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冬~婚約成立
1. セシルからの応援
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冬の足音が聞こえ始めるころ、外遊に出ていた王太子とともに、宰相補佐のシェルヴァンと王太子妃の護衛についていたセシルが戻った。
そして、ジャンがエポワス侯爵家に呼び出された。
以前はお忍びでシェルヴァンが男爵家を訪問したこともあるが、ジョフリーとのうわさで注目を集めている今、こっそりと訪れることは難しい。後ろ盾についている商品の売れ行きについて報告に来るようにということだが、実際はジョフリーとの婚約について呼び出されたのは明白だ。
辺境伯からエポワス侯爵へ話は通すはずだが、呼び出されたからには行くしかない。
目をかけてやったのに裏切ったと言われても仕方のない状況だ。何を言われるのか、侯爵家へと向かったジャンを心配しながら待っていると、屋敷の玄関前に馬車がついたと執事が教えてくれたので、ナタリーとエリサは急いで出迎えに出た。
玄関の扉が開き、冷たい空気とともに室内へと入ってきたジャンの表情は、予想に反して穏やかなものだった。
「旦那様、お帰りなさいませ」
「ハニー。大丈夫だったから、そんな顔しないで」
「お父様、お帰りなさい。シェルヴァン様はなんとおっしゃっていたんですか?」
「まずは、コートを脱がせてほしいな」
ジャンの様子から、大きな問題にはならなかったのだと分かって、使用人たちの張りつめた空気も緩んだ。
外出のための服から室内着に着替えたジャンと温かい紅茶を飲みながら、エポワス侯爵家での話を聞くと、その内容は思いもよらぬものだった。
「シェルヴァン様は、もしこれがエリサちゃんの意に染まぬ婚約なら白紙に戻させる、とおっしゃってくださったよ」
「え?」
「問題ないなら祝福する。エリサちゃんには作ってもらいたい魔法陣があればお願いすると」
今までと何も変わらないということだ。ほっとすると同時に、疑問が湧いてくる。それはナタリーも感じたようだ。
「なぜ、なぜそこまでシェルヴァン様はエリサのことを気にかけてくださるのですか?」
「私も疑問に思って聞いてみたら、これはセシル様のご意向なんだそうだ。ご自身と同じく、男社会である魔法陣技師の世界で頑張ろうとしているエリサちゃんを応援していると」
セシルのいる騎士の世界もまた男社会だ。女性王族の警護のために女性騎士も必要とされてはいるが、やはり主力とは見なされていない。魔法を用いようとも、男女間の体力の差は如何ともしがたい。
まさか一度会っただけのエリサを、セシルがそこまで気にかけてくれているとは思いもしなかった。その出会いの場ではエリサに好意的に接してくれていたが、それはエリサへのファンサービスなのだと思っていた。けれどそのときからセシルは、エリサを応援してくれていたのだ。だからシェルヴァンが後見に名乗り出た。
すべてはセシルのおかげだったのだと分かり、エリサは涙があふれた。
セシルが応援してくれたのは、エリサが魔法陣技師として一歩を踏み出したからだ。そこに至るまでには、女性というだけでなくほぼ平民の男爵令嬢ということで嫌がらせも受けた。
魔法省に提出する魔法陣を使いまわしではない独自のものにしたのは、そうしなければ落とされるからだ。
魔法陣応用の授業でエリサが創作したものは、他の生徒が自分のオリジナルとして魔法省に提出してしまった。それに抗議したエリサに対しては、「どうせ使い道のないものを有効活用しただけだ」と開き直られてしまった。学園の教師もグラールも、騒動を知りながらも事を荒立てないために見ないふりをした。その後で似たようなものをエリサが出しても、おそらく受け付けてもらえない。だから、エリサは誰かの真似をしたと文句のつけようのないものを提出する必要があった。
魔法陣への熱意だけを胸に乗り越えてきたが、セシルに認められたことで、ここまでの努力が報われた気がして、とても嬉しい。きっとセシルにも覚えのあることなのだろう。だから、同胞として応援してくれた。
