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秋~婚約打診
7. 観劇
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「エリサ嬢、とてもよくお似合いですよ」
「ありがとうございます」
ジョフリーの服とさりげなく合わせられているこのドレスを贈ったのは、ジョフリーだ。おそらくいつもクレッソン男爵家が服を仕立てる店から情報を得ているのだとは思うが、短い期間でエリサの身体にぴったりと合わせて作られたドレスに、少し居心地の悪い気持ちになってしまうのは否めない。辺境伯の権力をもってすれば、エリサが寝る前に読んでいる本まで知っていてもおかしくはない。
ナタリーや使用人に見送られ、ジョフリーの手を取って馬車に乗り込むと、馬車は静かに走り出した。お忍び用に装飾はないが、揺れが少なくかなりいい馬車なのだと分かる。辺境までの移動は馬車になるので、馬車の乗り心地はエリサがひそかに気にしていたことだ。これなら移動も思うほど苦痛ではないだろう。
馬車が走り出してすぐ、エリサは要件を切り出した。薄い板で囲われているだけだが、他の人の耳がない馬車の中は貴重な場だ。
「ジョフリー様、どなたかマナーを教えてくださる方をご紹介いただけませんか?」
「自信がないのかな?」
「学園の成績もご存じなのでは?」
いまさら取り繕っても仕方がない。報連相は重要だ。得意なこと、苦手なことの認識をお互いに合わせて、苦手なことはフォローしてほしい。
恋人であるなら、エリサがよく見せたい対象はジョフリーだが、今回の場合は周りの人たちだ。エリサの評判はジョフリーの評判、ひいては辺境伯の評判へとつながる。辺境伯がこうあってほしいと思う令嬢像にエリサが合わせるのが一番効率がいい。
「早々に辺境へ移住したくなります」
「ふふっ。エリサ嬢は魔物よりも夜会が苦手なようだ」
「魔物からはジョフリー様が守ってくださるでしょう?」
人のうわさというとりとめのないものよりも、魔物のほうが対策がとりやすい。人のうわさなど、何がきっかけでどちらに転がるかも分からないものだ。時として大きなうねりを作り出し世論をも形成してしまううわさには、細心の注意を払っていても足をすくわれることはある。高位貴族は子どものころから仕込まれているのだろうが、エリサの感覚はほぼ庶民だ。ましてや前世の記憶のために、価値観が少しずれている自覚があるので、危ういものにはできる限り近寄りたくない。
マナー講師は手配してくれることになったので、いずれ連絡が来たら特大の猫をかぶる訓練に努めよう。
劇場に着いて馬車から降りると、周りの視線が一斉にこちらに向いたのが分かった。視線の一つは大したことがなくとも、束になれば物理的な圧を感じるほどとなる。一般人として生きていれば感じることのないものだがジョフリーは平然としているので、高位貴族はいつもこんな視線にさらされているのだ。
ひるんだエリサに気づいたジョフリーが、エリサへと手を差し出した。
「エリサ嬢、行きましょう」
「ジョフリー様、ありがとうございます」
差し出された手に乗せたエリサの手をそっとつかみ、さりげなく自分の肘へと添えさせると、劇場内へと歩き始めるその姿は、エリサの考える王子様そのものだ。敵わない、なぜかそんな言葉が浮かんでくる。意に染まぬ婚約をさけるために自分は虎の穴に飛び込んだのだと、まざまざと見せつけられた気がする。
だがここで降りるわけにはいかない。自分の未来は自分の力で切り開くのだ。そう言い聞かせ、俯きがちになっていた視線を上げた。
私は女優。ここはレッドカーペット。中身はともかく、身に着けているものはテレビで見たセレブにも劣らない。人は見た目が九割って誰かが言っていた。一割引いたって、ここにいる誰よりも高価な装備なのだから、自信を持とう。
ドレスのすそを跳ね上げないように気をつけながら歩き、ジョフリーのエスコートで案内された席は、舞台正面の二階席、周りからは壁で仕切られた半個室だった。この劇場で一番いい席らしい。
「予約したのはここじゃななかったはずだけど、支配人が気を利かせてくれたのかな」
「……」
「エリサ嬢、大きな声でなければ両隣には聞こえないよ。力を抜いて。大丈夫?」
