チューリップと画家

中村湊

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芽生えた心

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 季節がチューリップの蕾が膨らみ始める頃へと変わるころ、アイリスの表情は明らかに様々な表情を見せるようになってきた。トーナルが報告を受ける時や、絵画の手入れの指導を受けている時でも柔らかな表情をしている。今までの彼女からは、想像だにしていない変化だった。
 きっかけが、モーネス達との関係性の変化というのが大きかった。特に、モーネスとの。

 「アイリス。今日の手入れの仕方で分からぬ点はなかったか?」
 「その、手入れは大丈夫だったのですが……」
 「絵が気になったか?」
 「っ!! はい。ヴォルフ様の絵はとても静かでいて、色合いも落ち着いていて気持ちがこう……」
 「安らぐか?」
 「……はい……ハルも同じことを言っていました」
 「そうか。あのハルもか……なかなか見どころがあるな」

 トーナルは顎をさすりながら、嬉しそうに目じりに皺をつくり微笑む。年を重ね、皺が増えて困ると言っているが背筋はしっかりと伸び歩く速さも速い。
 マーブル侍女長が、「あの人も、年を考えてみたら。もう少し落ち着くと思ったのだけれど」と困るように、どこか嬉しそうに微笑んで漏らしていたのを思いだした。

 美術保管庫からアトリエのある回廊へと進むと、マーブル侍女長と会い報告を済ます。今日はトーナル氏が供にいたため、報告書はトーナルが作成することになった。
 アイリスの仕事は、昼休みを過ぎていたため、遅い昼休憩をとりに行った。

 食堂には、ハルとヴォルフ。モーネスのいつもの顔が揃っていた。

 「アイリス!! こっちよ!!」
 「待ちくたびれて、こいつが干からびるところだった」
 「ま、待て!! 誰が干からびるんだ!!」
 「「モーネス」」

 ハルとヴォルフの息の合う掛け合いは、日常茶飯事となっていた。食堂では、「またあの2人だな」と。

 「ごめんなさい。手入れの質問とかで、トーナル様と話しが長引いてしまって。今日はヴォルフ様の絵画を観ました」
 「俺のか? で、どうだった?」
 「その、ハルと同じになってしまうのですが……」
 「ハルと?」
 「落ち着く、安らぐ良い絵だと。思いました」

 ヴォルフは驚いた表情をし、ハルを抱きしめて「アイリスにも認められたぞ!!」と喜んでいた。
 うまく表現ができず、ハルの言っていた言葉そのままになっていたのを申し訳なく思っていたアイリスは、ヴォルフがハルを抱きしめて喜んでいる姿の方に驚いた。
 立ったままでいたアイリスに席を促し、「ヴォルフはハルと同じ言葉をかけられようと、君に素直に伝えて貰えたことが嬉しいんだ」とモーネスは隣に座り耳元で囁いた。酷く耳がぞわりと泡立ち、彼の心地好い声が全身を熱く駆け巡っていく。
 耳も頬も真っ赤にしているアイリスに、モーネスは愛らしく思えた。彼女の照れている表情を、自分のまなこに焼き付けた。

 食堂で食事を済ませ、ヴォルフとモーネスはアトリエへと向かうため、2人とは別れた。ハルとアイリスは、昼休憩後の仕事へと戻った。

 アトリエに戻ったモーネスは、デッサン帳の新しいページを開き。眼に焼き付けたアイリスの表情や動きを、全て描きだしていった。
 ヴォルフも、ハルの表情を、モーネスに負けずと描きだしている。ヴォルフは、最近、風景に興味を持ち始め静物画も描いてはいるが庭やハルと出かけた公園の風景をデッサン帳に描いている。その中に、ハルをデッサンしたのがある。
 2人とも、デッサンへのエネルギーが一度切れた時、小さく息を吐き、描き終えたデッサン帳を胸に抱き天井を仰ぎ見るように床に仰向けになった。

 「なぁ、ヴォルフ?」
 「なんだ?」
 「俺は、アイリスともっと一緒に居たい。その、お前がハルに対して。あぁやって素直に言えるのが正直羨ましい」
 「そうか、そうか。お前にも恋心が芽生えたか!!」
 「う、五月蠅い!! ただ、彼女は……感情をだすのが……だから、待つと言った」
 「待てそうか?」
 「正直、わからない……彼女の愛らしい表情を見ると、口づけしたくて堪らない」
 「それは、時間の問題だな」

