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第51話 死という幸せ
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薄暗く冷たい廊下を、アッシュは壁に身体を預けながら、足を引きずる様に進んでいた。
身体は少しずつ崩れていく。歩く度に足に激痛が走る。それでも歩みを止める訳にはいかなかった。止まってしまえば、もう二度と歩く事は出来ないだろう。
玉座の間へと続くこの廊下に、良い思い出など一つもなかった。
「どうして僕は、僕達は、あんな奴に黙って従っていたんだろうな……」
身分が違った。立場があった。使命、家柄、歴史、責任。
様々な鎖がその身に絡みつき、身動きが取れなかった。神に選ばれ、人知を越えた力を持った勇者族ですら、身分の鎖というものから抜け出す事は出来なかった。
家族を無惨に殺され、守るべき民に刃を向け、尊敬する友と殺し合った。何一つとして本意ではなかったが、今更それを述べるのは言い訳にしかならないだろう。この戦いの犠牲になった者達は、決して認めはすまい。
「地獄に何回行けば償えるのか分かりゃしない。だが、お前だけは……ッ」
アッシュは身体を押し付ける様にし、重たい両開きの扉を開いた。目映ゆいばかりに磨かれた大理石の床。当時の名工の手によって作られた玉座の上に、その男は居た。
この広く豪華な権威の象徴たる部屋で、たった一人で。
「お前だけは地獄に向き合ってもらうぞ、国王よ!」
招かれざる客を前に、国王は肘を付いたまま、気怠そうに顔を上げる。そしてアッシュの腐りかけた姿を見回した後で、薄く笑った。
「勇者族と持て囃された貴様が、何とも惨めな姿だな。正直、落ちぶれた貴様を見て溜飲が下がったぞ。下々の者共が言う、ざまぁみろ、といった気分か」
「この期に及んで、そんな台詞が出てくる。情けない奴め」
「どうした、遺言くらいなら聞いてやるぞ」
「この姿はな、国の為に必死に戦い、人生を貴様に弄ばれ、そして国を滅ぼした者の成れの果てだ。それを見た感想が、己を省みるでもなく、国を憂える訳でもなく、相手を見下してご満悦というだけか」
「ふん……」
国王はつまらなさそうに鼻を鳴らした。憎悪の籠ったアッシュと、目を合わそうともしなかった。
「裏切った僕がこうなるのは仕方がないとしよう。だが、国に殉じたロイまでこの様な仕打ちを受けなければならない理由があるものか。アーサーもミリアナも、無事では済まないだろうな」
「それは責任転嫁というものだぞ。貴様らが無能だからこうなった。王の権威を認めぬ愚か者共には、当然の末路だ」
「人は王の肩書きに、無条件で頭を下げる訳じゃない。その肩書きに相応しい人間であればこそ、尊敬されるんだ」
「黙れ、虫けら風情が!」
国王は激昂して立ち上がり、杖を振るってアッシュを殴り付けた。何度も、何度も。殴る度に腐った肉が飛び散り、骨が剥き出しになった。
それでもアッシュは倒れなかった。
「余が国王に相応しくないとでも言うつもりか! 貴様が余の何を知っている!?」
十数回打ち終えた所で息が上がり、国王とアッシュはその場で睨み合った。
「王の権威の下で意思を統一してこそ、大望は為し遂げられる。それを貴様らが台無しにしたのだ、役立たずどもが!」
アッシュは沈黙し、深呼吸を繰り返していた。吸った空気がそのまま穴の空いた肺から出ているのではないかと思える程に苦しい。
「貴様があの時、謝罪をしていれば余は許すつもりであった! 地べたに額を擦り付け、忠誠を誓っていればこうはならなかった、全てが上手く行っていたのだ!」
止めとばかりに、国王が杖を振り上げた。その瞬間、アッシュの指先が光り、巨大な氷槍が飛び出した。
「ぐぅぎゃぁぁ!」
国王の腹部を貫き、吹き飛ばされた体が玉座に縫い付けられた。
「物事を都合の良いようにしか考えられない。そんな奴が王に相応しいものかよ」
それだけを呟き、アッシュは前のめりに倒れた。
国王は苦痛に悶えながら、氷槍を懸命に引き抜こうとするがピクリとも動かず、溶ける気配も無かった。
「誰ぞ、誰ぞおらぬか……、槍を引き抜け。医師共、何をしておる。早く回復魔法を……ッ」
