竜と獣医は急がない

蒼空チョコ@モノカキ獣医

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エピローグ 少年と竜

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 結局のところ、ハルアジスの前でカドと共に正座をすることとなったリリエは白状する。

「その、ね……今回の件でカド君は少なからず人の輪の中に入って活躍をしていたでしょう? ここで身を引けば、居場所を作りやすいはずだってことであいつは一芝居打とうとしたのよ」
「はあ、なるほど」
「うう……」

 意識の共有も元はといえば、エワズの能力。道理で途中から連絡が取れなくなったわけだ。
 リリエは指をいじいじしながら苦し紛れに弁明を続ける。

「でも、いつまでも身を隠すつもりはなかったのよ? ほら、境界域に冒険者が挑む以上、いずれは確実に目撃情報が集まるし、管理局と折角和解できそうだったんだもの。一年や二年、カド君が人の輪に溶け込んだら戻ってくるつもりだと言っていたわ」
「過保護ですね」

 今に知ったことではないが、ここまで来るとしつこいとさえ言いたくなる。

(……いや、お互い様ですか)

 事あるごとに人の元へ戻れるようにと配慮をされた一方、それらを全て断って恩義を返すことに執着した自分もいる。
 あまつさえ、そのために手段も選ばずハルアジスと行動を共にしようとしていることもエワズの意向とは反することだろう。

 多くを望み、生き急いでしまったリーシャ。その面影をいくらか受け継いだ自分まで無理をするのは彼の望むところではない。
 それを察していてなお、自分は寄り添えていなかった。この点は反省すべきだろう。

 カドはぱしりと自分の頬を叩き、リリエに目を向ける。

「リリエさん、今回の件は全然僕の望むところではありませんでした。後で知っていたら、恨みもしていたと思います」
「うっ……」

 天使としてこの身を案じてくれたことはわかる。彼女はこの事態に加担することに罪悪感を抱いていたのか、この言葉は苦しくも受け止めているようだった。
 だが、相手に嫌われてもかけられる善意というのはなかなかない。普通の感覚で言えば、これは独善の押し付けなんかではないはずだ。

 なるほど。今ならなんとなくわかってくる。
 元の世界から引き込まれ、根付いたこの世界ではあるが自分は出会いに恵まれていたらしい。そんな一つ一つの出会いを大事にせず、生き急ぐことこそもったいないだろう。
 そんな思いを抱き、カドは頭を下げた。

「でも、ありがとうございます。改めて考え直す契機にはなったと思います」

 ちらとハルアジスにも目を向ける。
 お世辞にも礼を言うような筋合いではないが、きっかけではある。彼がいなくては出会えない縁もあったのは確かだ。そのことだけは忘れず、気に留めておく。
 カドは立ち上がり、目の前の肉塊に歩み寄った。

「よし。そうとわかれば追いかけてきます。派手に飛んでいたらすれ違いかねませんし、まだどこかで潜伏しているでしょうからね」

 肉塊を手に取り、適当な布で包むと魔術を用いる。それはイーリアスを倒す際にも使用した、血流操作だ。
 血はあるべきところに還る。それをこの血肉に使えば、本来の持ち主を指し示すコンパスに早変わりだ。布はとある方向に傾いた。

 第二層と三層の境界は上空の島にあると聞いていたが、そちらではない。さらなる辺境地帯を指し示している。
 万が一にもすれ違わないようにするにはそういう土地に潜伏するのがセオリーだろう。

 それほど遠くもない。走ればすぐに追いつける。もうひと踏ん張りだと、カドはこの身に残る魔力を体内の使い魔に食わせた。

「あの、カド君。今更だけど、この際だし追うなら抱えて飛ぶわよ?」

 様子を窺っていたリリエがおずおずと申し出てきた。
 カドは首を横に振って返す。

 ここは、誰かの力を頼りたくない。自分で決め、自分で追い求めることに意味が生じる気がするのだ。

「いいえ、大丈夫です。自分の足で行かせてください。ただ、辿り着けなかった時は拾ってくれると助かります。あと、ハルアジスさんの身柄も預かってくれると嬉しいです」
「その程度は罪滅ぼしに引き受けるわ」

 ぐっぐと屈伸をしながら答える。
 理屈ではないこの主張にリリエはくすりと笑って受け入れてくれた。
 じりじりと距離を取ろうとするハルアジスを彼女が捕まえたところを認めた後、カドは一気に走り始めた。

