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十八歳 秋~辺境訪問
10. 焦り
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後は燃え尽きるのを待つだけなので、これ以上見るものもない。見学させてもらったお礼を言って去ろうとすると、傭兵に止められた。
「見学料は出ないのか?」
「後で城まで来い」
図々しいような気もするが、もらえたら儲けものくらいの申し出なのだろう。でなければ、見学前に言っているはずだ。領兵とトラブルになれば、傭兵のほうが立場は弱い。
「なあ、その女、魔女だよな。だったら魔法陣を見せてくれ」
「貴様!」
「待て。エリサ、どうする?」
見学料として、うわさの魔女の実力を見たいらしい。ジョフリーに小さな声で確認されたが、エリサには何も困ることはない。
「私は構いませんが」
「何か簡単なものにしてほしい」
「分かりました」
あの中二病全開の魔法陣展開は見ごたえがあると思うのだが、気軽に披露してはいけないようだ。
となると、候補は二つ。
「照明弾と水、どちらがいい?」
「水」
エリサの魔法属性は水と風なので、属性の魔石や魔力インクがなければ、その二つと、後は照明弾のように属性を持たない魔法陣しか書けない。風はお試し程度では効果が見えづらいので、見世物には向かない。
傭兵が即答したので、空中に指を滑らせ水の魔法陣を書く。その魔法陣が完成すると、シャワーのように水が出始めた。
「少しの間、水が出続けるから、手を洗うといいわ」
これはエリサが「水やり魔法陣」とひそかに呼んでいるものだ。鉢植えに水をやるのに便利だ。
本当に魔法陣を書くと思っていなかったのか、驚いている傭兵を置いて、ジョフリーは馬を歩かせた。あれこれ言われないうちに立ち去るようだ。
「エリサ、もう少し見るか?」
「十分です。ありがとうございます」
他の種類の魔物も見たいが、あんまり長居はしないほうがいいだろう。
魔物は、想像していたファンタジーに出てくるものと大きく変わらなかったので、だったら後は想像で補えばいい。正直なところ、もっとおどろおどろしいものを想像していたので、拍子抜けだった。もともとグロテスクなものはあまり好きではないので、もう十分だ。
エリサが帰ると言ったことに、ジョフリーだけでなく周りにいる護衛たちも安心しているので、さっさと帰ろう。
お城に戻ると、マリーとピエールが待ち構えていた。魔物襲撃があったばかりなので、かなり心配されたようだ。
ジョフリーはハロルドに顔を見せに行くというので、お礼を言うためにもついていこうとしたが、エリサはマリーに言われてお風呂に入ることになった。もしかして、魔物の匂いがついているのだろうか、と服を匂ってみてもよく分からない。
だが、マリーの目が真剣なので、断れない。
「ジョフリー様、ハロルド様に護衛をたくさんつけていただいてありがとうございました、とお伝えください」
「エリサはゆっくりお風呂を楽しんで」
ジョフリーもマリーの勢いに押されている。いったいなんなのか、と思いながら、用意されたお風呂に入ると、湯船につかったところでマリーに質問された。
「エリサ様、無理をしていませんか?」
「どうしたの?」
「あんなことがあったばかりなのに、森に行くなど、無謀すぎます」
「心配かけてごめんね」
ただ心配というだけではない、わずかに怒りも感じる。
エリサが戸惑っていることに気づいているにもかかわらず、説明もせずに強引に入浴させるなど、いつものマリーらしくない。
「そうではありません。エリサ様はまだモルビエ伯爵家の令嬢なのです。この領のために尽くす必要などないのです」
「そうだけど……」
「好きなだけ魔法陣を書き、のんびりお風呂に入る。それが本来、エリサ様のやりたいことではありませんか?」
マリーに言われて、我に返った。何を焦っていたのだろう。
エリサはずっと、ジョフリーとのこの不均衡な関係が、怖かった。
エリサは魔法陣技師としての腕一本で、辺境伯家に自分を売り込んだ。だから、魔法陣技師として結果を出さなければ、見捨てられるかもしれない。太刀打ちできない権力を持っている相手に見捨てられたとき、何が起きるのかエリサには分からない。
ジョフリーの優しさや、最近感じる甘やかさを信じて身を任せようにも、前世の記憶が邪魔をする。立場が平等でないのに、そもそも恋愛が成立すると思えない。
ここは人権が保障されている世界ではないのだ。恋や愛なんて不確かなものにすがるなど、恐ろしすぎる。
だから、魔法陣技師として、結果を出したかった。辺境に不可欠な人間だという評価が欲しかった。
結婚式が延期になったことで、焦ってしまっていたらしい。そしてあの魔物の襲撃が拍車をかけた。
あのときもしジョフリーが帰らなかったら、エリサの立場はどうなっていたのか、考えたくもなかった。
王都から持ってきた入浴剤の溶けたお湯をすくって、香りをかぐ。エリサのお気に入りのシトラスの香りに、ざわついていた心が静まっていく。
「もしかして私、出しゃばりすぎたかしら?」
「いいえ。それ以前に、辺境伯家がエリサ様に押し付けすぎです」
「ふふっ。そうかもね」
若奥様と言われその役目をまっとうしたが、その必要はなかった。魔法陣技師としてだけ応じればよかったのだ。
エリサは、日常生活を少し便利にする魔法陣が作りたかったはずだ。攻撃用魔法陣の開発には手を付けないと決めたはずだ。それなのに、自らの戒めを破ろうとしていた。
今の自分では、判断を誤ってしまうかもしれない。
エリサのわがままで、ジョフリーを危険にさらしてしまった。お風呂を出たら、きちんと謝ろう。
