鎮魂の楽師と未練断ちの狩人

蓮条緋月

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導く者と狩る者

3話 目覚め

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 あれから数日、目を覚ます気配のない男の看病をずっと行っていた。本当であればさっさと追い出したいところではあるが目を覚まさないのではどうしようもない。

「まだ目覚めないか……」

 貴音は今日もこんこんと眠り続ける男の看病をしていた。神が用意してくれた湖に浮かぶこの邸は前世の科学技術が魔法で再現されている。貴音がなにも望まなかったがためにアルヴィエンが地球の神に確認を取って用意したもので溢れていた。少なくともこの世界よりははるかに過ごしやすい住環境だろう。貴音からすればありがたい限りだった。それに食べ物に関しても不自由がない。人里に降りなくても生活できるようにという願いを正しく汲み取ってくれたこの建物は非常に心地の良い貴音たちだけの楽園だった。もちろん鎮魂の楽師としての役割は果たしている。役目の対価として与えられたのだから当然だが。
 長々と語ってしまったが何を言いたいかというとさっさと目覚めてこの場所から出て行ってほしいということだ。この場所を汚さないでほしいという思いと同時に、こんな訳ありをいつまでも置いておけば確実にこちらにも面倒が降りかかるだろうという漠然とした確信があったためである。
 
 男を寝かせている寝台を見やり起きる気配のない様子を見て洗浄魔法を使用して男の清拭を行うと口笛を吹くと蝶が一匹手元に現れた。

「この男が目覚めたら知らせてほしい」

 蝶は貴音の指の上を一周し翅を一回光らせると寝台横のサイドテーブルにそっと止まる。貴音は男を一瞥すると部屋を出てそのまま邸の外に出た。
 邸の外は自分の理想通りの美しい景色が広がっている。今は薄紅色の花——桜が咲いているが季節によって花が変わるという特殊な木々は貴音に退屈を与えない。そしてなによりも——清浄であるがゆえに生き物が存在できないほど澄み、空を明瞭に映す水鏡と呼ぶに相応しい湖の上を浮遊する御魂がこの場所をより夢幻の世界と魅せている。
 ここにいる魂たちは蝶になる前の霊も蝶の姿になった霊も貴音がやってくれば自然と集まりふよふよと遊び始めるのだ。中には形が崩れ色も酷く澱んだ霊もあり、それらは風に乗ってこの地にやってきた魂たちである。輪廻の使者である貴音の奏でる音はたとえ世界の反対側にあろうとも肉体を離れた魂たちには届くのだ。そうでなければ人間不信になっている貴音でもこんなところに長く籠ったりしない。
 ある程度遊んであげたところで帯に差した神楽笛を取り出し静かに奏で始める。音は静かに空気を揺らし、魂たちをそっと撫でていく。笛の音に呼応するようにしゃわしゃわと水面も遊び始める。曲が始まったときは大人しくなった魂たちも曲が進むにつれて風や水面と共に踊り出し綺麗な形の霊たちは次々と蝶へと姿を変え、形の崩れていた霊も完全な球形とはいかないまでも徐々に形を取り戻していく。その様相は夢幻の楽園だった。
 曲も終盤に入ろうかという時、蝶たちが一斉に色を変えた。それはつまり招かれざる客人が目を覚ました合図である。それでも貴音は手を止めず奏で続けた。やがて曲は終わりそっと唇から笛を離すと蝶たちは貴音の上を一周し空へと昇って行った。残った蝶が貴音の周りで戯れるのを見ながら静かに振り返る。

「人様の家を勝手に歩き回るのは感心しないな」

そこには数日前に拾った客人の姿があった。

「すまない。しかしあまりに美しい音色が聴こえてきてな。いてもたってもいられなかったんだ。あの音には俺も助けられたから」
「助けられた?」
「……ああ。俺がここに辿り着けたのはあのペガサスとグランツフォーゲルの導きがあったからなのは間違いないが聴こえてきた笛の音に随分と慰められた」
「……だからと言って満身創痍で倒れてたった今目覚めたばかりの奴がふらふら出歩くな。どれだけ頑丈なんだ。しかも裸足」
「……うっ、すまない」
「……まあいい。ひとまず部屋に戻るぞ。詳しい話はまとめてそこでやる。お前が何者なのかも含めて」
 
