チューリップと画家

中村湊

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彼女の心

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 陽射しが日に日に強くなり、初夏へと変わり始めた。ソンラル王国では、雨の長い日はほとんどなく周辺国に比べると過ごしやすい。その気候のお陰で、絵画への管理もしやすい。
 絵画は、湿度、気温などの変化が激しいと管理を少しでも怠ってしまうと一気に劣化してしまう。修復する絵画修復士の熟練の技でも難しい。

 絵画の管理を任されて、2年目の夏を迎えた。
 相変わらず、モーネスはアトリエに籠りきりで食事も片手間で食べられるものを絵画を描いている合間に済ます。
 それを知り、心配になったアイリスはハルとヴォルフに相談し自身の手で簡単だが栄養もとれるようにと屋台でも食べたパンズ・オブ・チキンに野菜を挟み、タレも自分で作って飽きがこないようにと工夫した。
 ハルに代わりに届けてもらい、彼が絵画制作に集中できるようにと……アイリスは、空になった籠を見ると安堵した。

 モーネスは、最初は変わらない食事の味を感じていたが、そのうち片手で食べられるパンをとても気に入った。

 「今日のは……前に食べたハニーマスタードソースか!!」
 「嬉しそうだな、モーネス」
 「ち、違う……最近の厨房は、手の込んだ物を作ってくれていると……」
 「本当に厨房の料理人がお前だけに、こんなに気の利いた食事を作るか?」
 「……えっ?……いや、そんな、はずは……」
 「いい加減、気が付いてるんだろ? お前が平らげている食事を作ってくれてる相手に」
 「し、しかし。その、俺に作ってくれるはずは……」
 「じゃあ、俺の籠の中味と見てみろ!! この好みの違うパンで分かるだろ!!」

 ヴォルフが額に手を当てて、「早く行けよ」と言う。もしかしたら、まだ近くにいるのかもしれない。いつもは、ハルに任せて届けて貰っている。パンの作り主。
 アトリエの扉を開け、周りを見渡すと扉の陰から「あっ」と小さな花の声がした。ゆっくり扉の陰を除くと愛しい花が、頬を少し赤らめて立っていた。

 「アイリス……その、君、だったんだね?」
 「あの、ご迷惑だったら……」
 「いや、いつも旨いパンをありがとう。俺の好きな、ハニーマスタードソース。覚えていてくれたんだ」
 「はい」
 「その、少し時間があったら。散歩、しないか?」
 「はい」

 その小さな返事は、喜びの音を出していた。彼には、彼女の発する声も色づいて見える。

 アイリスは、モーネスの一歩後ろから控えめについて来た。そのうち、彼の方から彼女の手をとり王宮の庭園へと廊下を歩く。
 久しぶりに彼の温かい手の温もりに触れているアイリスは、鼓動が早まり頬が蒸気して赤らめている。同時に、彼の手の熱もいつのまにか熱くなっていくのを感じる。軽く手を握っていたのが、指を絡ませ握り合う。今までの時間を少しずつ取り戻すように、と。
 庭園に着くと、花は初夏の花へと変わっていた。モーネスは、アトリエに籠っているばかりで自分の部屋へは寝に帰るくらいがたまにあっただけ。そのため、外の変化には気が付かなかった。
 黒髪の長い彼女の髪も、いつにも増して陽射しの光で綺麗な黒の艶と光を反射し違う色を見せている。黄金色の瞳に吸い込まれそうになる。小さな唇が彼の名を呼び、身体を労わる言葉を言うと今まで彼女と向き合っていない事にいたたまれない気持ちが込み上げた。

 「アイリス……あの時は、本当にすまなかった!! 自分の気持ちを押し付け、君との約束を破った自分に……あのパンを作ってくれて、嬉しかった」
 「モーネス様。わたし、あの時、驚いて逃げてしまって……でも、嫌ではなかったのです。モーネス様からの……口づけが」

 彼女はそこまで言うと、うつむき耳を今までにないくらいに赤くしている。握り合っている手は更に熱を帯び、彼へ、緊張と想いを伝わらせている。
 彼女のもう片方の手を供にとり、自身の口許へとゆっくり運び口づけの許しを乞う。
 小さく頷いた彼女の指に、口づけをする。労わり、許しを乞い、愛おしさを伝える。口づけを何度かすると、優しく抱きしめ、「君のことを想っている。愛おしく、とても……一緒に居たいと」と耳元で低く甘い声で囁く。
 彼の切ない声が、心の奥底に届き酷く甘いものを感じた。抱き締められている彼の背中に手を回し胸を埋める。小さく頷き、彼の想いを受け止める返事をアイリスはした。