「視線があれほどの圧を持つと、初めて知りました」
「そのうち慣れるよ」
どうだろうか。慣れる前にエリサは辺境へ行くことになりそうな気もしている。そもそも、慣れるほど人前に出たくない。
ジョフリーは平然としているが、四方八方から飛んでくる視線は、殺傷力はなくとも思った以上に凶器だ。
「堂々としていたよ」
「宝石の評価額では誰にも負けない、と自分を奮い立たせました」
「それは、夜会にはもっと負けない宝石を贈らないといけないね」
「ほどほどでお願いします」
何かしら心のよりどころにしたくて、周りよりも自分が勝っているものとして浮かんだのが宝石だっただけだ。あまりにも高額になると、傷をつけないか心配になるので、ほどほどにしてほしい。ましてや夜会など、多種多様の高価な宝石が集まるのだ。そんなところで最高額など怖くてつけていられない。盗難もだが、人の嫉妬の感情もだ。
「エリサ嬢の好みの宝石は何?」
「傷がつきにくいという理由で、サファイアです」
サファイアの親戚のルビーは、なぜか禍々しい気がしてあまり好みではないが、それ以外の宝石は色が違うだけで全て同じに見えてしまう。だから、もし贈ってもらえるのであれば、傷のつきにくいものにしてほしい。硬度はダイヤモンドのほうが上だが、ダイヤモンドは衝撃に弱いので、総合点でサファイアを選んだ。それに、前世で合成ダイヤモンドのカッターを使った経験もあるので、なんとなくダイヤモンドに有難味を感じられない。
ジョフリーが理由に笑っているが、正直なところエリサには本物と偽物の区別もつかないので、その宝石をつけているところを見る人たちの視点で決めてもらいたい。
その後始まった劇はそれなりに楽しめた。今一つ感情移入できなかった理由は、劇の題材が身分違いの恋を扱っていたからだ。まるで今のエリサとジョフリーのようで、それを当人が観劇したとなると、この劇は流行るだろうなと冷静に分析してしまった。ジョフリーがこの劇を選んだのは、一番人気だったからというだけの理由だが、きっと明日には劇の宣伝文句に二人の名前が入るだろう。
商品の宣伝にミシェルを使ったエリサが、今度は劇の宣伝に使われる。これも因果応報というのかしら、と劇を見ながらエリサは考えていた。
「ありがとうございます」
ジョフリーの服とさりげなく合わせられているこのドレスを贈ったのは、ジョフリーだ。おそらくいつもクレッソン男爵家が服を仕立てる店から情報を得ているのだとは思うが、短い期間でエリサの身体にぴったりと合わせて作られたドレスに、少し居心地の悪い気持ちになってしまうのは否めない。辺境伯の権力をもってすれば、エリサが寝る前に読んでいる本まで知っていてもおかしくはない。
ナタリーや使用人に見送られ、ジョフリーの手を取って馬車に乗り込むと、馬車は静かに走り出した。お忍び用に装飾はないが、揺れが少なくかなりいい馬車なのだと分かる。辺境までの移動は馬車になるので、馬車の乗り心地はエリサがひそかに気にしていたことだ。これなら移動も思うほど苦痛ではないだろう。
馬車が走り出してすぐ、エリサは要件を切り出した。薄い板で囲われているだけだが、他の人の耳がない馬車の中は貴重な場だ。
「ジョフリー様、どなたかマナーを教えてくださる方をご紹介いただけませんか?」
「自信がないのかな?」
「学園の成績もご存じなのでは?」
いまさら取り繕っても仕方がない。報連相は重要だ。得意なこと、苦手なことの認識をお互いに合わせて、苦手なことはフォローしてほしい。
恋人であるなら、エリサがよく見せたい対象はジョフリーだが、今回の場合は周りの人たちだ。エリサの評判はジョフリーの評判、ひいては辺境伯の評判へとつながる。辺境伯がこうあってほしいと思う令嬢像にエリサが合わせるのが一番効率がいい。
「早々に辺境へ移住したくなります」
「ふふっ。エリサ嬢は魔物よりも夜会が苦手なようだ」
「魔物からはジョフリー様が守ってくださるでしょう?」
人のうわさというとりとめのないものよりも、魔物のほうが対策がとりやすい。人のうわさなど、何がきっかけでどちらに転がるかも分からないものだ。時として大きなうねりを作り出し世論をも形成してしまううわさには、細心の注意を払っていても足をすくわれることはある。高位貴族は子どものころから仕込まれているのだろうが、エリサの感覚はほぼ庶民だ。ましてや前世の記憶のために、価値観が少しずれている自覚があるので、危ういものにはできる限り近寄りたくない。