国王の呼び出しに応える者は誰もいない。言葉が虚しく、玉座の間に響き渡るのみであった。腹から高貴な血がとめどなく流れ出し、玉座を濡らす。
流れる血は命のタイムリミット。それが徐々に減る様子を間近に見て、国王の心は恐怖に支配された。
「誰か、誰かおらぬか! バビヨン、国を救う策とは何だ。今すぐそれを実行してみせよ、バビヨン!」
国王は繰り返し助けを求めた。他に頼れる者も、信じられる者もいなかった。来る筈がないと頭の片隅で理解しつつ、それを認めずに叫び続けるしかなかった。
夕日が傾く岬にて、アーサーはミリアナの膝枕で横になっていた。
身体は動かず目も見えない。一番多く死と再生を繰り返した彼は、身体の損傷も一番早かった。
「波の音が聞こえるな……」
「ええ、以前から決めていたの。死ぬなら海の側がいいって。沈む夕日を見ながらね、好きな人とゆっくり死にたいって」
ミリアナが寂しげに笑った。
「夕日、綺麗なのかい。俺はもう何も見えなくってさ」
「見えなくていいわよ。私の顔もぐちゃぐちゃで、貴方に見られたくなんかないもの」
「見えるさ。思い出の中で、君はとても魅力的に微笑んでいる」
「そういう台詞はもうちょっと早く言って欲しかったな」
「悪かったよ。何でもかんでも使命ばかりでさ。それを成し遂げなければ一人前ではないし、誰かを愛する資格なんてないと思っていた」
「真面目過ぎるのよ貴方。まぁ、ロイみたいにお調子過ぎでも、アッシュみたいにのんびりし過ぎでも困るけど」
「アイツらにだって、俺達に言いたい事は山程あると思うぞ」
「えー、聞きたくない」
波の音を聞きながら、遠い昔に戻った様に談笑した。もうずっとこんな風に笑い合えてなかった様に思えた。
「海の側に家を建てて、君と一緒に暮らしたかった」
「うん……」
「ロイとアッシュが土産を持って遊びに来て、凄く騒がしくなるんだ。でも、アイツらが来ると子供達が喜ぶから何も言えなくなってさ……」
「うん、分かる……」
夢を語る声がスッと消えた。アーサーは、眠る様に死んで逝った。
「お疲れ様、アーサー……」
それだけ言うと、ミリアナの意識も途切れた。
折り重なる白骨死体が発見されたのは、それから数か月後の事である。
それが勇者族であるアーサーとミリアナのものだとは、誰にも気付かれなかった――。
ただの男と女として、彼らはその生涯を終えた。
身体は少しずつ崩れていく。歩く度に足に激痛が走る。それでも歩みを止める訳にはいかなかった。止まってしまえば、もう二度と歩く事は出来ないだろう。
玉座の間へと続くこの廊下に、良い思い出など一つもなかった。
「どうして僕は、僕達は、あんな奴に黙って従っていたんだろうな……」
身分が違った。立場があった。使命、家柄、歴史、責任。
様々な鎖がその身に絡みつき、身動きが取れなかった。神に選ばれ、人知を越えた力を持った勇者族ですら、身分の鎖というものから抜け出す事は出来なかった。
家族を無惨に殺され、守るべき民に刃を向け、尊敬する友と殺し合った。何一つとして本意ではなかったが、今更それを述べるのは言い訳にしかならないだろう。この戦いの犠牲になった者達は、決して認めはすまい。
「地獄に何回行けば償えるのか分かりゃしない。だが、お前だけは……ッ」
アッシュは身体を押し付ける様にし、重たい両開きの扉を開いた。目映ゆいばかりに磨かれた大理石の床。当時の名工の手によって作られた玉座の上に、その男は居た。
この広く豪華な権威の象徴たる部屋で、たった一人で。
「お前だけは地獄に向き合ってもらうぞ、国王よ!」
招かれざる客を前に、国王は肘を付いたまま、気怠そうに顔を上げる。そしてアッシュの腐りかけた姿を見回した後で、薄く笑った。
「勇者族と持て囃された貴様が、何とも惨めな姿だな。正直、落ちぶれた貴様を見て溜飲が下がったぞ。下々の者共が言う、ざまぁみろ、といった気分か」
「この期に及んで、そんな台詞が出てくる。情けない奴め」
「どうした、遺言くらいなら聞いてやるぞ」
「この姿はな、国の為に必死に戦い、人生を貴様に弄ばれ、そして国を滅ぼした者の成れの果てだ。それを見た感想が、己を省みるでもなく、国を憂える訳でもなく、相手を見下してご満悦というだけか」
「ふん……」
国王はつまらなさそうに鼻を鳴らした。憎悪の籠ったアッシュと、目を合わそうともしなかった。
