りから、泥の柱のような黒い影が、ザワザワと波打ち、ゆっくりと立ち上がり始めている。

 驚き見上げるユウキが、後ろに下がり、リュッ君のいる場所に戻ろうと、きびすを返して坂道を登ろうとしたとき、ブツッ…となにか千切れるような音があたりに響いた。

 それは管理棟のほうから聞こえてきた。スピーカーのハウリングがキーンと鳴ってあたりに響いたかと思うと、しばらくしてから、ダムの放流を知らせる、あのサイレンの音が再び鳴り始めた。

 うううう~~~~・・・・。うううう~~~~・・・・。

 その断続的な、くぐもった不快な音は、落ち窪んだダム湖の跡地を満たすように、緩やかにその音を反響させて広がっていった。

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