 はぁ、と大きなため息をモーネスはつき。「嫌われたくはないが、想いは伝えたくて。堪らない」と。相反する気持ちを漏らす。

 「また、4人で出かけるか?」
 「いや、なんで一緒にでなんだ?」
 「お前だけでデートに誘えるのか?」
 「……無理だ……」
 「じゃぁ、決まりだな。俺もハルも、お前たちの事が心配だしな。さっさと、手を繋ぐだけで毎回終わらせるなよ」

 女性との付き合いというのをしてこなかったモーネスには、とても高い注文を受けた。ヴォルフは、一見、軽そうに見られるが本当は好いた相手には一途に想いを寄せ、相手の心と供にあろうという男でもある。ハルは、そういうヴォルフだからこそ心を惹かれ、供に想い合っている。
 絵画への想いは、モーネスとヴォルフは違う道を歩み始めているものの。互いに目指そうとするものを、否定はしない。お互いに刺激しあい、時には、美術の話しで盛り上がりすぎて言い合うが自然とハルとアイリスが2人の仲を戻してくれている。
 今までだと、1度言い合うと、トーナル氏が間に入り、2人をいさめなだめてきていた。互いの絵画への想いを知り始めた、2人がそれぞれ想いを寄せる女性が、2人の仲を取り持つだけでなく、絆を強くさせている。

 ヴォルフとハルの取り計らいによって、次の休日はアイリスと一緒に出掛けることとなった。外出の届け出も済ませたハルとアイリスは、久しぶりの王宮外への外出でもある。
 このところ、絵画の注文で慌ただしかったため、ハル自身画家たちからの画材の注文受け回りで大変だった。

 「明日は久しぶりに街に行けるわね? アイリス?」
 「えぇ、ハル。その、ヴォルフ様とハルの邪魔にはならない?」

 最近のアイリスは、ハルへの言葉遣いも柔らかく距離がなくなってきていた。
 ハルはそんなアイリスの変化も嬉しく、「そんなに気にしなくていいわよ」と笑顔で返事した。ハルの方が、アトリエへの仕事の関係でヴォルフと会う機会が多く。モーネスの方が、アイリスと会えない時間が多く、いつも「もっと居ることができれば」とまで言っている始末なのだから。

 当日の朝は、とても暖かく、雲がうっすらと青い空に白い筆で塗った後のように綺麗だった。
 アイリスは数少ない外出着の中からハルが見立ててくれた。フルフィルメント侯爵が贈ってくれた生地を仕立てたワンピース。彼女の黒髪を鮮やかに見せ、黄金色の瞳というアンバランスな色合いのバランスをとる。ローズチークの色の生地が、彼女の頬にうっすらと浮かぶ色と似ていた。胸元から肩周りに取り付けられたレースと、胸元の真ん中からワンピースの下まで取り付けられたボタン。
 一方ハルは、ヴォルフから贈られたシンプルながらもふわりと胸元に襟を付けられた、ペールスカイ色のワンピースを着ている。「男の人から贈られる服って、意味があるのを聞いたら……恥ずかしくなったわ!!」と照れながら着替えるときに言っていた。
 王宮から出る入り口で待ち合わせしていた画家紳士2人と出逢う。

 「おはようございます」
 「「………………」」
 「えぇっと、2人とも? なにか変かしら?」
 「モーネス様?」
 「ヴォルフ様?」
 「えっ?! いや、その。ハル、その……贈ったワンピースを着てくれたんだな。とても、似合っていて。綺麗だ」
 「あ、ありがとう。ヴォルフ」
 「モーネス、見とれてないでなんか言えよ!!」
 「あっ、あ……アイリス。今日も綺麗だ。その今日は、一段と美しいというか……ど、どうするんだ? ヴォルフ?」

 ヴォルフはモーネスがアイリスに賛辞の言葉を既に言っているのを、本人が気が付いていなくて「大丈夫、伝わってる」と言った。
 モーネスがアイリスを見ると、彼女は頬を散らした薔薇のように真っ赤にし瞳を潤ませ彼を見て「ありがとうございます」と小さな唇で紡いだ。
 彼女の愛らしい唇が動くのを見たモーネスは、ゴクリと生唾を飲んでいた。

