零ノ朔日

エノモト ルイ

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第一章:日常~神代ノ都市~

01:「日月の目覚め」

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 ――東京都と神奈川県の県境にある街、神明カミアケ

 最先端技術のパイオニアとして開発が進むこの都市は、降り注ぐ日差しが窓に反射し鈍く輝く高層ビルが立ち並び、人々の騒めきや道路に流れゆく色とりどりの自動車の喧騒に満たされ、人と近代文明により成り立つその光景は良くも悪くもまさにメトロポリスと言うに相応しい。
 都市の中心部には現代における技術開発の大部分を担っている大企業「アルゴス財団」の本社施設であり街のランドマークタワーでもある白亜の塔、「セントラルタワー・アイオーン」が悠然と佇み、天を突き街を見下ろし、流れる時を見守っているようだ。
 街の各所には点々と、都市開発の影に追いやられた神社や仏閣などの古の遺産が散見される。新旧入り混じった情景はどこか、都会の中にひっそりと息を潜ませる異世界のように、神秘さえ感じさせていた。
 多摩川を挟んで反対側に見える神奈川県側の街、古天フルタカの古風な街並みと廃墟となった広大な植物園を尻目に、その街は今日も、規則正しく時を刻む時計の歯車の如く、『変わらぬ平穏な日常』という一定の、決して乱れること無きリズムを刻み続けていた。

 そんな大都会の一角、アパートの一室。
 窓から差し込む乾いた朝日を受けて、瞼を開ける一人の少年が居た。

「んっ……朝か……」

 二段ベッドの上段で目を覚ました彼は、長く伸びた純白の髪を肩に垂らし、白い肌をした指と指を組み合わせてゆっくりと伸びをした。

 街の流れが見渡せる窓から外をぼんやりと眺めているこの少年、天明弥アマミヤ 晃日アキラはこの神明の街の中心地に位置する広大な都市型学園「神明学園」の高等部に所属する高校二年生の、どこにでもいる学生だ。
 仕事が忙しく職場から帰る事が出来ない財団勤めの両親を持った彼は、妹と一緒に親戚のアパートに預けられ、毎日を過ごしていた。

 一つあくびを吐いた晃日は、二段ベッドに立てかけられた梯子を使い下に降りる。二段ベッドの下段では彼の双子の妹である宵月アヅキが同じく長く伸びた黒髪を乱れさせ、口を半開きにして涎を垂らしながら、生まれつきの地黒肌の腹を寝間着の間から覗かせて熟睡していた。
 そんな妹の様子を見た彼は、彼女の肩を掴み、軽く揺さぶる。

「宵月、起きろ。朝だぞ」
「んん……あ、晃日……あきら……」

 一瞬瞼をうっすらと開いた宵月だったが、そのまま兄の顔を確認するや否や、再びゆっくりと瞼が閉じてしまった。
 晃日の白い瞳が、空手部に所属し日々の弛まぬ鍛錬によって磨き上げられたその八つに割れた腹筋を眺める。その目線はゆっくりと彼女の窪んだ臍へと向けられ、次の瞬間、彼の細く白い指が、その窪みへと挿し込まれた。

「わぷっ!?」
「いいから起きろ!また学校遅刻するぞ!」
「ご、ごめんって!分かった!分かったからやめてっ!」

 急所を攻撃された事で激しく身を捩じらせ寝ぐせで元々乱れていた髪を更に荒ぶらせ、兄に抵抗する。妹に対して完全に力負けする晃日はそのまま押し返され、よろよろと床に尻餅をついた。
 尻をさすってる兄を尻目に、頬を膨らませた宵月が立ち上がった。長く伸びた黒髪が、サラサラと肩に流れ落ちる。窓から差し込んだ光がその黒い瞳を照らし、鈍色に輝いた。
 その時。

「……朝から何やってるの?」

 部屋の扉が開き、少女の顔が覗く。ぼさぼさとした赤紫の髪を黒いヘアピンで纏め、目の下にクマを蓄えた少女、徒乃アノンは呆れた様子で二人を見た。
 妹から手を借りて尻をさすりながら立ち上がった晃日が徒乃に気付く。

「おはよう徒乃」
「おはようじゃないよ……朝からドタバタ……お姉ちゃんが呼んでるよ」
「あっ!もうそんな時間かぁ!」

 髪をかき上げる宵月を見て、徒乃は一つ、ため息を吐いた。

 腕や胸に複数の注射跡や手術痕がある徒乃は、晃日達を引き取っている女性の妹で、関係的にはハトコにあたる。財団勤めの姉と共に頻繁に新薬などの被検体になるなどして協力している彼女は、その体にはっきりと実験の痕跡が幼少期から残されており、それが原因でたびたび虐めなどの被害にあってしまっていた。
 今日は制服である黒と白のセーラー服を身に纏っていることから、普通に学校へ向かうようだ。
 ぐだぐだしている二人を眺めながら、腕の傷を隠すために黒い長手袋をすっぽりと嵌めている。

「まぁとにかく……早く着替えてリビングに来て。今日も学校に遅れたらまた怒られちゃうよ」
「はいはいっと」

 そう言いながら晃日と宵月が服を脱ぎ始めたのを見届けて、徒乃は部屋を後にした。
 晃日は黒いズボンに白いシャツ、その上から黒い学ランを羽織る。
 宵月は徒乃が身に纏っていた物と同じ、黒に白いアクセントが入ったセーラー服を身に纏い、ニーソックスを履いている。
 仕上げに二人はその長く伸びた髪を一つに結んで纏め、ポニーテールにすると軽く髪を手で梳いて払った。

