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プロローグⅢ 竜がフラグをへし折った

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 長い金の髪をはためかせる彼女の背後には、真っ白な守護霊とも言うべき巨大な人型が付き添っている。その清廉な姿を例えるとしたら聖女と言う他はない。
 彼女は剣の切っ先を竜に向け、ハルアジスの横に立った。

 人が人を守り、怪物と対する。ごく当たり前の流れだ。
 しかし、今の自分に肉体があったなら拳を握り締め、歯噛みしていたに違いない。
 なんでそうなるのかと、恨みにも似た感情が湧き上がる。

 だってそうだろう。物語の華になってもおかしくない彼女は、事もあろうに悪逆非道の魔法使いを守って立つのだ。
 その傍には悲劇が転がっているというのに、気付いてくれもしない。

 気付いてくれたのは、人と敵対する竜の方だった。
 同族だからと持っていた仲間意識は、こんな境遇に見舞われてガラガラと崩れていく。
 肉体があったなら、唇を噛んで立ち尽くしていたことだろう。

 互いの威圧がぶつかり合い、緊張感が高まるばかり。喧噪が絶えない街からは、冒険者が集まりつつある。
 それを見て取ったらしい。先に口を開いたのは、竜だった。

『ヒトよ。我が望みを叶えよとはもう言わぬ。とはいえ、それを許さずとも自らは顧みよ。天使があつらえた機構を、より効率良く細工したまではいい。だが、それが引き起こしつつあるものから目を逸らすでない』

 竜が語りかけるのはハルアジスではない。彼に言っても無駄なのは表情と、魔法障壁を張った様子からも明らかだ。
 意識が向けられているのは少女に対してである。

「すみません。私はその内情を聞きかじっただけです。これからこの目で見定めようとしていたところでした」

 少女は応答した。

 彼らは一体何を言っているのだろうか。こんな言葉だけでは全容が掴めない。
 わかることと言えば、少なくともこの竜がゲームに出てくるモンスターのように理由なく人々に襲い掛かる怪物とは一線を画すことくらいだ。

『なんと。そのようなヒトもまだいるか』

 意外そうに零した竜は、しばし彼女を見つめる。その言葉に嘘がないか見定めようとしているのだろう。
 そして、満足したらしい。竜は彼女から視線を外すと踵を返そうとした。

「……っ!」

 それに際してハルアジスは杖を握り締め、何らかの行動に転じようとしていた。
 恐らくは背中に攻撃をかまそうとしたのだろう。

 けれどもそれには少女も竜も気付いていた。
 少女が先んじて刃をハルアジスの喉元に突きつけたことでその動きは止まる。竜はそれを一瞥した。

「動かないでください。私やあなたではあの存在に勝てないと思います。極力戦闘を避けた上で会話を試みてくれているのですから、それに合わせましょう」
「邪魔をしおって、貴様ッ! 大方、この騒ぎに乗じてワシを貶めに来た四家の手先であろう。剣か。魔術か。治癒か。それとも錬金か!?」

 恐らくは五大祖とやらを指すのだろう。
 ハルアジスは小娘がと侮って憎さを滾らせているようだ。

 とはいえ、喉元に剣を突き付けられていてはそれ以上の反論はできない。言葉を詰まらせた彼は再び動き出す竜をただ見送るのみだ。
 この事件はこのまま終息に向かうらしい。

 ああ、残念だ。どうせなら自分を含めて全部壊して終わらせてくれれば良かったものを。
 竜がそのまま飛び立てば、自分はこのままハルアジスの作品として弄られ続けるだけだっただろう。

