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第3章 志の原点

第37話 解剖実習 ②

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「まず、安楽殺について。私たちは解剖を通して体の構造を学びますが、彼らも命ある生き物です。皆さんも生物で習ったでしょうが、動物実験と同様にできるだけ苦痛なく処置するというのが非常に重要です。そのために用いるのがこのキシラジン。中枢神経系のα2受容体を介して作用する鎮静剤ですね。犬猫と違い、牛や羊には非常によく効きます。この辺りも薬理学で習うので、覚えておいて損はないですよ」

 受容体については聞き覚えがあるが、教授が口にする受容体は初耳である。
 これまた奥が深そうな学問だと察しがつき、学生一同震え上がる。

 そうこうしているうちに教授はキシラジンの薬液をシリンジに取り終えていた。
 そこへ上級生が肺炎の牛を連れてくる。

「これを静脈注射した後、ペントバルビタールという麻酔薬を過剰投与することで心停止させるのが安楽殺の流れになります。では、准教授に次の薬液を用意してもらっているうちに投与しましょう」

 教授はそう言って肺炎牛の首元を蝕知すると、左手の親指で首筋の窪みを圧迫した。
 そこには頚静脈が走っている。

 これは駆血といい、採血や静脈注射の際におこなう手技だ。
 そもそも、へにゃへにゃな紙とピンと張った紙では切りやすさや刺しやすさに大きな差があるだろう。注射する際の駆血はそれと同じである。

 頚動脈から脳に向かった血が心臓へと帰る経路である頚静脈。
 それを親指で圧迫することで頚静脈に血が渋滞して膨れ上がるため、刺しやすくするのだ。
 その証拠に、牛の首には人間の指ほどもある頚静脈が目に見えて浮き上がった。

 教授はそこにキシラジンの注射器を刺し、そのまま投与する――かと思いきや、逆にピストンを引く。
 それによって頚静脈から吸い上げられた血が薬液に混ざった。

 はてと疑問に思う間もなく、教授は解説してくれる。

「これは血管にちゃんと針が入っているかの確認です。静脈注射を適切に行えなければ効果がなかなか出なかったり、体組織を酷く傷めたりする薬もあるのでそれぞれの投与法は重要になります。さて、それでは確かめたので投与します」

 言葉通りに薬液は注入されていった。
 ざわついていたクラスメイトもそれで一気に静まり返り、動向を見守る。
 命を取り扱う場面なのだ。厳かになどと言われなくとも、全員が息を飲んだ。

 日原もその所作をじっと見つめる。
 教授が注射器を抜いてすぐに変化が現れた。
 肺炎牛はかくりと脚の力を失い、その場に座り込む。そのままうつらうつらとすると、数十秒も経たないうちに全身の力が弛緩していた。

「キシラジンには鎮痛、催眠、筋弛緩作用があるのでこのように寝てきます。そして最後に麻酔薬の投与です」

 投与法は同じだ。
 頚静脈を駆血し、針が静脈に入っていることを確認して注入する。

 教授はそれを終えると次の牛のための薬液を准教授から受け取った。
 入れ替わって准教授が聴診器で肺炎牛の心音を確かめ、加藤教授の方は新たに連れて来られた鎖肛牛のもとに歩いていく。
 そちらですることも変わらない。キシラジンとペントバルビタールの投与だ。

 ほどなく投与が終わり、二頭は解剖室の床に横臥した。
 准教授が鎖肛牛の心停止を聴診器で確かめると、教授に頷きかけて知らせる。

 鎮静をかけ、麻酔薬で心停止をさせる。
 確かに眠るように息を引き取る安楽殺だ。

 安楽殺というものに出会っている生徒は如何ほどだろう?
 少なくとも日原には経験がない。
 動物病院でも意識の回復が見込めないてんかんの動物など、末期の患者にしか施されないのだから、このように命を終える様を見たのは初めての者が多いはずだ。

