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私はヒロインになれない(1)
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エルバートとの初めてのデートから一ヶ月が経った。
毎日エルバートと同じベッドで寝起きし、一緒に食事をして、本を読んだり、軽い散歩をしたりまるで老夫婦のような、なに不自由ない穏やかな暮らしを過ごしている。
お気に入りのグリーンのドレスに身を包むソフィーの襟元には菫色のブローチが輝く。
最初こそ、なくしたり壊すのが怖いからとしまっていたのだけれど、エルバートが「どうしたの?」と何度も聞いてくるので毎日身につけるようにしている。
ブローチの針を通す度、菫色のガラスに胸がきゅっと高鳴ってしまうから怖いとは言えない。
ソフィーは慣れた手つきでドライカモミールを小瓶からガラス製のティーポットに移し、熱湯を注いだ。
あの日以来、ソフィーは何度かカモミール畑に足を運んでいた。単に気分転換というのもあるが、こうして花を積み、乾燥させていつでもエルバートとお茶ができるようにするためでもある。
しばらくするとじんわりとカモミールが広がり、あの日の花畑のような甘く爽やかな香りが漂ってくる。
飲み頃になったカモミールティーをテーブルへ置き、ソフィーはここ数日、難しい顔で資料を読み耽っている皇帝の横にそっと腰を降ろした。
「少し休憩されてはいかがですか?」
「ん、ごめんね、せっかくソフィーと一緒にいるのに……あ、これこの前言ってた手作りの?」
ぱっと明るくなる表情にほっとする。
「はい。それから……調理長と一緒にケーキも焼いてみたんです」
ソフィーは皿に盛り付けられたケーキを差し出した。
鮮やかなオレンジ色のケーキに白いチーズクリームを添えたものだ。ソフィーの手作り三昧に目を輝かせ、大喜びで早速頬張った。
「うまい! さすがソフィー、愛を感じるよ」
「それキャロットケーキなんです。お野菜食べられましたね」
エルバートの反応にソフィーは肩を揺らした。野菜嫌いのエルバートのために料理長と相談し作ったものだ。
「なっ……子供扱い禁止。それに毎日サラダあーんしてくれるから」
「詰め込んでいるだけです。次からご自分で食べてくださいね」
「野菜食べる男のほうがソフィーの好み?」
「そうですね」
「絶対次から食べる。でもたまにはまた食べさせてほしいなぁ……あ、今夜は忙しくて一緒に食事できそうにないんだ」
ソフィーは「はい」と頷いた。
昨日までは夕飯の時間になると正餐室に滑り込むようにして現れていた。かなり無理をしていたのだろう。
エルバートはこのところ忙しいようで日中はほどんど別々に過ごしている。
最初こそ気楽だと喜んだものの、必ず一緒に過ごす夕食もぼんやりとしていて、夜遅くにベッドに入っては軽いキスをしてすぐに寝てしまう様子に今では心配になる気持ちが大きい。
エルバートになにかあるようなことがあれば、契約の『ベテン王国を護る結界の綻びの修復』をしてもらえなくなる可能性があるかもしれない。
とはいえ……目の下に薄らと浮かぶクマからは疲労が見て取れる。ソフィーが心配する素振りを見せれば蜂蜜のような声と甘い視線で元気そうに振る舞うのが分かっているから、自分ができる範囲のことで少しでも癒やされてくれれば嬉しい。
エルバートがカモミールティーを飲み、ほっと息をつく姿を見ると安心する。
直接的に尋ねた訳では無いが、地上の人間の記憶絡みなのだと言葉の端々から察した。
今までのほほんと地上で暮らしていた頃は魔法使い様のご加護だ、程度にしか考えたことがなかったけれど、ベテン王国が一度も侵略されず、自然までも味方につけている様は異質なのだ。
だから、その真相を探り悪巧みをする人間も少なくない。平和に慣れた全国民を神秘として護り続ける、それが地上に手を下した帝国の責任なのだと。
そしてその最高責任者が皇帝であるエルバートだ。
その重大さは計り知れない。
「カモミールにはリラックス効果があるんです。安眠にもいいようですから、眠る前に飲んでもいいと思います」
「……心配してくれるんだ? 優しいね」
契約中ですから、と言う前に唇同士が触れ合う。
それは少し前のように啄むことも、甘く痺れるようなキスに変化することもない。
それを寂しいと思ってしまいそうになってソフィーは脳内で自分を叱責する。変なことばかり考えて、おかしい。
