女神様は黙ってて

高橋

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二章 グナー

第十七話 女神様は黙ってて

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 朝のまどろみの中、誰かに揺り起こされて薄目を開ける。
 肩を優しく揺するのは誰かはっきりわからないが、いつも通りなら才人だろう。

「あと……五時間」

 昨晩は遅くまでTVゲームをやっていたから、まだ眠い。

「五分でも、ご飯食べる時間がないって」

 才人の声より高い気がする。が、そんなことより、とにかく眠い。

「ねえ、起きてよ」

 「才人にしては遠慮がちな起こし方だな」と思いながらも、二度寝への誘惑が疑問を吹き飛ばす。

「起きようよ。ね?」

 これが才人なら、そろそろ愛知の制服などの準備でゴソゴソやり始め、その物音で愛知の目が覚めるはずだが。

「おーい。おーきーてー」

 強引に起こすわけではないが、しつこいので少しばかり鬱陶しい。
 寝惚けながらも、肩を揺する手を掴む。

「ふぇ?」

 間抜けな声が聞こえる。やはり、才人ではないのかもしれない。とはいえ、今は二度寝の方が重要だ。
 掴んだ手を引き寄せ、強引に関節を極める。腕挫十字固のつもりだったが、引き寄せたまま足を絡めたので、どうやら相手はうつ伏せになっている。これでは、裏十字固めの方が正確だろう。

「ふぎっ!」

 やはり声が高い。そして、足から伝わる相手の腕の感触は、細マッチョの才人にしては柔らかい。あと、長い髪が足に絡まる。

「ん? 髪が長い?」

 才人の髪は長くない。
 よく考えたら、柔術道場で一緒に通っていたけど、寝技で才人に勝ったことはなかった。その才人が、こんなにも簡単に腕を取られるだろうか。
 このまま見ないで寝た振りを続けた方が良いような気がする。とはいえ、このままというわけにもいかない。恐る恐る目を開ける。

「えっと……サイちゃん? なんか……嬉しそうだけど、気のせいだよね?」

 ベッドに埋もれた横顔は赤く上気して、口元はだらしなく緩んでいる。

「あ、あーちゃん。その、そろそろ」
「ん? 嬉しそうだけど、やめていいの?」
「ふぇ? う、嬉しくなんか」
「じゃ、やめる?」
「ん。その、それは……」
「なるほど。もっと強く極めてほしい、と」

 絞める力を強める。

「んぎっ!」

 声は苦しそうなのに、表情はどこか嬉しそうだ。

「あー、サイちゃん? 涎、垂らさないで」
「それなら、彩歌を放してあげればいいんだよ」

 声の方を見ると、部屋の入り口で、関節技をかけられて「ぐへへ」と気持ち悪い笑い声を出しながら涎を垂らす妹を、残念な子に向ける父親の目で見るエプロン姿の才人だった。

「俺は妹の行く末が心配だよ」

 そう言いながらクローゼットから着替えを出してくれる後姿は、愛人を連れ込んだのにため息一つで許す、神妻のようだった。

「お前が美少女だったら、女神として崇拝するんだけどな」
『その信仰心は私に向けなさい』
「そんな、じゅる、ことより、放し、て」
「サイちゃん。シーツに涎、垂らさないでよ」
「制服出しといたよ。あと、朝食は和食だから、味噌汁冷める前に下りてきて」
「ほんと、お前が美少女だったらな」
「美少女なら、そこにいるじゃん」

 二人の視線が。顔の左半分がベッドに押し付けられ、股をモジモジさせながらハァハァ言ってる美少女に向けられる。

「美少女だからいい、ってわけじゃないんだよな」
「じゃあ、彩歌とも付き合えないのか?」
「んー。お前と違って、一度振られた相手に、もっかい告白する度胸はないなー」

 腕をキリキリ絞められ「んふぁ」っと色っぽい声を洩らしてる彩歌を見ると、それどころではなさそうだ。

(ふむ。そろそろ放した方がいいのかな?)