 「お前、これからだぞ。デートは……大丈夫、そうか?」
 「あぁ、こんなに。アイリスが……綺麗な俺の花が……」
 「そうだな、お前の大事な大事な花だからな」
 「あぁ、俺だけの……花……」

 それからというものの、供に時間を過ごしているモーネスの機嫌は、ヴォルフも見たことがないほどの上機嫌さだった。
 アイリスの手を握り、甲に時折口づけ賛辞を述べ。その行動や言葉にアイリスも困り、ハルやヴォルフに助けを求めようと視線を投げると、「今日は俺だけを見てくれ、アイリス。あぁ、俺の愛しい花」と既に出来上がっていた。
 公園で互いの組でベンチに腰掛け、冷珈琲をアイリスは受け取り飲む。モーネスも、飲んではいるがアイリスを熱い瞳で見ている。どこか、落ち着かない居心地になっているアイリスとは正反対に、モーネスは彼女と居られる時間が増え舞い上がっている。

――あぁ、本当に。アイリスは愛らしい――

 そう思い、彼女の頬に口づけていた。冷珈琲を落とした大きな音がしてモーネスはアイリスを見た。
 既に、その時には、彼女が顔を……瞳から大きな涙の粒を伝わせ、彼の手を離し身体を震わせていた。酷く驚き混乱した表情で。

 「アイリス? その……いや、だったか?」
 「……なぜ?……」
 「いや、俺は君を……」
 「待って、くださる、と……言って……」
 「すまない!! だが、俺は君をっ!! あ、アイリス!!」

 彼が最後まで言葉を言うまでには、彼女は走り出していた。手から落ちた冷珈琲の器から、少しずつ珈琲は広がり土は吸い込んでいた。

 「モーネス!! 早く追いかけろ!!」

 ヴォルフの声でハッっと気が付き、モーネスはアイリスの走って行った方向へと全速力で走る。
 アイリスは息が切れ切れになり始め、どこだか分からない路地でへたり込み、乱れた息がより呼吸を乱れさせ苦しくなっていく。

 「っ、はっ、はっ、っ……な、っ……ん、はっ」

 アイリスは胸が締め付けられ、頭の中に酸素がなくなりはじめてきていた。
 その時に浮かんだのは、モーネスだった。彼はいつも、自分に「君には心が、感情がある」「それは、嬉しいということじゃないか?」「君と同じものが好きだというのが分かったのが嬉しいんだ」……今まで彼から聞いた言葉と、彼の瞳。彼の描いた絵。彼が、情熱を向けている絵画への瞳と同じ瞳を自分に向けられ、頬に口づけされた。
 あの熱が、唇から自分の中に伝わってきたかのように。

――いや、じゃ、なかった。わたし……モーネス様――

 「アイリス!!」

 懐かしい声。聴きたい声。優しい手。温かい、心地よくわたしを抱きしめ、酷く混乱している。

――あぁ、伝えたい。嫌ではなかったと――

 「息を吐くんだ!! そう、ゆっくり吸って。吐く、ゆっくり吸って……」
 「すまない。俺が、俺が君を……落ち着いたら、送る。もう、君には……」

 彼の言葉の終わりを上手く聴き取れないうちに、アイリスは小さな吐息と眠りに落ちた。
 気が付くと、自分の部屋の天井が見えた。ハルが涙を流し、「良かった、目が覚めて」と繰り返す。そこには、部屋には居なかった。モーネスが……。

 今、傍にいて欲しい。会いたい、声を聴きたい。彼に伝えたい。

 「いや、じゃなかったの。わたし」
 「アイリス?」
 「モーネス様の口づけ、いや、じゃなかったのに。わたし、あの方を傷つけて……しまって……っ……」
 「モーネス様のこと、慕っているのね?」
 「わたし、モーネス様のこと。好いている? わたし、あの方と居たい。あの方の絵をいつも傍で見て、一緒に……ハル、わたし遅いのかしら?」
 「大丈夫よ。時間がかかってもあなたは自分の気持ちに気が付けた」
 「……ハル……」

 アイリスは気が付いた自分の想いとは裏腹に、彼が自分から、自分の目の前からいなくなってしまう不安がでてきていた。



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