マナー講師は手配してくれることになったので、いずれ連絡が来たら特大の猫をかぶる訓練に努めよう。
劇場に着いて馬車から降りると、周りの視線が一斉にこちらに向いたのが分かった。視線の一つは大したことがなくとも、束になれば物理的な圧を感じるほどとなる。一般人として生きていれば感じることのないものだがジョフリーは平然としているので、高位貴族はいつもこんな視線にさらされているのだ。
ひるんだエリサに気づいたジョフリーが、エリサへと手を差し出した。
「エリサ嬢、行きましょう」
「ジョフリー様、ありがとうございます」
差し出された手に乗せたエリサの手をそっとつかみ、さりげなく自分の肘へと添えさせると、劇場内へと歩き始めるその姿は、エリサの考える王子様そのものだ。敵わない、なぜかそんな言葉が浮かんでくる。意に染まぬ婚約をさけるために自分は虎の穴に飛び込んだのだと、まざまざと見せつけられた気がする。
だがここで降りるわけにはいかない。自分の未来は自分の力で切り開くのだ。そう言い聞かせ、俯きがちになっていた視線を上げた。
私は女優。ここはレッドカーペット。中身はともかく、身に着けているものはテレビで見たセレブにも劣らない。人は見た目が九割って誰かが言っていた。一割引いたって、ここにいる誰よりも高価な装備なのだから、自信を持とう。
ドレスのすそを跳ね上げないように気をつけながら歩き、ジョフリーのエスコートで案内された席は、舞台正面の二階席、周りからは壁で仕切られた半個室だった。この劇場で一番いい席らしい。
「予約したのはここじゃななかったはずだけど、支配人が気を利かせてくれたのかな」
「……」
「エリサ嬢、大きな声でなければ両隣には聞こえないよ。力を抜いて。大丈夫?」
「視線があれほどの圧を持つと、初めて知りました」
「そのうち慣れるよ」
どうだろうか。慣れる前にエリサは辺境へ行くことになりそうな気もしている。そもそも、慣れるほど人前に出たくない。
ジョフリーは平然としているが、四方八方から飛んでくる視線は、殺傷力はなくとも思った以上に凶器だ。
「堂々としていたよ」
「宝石の評価額では誰にも負けない、と自分を奮い立たせました」
「それは、夜会にはもっと負けない宝石を贈らないといけないね」
「ほどほどでお願いします」
何かしら心のよりどころにしたくて、周りよりも自分が勝っているものとして浮かんだのが宝石だっただけだ。あまりにも高額になると、傷をつけないか心配になるので、ほどほどにしてほしい。ましてや夜会など、多種多様の高価な宝石が集まるのだ。そんなところで最高額など怖くてつけていられない。盗難もだが、人の嫉妬の感情もだ。
「エリサ嬢の好みの宝石は何?」
「傷がつきにくいという理由で、サファイアです」
サファイアの親戚のルビーは、なぜか禍々しい気がしてあまり好みではないが、それ以外の宝石は色が違うだけで全て同じに見えてしまう。だから、もし贈ってもらえるのであれば、傷のつきにくいものにしてほしい。硬度はダイヤモンドのほうが上だが、ダイヤモンドは衝撃に弱いので、総合点でサファイアを選んだ。それに、前世で合成ダイヤモンドのカッターを使った経験もあるので、なんとなくダイヤモンドに有難味を感じられない。
ジョフリーが理由に笑っているが、正直なところエリサには本物と偽物の区別もつかないので、その宝石をつけているところを見る人たちの視点で決めてもらいたい。
その後始まった劇はそれなりに楽しめた。今一つ感情移入できなかった理由は、劇の題材が身分違いの恋を扱っていたからだ。まるで今のエリサとジョフリーのようで、それを当人が観劇したとなると、この劇は流行るだろうなと冷静に分析してしまった。ジョフリーがこの劇を選んだのは、一番人気だったからというだけの理由だが、きっと明日には劇の宣伝文句に二人の名前が入るだろう。
商品の宣伝にミシェルを使ったエリサが、今度は劇の宣伝に使われる。これも因果応報というのかしら、と劇を見ながらエリサは考えていた。
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