「エリサちゃんは、自分で自分の未来を創っていくんだね」
「旦那様、旦那様がエリサの才能を大切に育てた、その結果ですわ」
少し寂しそうにつぶやいたジャンを、ナタリーが励ましている。本当にそのとおりだ。通常の令嬢の枠には収まりきらないエリサのやりたいことを、ジャンは決して否定せずに応援してくれた。もっと令嬢らしくと注意するのはナタリーの役割で、エリサ、ナタリーのどちらも妥協できる落としどころを探って誘導したのは、ほかならぬジャンだ。ジャンがエリサの可能性を潰さずに育ててくれた。
ロベールからの婚約破棄を受けて、エリサは平民になりたいと思ったが、両親の、とりわけナタリーの反対にあって叶わなかった。フォール侯爵家からの申し入れは、貴族だからこそ来た話ではあるが、もしエリサが平民になっていたら、そもそも不利な条件で侯爵家のために働くように否応なく契約させられていただろう。そして、救いの手を差し伸べてくれたジョフリーとの婚約も、さすがに平民では無理だっただろう。ほぼ平民とはいえ、貴族だったからこそ繋がった縁だ。
エリサは身分社会というものがいまいち理解できていない。どうしても前世の記憶に引きずられて、「権力は怖いが、貴族といえども同じ人間」だと思ってしまう。けれどエリサが平民になっていたら、フォール侯爵に対抗する術すらなかった。平民出身で、そのことが痛いほど分かっていたからこそ、ナタリーは反対した。ナタリーがエリサの将来を守ってくれたのだ。
エリサの婚約を機に、クレッソン男爵家は高位貴族とのつながりをもって大きく飛躍することになるだろう。それは、家族でつかんだ千載一遇のチャンスだ。
どうかこの機会を逃さずに男爵家の基盤である商会を盤石なものにしてほしい。それがエリサにとっては、自由にさせてもらった家のためにできる唯一の恩返しだ。
その後、辺境伯とエポワス侯爵の間でも話に決着がついたと連絡があった。そこでどのようなやり取りがあったのかは、クレッソン男爵家には知らされなかった。高位貴族同士の駆け引きがあったのだと思われるが、男爵家には知るすべもなく、知ったところで何かができるわけでもない。
だがこれで、エリサとジョフリーの婚約の話は進むことになった。
そして、ジャンがエポワス侯爵家に呼び出された。
以前はお忍びでシェルヴァンが男爵家を訪問したこともあるが、ジョフリーとのうわさで注目を集めている今、こっそりと訪れることは難しい。後ろ盾についている商品の売れ行きについて報告に来るようにということだが、実際はジョフリーとの婚約について呼び出されたのは明白だ。
辺境伯からエポワス侯爵へ話は通すはずだが、呼び出されたからには行くしかない。
目をかけてやったのに裏切ったと言われても仕方のない状況だ。何を言われるのか、侯爵家へと向かったジャンを心配しながら待っていると、屋敷の玄関前に馬車がついたと執事が教えてくれたので、ナタリーとエリサは急いで出迎えに出た。
玄関の扉が開き、冷たい空気とともに室内へと入ってきたジャンの表情は、予想に反して穏やかなものだった。
「旦那様、お帰りなさいませ」
「ハニー。大丈夫だったから、そんな顔しないで」
「お父様、お帰りなさい。シェルヴァン様はなんとおっしゃっていたんですか?」
「まずは、コートを脱がせてほしいな」
ジャンの様子から、大きな問題にはならなかったのだと分かって、使用人たちの張りつめた空気も緩んだ。
外出のための服から室内着に着替えたジャンと温かい紅茶を飲みながら、エポワス侯爵家での話を聞くと、その内容は思いもよらぬものだった。
「シェルヴァン様は、もしこれがエリサちゃんの意に染まぬ婚約なら白紙に戻させる、とおっしゃってくださったよ」
「え?」
「問題ないなら祝福する。エリサちゃんには作ってもらいたい魔法陣があればお願いすると」
今までと何も変わらないということだ。ほっとすると同時に、疑問が湧いてくる。それはナタリーも感じたようだ。
「なぜ、なぜそこまでシェルヴァン様はエリサのことを気にかけてくださるのですか?」
「私も疑問に思って聞いてみたら、これはセシル様のご意向なんだそうだ。ご自身と同じく、男社会である魔法陣技師の世界で頑張ろうとしているエリサちゃんを応援していると」