 「わたしで、良いのでしょうか?」
 「君でないと、俺はもう……俺でいられないんだ。君が傍にいて欲しい」
 「わたしも、モーネス様のお傍にいたいです……あの、あの時の約束を一緒にお願いできますでしょうか?」
 「あの時……侯爵が預かっている、君の父の絵画の件か?」
 「はい。今なら、今でないと、いけない気がするのです」
 「わかった。トーナル様に、一緒に話しに行こう」
 「ありがとうございます」

 2人はしばらく庭園で過ごし、離れていた時間を埋めるように過ごした。互いに十分とはいえないが、このまま過ごすと彼は彼女への想いの昂りが止まらなくなり啄むような優しい口づけでは済まなくなりそうになっていた。
 小さな口づけですら、彼女は躊躇いがちに受け入れ、彼の囁く言葉を聞き「わたしもです」と言う。それが、彼の想いと彼女の想いが重なる事の1つの始まりにもなっていく。

 トーナルは、部屋に入って来た2人の様子を観て直ぐに察した。フルフィルメント侯爵やその執事の心配はなくなりそうだと。

 「して、私にお願いがあるというのは?」
 「はい。トーナル様。フルフィルメント侯爵様が預かっている、わたしの父の遺品をモーネス様と一緒に受け取りに行こうと思っているのです」
 「俺、いや、私からもお願い致します。彼女の父君の想いを、彼女と供に受け取りたいのです。私は、アイリスとの約束を果たしたいのです」
 「モーネス……君が最近描いている絵画、アレが王宮内にないのは知っているか?」
 「えっ、あの、モーネス様? その、話が……」
 「お前の絵画と、アイリスの亡き父の絵画は……似て非なる物だが、志すモノは同じだ。とだけ、先に言っておく」
 「……わかりました。では、明日の朝、侯爵様の館に向かおうと思います」
 「わかった。侯爵様は、君たちが来るのをいつでも待っている」


 トーナルの了承を得ると、2人は数日間の旅路の荷物を用意した。ヴォルフは、2人が供に出掛けることに「婚前旅行だな? 羽目外し過ぎるなよ?」とからかう様に言いながらもどこか嬉しそうだった。

 「お前に念のために、コレ、渡しておくぞ」
 「……おい、ヴォルフ? お前は、ハル・マーモットと既にこういう仲なのか?!」
 「そういうのは、まぁ、想像に任せる。もう少しで婚約になりそうだとは、言っておこう」
 「は?! ちょっと待て、お前、アトリエで籠って……一体、どうやったら婚約までになるんだ?」
 「俺は、お前と違って想っている相手とは段取りをきちんと踏んで気持ちも伝えているぞ?」
 「あー……俺は暴走して拗らせた男だ」

 卑屈になり始めた男を、親友は慰め励ました。

 一方、アイリスの部屋では……ハルがどこから出したのか、アイリスに「これを持っていくといいわよ!!」と着たことも見たこともないモノを鞄の奥底にしまい込まれた。いつ着るモノなのかは分からないと言うと、ハルが少し照れながらも「寝るときにね?」と言った。寝るときにしては……と、思ったが。寝るときの物なのだろう、とアイリスはハルが言う事だからと納得して鞄からは出さなかった。

 翌朝、ハルとヴォルフ。トーナルとマーブル達に見送られ、2人は馬車に乗りフルフィルメント侯爵の館がある領地へと向かった。
 侯爵の領地は、王都からさほど遠くはないが、2刻近くは馬車に揺られての移動となる。フルフィルメント侯爵は、先々代から王宮画家の居住区管理などの関係で、領地替えし王宮の近くの領地運営をしている。故に、【ふた咳病】の時には、王都周辺での対応にも追われたが、その後の王都の改革などにも尽力を素早く対応できたのだ。

 丘を登りきり、青々とした麦が育ち始めた麦畑が見えてきた。
 奉公に出て、王宮勤めになるまでアイリスはこの侯爵領で育ち、絵画の手入れを覚えた。同時に、絵画への興味を覚えたのもここだった。
 モーネスの、【チューリップ】。

 初めて、心が揺さぶられた。絵画。

 今も、執事長がしっかり手入れしているとフルフィルメント侯爵が王宮で話してくれた。

 『あの絵画は、しっかりと手入れをしたくてね。他の絵画も同じだが……思い入れが違うというのが、正しいか……』
 『旦那様、わたくしめも同じです』

 2人は茶席で顔を合わせながら、笑いあっていた。その時、アイリスも同じ気持ちだった。彼の絵画は、あの絵画だけでなく他の絵画も同じく自分の気持ちを揺さぶり続けている。
 そして、馬車の中で彼はデッサン帳に馬車窓から見える景色を走り描きしている。その姿を見ている自分の心も、揺さぶられている。

 「お二方、フルフィルメント侯爵家に着きました」

 御者に声を掛けられ、モーネスが先に出ると彼女に手を差し出しエスコートしてくれた。自然と、彼の手をとり馬車から降りると、侯爵と執事長が出迎えてくれた。
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