 岩を飛び越え、小川を飛び越え、草木を掻き分けて走る。なんてことのない障害物だ。
 〈剥片〉や魔物にも遭遇したが、軽くあしらって突き進む。

 今回のことで自分とエワズの関係というものがよく見えた。
 互いに相手のためを考えていても独善的ですれ違った。行動を共にしていたが、相棒や仲間と呼べる間柄ではなかったのだろう。

「忘れ形見以上の何物でもないとか、そんな扱いは不服なんですよね!」

 確かに自分はエワズの願いを支えてやりたいと思っている。だが、夢の担ぎ手その二というモブになりたいわけではない。
 リーシャの〈遺物〉を得て解放してやることも目指しているとはいえ、エワズにとって彼女と並ぶ存在にもなれないのはなんだか不満なのだ。

 この世界に引き込まれ、苦しみ続けていた時に救ってくれた恩人。そんな相手にとって、特別になりたい。
 ――嫉妬を抱いて自覚する。自分も随分、人らしい感情を持つようになったではないか。この世界で本当に“生きて”いくのならばこんな感情に従って自分らしくあることこそ必要だろう。

 そして、魔力を気取れる範囲までたどり着いた。
 場所は眼前の崖下。大蝦蟇戦で消耗した体力の回復に努めているのだろう。こちらが気取ったようにあちらも気づいたようだ。動きがある。

 逃がしてなるものか。

「エーワーズー! 受け止めてくださいっ!」

 たんっと地を蹴ると崖もお構いなしに飛び出し、四肢を広げる。
 とてもではないが着地体制とは思えないその姿にエワズはぎょっとしたことだろう。逃げ出そうとしていた動きが止まった。

 肉体は丈夫なものの、この高さから地面に激突すれば無事では済まない。
 エワズは正気を疑ったのか、逃げることと受け止めることを迷っている。そして、悩んだ末にこちらを向いてくれたことには胸がすく思いだ。

『何をしておるか、馬鹿者!』

 叱責が飛んだかと思えば空気が唸る音が聞こえた。
 こちらに飛んで近づいてきたエワズはこちらを掴まえようと大口を開けている。

 ははん、そうはいかない。
 単に咥えられれば適当に放り出されるのがオチだ。十分に近づいたのを見計らったカドは下半身に噛みつかれつつも上半身でエワズの上顎を抱え込む。

「はっはっはぁ! 離しませんからね!?」
『ぐぬっ!?』

 振り落とすことを視野に入れているのか、エワズは低空飛行をして顔をぶんぶん振り回してくる。
 カドはそれに全力で抗い、しがみつき続けた。
 こうすることが率直な意思表示である。わりと負荷がきつくて油断すれば吹っ飛ばされそうになるが自分の気持ちを素直に表せるこの状況は何とも楽しく思えてきた。

「エワズ、そんなことをして本当にいいと思っているんですか!」
『汝こそどうなのだ!? 我に傾倒し続けで何とする!? 助けはしたが、身を捧げるかの如き恩返しは迷惑だ!』
「ええ、そうでしょうとも! でもそっちもどうなんですか? こんな方法で僕から遠ざかったら、折角得られそうな管理局からのお墨付きからも遠ざかりますよ!」
『それはじきに取り戻せよう! だが、汝の立場は――』
「そんなに急がなくたって両立できるじゃないですか!」

 そう叫ぶとエワズの首振りは急に止まる。
 互いの善意の押し付け合いではない。“両立”という一言に、彼も気づかされるものがあったのだろう。翼をはためかせたエワズは着地し、その場に下ろしてきた。

 カドは改めてエワズと向き合う。

「エワズ。僕たちはちょっと、お互いに善意の押し付け合いで歩みが早くなっていますよね?」
『それは……そうであるな』

 互いに相手にとっての最善を押し付け、自分は多少の損を引き受けようとする。
 カドはハルアジスという厄ネタを引き込み、エワズと深層に挑もうとした。
 エワズは管理局や冒険者と手を組む道から数年遠ざかり、一人でまた生きようとした。
 そして互いに善意に甘んじることを良しとしなかったがため、悪い面だけを互いが引き受ける結果になるなんて愚かしいにも程がある。