そして、王都に帰ろう。帰って、気持ちを落ち着かせて、もう一度考え直そう。
「マリー、ありがとう。これからも、よろしくね」
「もちろんです」
マリーがいてくれてよかった。
「見学料は出ないのか?」
「後で城まで来い」
図々しいような気もするが、もらえたら儲けものくらいの申し出なのだろう。でなければ、見学前に言っているはずだ。領兵とトラブルになれば、傭兵のほうが立場は弱い。
「なあ、その女、魔女だよな。だったら魔法陣を見せてくれ」
「貴様!」
「待て。エリサ、どうする?」
見学料として、うわさの魔女の実力を見たいらしい。ジョフリーに小さな声で確認されたが、エリサには何も困ることはない。
「私は構いませんが」
「何か簡単なものにしてほしい」
「分かりました」
あの中二病全開の魔法陣展開は見ごたえがあると思うのだが、気軽に披露してはいけないようだ。
となると、候補は二つ。
「照明弾と水、どちらがいい?」
「水」
エリサの魔法属性は水と風なので、属性の魔石や魔力インクがなければ、その二つと、後は照明弾のように属性を持たない魔法陣しか書けない。風はお試し程度では効果が見えづらいので、見世物には向かない。
傭兵が即答したので、空中に指を滑らせ水の魔法陣を書く。その魔法陣が完成すると、シャワーのように水が出始めた。
「少しの間、水が出続けるから、手を洗うといいわ」
これはエリサが「水やり魔法陣」とひそかに呼んでいるものだ。鉢植えに水をやるのに便利だ。
本当に魔法陣を書くと思っていなかったのか、驚いている傭兵を置いて、ジョフリーは馬を歩かせた。あれこれ言われないうちに立ち去るようだ。
「エリサ、もう少し見るか?」
「十分です。ありがとうございます」
他の種類の魔物も見たいが、あんまり長居はしないほうがいいだろう。
魔物は、想像していたファンタジーに出てくるものと大きく変わらなかったので、だったら後は想像で補えばいい。正直なところ、もっとおどろおどろしいものを想像していたので、拍子抜けだった。もともとグロテスクなものはあまり好きではないので、もう十分だ。
エリサが帰ると言ったことに、ジョフリーだけでなく周りにいる護衛たちも安心しているので、さっさと帰ろう。
お城に戻ると、マリーとピエールが待ち構えていた。魔物襲撃があったばかりなので、かなり心配されたようだ。
ジョフリーはハロルドに顔を見せに行くというので、お礼を言うためにもついていこうとしたが、エリサはマリーに言われてお風呂に入ることになった。もしかして、魔物の匂いがついているのだろうか、と服を匂ってみてもよく分からない。
だが、マリーの目が真剣なので、断れない。
「ジョフリー様、ハロルド様に護衛をたくさんつけていただいてありがとうございました、とお伝えください」
「エリサはゆっくりお風呂を楽しんで」
ジョフリーもマリーの勢いに押されている。いったいなんなのか、と思いながら、用意されたお風呂に入ると、湯船につかったところでマリーに質問された。
「エリサ様、無理をしていませんか?」
「どうしたの?」
「あんなことがあったばかりなのに、森に行くなど、無謀すぎます」
「心配かけてごめんね」
ただ心配というだけではない、わずかに怒りも感じる。
エリサが戸惑っていることに気づいているにもかかわらず、説明もせずに強引に入浴させるなど、いつものマリーらしくない。
「そうではありません。エリサ様はまだモルビエ伯爵家の令嬢なのです。この領のために尽くす必要などないのです」
「そうだけど……」
「好きなだけ魔法陣を書き、のんびりお風呂に入る。それが本来、エリサ様のやりたいことではありませんか?」
マリーに言われて、我に返った。何を焦っていたのだろう。
エリサはずっと、ジョフリーとのこの不均衡な関係が、怖かった。
エリサは魔法陣技師としての腕一本で、辺境伯家に自分を売り込んだ。だから、魔法陣技師として結果を出さなければ、見捨てられるかもしれない。太刀打ちできない権力を持っている相手に見捨てられたとき、何が起きるのかエリサには分からない。
ジョフリーの優しさや、最近感じる甘やかさを信じて身を任せようにも、前世の記憶が邪魔をする。立場が平等でないのに、そもそも恋愛が成立すると思えない。
ここは人権が保障されている世界ではないのだ。恋や愛なんて不確かなものにすがるなど、恐ろしすぎる。
だから、魔法陣技師として、結果を出したかった。辺境に不可欠な人間だという評価が欲しかった。
結婚式が延期になったことで、焦ってしまっていたらしい。そしてあの魔物の襲撃が拍車をかけた。
あのときもしジョフリーが帰らなかったら、エリサの立場はどうなっていたのか、考えたくもなかった。
王都から持ってきた入浴剤の溶けたお湯をすくって、香りをかぐ。エリサのお気に入りのシトラスの香りに、ざわついていた心が静まっていく。
「もしかして私、出しゃばりすぎたかしら?」
「いいえ。それ以前に、辺境伯家がエリサ様に押し付けすぎです」
「ふふっ。そうかもね」
若奥様と言われその役目をまっとうしたが、その必要はなかった。魔法陣技師としてだけ応じればよかったのだ。
エリサは、日常生活を少し便利にする魔法陣が作りたかったはずだ。攻撃用魔法陣の開発には手を付けないと決めたはずだ。それなのに、自らの戒めを破ろうとしていた。
今の自分では、判断を誤ってしまうかもしれない。
エリサのわがままで、ジョフリーを危険にさらしてしまった。お風呂を出たら、きちんと謝ろう。
そして、王都に帰ろう。帰って、気持ちを落ち着かせて、もう一度考え直そう。
「マリー、ありがとう。これからも、よろしくね」
「もちろんです」
マリーがいてくれてよかった。
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