 何分間も続いた沈黙の末に、教授は口を開く。

「二頭の牛は今、息を引き取りました。その命への感謝も込め、黙祷をしましょう」

 教授の言葉を境に吐息すら潜められ、静まり返った。

 そして一分もすると、「では次に移りたいと思います」と教授と合図を送ってくる。目を開けた時、視界に留まるのは教授が手にしている例の刃物である。
 同時に上級生はさっと動いた。手洗い場に向かうとそこからホースを伸ばし、解剖室中央に走る排水溝にちょろちょろと水を流し始める。

 その意味は何となく察せられた。

「これから解剖刀で首を切って放血します。その後、頭を落とすので、一班は頭、二班は前肢、三班は後肢の剝皮をした後に筋肉の同定を進めていくこと。残る班は二頭目で同じように分かれてください」

 首を落とすという言葉が生々しく聞こえた。
 やはりそんなことまでするのかと目を見開いた日原は心臓の鼓動を早める。

 先に息を引き取った肺炎牛のもとに近づいた教授は首に手をかけ、解剖刀で喉を横一文字に裂いた。
 人と違って数ミリはある白い表皮が裂け、肉が見えると共に血が溢れてくる。

 先程駆血していた頚部の血管から漏れてきたのだろう。
 心臓はすでに止まっているために流血の速度はそれほど早くない。コーヒーにクリームを垂らすような速度で静脈血が排水溝に流れていく。

 排水溝に水が流されていたのは血が凝固して詰まるのを防ぐためだろう。

「……っ」

 それは今までに見たことがない光景だった。
 頚静脈に鎮静剤や麻酔薬を投与する瞬間も初めて目にするものではあったが、これは全く別物の光景である。
 注視するのではない。引力でもあるように、そこから目を離せなくなっていた。

 先程からたらたらと流血が続くが、いわゆる血の臭いなんてものはない。湿った空気を感じるだけだ。
 そんな最中、教授は授業としての解説を交えながら次の工程の説明をおこなう。

「授業で話したように、頚椎は互いによく噛み合っている上に腱も多いので刃物一本ではなかなか切り離せません。一番目と二番目に当たる環椎と軸椎の間なんて特に難しいですね。けれど後頭顆と環椎の間は襟巻のように覆う膜があるだけなのでこのように簡単に切断できます」

 教授はその言葉の実践として首をさらに断つ。
 蛇腹のホースのような気管が見え、あっという間に骨と骨の間が分かたれた。すると、肺炎を患っていたために溜まった泡状の痰が気管から漏れ流れていく。
 刃物に断たれた刺激で小さな痙攣を繰り返す首の筋肉といい、そこにあるのは想像以上のリアリティだった。

 こうして命までもらうからには十分以上に学び取らなければならない。
 そう、数が限られる大切な授業だ。
 コウの死に際して抱いた決意もある。無駄になんかしていられない。

 けれどもそこにある情報量は教科書に並んだカラー写真や羅列する文字とは桁違いの情報量だ。受け止めようと思うほど、何かが溢れてしまう。
 目の当たりにした日原は頭の先から、さぁーっと自分が抜け落ちていくような感覚を覚えた。

 だって、そうだろう。
 鎮静剤と麻酔薬による安楽死によって死亡が確認されているが、傷つき、血が流れることの方が死のイメージに近い。頭の判断としては、今まさに死んでいくように思えてしまう。

 肺炎牛が終われば次は鎖肛牛の番である。
 処置は全く同じことだ。あっという間に終わり、切断された首が床に置かれた。

 その光景に眩暈がする――どころではない。注目していたはずの視界がぼやけ、膝の力が抜ける。
 ああ、これは立ち眩みとよく似た感覚だ。

「では一班と四班の誰か取りに来て。替え刃式の解剖刀とメスも渡していくので、怪我をしないように。剝皮の作法は私たちや研究室の学生が教えます」

 教授が周囲に指示をした時、日原の体はふらりと揺らいだ。

「日原君っ!?」

 普段なら踏ん張り模しただろうが、膝に力が入らない。
 渡瀬の声を聞いた気がした直後、日原は倒れ込んだ際に頭を打った痛みと共に意識を失うのだった。
 
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