 そう思い力を緩めると。

「え?」

 彩歌に残念そうな顔をされた。

「あの、あーちゃん」
「サイちゃん。着替えるから出てって」

 上体を起こして、寝巻き代わりのTシャツを脱ぐ。それなりに引き締まった体を、仰向けになった彩歌がポーっと見上げる。

「あのね。もう一回、いいかな?」

 潤んだ瞳で頬を染めながら左手を差し出す姿は、どんな無茶なお願いでも叶えたくなる魅力がある。

(けど、これって、関節技のおかわりだよね)
「いいから出てけ。ドMが」

 凄く嬉しそうな顔をされただけで、動こうとしない。

(あれ? 逆効果? んー、まあ、いっか)

 面倒だし時間もなさそうなので、ベッドから降りて構わず着替える。
 寝巻き代わりの短パンを脱いでベッドに腰掛けると、才人が甲斐甲斐しくTシャツとYシャツを差し出す。まだ寝惚けてる頭でTシャツを受け取り着ようとするが、寝汗のせいかスルっと着れなくて少し手間取る。その少し手間取っている間に、彩歌が足元で靴下を履かせようとしていた。

「サイちゃんや。なんのつもりだね?」
「え? ……なんでだろ?」

 自覚のないドMは、自覚なしにドSが喜ぶ行動をとる。
 気にしたら負けなような気がしたので、彩歌の好きなようにさせてYシャツを着る。
 人の靴下を穿かせるのは、慣れないと難しいらしい。ボタンを留めながら、彩歌の悪戦苦闘を眺める。慣れないなりに工夫して、一番下のボタンを留める頃には両足共穿かせ終わっていた。
 才人から制服のズボンを受け取って、立ち上がろうとする前にチラッと彩歌を見たら、上目遣いで愛知を見つめていた。
 お礼を言うべきか少し悩んだけど、なんとなく調子に乗りそうな気がしたので、頭をワシャワシャと撫でるだけにした。
 彩歌が蕩けきった笑顔を見せる。

「やばっ。なにこの犬。超可愛いんですけど」
「人の妹でなにやってんのさ」

 才人の呆れ声を聞き流す。
 上はYシャツ。下は靴下とボクサーパンツ。そんな姿の愛知が、美少女の頭をワシャワシャする。

「なかなかの変態さんだな」
「お宅の妹さんがな」
「両方だよ。悔しいけど、お似合いなのかもな」

 なんとも答えにくいことを言われて、彩歌を撫でる手が少し乱暴になる。

「ふぁ~」

 蕩けきった顔にイラッとしたので、アイアンクロー。

「ふへっ、ふへへへへへっ」

 彩歌的には、これも有りらしい。

「仮にも女の子なんだから、アイアンクローはどうかと思うよ」
「大丈夫。利き手じゃないから」

 それでも、それなりに鍛えた男子高校生の握力だ。彩歌の頭蓋骨がミシミシ音を立てる。

「大丈夫じゃ……大丈夫っぽいな」

 ネクタイとブレザーを手に、彩歌の顔を覗き込んだら、才人の意見が反転した。

「前から聞きたかったんだけど、愛知は可愛い女の子を痛めつけたいの?」
「んー、ちょっと違うな。可愛い女の子、綺麗な女の子の、痛がる顔を見るのが好きなんだ。だから、サイちゃんみたいに悦ばれると引いちゃう」
「男は?」
「なしで。そもそも、お前はSかMで言えばSだろ?」
「ライトなね」
「俺はね、嫌がる相手にまで、俺の性癖を強要したくはない」

 二人揃って彩歌を見る。

「もっと強くしても大丈夫!」

 二人揃ってため息をつく。

「それより、早く着て」
「って、言われてもな」

 右手にはズボンを、左手には彩歌を持っている。

「彩歌を置きなさい」

 とはいえ、もう少し、この蕩けきった美少女の顔を見ていたい。
 試しにズボンを彩歌に無言で差し出すと、疑問も挟まず、アイアンクローをされたまま穿かせてくれた。

「兄の前で妹を調教しないでくれ」

 そんなつもりではなかったが、よくよく考えてみるとそうとしか見えないので、反論はしないでおく。
 なにも言わなくてもベルトまで締めてくれた彩歌の頭を、ワシャワシャ撫でる。手を離したら物欲しそうな顔をされたが、これ以上は遅刻してしまうので、視界の外へ追いやった。

「で? ネクタイは自分でやるよ?」

 妹の奉仕精神に触発されたのか、最近は自分でやっていたネクタイを、才人が結んでいた。
 その兄を見て、兄が小脇に挟んでいた愛知のブレザーを彩歌が強奪して、愛知が着易い状態で持ってスタンバイ。

「いや。ブレザーは顔洗ってから」

 シュンとした彩歌の顔は、犬にしか見えなくなった。

『マッハで調教しないでよ』
「そんなつもりはないんだけどな」
『どう見ても調教済みでしょ』

 グナーの言葉に彩歌を見ると、飼い主の命令を待つ忠犬のようだ。

「まあ、そうなんだけど、いや、違う。お前、命令待ちのふりして、ブレザーの匂い嗅いでんな」

 よく見たら、ブレザーの首の部分の匂いをこっそり嗅いでいた。

「違うの。いつも嗅いでるのはパンツの匂いだから、ブレザーの匂いは新鮮だったの」

 なにが「違う」のかはわからない。わからないけど「変態め」と言ったら「えへへ」と照れ臭そうに笑う。

『まあ、愛知の好みのど真ん中ですし、本人も望んでいるようですから、いいのでしょうね。……多分』
「好みの話をすると、ど真ん中はグナーだと思うぞ」
「「『え?』」」