セシルのいる騎士の世界もまた男社会だ。女性王族の警護のために女性騎士も必要とされてはいるが、やはり主力とは見なされていない。魔法を用いようとも、男女間の体力の差は如何ともしがたい。
まさか一度会っただけのエリサを、セシルがそこまで気にかけてくれているとは思いもしなかった。その出会いの場ではエリサに好意的に接してくれていたが、それはエリサへのファンサービスなのだと思っていた。けれどそのときからセシルは、エリサを応援してくれていたのだ。だからシェルヴァンが後見に名乗り出た。
すべてはセシルのおかげだったのだと分かり、エリサは涙があふれた。
セシルが応援してくれたのは、エリサが魔法陣技師として一歩を踏み出したからだ。そこに至るまでには、女性というだけでなくほぼ平民の男爵令嬢ということで嫌がらせも受けた。
魔法省に提出する魔法陣を使いまわしではない独自のものにしたのは、そうしなければ落とされるからだ。
魔法陣応用の授業でエリサが創作したものは、他の生徒が自分のオリジナルとして魔法省に提出してしまった。それに抗議したエリサに対しては、「どうせ使い道のないものを有効活用しただけだ」と開き直られてしまった。学園の教師もグラールも、騒動を知りながらも事を荒立てないために見ないふりをした。その後で似たようなものをエリサが出しても、おそらく受け付けてもらえない。だから、エリサは誰かの真似をしたと文句のつけようのないものを提出する必要があった。
魔法陣への熱意だけを胸に乗り越えてきたが、セシルに認められたことで、ここまでの努力が報われた気がして、とても嬉しい。きっとセシルにも覚えのあることなのだろう。だから、同胞として応援してくれた。
「エリサちゃんは、自分で自分の未来を創っていくんだね」
「旦那様、旦那様がエリサの才能を大切に育てた、その結果ですわ」
少し寂しそうにつぶやいたジャンを、ナタリーが励ましている。本当にそのとおりだ。通常の令嬢の枠には収まりきらないエリサのやりたいことを、ジャンは決して否定せずに応援してくれた。もっと令嬢らしくと注意するのはナタリーの役割で、エリサ、ナタリーのどちらも妥協できる落としどころを探って誘導したのは、ほかならぬジャンだ。ジャンがエリサの可能性を潰さずに育ててくれた。
ロベールからの婚約破棄を受けて、エリサは平民になりたいと思ったが、両親の、とりわけナタリーの反対にあって叶わなかった。フォール侯爵家からの申し入れは、貴族だからこそ来た話ではあるが、もしエリサが平民になっていたら、そもそも不利な条件で侯爵家のために働くように否応なく契約させられていただろう。そして、救いの手を差し伸べてくれたジョフリーとの婚約も、さすがに平民では無理だっただろう。ほぼ平民とはいえ、貴族だったからこそ繋がった縁だ。
エリサは身分社会というものがいまいち理解できていない。どうしても前世の記憶に引きずられて、「権力は怖いが、貴族といえども同じ人間」だと思ってしまう。けれどエリサが平民になっていたら、フォール侯爵に対抗する術すらなかった。平民出身で、そのことが痛いほど分かっていたからこそ、ナタリーは反対した。ナタリーがエリサの将来を守ってくれたのだ。
エリサの婚約を機に、クレッソン男爵家は高位貴族とのつながりをもって大きく飛躍することになるだろう。それは、家族でつかんだ千載一遇のチャンスだ。
どうかこの機会を逃さずに男爵家の基盤である商会を盤石なものにしてほしい。それがエリサにとっては、自由にさせてもらった家のためにできる唯一の恩返しだ。
その後、辺境伯とエポワス侯爵の間でも話に決着がついたと連絡があった。そこでどのようなやり取りがあったのかは、クレッソン男爵家には知らされなかった。高位貴族同士の駆け引きがあったのだと思われるが、男爵家には知るすべもなく、知ったところで何かができるわけでもない。
だがこれで、エリサとジョフリーの婚約の話は進むことになった。
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