女神様は黙ってて

高橋

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三章 ユニ

第八話  左遷

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 社会人が一番に知っておくべきことは、上司の逆鱗の位置だろう。

(まさか、デブが逆鱗とはね)

 ズロービンの逆鱗は、クツキ氏と同じで誰もが一目見てわかる場所にあった。
 ホテルの前でズロービンと別れ、翌日ホテルに来た後任に仕事を引き継いで、その日の内にコロニーの本社へ戻ったら、資料整理室という閑職への転属を知らせる辞令が端末に届いた。
 そう、左遷だ。

(けど、本社ビル内だから、左遷の中でもマシな方よね)

 思いっきり飛ばすための加速器かもしれない。これからさらに、木星辺りの辺境に飛ばされるかもしれない。

(ガイア様の側なら、まだマシよね)

 そう思うようにした。そう思わなければ、やってられないから。
 聞いた話だと、第五惑星であるユーピテル様の側は生活が厳しいらしい。そんな所に左遷されたらたまらない。

「ブラウンフィルスさーん。お茶、まだかしら?」

 声に振り向くと「え? マジで?」と聞きたくなるくらい厚化粧のおばさんが、壁に寄りかかってタバコをふかしていた。

「すみません。考え事をしていました」

 給湯室でボンヤリしていたのは事実だ。ひとまず謝っておく。

「それより、ブラウンフェルスです」

 謝った上で誤りを指摘する。

「んー? ああ、そう。あなたの名前って、言いにくいのよね」
(見た感じ、多分、東域系の顔だけど、旧大和皇国の人かしら? 大和皇国の言葉って音の種類が少ないから、西域の言葉を発声しにくいそうだからね)

 分厚い化粧越しの肌の色を見ようとして、本当に東域の人種なのか首を傾げる。

(あ、名前。東域系の名前にもそれぞれの国で特徴があるんだし……この人の名前……なんだっけ?)

 自己紹介した記憶はある。名前を聞いた憶えもある。けど、出てこない。
 名前を正確に発音できないおばさんと、名前を忘れたテレーゼ。どちらが失礼かと言ったら、当然、テレーゼだ。

「それで? いつになったら室長のお茶が入るのかしら?」

 忘れていた。
 ここでのテレーゼの仕事だ。
 配属されて今日で二週間。毎日、室長のお茶を入れて、室長に言われた作業だけしている。室長の召使になった気分だが、そもそも、資料整理室には人がいない。室長とこのおばさんとテレーゼの三人だけだ。
 お茶汲み以外の仕事も室長から頼まれるが、資料のコピーであったり資料を棚に戻すだけだったり。業務の大半を室長一人でこなしているので、この二週間、仕事らしい仕事をしていない。

(あれ? このおばさんの仕事ってなんだ?)
「あの……先輩の仕事って、なんですか?」

 意を決して聞いてみた。

「ん? そんなの聞いてどうするの?」
「あー、その、お茶汲みが終わったら暇なんで、お手伝いできないかと」

 手伝う気はこれっぽっちもない。

「私の仕事は室長の愛人よ」

 聞かなきゃ良かった。

「室長の側に侍るのが私の仕事」

 引越し公社は、各国からの支援金で運営されている。言ってみれば、世界中の税金が運営資金であり、テレーゼたちの給料だ。

(堂々と言ってもいいの? それって、発覚するとかなり不味いんじゃないの?)

 正式に入社して愛人になったのなら、個人同士の問題だ。仕事していないということ以外の問題はない。
 正式じゃない方法で入社したなら? 愛人にするために入社させたのなら、かなりの問題だ。

「……聞かなかったことにします」

 藪を突くのはやめた。

「それが正解よ」

 なぜか褒められた。
 最近は褒められていないので、それだけで少し嬉しくなった。

『躾けられちゃダメだよ』

 それなら、偶には女神様も褒めてほしいものだ。昔はよく褒めてくれたが、成人してからはあまり褒めてくれなくなった。特に最近は、全くと言っていいほど褒めてくれない。
 女神に反論しようと思ったが、配属されて初日に、見えない女神と話すテレーゼに「気持ち悪い」と、このおばさんから言われたのを思い出してグッと飲み込む。

(さっさと淹れよう)

 機械が自動で飲み物を淹れるのが当たり前になっている現代において、なぜか資料整理室では人間が手動で、急須にお湯を注いでお茶を淹れている。

「室長の趣味よ」

 お湯を注いだ急須を見つめて首を傾げるテレーゼに、おばさんが答える。
 気の抜けた返事を返しながら、何処に売っていたのかわからない、魚偏の漢字が沢山書かれた湯飲みに注ぐ。
 お盆に湯飲みを置いたら、横からおばさんが湯飲みだけ掻っ攫う。

「ほんじゃ、お疲れ。指示があるまで好きにしてていいわよ」

 片手をヒラヒラさせるその後姿に、心の中で中指を突き立てる。

「ババァ」

 給湯室の扉が閉まり一人になってから、聞こえないようにボソッと呟く。
 しかし、閉じたばかりの扉が開き、おばさんが顔だけ出して。

「次ババァって言ったら、クビにするよ」

 それだけ言って、扉をバタンと閉める。

(クソババァで地獄耳)