 三人分の疑問を無視して話を進める。

「最近さ、神降しで顕現したグナーの姿を、普通に見ることができるようになってな。顔、胸のサイズ、身長と全体のバランス。どれも好みのど真ん中で、ちょっとびっくりしたよ」
『そ、そうですか。それは、なんと言いますか。その……嬉しいです』
「昔の巫が書いた本によると、担当神が異性で担当神との相性がいいと、殆どの場合、好みの異性に見えるらしい。ま、人間と同じ姿の神限定だから、統計としてはちょっと頼りないし、人外の姿をしている神様でも好みってのがいるから、必ずそうなるとは言えないんだけどね」

 なんだか照れ臭くて、後半は言い訳みたいになった。

『そう、ですね。ええ。お会いしたことはないですけど、マーラ様なんて凄い姿らしいですし』

 グナーとの話が長くなりそうなので、女神の言葉を自動書記のように、ノートに書き留める。

「いや。例が悪すぎる。マーラ様は、異性だろうと同性だろうと、関係なく発情させるらしいじゃん。せめて、ベルゼブブ様にしときなよ」
『あれは、天界では結構おモテになるんですよ。見た目はアレですけど、中身は紳士ですから、見た目を気にしなければ下手な男神より遥かにいいんです。神格も高いし、良物件ですよ』
「異性を”物件”って言うな。あと、ベルゼブブパイセンを”あれ”って言うな」
『ベルゼブブ様を”パイセン”って言わないでください。私、ハエが嫌いなんです』
「でも、良物件なんだろ? ハエのなにが嫌いなの?」
『生理的に?』
「うわ。出たよ。それで傷ついた少年が、世界にどれだけいると思ってんだよ」
『それは……確かにそうですね。失言でした。訂正します。ハエの前足? の動きが気持ち悪いからです』

 「生理的に無理」から、より具体的になったので、これを聞いたベルゼブブは余計に傷つくだろうな、と、おそらく生涯会うことのないベルゼブブに同情する。

『そんなことより、です』

 傷つけられたベルゼブブは「そんなこと」で流されてしまった。

『愛知の好みは私なんですか?』
「あー、そうだな。好みだな。性格の相性は、ダントツで才人なんだけどな」

 言われた才人は、無言で拳を突き上げる。

「性癖の相性は、サイちゃんなのかな」

 言われた彩歌は、尻尾が生えていたら、グルングルン振り回すレベルの笑顔になる。

「胃袋は雪平さんに掴まれてるけどな」
「「あ?」」

 香は、どうやらこの兄妹の天敵になったようだ。

『それなら、彩歌と付き合うのがいいのでは? 性愛も愛の形の一つですよ?』
「末永く付き合うなら、雪平さんなのかな。弁当、毎日食べても飽きないレベルだし」
「私と一日交代だから、毎日食べてないでしょ」
「それくらい美味いってこと。ただ、それだと才人に世話してもらえなくなる」

 いくらなんでも、恋人の側にこんなイケメンが常に張り付いていたら、香も嫌がるだろうと思う。

「そうなると、俺は生活できない自信がある。こうして起こしてくれないと、毎日遅刻する自信もある」
「駄目人間宣言だけど、この場合、俺達にとってはありがたいのか」

 香本人から、彩歌と才人なら愛知の愛人として受け入れると言われているが、その話を愛知には教えていない。

「てことは、サイちゃんと付き合う?」
『自分から告白するのは怖いんでしょ?』
「サイちゃんに関しては、ね」

 彩歌を手招きする。跪いたまま膝でにじり寄る彩歌に再びアイアンクロー。まだ二回目なのに、すっかり手に馴染んでいる。

「では、私と付き合ってください!」

 左手の中の彩歌が叫ぶ。
 アイアンクローをされたまま告白する美少女は、世界広しと言えど彩歌だけだろう。
 ジト目で見る才人を横目にため息をつく。
 手の中の彩歌に視線を戻すと、指の隙間から期待のこもったキラキラした目で見上げてくる。

『ここは即答するところでしょう』

 具体的に、なんと答えるべきかが思いつかない。

(けど、まあ、好きか嫌いかでは好きなんだし、いいのか? この変態を受け入れてもいいのか? けどけど、愛の巫覡が性愛に邁進してもいいの? てか、片膝で、パンツが見えそうで見えないのがエッロいな。じゃない。今は付き合うかどうかを考えるべきであって、性欲は脇に、って机の上にエロゲの箱が積まれている? なんで? 才人か? てか、なんで陵辱物だけが積んであるんだよ。サイちゃんの仕業か? この犬コロには躾が必要なのか。そうなんだな? そっちがその気なら、こっちだって!)