「今日もカモミール畑か市場に行くの?」
「そのつもりです」
毎日エルバートと同じベッドで寝起きし、一緒に食事をして、本を読んだり、軽い散歩をしたりまるで老夫婦のような、なに不自由ない穏やかな暮らしを過ごしている。
お気に入りのグリーンのドレスに身を包むソフィーの襟元には菫色のブローチが輝く。
最初こそ、なくしたり壊すのが怖いからとしまっていたのだけれど、エルバートが「どうしたの?」と何度も聞いてくるので毎日身につけるようにしている。
ブローチの針を通す度、菫色のガラスに胸がきゅっと高鳴ってしまうから怖いとは言えない。
ソフィーは慣れた手つきでドライカモミールを小瓶からガラス製のティーポットに移し、熱湯を注いだ。
あの日以来、ソフィーは何度かカモミール畑に足を運んでいた。単に気分転換というのもあるが、こうして花を積み、乾燥させていつでもエルバートとお茶ができるようにするためでもある。
しばらくするとじんわりとカモミールが広がり、あの日の花畑のような甘く爽やかな香りが漂ってくる。
飲み頃になったカモミールティーをテーブルへ置き、ソフィーはここ数日、難しい顔で資料を読み耽っている皇帝の横にそっと腰を降ろした。
「少し休憩されてはいかがですか?」
「ん、ごめんね、せっかくソフィーと一緒にいるのに……あ、これこの前言ってた手作りの?」
ぱっと明るくなる表情にほっとする。
「はい。それから……調理長と一緒にケーキも焼いてみたんです」
ソフィーは皿に盛り付けられたケーキを差し出した。
鮮やかなオレンジ色のケーキに白いチーズクリームを添えたものだ。ソフィーの手作り三昧に目を輝かせ、大喜びで早速頬張った。
「うまい! さすがソフィー、愛を感じるよ」
「それキャロットケーキなんです。お野菜食べられましたね」
エルバートの反応にソフィーは肩を揺らした。野菜嫌いのエルバートのために料理長と相談し作ったものだ。
「なっ……子供扱い禁止。それに毎日サラダあーんしてくれるから」
「詰め込んでいるだけです。次からご自分で食べてくださいね」
「野菜食べる男のほうがソフィーの好み?」
「そうですね」
「絶対次から食べる。でもたまにはまた食べさせてほしいなぁ……あ、今夜は忙しくて一緒に食事できそうにないんだ」
ソフィーは「はい」と頷いた。
昨日までは夕飯の時間になると正餐室に滑り込むようにして現れていた。かなり無理をしていたのだろう。
エルバートはこのところ忙しいようで日中はほどんど別々に過ごしている。
最初こそ気楽だと喜んだものの、必ず一緒に過ごす夕食もぼんやりとしていて、夜遅くにベッドに入っては軽いキスをしてすぐに寝てしまう様子に今では心配になる気持ちが大きい。
エルバートになにかあるようなことがあれば、契約の『ベテン王国を護る結界の綻びの修復』をしてもらえなくなる可能性があるかもしれない。
とはいえ……目の下に薄らと浮かぶクマからは疲労が見て取れる。ソフィーが心配する素振りを見せれば蜂蜜のような声と甘い視線で元気そうに振る舞うのが分かっているから、自分ができる範囲のことで少しでも癒やされてくれれば嬉しい。
エルバートがカモミールティーを飲み、ほっと息をつく姿を見ると安心する。
直接的に尋ねた訳では無いが、地上の人間の記憶絡みなのだと言葉の端々から察した。
今までのほほんと地上で暮らしていた頃は魔法使い様のご加護だ、程度にしか考えたことがなかったけれど、ベテン王国が一度も侵略されず、自然までも味方につけている様は異質なのだ。
だから、その真相を探り悪巧みをする人間も少なくない。平和に慣れた全国民を神秘として護り続ける、それが地上に手を下した帝国の責任なのだと。
そしてその最高責任者が皇帝であるエルバートだ。
その重大さは計り知れない。
「カモミールにはリラックス効果があるんです。安眠にもいいようですから、眠る前に飲んでもいいと思います」
「……心配してくれるんだ? 優しいね」
契約中ですから、と言う前に唇同士が触れ合う。
それは少し前のように啄むことも、甘く痺れるようなキスに変化することもない。
それを寂しいと思ってしまいそうになってソフィーは脳内で自分を叱責する。変なことばかり考えて、おかしい。
「今日もカモミール畑か市場に行くの?」
「そのつもりです」
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