 ――だが、そうはならない。
 竜は飛び立たなかった。

「なっ、待て貴様! 何に近づいておるのだッ!?」

 竜は勘付いたハルアジスの声なんて意にも介さず、杖――自分に近づいてくる。
 やはり途中で声を向けられたのは間違いではなかったらしい。

 竜は少女を見定めたのと同じく、じっとこちらを見つめてくる。
 ごくりと息を呑むような緊張が生まれた。

 そして、ただの気紛れでは終わらせないらしい。竜は杖を咥え上げ、ハルアジスに目を向ける。

『ヒトは境界域から多くを奪っているではないか。我もそれに準じようというのだよ。何より、貴様の我欲は過ぎていると見える故な。仕置きとでも思うが良かろう』
「ふざけるな! それはワシの――」
『そうさな、五大祖に名を連ねる貴様ならば継承したその力で挑むが良い。第五層まで来た日には、相手をしてくれよう。願わくは、旅の中で自分たちの行いを顧みんことを』

 それ以上の言葉を交わす意味はないと見たのだろう。
 竜は断じるように翼を打ち下ろして会話を終わらせた。

 巻き起こる風によって空気が荒れ、塵が猛烈に吹きつける。人としては反論なんて言い出せる状況ではないだろう。
 飛び立った瞬間、また冒険者の攻撃が殺到してくるものの、竜は高く飛んでそれらを躱した。

 これはまさか、竜が助けてくれたということなのだろうか。
 生憎と声なんて出せないので竜に問いかけるのは不可能なのがもどかしい。

『――案ずるな。汝の声に助けられた縁がある。悪いようにはせぬよ』

 感情を読んだかのような言葉が返される。
 やはりこれは偶然ではないらしい。あの地獄がこれで終わるのかと思うと、夢のようだ。

 助けてくれたのが人ではないなんてことはどうでもいい。今までの境遇からすれば、これからどんな展開が待っていようとボーナスステージである。
 冒険者を相手にしている竜の邪魔をしないためにも、今は何も問わない。

 何より、ようやく開けた世界に目を奪われていた。
 なんてことだ。今まで気付かなかったものが広がっている。

 まず、青空と思った空は、“空”ではない。
 あまりにも距離があって霞んで見えるが、ずっと先に地形と海が見えた。これはまるで球の内側に世界があるかのようである。

 竜が高く高く飛翔すると、神代樹の瑞々しい枝葉が目の前に見えた。
 そこに住み着いている猿などの動物はこちらを観戦して興奮の声を上げていた。

 また追い縋ろうとする空飛ぶ騎獣を華麗に躱し、竜は垂直降下する。
 そのスピードに翻弄されているのだろう。攻撃は矢避けの加護でもあるかの如く、全てが逸れていた。

 落下予測地点から神代樹の虚までには武装した人間が詰めかけている。
 だが、竜は全く臆さない。その中心に向けて降下し続けた。

 着地することも、U字飛行で宙に戻ることもあり得るだろう。
 それは当然読めただろうが、踏み潰される危険まであるのだ。最後までチキンレースに付き合う度胸を持った人間はいなかった。
 その高度が見る間に下がるうちに、落下地点で待機していた人間は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 こんな光景を特等席で見られるなんて愉快だ。自分が竜になったかのようである。
 地面すれすれで機首を上げた竜は、速度を維持したまま家屋すれすれを飛んだ。路地に掛けられた洗濯物や材木が突風に煽られて空に舞い上がり、人間が逃げ去っていく。

 それを目にしながら真っ直ぐに向かうはダンジョンの入り口である神代樹の虚である。
 冒険者たちの多くはそこに集合し、魔法の障壁を張って陣を張っていた。

 けれども無意味である。竜は再び魔法陣を展開させると、雷を放った。
 それは地面と水平に迸り、障壁に突き刺さる。
 次の瞬間、受け止めたエネルギーが衝撃波となって周囲に拡散した。

 複数人で張った障壁で竜を受け止め、接近戦に持ち込もうとでも考えていたのだろうか。けれどもそれは誤算に終わり、生じた衝撃波で総員が吹っ飛んでいる。
 竜はそれらを突っ切り、自らがやって来たダンジョンに帰還するのだった。
 
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