 で、まだ寝起きの醒めきっていない頭で搾り出した答えが。

「ペットとしてなら」

 斜め下の返答。

『うわ。さいてー』
「悦んで!」

 受け入れられた。
 勢いに押されて、アイアンクローが外れる。

『え? なんで? いいの? 人間って、わっかんないわー』

 横を見ると、肩を落としてため息をつく才人。
 下を見ると、愛知の足の甲に口づけをするペット。

『いやいやいや。なんで、もう調教済みなの? てか、私が好みって話はどこに行ったの?』

 女神の話を聞く時の決めポーズである天を仰いだ姿勢で、喧しくがなりたてる女神に顔を顰めながら「今日は学校サボろう」と心の中で決める。

『ちょっと私を神降ししなさい。三人に直接言いたいことがあります』
(呼ばねーよ。脳がやられる)
『ほら、早く呼びなさい。承認するから!』
(あ、雪平さんにはなんて言おう)
『愛知! 聞いていますか? 早く神降しを!』
(告白されて振った昨日の今日で”サイちゃんと付き合います”って、刺されそうだな)
『愛知君? おーい。ねえ、聞いてる?』
(最悪、刺されてもいいように、服の中にジャ○プを入れとけば)
『無視しないで。ねえ?』
(いや、月○ガのほうがいいか? ……にしても)
『うー。聞いてよー。無視しないでよー』

 半泣きになった女神が鬱陶しい。

『聞いてくれたら、その……ちょっとエッチな格好をしてもいいよ』

 どうやら、本来の目的を忘れてしまったようだ。

(エッチな格好なら、足元の犬が言わなくてもしてくれそうだな)

 インターフォンの音に才人が部屋から出て行くのを尻目に窓から覗くと、門の前に香がいた。彼女の家はここから結構な距離のはず。電車だと、学校の最寄り駅を一度通過するから、かなり早く家を出たはずだ。

(学校、サボれないか)

 香の性格からすると、体調不良以外では休ませてくれないだろう。

『ねえ? 愛知くーん。お姉さんちょっと泣きそうだよ』
(それより、この状況をどう説明しよう)

 足元に跪いた彩歌は、もう一度してほしいのか左手に顔を押し付けている。
 階下で玄関が開く音がして、香と才人の話し声が聞こえる。所々の内容から、朝食を弁当箱に詰めるように才人に指示しているようだ。

『きーいーてーよー!』

 開け放たれたドアの向こうから、階段を上る控えめな足音が聞こえる。

(最悪、グナーを神降しして、目が眩んでる隙に逃げるか)

 香なら、この状況を笑って許してくれるかもしれない。逃げる必要はないかもしれない。問題は、彼女を振った翌日ってことだけだが、それも誠心誠意説明すればわかってくるんじゃないかと、楽観的に考える。

『いいもん! もう、助けてあげないんだからね!』

 逃げるためには、女神の機嫌をとらなければいけない。面倒だ。

『あ、でもでも、才人との絡みを見せてくれるなら、許してあげます』
(あー、もう、どうでもいいや。なるようになれ、だな)

 女神の言葉にやる気がゼロになる。

『私はリバ有りなんで、どちらでも構いません』
(ん。これ、長くなるヤツだ)

 延々と続きそうな女神の腐った声の隙間から、香の声が聞こえる。
 女神の所為で途切れ途切れの声に、横目で香をチラッと見たら、笑顔のままなにか言っている。
 香が指差す方を見ると、左手で彩歌の顔をニギニギしたままだった。

「あ」

 すっかり手に馴染んでしまって、存在を忘れていた。

『んー、でも、愛知のヘタレ攻めは外さないでほしいかも』

 香がなにか言っているが、女神の声に掻き消されて聞こえない。ただ、笑顔なのに、逃げ出したくなるほどの圧力がある。

『あ、篠崎君も交えて、愛知の魔王化計画を始めるのもありか』

 香の手が愛知の右肩に置かれる。ただ、触れているだけのはずなのに、膝が笑い出す。

(落とし所がわからないよ)

 もう面倒だし、半ば成り行き任せにしようと思う。

(まずは、雪平さんの話を聞かなきゃ)

 そのためには、女神の妄言を止める必要がある。
 それもまた面倒。
 ため息をつく。
 天を仰いで一言。

「女神様は黙ってて」
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