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第五章 暗躍
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しおりを挟む都に戻ってからもラスの身辺には、これといった変化はなかった。
ただラスはもう自警団には戻れないとわかっていたので、残務整理に追われていたしジュエルが訪れてくることもなくなっていた。
これには団員がたちが何度もラスに問い掛けていたが。
「ラス。ジュエル様は最近どうしてこないんだ?」
「あれだけお前に懐いていたのに、最近は全く姿を見せないし」
「なにかあったのか?」
「あったというか」
ラスは困った顔である。
まさか自分たちは実の兄妹だったから、なんて真実は言えない。
「もしかしてやっぱり陛下に反対されたのか?」
「……隊長」
「幾ら皇妃様の理解を得ていたって、お前の身分じゃあ陛下は認めてくださらないような気はしていた。そうなのか? だから、ジュエル様はいらっしゃらないのか?」
「そうならまだ良かったんだけどな」
反対で済むならまだマシだ。
気持ちそのものを否定されたのだ。
ジュエルは。
その方が悲劇だと思う。
ラスにはなにも言えないけれども。
「どういう意味だ?」
「なんでもない」
「ラスの様子も変だよな。お前もしかして自警団を辞める気か?」
手元を覗き込まれて言われ、ラスは二の句が継げず俯く。
「確かにそれは俺も思ってた。ラスの仕事ぶりが異常だって」
「書類だっていつでも引き継げるような完璧さだし、なにより色街との連携について、こんなに短期間に片付けようとしているのが、なんか変だから」
「お前もしかして色街に戻るつもりか?」
問われても問われてもラスはなにも言えない。
頑なに口を噤むラスに、皆はお手上げと言いたげだった。
「取り敢えず。マックス。いるんだろ?」
いつも影になり日向になり守ってくれる護衛騎士を呼ぶ。
するとすぐに路地裏からマックスが現れた。
ラスの護衛をするようになってから、彼は騎士姿ではなく普段着を着ている。
騎士団の制服姿でうろつかれると目立つので、それはやめてくれとラスが言ったからだ。
「なにか御用でしょうか?」
「敬語……直ってねえぞ」
一言だけ注意され、マックスが困った顔になる。
「すみません。これ以上はご容赦下さい。一種の職業病なので」
「飯食うから付き合えよ。ひとりで食うのも味気ねえし」
「はあ。別に構いませんが。どちらへお出掛けで?」
「んー? 取り敢えず庶民的な店? 食い納めだな。これからはそうそう食べる機会なんてないんだろうし」
それは王城で食事したことで理解していた。
普段食べている食事からして、庶民と皇族は違うのだと。
確かに味は宮廷料理の方が何倍も美味い。
それは事実だがラスには肩が凝るのだ。
食べても食べた気がしない。
それで街にいる間に色々やっておこうと決めたのだった。
これからはできないことが多そうだと気付いたので。
マックスとふたり居酒屋に入ってラスは酒を頼んだが、注文のときは黙っていたマックスが、いざ酒が到着すると文句を言い出した。
「お酒はダメですよ」
「なんでだよ?」
「未成年でしょう? 飲酒は禁じられています」
「ガキの頃から飲んでんだぜ? 平気だって」
「……だから、貴方はそんなに細く華奢なんですよ」
「なにか言ったか?」
ジロリと睨むとマックスは慌ててかぶりを振った。
懐かしい庶民的な味の料理を堪能して、それを魚に酒を嗜む。
さりげない庶民の楽しみなのだが、これからはこういうこともできないんだなあと思うと、ラスにしては珍しく深酒をしてしまった。
何時間も飲んだ挙げ句にグタッとテーブルに突っ伏す。
呆れるラスにマックスは正面で彼を眺めていた。
「ほら。寄宿舎に戻りますよ。送りますから」
「ほえ?」
なにやら意味不明の返事である。
なにを言っているのかもわからないが、取り敢えず肩を抱く。
思っていた以上にラスは軽かった。
間近に迫る端整な顔に暫し見惚れる。
「全く。呆れる皇太子殿下だ」
この人が次期皇帝。
一体何人がそれを認めるか。
殿下が危惧するように、この人の歩む道は修羅の道だ。
肩を支えて歩き出して、幾らも歩かない間にマックスは気付いた。
(囲まれている)
マズイことになったなと唇を噛む。
ラスには意識がない。
この状態で彼を庇って戦えるか?