「裏切った僕がこうなるのは仕方がないとしよう。だが、国に殉じたロイまでこの様な仕打ちを受けなければならない理由があるものか。アーサーもミリアナも、無事では済まないだろうな」
「それは責任転嫁というものだぞ。貴様らが無能だからこうなった。王の権威を認めぬ愚か者共には、当然の末路だ」
「人は王の肩書きに、無条件で頭を下げる訳じゃない。その肩書きに相応しい人間であればこそ、尊敬されるんだ」
「黙れ、虫けら風情が!」
国王は激昂して立ち上がり、杖を振るってアッシュを殴り付けた。何度も、何度も。殴る度に腐った肉が飛び散り、骨が剥き出しになった。
それでもアッシュは倒れなかった。
「余が国王に相応しくないとでも言うつもりか! 貴様が余の何を知っている!?」
十数回打ち終えた所で息が上がり、国王とアッシュはその場で睨み合った。
「王の権威の下で意思を統一してこそ、大望は為し遂げられる。それを貴様らが台無しにしたのだ、役立たずどもが!」
アッシュは沈黙し、深呼吸を繰り返していた。吸った空気がそのまま穴の空いた肺から出ているのではないかと思える程に苦しい。
「貴様があの時、謝罪をしていれば余は許すつもりであった! 地べたに額を擦り付け、忠誠を誓っていればこうはならなかった、全てが上手く行っていたのだ!」
止めとばかりに、国王が杖を振り上げた。その瞬間、アッシュの指先が光り、巨大な氷槍が飛び出した。
「ぐぅぎゃぁぁ!」
国王の腹部を貫き、吹き飛ばされた体が玉座に縫い付けられた。
「物事を都合の良いようにしか考えられない。そんな奴が王に相応しいものかよ」
それだけを呟き、アッシュは前のめりに倒れた。
国王は苦痛に悶えながら、氷槍を懸命に引き抜こうとするがピクリとも動かず、溶ける気配も無かった。
「誰ぞ、誰ぞおらぬか……、槍を引き抜け。医師共、何をしておる。早く回復魔法を……ッ」
国王の呼び出しに応える者は誰もいない。言葉が虚しく、玉座の間に響き渡るのみであった。腹から高貴な血がとめどなく流れ出し、玉座を濡らす。
流れる血は命のタイムリミット。それが徐々に減る様子を間近に見て、国王の心は恐怖に支配された。
「誰か、誰かおらぬか! バビヨン、国を救う策とは何だ。今すぐそれを実行してみせよ、バビヨン!」
国王は繰り返し助けを求めた。他に頼れる者も、信じられる者もいなかった。来る筈がないと頭の片隅で理解しつつ、それを認めずに叫び続けるしかなかった。
夕日が傾く岬にて、アーサーはミリアナの膝枕で横になっていた。
身体は動かず目も見えない。一番多く死と再生を繰り返した彼は、身体の損傷も一番早かった。
「波の音が聞こえるな……」
「ええ、以前から決めていたの。死ぬなら海の側がいいって。沈む夕日を見ながらね、好きな人とゆっくり死にたいって」
ミリアナが寂しげに笑った。
「夕日、綺麗なのかい。俺はもう何も見えなくってさ」
「見えなくていいわよ。私の顔もぐちゃぐちゃで、貴方に見られたくなんかないもの」
「見えるさ。思い出の中で、君はとても魅力的に微笑んでいる」
「そういう台詞はもうちょっと早く言って欲しかったな」
「悪かったよ。何でもかんでも使命ばかりでさ。それを成し遂げなければ一人前ではないし、誰かを愛する資格なんてないと思っていた」
「真面目過ぎるのよ貴方。まぁ、ロイみたいにお調子過ぎでも、アッシュみたいにのんびりし過ぎでも困るけど」
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波の音を聞きながら、遠い昔に戻った様に談笑した。もうずっとこんな風に笑い合えてなかった様に思えた。
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「うん……」
「ロイとアッシュが土産を持って遊びに来て、凄く騒がしくなるんだ。でも、アイツらが来ると子供達が喜ぶから何も言えなくなってさ……」
「うん、分かる……」
夢を語る声がスッと消えた。アーサーは、眠る様に死んで逝った。
「お疲れ様、アーサー……」
それだけ言うと、ミリアナの意識も途切れた。
折り重なる白骨死体が発見されたのは、それから数か月後の事である。
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