 こうして向き合うことでその事実をようやく理解し合えた。
 互いの意見の主張ではない。カドとエワズは初めて対等に言葉を交わす。

「生き急いで死んだら元も子もありません。例えば僕ら二人がここで管理局に事後報告をし、協力を得た上で徐々に深層の攻略を進めていくのが最善手ですよね?」

 そうすればエワズが求める通り、カドは人の中に居場所を作る。そして、エワズ自身も無理をすることなく目標に向けて進んでいけることだろう。
 そんな当たり前のような歩み寄りを、自分たちはしてこなかった。
 単に共にいただけで、手を取り合い、背を任せる相棒の関係ではなかった。何とも不器用な男同士の張り合いである。

 提案してみると、エワズも『……うむ』と静かに頷く。

「エワズ。僕はあなたの相棒には心許ないですか?」

 かつてのリーシャに及ぶとは思わない。だが、目指す者のために共に歩める資格があるのかどうかは確かめたかった。
 真剣に問う。
 エワズはしばしの沈黙の後、口を開いた。

『否だ。しかと成長すれば、心強かろうな。我はそれをゆるりと待てなかった』
「僕も早く成長をしなければと無理をしたと思います」
『そうさな。それが危うさの元ではあった』

 思ったところを打ち明け合った。

 まったく、どうしてこうなっているのだろう。
 ボーイミーツガールという様式美から外れて出会った少年と竜は、いろいろとお話通りに生きることができない。
 互いに反省と呆れを込めて息を吐く。

「改めて、約束しましょう。僕らは生き急ぎません。ゆっくり着実に進んで、目標を果たしましょう。僕は、エワズに恩を返したいんです」
『我はリーシャを故郷に弔うことを望む。それを我だけの宿命と思い続けていたが、違うたか』
「はい。でも、目指す先は同じです。だから、無理に追うことも、置き去りにすることもなしにしましょう。一緒に歩む、相棒にしてください」
『ふむ――』

 手を差し伸べると、エワズは遠い目でこちらを見つめた。
 この容姿のその先にかつて相棒だったリーシャを見ているのだろう。

『……相棒、か。リーシャに近しき汝を失うことも、あの娘と同格に扱うべき者が現れることも、我は拒んでいたのやも知れぬな』

 大切な人間だったからこそ、その思い出が傷つくことも、それに勝るとも劣らない何かが現れることも嫌だったのだろうか。
 輝かしい思い出だったのなら、それはカドにも頷ける思いだ。

 自分はその影。単なる残り香でしかなかったかもしれない。
 ああ、その扱いでは嫌なのだ。自分は自分。リーシャの鏡ではなく、カドという一個人なのだから。そんな自我を、これからは強く持って生きなければ駄目だ。
 それと同じく、エワズも捉え直すべきものが見えたのだろう。彼は頷いた。

『そうさな。もしリーシャの〈遺物〉を手にするならば、それはかの英雄を越える者だ。どこぞの誰より、カド。汝であった方が嬉しく思う』
「――はい、精進します。任せてください」

 伸ばした手に、エワズは鼻先で触れた。
 単なる根無し草と後見のやり取りではない。同じ目的のために共に歩めると見定めた相棒との誓いの儀式だ。

 触れた鱗から、熱い熱を感じる。
 かつての英雄はこの熱を傍らに感じながら戦ってきたのだろう。
 これからは同じ場所に立つことになる。彼女から多くを継いだ自分ではあるが、その影に収まるつもりはない。
 トリシアが期待する境界域の深淵も覗き、かつての英雄以上に人生を謳歌してやろうではないか。きっと、その末にはこの世界で確固として生きる自分が出来上がっていることだろう。

 エワズと共に歩む一歩が、その始まり――そう思っていたところ、彼の向こうに一つの影が見えた。
 イーリアスとの死闘の際に見えた、かつての英雄の亡霊だ。
 彼女はにっと笑みを作ると消えてしまった。様子見に出てきたが、心配もなさそうなので帰ったかのようである。

『……? なんぞあったか?』
「いえ、なんでもありません」

 エワズは視線を追ってきたが、気づいた様子はない。あれは自分の心理が作り出した幻影みたいなものだろう。

「じゃあ事後処理のために戻りましょうか。それもそれで割と重労働になると思うので」
『また何をしでかしたのだ、汝は……』

 渋い顔をするエワズによってしばらくぶりの意識共有がなされる。
 エルタンハスの防衛からハルアジスの復活まで、話せば長くなる事態も説明いらずだ。
 その直後、カドがこってりと叱られたのは言うまでもないことである。
 

竜と獣医は急がない 完
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