取り敢えず彼を庇えるように民家の壁際に座らせる。
それでも聞こえてくるのは健やかな寝息だった。
なにがあっても守らなければ。
きっとこの人の味方はそんなに多くない。
命に換えてもなんて思ってはいけない。
これから先も守りたいなら、自分も生き延びなければ。
そう思っているとバラバラと男たちに囲まれた。
振り返る。
男たちの背後にフードで顔を隠したひとりの男が立っている。
どうやらあの男が主格だな。
「下朗。その男を渡して貰おうか?」
どこかで聞いた声だなと眉を潜める。
「渡せと言われて渡していたら、わたしの仕事は務まらない。奪いたければ殺してみせろ。尤も。そう簡単には死ぬ気はないがな」
そう言いながら剣に手を掛けようとしたとき、意外な声が聴こえてきた。
「ほう。このような場で殺し合いか? それとも誘拐現場か?」
飄々とした声に振り向けば、皇帝陛下が自警団を引き連れて立っていた。
主格の男が舌打ちを漏らしたのが聴こえる。
騎士団ではないのは殿下の味方と言えるのが、今のところ自警団だけだからだろう。
ホッと肩から力を抜く。
「ドルレインの者と見た。我が国での無礼は赦さぬ。わたしの目の前で誘拐などさせぬ」
皇帝陛下は元々武芸を嗜んでいるが、キャサリン妃の事件からこちら腕前をかなり上げていた。
彼ひとりでもかなりの戦力だ。
それはわかっているのか、主格の男が悔しそうに吐き捨てた。
「行くぞ!!」
その声を合図にドルレインの男たちが去っていく。
その後ろ姿を陛下がじっと見ていた。
「今の声は……」
「陛下。申し訳ございません」
殿下を危険な目に遭わせたことを詫びると、陛下は黙って酔い潰れている殿下に近付いた。
「ラス?」
前髪を掻き上げる。
見えているのはおそらくほんのりと染まった頬だろう。
「マックス。さては酒を飲ませたな?」
「わたしはお止めしたのですが、子供の頃から飲んでいるから平気だと申されて」
「そのわりには酔い潰れているようだが?」
「はあ。かなり飲まれましたから。お強いようですよ? 相当空けてからようやく酔ってきたほどですから」
「陛下。ラスは我々が寄宿舎へ連れ戻しますから」
自警団の隊長が割って入るが、陛下はかぶりを振った。
「あの?」
「ラスはもう自警団へは戻らない」
「「何故?」」
「そのことはそなたたちも薄々気付いていたはずだ。ラスがいついなくなってもいいように残務整理をしていたことは」
これには言い返せないのか、自警団員たちは顔を見合わせて黙り込んだ。
「色街の自警団との連携については、こちらから手配しておく。ラスがいなくても可能なようにな。だから、ここでお別れだ」
誰も声を出せない。
相手が皇帝陛下では誰にも文句が言えない。
悔しそうな団員たちを見て、マックスは今更のようにラスが愛されていたことを知る。
厄介者扱いされる宮廷に戻るより、こちらに居たいとラスが訴えるのも、わからないマックスではなかった。
「陛下。わたしがお連れ致します」
「いや。いい。わたしが抱いて行こう」
「しかし」
「全く。手のかかる」
そう言いながらも陛下はとても愛しそうだった。
彼を抱き上げてから陛下は黙って佇んでいる自警団を振り向いた。
「なにも言わないことを許してほしい」
「「陛下」」
「だが、それでも問うことを許してほしいが、そなたたちはなにがあってもラスの味方か?」
「「勿論!!」」
「ではもしもラスが危地に陥ったときは、そなたたちに助けを求めるとしよう。ラスには今は味方が少ないからな」
誰もがじっとスヤスヤと眠るラスを見ている。
そのとき、ラスが眉をしかめた。
「嫌だ」
「ラス?」
「母さん……海に落とさないで……投げないで……」
頻りに冷や汗を掻いてうなされているのを見て皇帝はふと思い出す。
そういえば聞いたことがある。
海で亡くなった者は海へ葬られるのが決まりだと。
丁寧に葬儀の準備をしてから海へ落とすと聞いた。
投げ込んで葬儀とすると。
まさかキャサリンもそうだった?
ラスはそれを見ていた?
生まれたばかりだっただろうに、ラスはそれを覚えているのだろうか。
「母さんっ!!」
ラスが無意識に胸元にあるネックレスを握り締める。
もしかして現場でも小さなその手で握り締めていたのだろうか。
おそらく母の形見として与えられた皇家の鍵を。
よく海賊たちが取り上げなかったなと思ってふと気付く。
もしかしたら海の貴族と呼ばれる海賊だった?
海賊の中でも平和主義で温厚と言われている?
だから、これほどの鍵だと知っていても、母の形見だから取り上げなかった?
だとしたら何故キャサリンが海賊船にいた?
どうやらなにか裏がありそうだ。
今までみたいに情報がなにもないわけではない。
ラスの生い立ちを頼りに探せるだろう。
調べなければ。
19年前。
キャサリンの身になにが起きたのかを。
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