皇帝の寵愛

たろう

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 その日の午後は憂鬱な気持ちで過ごした。
 窓の外は曇天でちらちらと雪が降っているのが目に見えた。宮殿内は壁の中や床下に通っている風管に温かい空気を通じて各部屋を暖める構造になっており、いつでも室内は快適とは言い難いけれど、屋外に比べたらずっと暖かに保たれていた。僕は足元で緩やかに燃える火鉢の火を何とはなしに眺めていた。十分に暖かいはずなのに、うすら寒さが足元からじわじわと上ってくる気がする。
 そんな僕を気づかわし気に世話してくれる桂雨に気付くと、あいまいな笑みを向けながら、何でもない風に装ってお茶を飲んだ。
 あの後、いつもと変わらずに戻ってきた雲嵐は、何事もなかったように授業を受けていた。侠舜も特に何も言わなかった。
 時折雲嵐から視線を感じたような気がして彼を見ても、特にこれといったことはなくて、気のせいだった。僕から話しかける勇気はもう残っていなかった。
 雲嵐を見るときに感じていた羞恥心は遠くへ行ってしまって、代わりにどこか心の奥、表情には見えない部分で僕のことを蔑んでいるのではないかという不安で満たされた。
 翌日も別室での授業があり、雲嵐が僕を先導してくれる。けれど、僕は話しかけなかったし、先を行く雲嵐も僕を振り返ることはなかった。
 
 その夜のことだった。部屋での夕食が済み湯あみも終えて、夜の勉強に備えて部屋で寛いでいた。侠舜は本日はこれで下がること、何か用がある場合は雲嵐に頼むようにと言って退室していった。
 沈黙が部屋に落ちた。
 そろそろ勉強をしようと僕は卓に載せられている教科書に手を伸ばした。すぐさま雲嵐がお茶を運んでくる。僕はありがとうと声を掛け、竹簡を並べ始めた。
 いつもはすぐに卓から離れていく雲嵐が、今日に限って長くそばについていることに気付いて僕は顔を上げた。雲嵐が何か言いたげにこちらを見つめている。
 なんだろう。
「何か気になることでもあるの?」
「あ、いえ、不躾に見つめてしまい申し訳ありませんでした。お勉強をされる前に私から一言よろしいでしょうか。」
 これは珍しいことだった。僕は鼓動がわずかに速まるのを感じた。
「いいよ、気にしていないから。それよりも、今は侠舜もいなくて僕たち二人だけだから、もう少し気楽に話してもいいよ。誰も怒らない。」
「……いいえ。それはできません。」
 僕はがっかりする気持ちを抑えられなかった。
「先日の一件です。あの時は本当にありがとうございました。いつもあそこを通るときは、人の姿がございませんので、すっかり気が緩んでおりました。あのような失態は二度とないと誓います。重ねてお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。」
 雲嵐が二文を超えて話すなんて。
「そんな堅苦しく考えなくてもいいよ。気が抜けていたのは僕も同じなんだから。」
「そんなわけにはまいりません。侠舜さまよりあなたの元で働く際、きつく注意されておりました。」
 何のことだろう。
「あなたに害意が向けられないように立ち回るはずが、私自身が問題を起こしてしまったのは本当に未熟でした。」
「あの時は話しかけた僕も悪かったし……。」
「いいえ。あの時とっさのことなのに、私をかばってくださったことは理解しているつもりです。それに対して仕えている私はなにもできませんでした。この御恩はいつか必ずお返しいたします。」
 雲嵐が決意を込めた瞳で僕を見る。
 しばらく見つめあう。 
「……それじゃあ今返してもらおうかな。」
 雲嵐がきょとんとした顔をした。初めて見る無防備な子供らしい表情だった。
「と言いますと……?」
「僕と友達になってよ。」
 良いことを思いついたと思った。
「ですが。」
「そのために主上も侠舜も君を僕の下につけたんだよ。僕と二人のときは、気楽に話をして欲しい。僕はここでは二人がいないと一人ぼっちみたいなものだから。」
 雲嵐が逡巡する。長い沈黙のように感じられた。
「承りました。」

 雲嵐と話をしてみると、彼は思っていたよりずっと子供っぽかった。体は大人だったのに……。
 彼は、僕の想像する彼の人となりとはいささか隔たりがある。
 どうも、勉強は好きではあるがものすごく好きというわけではなくて、ここで働けば孤児院に援助をしてくれるということと、おいしいごはんがたくさん食べられるという雇用条件に惹かれて来たと言っていた。
 彼の居た孤児院の側には小さな私塾があり、そこの先生が孤児たちの中で勉強をするつもりのある子供たちを招いて指導してくれていたそうだ。そこで雲嵐は一番頭が良かったそうだ。自分より年下の子供たちの世話をしながら勉強を見てもらっているときに、侠舜がやってきて、数日塾で学ぶ子供たちを見てから彼に声を掛けてきたと言う。
 侠舜が彼に話したことには、宮殿にいる同じ年頃の男の子の下で働かないかということだった。勉強もさせるし、言葉遣いや礼儀作法なども身につかられる。官をもし目指したいのならそのための環境も提供しようと言われたそうだ。
 驚いたことに二つ返事で了承したわけではなかったらしい。ものすごく勉強が好きというわけでもなかったし、侠舜の言うことがどこまで信用できるのかも怪しいと思ったとか。賢い。孤児の自分が頑張って官になれるのかも定かではない。
 孤児院の子供たちをおいて出ていくのも気が引けたそうだ。
 そう言うと、侠舜は孤児院の最低限の援助と雲嵐の好待遇を約束したのだとか。それを聞いて彼は宮殿に着の身着のままできてくれたそうだ。孤児院には戻れないことは了承済みだとか。