 今度は口に出さなかった。

(てか、あんたに人事権があんのかよ)
『面倒な部署に飛ばされたわね』

 することがないので、給湯室を出て自分のデスクでボンヤリしていてもいいのだが、室長とおばさんがいる部屋に行きたくない。別に二人がイチャイチャしているわけではない。まあ、おっさんとおばさんがイチャイチャする職場だったら、すぐに転属願いを出しただろうけど。
 ともかく、部屋に戻ってもすることがない。室長からなにか指示されることはあるが、基本はすることがない。することはないが、おばさんの嫌味を聞かされる。律儀なことに毎日。おばさんもすることがないのだろうと勝手に納得した。勝手な解釈で理解はしたけど、嫌味を聞いて喜ぶ趣味はテレーゼにはない。ないので部屋に戻るつもりはないのだけれど、ここにいても暇だ。
 暇潰しに始めたソシャゲでもやろうか、とポケットに手を突っ込んで止まる。

「鞄に入れっぱだ」

 携帯端末を取ろうとした手が、ポケットの中で空振りした。
 途方に暮れて天井を見上げていたら、扉が開き、おばさんが顔をニョキっと出す。

「オ○るんならこれが必要でしょ?」

 そう言って、テレーゼの携帯端末を扉脇の椅子に置いて手をヒラヒラさせる。

「オ○りませんけど、ありがとうございますって、いねぇし、この、クっと」

 言い終わる前に頭を引っ込めたおばさんに向けた「クソババァ」を、グッと飲み込む。

(聞けよ、クソババァ)
「あれ?」

 おばさんの下ネタはともかく、暇潰しの携帯端末を持ってきてくれたのはありがたかったので、少しだけウキウキしながら携帯端末に手を伸ばして疑問に思う。

「あいつ、私の鞄、勝手に開けたのか」
『おばさんというより、オカンね』
「エロ本を机の上に置かれた男子高校生の気分ね」
『ちなみに聞くけど、その端末がテレーゼちゃんのオ○ネタ?』
「違います。主に、ソシャゲと猫の動画を見るのにしか使ってません」

 より正確に言うと、電話とメールは仕事でしか使っていない。電話とメールのプライベート使用は、最近はない。高校、大学時代の友人とは、彼女達が結婚してからは疎遠になっている。同期入社で連絡先を知っているのは数人だけ。しかも、連絡したことは一度もない。そもそも、この端末に入っている仕事以外のプライベートな連絡先も、ほんの数人だ。二桁にギリギリ届いてる程度だ。

「ん?」

 端末の電源を入れるが反応がない。

『馬鹿みたいなバッテリー容量が当たり前の時代になっても、テレーゼちゃんみたいに充電し忘れるうっかりさんはいるのね』
(どうしよ。暇だわ)

 女神とお喋りをして暇を潰すという考えはない。十二才で両親を亡くして十四才で職業適性試験を受けたテレーゼは、女神の声を聞けるようになって以来、女神に育てられたという自覚がある。なので、女神に感謝しているし、尊敬もしている。が、女神とお喋りしても、最後はニートへの勧誘で終わるので、オチの読める暇潰しは暇潰しになりえないと思っている。
 とりあえず、自分の分のコーヒーを淹れる。インスタントなので、既に沸いてるお湯で済んだ。
 使い捨てのカップを片手に壁際の椅子に座り、コーヒーを一口飲む。

「暇ね」

 まだ三分も経っていないのに退屈な時間に飽きた。

『部屋に戻る』

 おばさんの嫌味を聞くのは嫌だ。

「嫌」
『外で時間潰し』

 給湯室には扉が二つあって、もう一つの扉は資料整理室に繋がらずに廊下に繋がっているので、おばさんと室長に会わずに外へ出れる。

(けどなぁ。今、このコロニー、夏季だから暑いのよね)

 地上で本物の夏を経験して帰ったら、勤務先のコロニーも夏季だった。しかも、無駄にリアルを追求してある。ただ暑いだけの夏ではなく、亜熱帯のような夏だ。

「無駄な再現率だから」
『技術の無駄遣いよね』
(気象管理局が、拘りすぎてるのよね)

 ちなみに、引越し公社の本社ビルがあるこのコロニーには、冬になるとブリザードの日もある。住人には大変不評だが、コロニーの天候を管理する気象管理局がノリノリで頑張り過ぎた結果だ。

(なんか……もう少し狭いと落ち着く)

 サボるための空間として見たら、三畳の給湯室とトイレの個室では、トイレの個室に軍配が上がる。

(ユニさんの言う通りにヒキニートになるなら、これ位の狭さが丁度良いかもしれない)

 物欲が薄いので、社員寮のテレーゼの部屋には物が殆どない。本当に必要な物だけ残せば、三畳の部屋に収まる程度の量しか持っていない。

(これ位の狭さなら、家賃も安いはずよね)