「よし……ほら」
「ん、ありがと」

 ベッドに座っていた宵月に晃日が手を差し伸べ、その手を引いて彼女は立ち上がる。そのまま二人が部屋を去っていくと、ただ静かな部屋に、扉が閉まる音だけが響いた。

 リビングへ向かうと、先ほどの徒乃が椅子に腰かけ、ぼんやりとトーストを齧っている。その隣にはしわだらけの白衣を身に纏い、妹と同じ赤紫色のぼさぼさ頭をした二十歳過ぎの女性、遥香ハルカがテーブルの上に取っ散らかった資料をかき集めていた。

「姉さんおはよう」
「おはよ~」
「おぉ、晃日に宵月。おはよう!」

 リビングに入って来た二人に気付くと、遥香はにっこりとほほ笑んだ。度重なる徹夜と実験、作業によって心身共にボロボロな彼女だが、それでも三人の妹達を纏める保護者として働くその姿は一家を支える長女として、芯がしっかりとしている女性に感じられる。
 晃日と宵月はそんな二人の向かい側に腰掛けると、一言「いただきます」と挨拶をして、同じくテーブルに並べられていたトーストを齧った。

「しかしまぁ、物騒な世の中になったもんだよ」
「ん?どうしたの?」

 資料の束を順番に眺めながら、遥香がぽつりとこぼした。

「殺人事件があったんだ、この神明の街でね」
「殺人……?」

 遥香の話を聞いた晃日が顔を顰めた。
 資料から顔を上げた遥香が、妹達に目線を併せる。

「あぁ、殺人だ。昨日の深夜の出来事らしい。なんでも、古天と神明を繋ぐ橋……新多摩川大橋の支柱に、バラバラにされて頭と腕が無い状態の死体が片足だけで逆さ吊りにされていたらしい」
「えっ……そんな事が」
「これだけでも酷く物騒な話だけど、どうやら聞く所によると死体はセーラー服を着ていたらしい……殺されたのは学園の女学生だ」
「……」

 その話を聞いて、晃日と宵月と徒乃が表情を曇らせた。

 彼らの脳裏に蘇る一年前の一つの記憶。
 揺らめく彼岸花に、惨殺された少女の死体。

 脳裏に過ったその風景に三人が身震いしたのを感じ取り、遥香が話を続ける。

「犯人は未だ不明。というか、この事件は不可解な事が多すぎるらしい。今朝少し買い物に出たんだけどね、御婦人達の立ち話では既にこの話題で持ち切りだったよ。なんでも、『死神』の仕業なんじゃ、とかね」
「……」
「とにかく、夜道を歩くのは危険だ。寄り道とかしないで、真っ直ぐ帰ってくるように、ね」

 遥香の言葉に、三人は黙って頷いた。
 ひとしきり朝食を食べ終えると、三人は立ち上がる。と、その時遥香が「待って」と言って、晃日と宵月を呼び止めた。

「なんだ姉さん」
「実は昨日、玄宇クロウさんと樂世ラクヨさんから預かって来た物があるんだ」
「お父さんとお母さんから?」

 晃日と宵月が振り返る。離れて暮らしている父と母からの贈り物に、彼らは胸をときめかせた。
 しかし遥香が取り出したのは、お手製のマフラーでも、革製の財布でも無く、二つののっぺりとした『ケース』だった。

「なんだこれ……?」

 晃日には白い箱が、宵月には黒い箱が手渡される。
 ギターケースのように妙に横長く長方形で、アタッシュケースのように取っ手の付いたその箱は、光を受けると表面に幾何学的な紋様が薄っすらと刻まれているのが見て取れた。
 宵月が開けようとあちらこちらを弄っているが、開く事が出来るような形すらしていない。

「なんだろう、これ」
「いいかい、二人とも」

 箱を開こうと齷齪している二人に、遥香が立ち上がり目線を併せた。

「この箱の中身は……よく考えて使ってくれ。自分自身や、大切な者を護る為の力にきっとなってくれるはずだ。だけど、場合によっては、自分自身や、その周りすら傷付ける物となってしまう。だから……」
「……この中には何が入ってるんだ?」
「……箱は、本当に必要な時にしか開かない。財団の技術で作られた、特殊な構造をしている。だから、中身はこれが開いた時に、確認してくれ」

 釈然としない遥香の言葉に、二人は煮え切らない様子で頷いた。

「良い子だ。まぁ変な話だけどね。玄宇さんと樂世さんのお願いなんだ。どうか、大切にしてくれ」
「分かったよ。受け取っておく」

 学校用の鞄と箱を背負った彼らは、登校の支度を始める。一人蚊帳の外だった徒乃は、既に準備を終わらせて玄関に立って待っていた。

「話は終わった……?」
「うん!じゃあ行こうか」

 家から出ていこうとする三人を見送る為に、遥香が玄関にやってきて、腕を組みながら壁によりかかった。
 宵月が扉を開けると肌寒い風が隙間より流れ込み、街の喧騒が耳を擽り始める。

「それじゃあ行ってきます!」
「行ってくる」
「行ってきます……」
「はい、行ってらっしゃい!」

 家から出ていく三人に手を振り見送った遥香を残し、扉が閉まる音が響いた。
 賑やかな空気はやがて冷め、静寂が彼女を包み込む。

「終わりの始まり、か……せめて、せめて妹達だけでも……私は……」

 首から下げたペンダントを握り締めながら呟いた彼女の言葉は、静かに静謐へと溶けていった。

 2015年 9月。
 この日が全ての分岐点となった。
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