 あの時、僕が手紙を書く手元をじっとみていたのも、僕が大量の勉強道具を貸し出したときに嬉しそうに見えたのも、実は僕の手元のお菓子につられていただけだったということが判明した。
 池の鯉に気をとられていたのも、食べたらおいしいだろうかと考えていたからなのだとか。通りで馬の話題にくいついてきたわけだと僕は思い至った。
 僕との会話が続かなかったのも、丁寧な言葉遣いというものに慣れておらず、またまどろっこしい言葉のやり取りに意義を見いだせなかったため、言葉遣いの勉強が疎かになっていたかららしい。会話を続けると粗相をしてしまいそうで長い返事をするのを避けていたのだと告白された。

 それから数日かけて僕らは打ち解けていった。
 夜は一緒に勉強をするようになった。僕のお菓子につられたわけではないと信じている。
 一緒に勉強して、彼が本当に賢いのだとわかった。雲嵐曰く、昔から物覚えはよかったのだそうだ。一度で覚えるのは無理だが、何度か繰り返せばだいたいのことは覚えてしまうらしい。
 それほど勉強が好きなわけではないと口では言っていたが、僕よりも色んなことに興味を示して、それなりに楽しそうにどの授業も受けているのを見ると、勉強に対する意識が根本的に違うのだと思った。
 さらに、僕と比べて自由にできる時間が短くても、空いた時間を使って復讐はしていたそうだ。ただ、僕のように自習している姿をみかけたことがないのに勉強ができるのはちょっとうらやましくもあった。

 それからさらに数日して、久しぶりに主上がやってきた。
「蔡宇浩にあったそうだな。」
「ご存知だったのですか。」
「侠舜から聞いている。何も無かったようで良かった。」
「はい。運が良かったと思います。」
「あの者を退けるとは大したものだ。あれはなかなか面倒な男だからな。宮の中でも発言権が大きい上に、人よりも自分の利を優先しようとするところがある。お前に何もなくてよかった。」
 そう言って主上は僕を抱きしめる。
「侠舜さまから以前気を付けるように言われていたのを思い出したんです。ですが、とっさのことで、主上の名を出してしまいました。申し訳ございません。未熟な私では、主上の威光無しではどうにもできませんでした。」
「構わない。お前はそれが許される立場なのだから。身を守るためなら私を利用してくれ。」
 そう言って僕の目をじっと見る。
「ありがとうございます。ただ、今後はあんなことは無いようにしたいです。もうあれほど緊張するのはこりごりです。生きた心地がしませんでした。」
 そうかと言って主上はひとしきり笑った。
「困ったことがあったら、私の名前を必ず出すのだ。」

 翌朝僕が目を覚ますと主上はもう目覚めていて、僕の顔をじっとみていた。僕が恥ずかしくて抗議をすると主上は笑いながら僕を持ち上げた。
 冷えた部屋の中で僕たちの肌が露わになる。寒い!
 僕自身、成人男性の平均に近い身長があるとは言え、主上はそれと比べてもかなり上背がある。僕の両脇に手を差し込んで持ち上げる余裕があるのだ。
 寒いからせめて何か着させて欲しいと僕が懇願していると、扉がたたかれた。侠舜だと思った。
 主上は表情を消してすぐに返事をすると扉が開かれた。あろうことか雲嵐が入ってきた。僕の朝の準備を侠舜から任されたのだ。
 僕は絶望的な気持ちになった。
 主上はそんな僕を気にも留めずに、雲嵐に向き直った。
 雲嵐は目を見開いて即座に失礼しましたと言いながら視線を落とし跪いた。
 主上は良いと言ったが、僕は良くない。忘れかけていた羞恥心がよみがえってきた。
 主上は僕を下ろすと床に落ちていた夜着を僕の肩にかけてくれた。
「雲嵐と言ったか。賢英に湯浴みを。食事は食堂でともに摂ると侠舜に伝えておけ。」
「誤解を与えるようなことを言わないでください。湯あみが必要になるようなことしてませんよね?今まで朝の湯あみを指示したことないのに、なんで今日に限ってそんなこと言うんですか!」
 僕は顔に血が上るのを感じながら必死に言い募った。雲嵐に変な誤解を与えたくない。僕は潔白だ。
 畏まりましたと言って、雲嵐が顔を上げると視線を逸らしながら僕の側にきて夜着を直してくれた。
 雲嵐は耳まで真っ赤になっていた。
「お前の裸は子供には刺激が強すぎたか。」
 と言いながら主上が床に落ちていた自分の夜着を持って部屋を出ていく。
 いや、それ僕のせいじゃないから。
 主上が歩く度に腹に打ちつけられている主上の元気なそれのせいだろうと言いたかった。
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