 ネットで相場を調べようとして、端末のバッテリー切れを思い出す。

「暇だ」

 ふりだしに戻った。

『帰る?』

 女神の魅力的な甘言が脳をくすぐる。

『テレーゼちゃんには役職がないから”辞表”じゃなく”退職願”ね』

 女神にとっての”帰る”は”会社を辞めてニートになる”という意味だった。

「飛躍しすぎ」
『辞めないの?』
「辞めませんよ」

 国連傘下の公社である引越し公社は、世間の景気にあまり左右されない。

「安定した給料で潰れない会社。最高」

 正確に言うと、景気が悪いと給料は減らないが引越しの仕事が減る。それと、公社設立当初は、地上の重要文化財を全て宇宙で保護するのを目的としていたので、全ての引越しが終わったらどうなるかはわからない。全ての引越しが終わるには、あと百年以上はかかりそうなのでテレーゼにとっては”潰れない会社”で正しいけど。

「定年までつつがなく勤めたら、夢の年金生活」
『夢がないなー。もっと冒険しようよ』
「冒険って、今時。深海も調べ尽くしちゃったから、あとは外宇宙しかフロンティア精神を向ける先はないよ」
『んー。例えば……貯金無しでニートになったり、とか?』
「それって、冒険じゃなく、逃避、じゃないな、蛮勇かしら」
『いやいや。四畳半という宇宙船を舞台にした、壮大な冒険活劇だよ』
「昼に起きて、ご飯食べながらネットニュースのコメントに否定的なことを書いて、テレビ見ながら深夜までネトゲやって、深夜アニメを見ながらやっぱりネトゲやって、そのまま寝落ちするのが、冒険?」

 実際に言葉にしてみたら、魅力的な生活に思えた。

「リアルでは外宇宙探査船団が来年にも出発しようって時に、四畳半での冒険なんて、虚しいだけでしょ」
『虚しさなんか、目を瞑れば気にならないよ。ヴァーチャルには、救いを求める世界も、大冒険ができる世界も沢山あるんだよ。救っちゃおうぜ。冒険しちゃおうぜ』

 いつものニートへの勧誘だが、今回は少しだけアプローチが違うようだ。普段であれば「一生懸命に働いても、余生を楽しめるほどの年金は貰えない」という、将来に対するネガティブキャンペーンだった。

(今日は将来の不安を煽るんじゃなく、今をどうやって楽しむかを提示することで、仕事に対するやる気を削ぐ方向か)
「今を楽しむより、今のこの暇をどう潰すかが問題よ」

 飲み終わった使い捨てのカップを捨てて、廊下へ繋がる方の扉を開ける。

『サボり?』
「サボるもなにも仕事がない」

 廊下に出て左右を確認。
 シリンダー状の内壁が生活圏になっているコロニーで、資料整理課は、本社ビルの地下駐車場の更に地下にある。これより下は宇宙空間だ。
 安全性は確保されているものの”板子一枚下は地獄”な場所にわざわざ来たがるヤツはいない。
 普通の社員が寄り付かない寂れた場所なので、廊下は無人だと思っていた。

「あ」

 テレーゼが顔を向けた先、廊下の角にユーシス・ナカハラが立っていた。

「よ、よう」

 気不味そうな顔で手を挙げ、テレーゼに近寄る。
 ユーシスにいつものクソ生意気な雰囲気がないので、テレーゼは内心で首を傾げる。

「メールしたんだが、見てないか?」
「バッテリー切れ」

 真っ黒な画面の端末を見せると、なにか納得したような顔をされた。

「お前な。マメに充電しろよ」

 少しだけいつものユーシスっぽくなったが、それでもなんだか違和感を拭えない。

「で? なにか用があって来たの?」

 なんの用があって来たのか知らないが、早く用を終わらせて、自分の暇つぶしに付き合ってほしい。そう思って聞いたのだが、ユーシスにはそう聞こえなかったらしい。

「そう、邪険にしなくても……」

 顔を顰めたユーシスの言葉に首を傾げる。

「ん? ……ああ」

 ちょっと考えて、自分の言葉がストレート過ぎたことに思い至る。

「暇だから、用を終わらせて、暇潰しに付き合ってもらいたいと思って」

 足りない言葉は、十分に補ったと思う。

「つ、付き、合う? いや、僕はそんなことまで」

 足した言葉が勘違いを生んだらしい。顔を赤くしてなにやら抗弁している。

(そういえば、女遊びの噂は聞くけど、誰かと付き合ってるって噂は、女遊びの噂より聞かないわね。遊ぶけど恋には落ちない?)
『意外と純情?』

 遊んでる時点で、純情とは程遠いような気がする。
 テレーゼの記憶には、初対面なのに尊大な態度でナンパしてきたユーシスが、強く印象に残っていた。そのユーシスが、赤面しながらあたふたしている。

(ちょっと、可愛いかも)

 少しだけユーシスの評価を上方修正した。

「散歩に付き合って」

 そう言って、ユーシスの返事を待たずに彼の腕を引っ張り、廊下を進む。
 ちょっと外を散歩すれば就業時間などすぐに終わる。そんな考えでユーシスを巻き込んだのだが、この時は外の温度をすっかり忘れていた。
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