 気まずそうにしている客人にため息をつきながら貴音は男を促し邸宅の中へと入っていく。客人の男も慌てて貴音に続いて邸内へと入っていき玄関に着いたところで制止された。

「これで足を拭け。外を出歩いた足で上がらせるわけにはいかない」
「ああ、それはそうだが……靴を脱ぐのか?」
「…………そうだ。ここは土足厳禁だからな。珍しいか?」
「東方の国ではそういう風習もあると聞いたことがあるがあまりないな」
「ここにいる間はこちらのやり方に従ってもらう」
「わかっている。そもそも無理やりお邪魔しているのはこちらだからな。文句を言うつもりはない」

 礼儀はしっかりしている様子の男を貴音はしばし見つめたが玄関横についていた扉付きの棚から何やら薄い履物を出してきた。

「それは?」
「室内履きだ。俺は基本足袋か裸足だが寝室以外で靴を脱ぐ習慣のない人間からすれば抵抗があるだろうから室内ではそれを履け」
「裸足で室内をうろつくというのが想像つかんがタビというのは今履いているものか?」
「ああ。さっさと足を拭いて上がってこい。それとも洗浄魔法でも使えるのか?」
「いや使えない。すまないな。使わせてもらう」 

 そう言って足を拭き出された靴を履いた客人は貴音に続いて廊下を歩いていく。外観もだが邸内も不思議な造りになっており客人の男はきょろきょろとせわしなく視線を動かす。

「……この邸はどういう造りになっているんだ?」
「俺の故郷の伝統建築だ。混ざってはいるが主な造りは寝殿造と呼ばれている。ただしこの邸は大分コンパクトで設備も部屋の位置も異なる」
「へえ……こんな建物は見たことないがなんというか、幻想的な造りだよな」
「この建物はそういう趣旨があるからな」
「おもしろいな。ほかにはなにがあるんだ?」
「……外部の人間が知ってどうする?」

 声がやや冷たくなったが貴音からすれば成り行きで助けただけの相手にご丁寧に室内の説明をしてやる義理はないし、見ず知らずの人に邸内を探られるのは気分のいいものではなかった。男も気づいたのか気まずげに視線を逸らした。

「すまない。あまりに珍しいものが多くて……不躾だった」
「……わかればいい」

 比較的玄関の近くだったためその後すぐに部屋へ到着し貴音は強引に寝台へ押しやった。

「食事を作ってくる。少し時間がかかるかもしれないが大人しく待っていろ。くれぐれも動き回るなよ」

 言葉で釘をさすだけでは信用できなかった貴音は白夜を監視に置き襖を閉めた。
 男の予想以上の頑丈さにドン引きしながら台所へ向かう。しばらく食事をしていない人間が口にできるものは限られる。数日寝込んでいたことを考慮しておかゆとスープとフルーツがいいだろうとざっと頭の中でメニューを決めた。

 しばらくして食事を作り終えた貴音が部屋に戻るとそこには呑気に白夜と遊んでいる客人がいた。白夜も随分とご機嫌な様子にそういえば人に会ったのは初めてだったと思い出す。しかしこのままでは食事ができない。

「白夜こちらへ」

 それまでご機嫌で遊んでいた白夜は主の言葉に素直に従いサイドテーブルへと移動した。

「食事だ。ここ数日目覚めなかったから固形物は避けた。文句は言うなよ」
「感謝する」
 
 そう言って受け取った男は見たことのない食事に目を瞬かせた。

「これは……いったいなんだ? 見たことのない料理だが」
「大根と梅の七草粥と野菜のスープ、それからライチと苺のゼリーだ」

 トレイに乗せられている食事は病人食と呼ぶには視覚的にも美しく香りもいいものだった。お粥と呼ばれたものは粒があまりなく、スープのほうも野菜はくたくたになるまで煮込まれており、数日間なにも口にしなかった人間が食べるには十分な配慮がされていた。

「本当に感謝する。まだ名乗っていなかったな。俺はラルフという。今回は本当に助かった。このお礼は是非させてほしい」
「……桜庭貴音キオン・サクラバだ。ついでに言えば一刻も早く回復してさっさと出て行ってもらうことが何よりのお礼だ」
「……手厳しいな」
「そんなことよりも……なぜあんな山の中にいた? あの山脈は人が立ち入らないと聞いていたんだが?」
「……ああ、それについては少し長くなる」
 
 食事をしながら男——ラルフは自身について語り始める。

「俺は断罪と秩序の神・オルディネの神託の許、未練を抱え悪霊や怨霊となり果てた魂を狩る者。通称『未練断ちの狩人』だ」

 

 



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