チューリップと画家

中村湊

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花束を抱いて

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 久方振りに戻ったフルフィルメント侯爵家は、変わっていなかった。侯爵に応接間に案内される前、執事長と家政婦長が用意してくれた部屋へと荷物を運び入れてくれた。
 アイリスの部屋は、モーネスと隣同士の部屋になっており客間として使われている部屋。調度品は、とても落ち着いたパヒュームピンクを基調とした色だった。チェストも、鏡台も、寝台も……なにか、懐かしさを覚える色。彼女の知っているチューリップとは違う色。どちらかというと、最近品種改良されて秋口に咲いている秋桜こすもすという華で見た色。
 対して、モーネスの客間の色は勿忘草わすれなぐさの花の色、フォゲットミーノット。モーネスは、花言葉をヴォルフから聞いた時、赤面したのを想いだした。

 「今、あいつの言った花言葉とか……」

 勿忘草の花言葉……【真実の愛】だった。

 身支度を整え直し、執事長の案内で2人は応接間へと着た。ノックし2人が着たことを執事長が知らせると、侯爵は合図し開けられた扉からモーネスは改めて挨拶をして入室した。アイリスも、それに倣って入る。
 ソファーに座っていたフルフィルメント侯爵は、「硬い挨拶は抜きにして掛けなさい」と席へと促した。
 温かい紅茶に、茶請けの軽い味付けのクッキー。フルフィルメント侯爵は、もてなし方にも長けており味付けの濃い茶菓子などはあまり出さない。そして、喉も潤いやすいように紅茶の横には蜂蜜も用意されている。

 「アイリス。今回は、手紙に書かれていた……絵画のことだね?」
 「はい。今、でないとと思いまして。急な訪問で申し訳ございません」
 「いや、君がいつ来てもいいようにと待っていたから。それと、モーネス殿。君は、彼女のただの付き添いという訳ではないね?」
 「はい……彼女との約束もありますが、私は……彼女との婚姻を認めていただきたいと。侯爵にお願いしたいと思っています」
 「……っ、くっ、はっははははっ!! 君はやはり目が離せない男だ!!」
 「侯爵、さ、ま? その、突然訪れて、彼との婚姻の話しをして失礼でしたよね……」
 「いや、アイリス。君たちを責めている訳ではないんだよ? アノ時と、どうも同じでね……つくづくこの侯爵家の男というのは、好いた女性には……大丈夫だ。君たちの事は、訪れた時に表情を見て予感はしてたんだ」

 フルフィルメント侯爵は、婚姻を喜んで受け入れた。そして、本来の目的であるアイリスの父の絵画を保管してある美術室へと案内された。
 アイリス自身、侯爵家で長く絵画の手入れをしたが入ったことがない場所だった。本館から渡り廊下を歩き、別館の端にある小さな美術室。美術回廊とは正反対だった。亡き奥方様の大切な遺品があると、聞いていた。
 執事長が鍵を侯爵に渡すと、手入れの行き届いた銀色の鍵はかちりと部屋の鍵を開けた。ゆっくりと扉1枚を開けると、ほんのりと柔らかく懐かしい油絵の具の匂いがした。少し、湿気交じりの空気と供に流れる匂い。

 「この部屋の中の絵画、全てがそうだ」
 「全て……こんなに?」
 「すごい量だ……」
 「入り口は狭いが、奥へとかなり広がって広さはある。換気用の通気窓も全て作り直した」
 「侯爵様が全て設計したのですか?」
 「あぁ、彼の……弟の絵画を全て保管するために……君の父は、私の弟でもあるから。君は私の姪にあたる」
 「わたしが?! でも、そのような話は……あっ、手紙……」

 手許に荷物と一緒に持ってきていた父の遺した手紙を再び広げてみると、確かに侯爵家の名前が入っていた。わたしは、叔父の家に奉公に来て絵画の手入れから何まで学び。その前の、教会で過ごしていた日々。あの時ですら、絵画に関して学ぶ機会があった。
 今思うと、叔父は父亡き後に必死に父の絵画を守り続け、そして、姪のアイリス含め教会に保護された子供たちのためにも尽力を尽くしてきた。

 部屋にある絵画ひとつひとつをゆっくり観ていく。自然と、瞳から涙が零れ落ちていく。

 『お父さん!! この色使ったの!!』
 『いいじゃないか!! よぉし、父さんはアイリスとママを描いてやるからな? 楽しみにしてなさい?』
 『お父さんも一緒じゃないとイヤ!!』
 『本当にこの子は、あなたと絵を描くことが大好きね』
 『嬉しいじゃないか。それより、最近、風邪が流行っているから気を付けないとな』
 『はぁーい!!』

 あの日、風邪が流行っていると聞いた数か月後。王都中は、【ふた咳病】が流行った。
 父が、母が、部屋から出てこれなくなって……身体が記憶と供に震えだす。供に、今は、横に支えてくれる人がいる。モーネスは彼女の手を握り、「ゆっくり吐いて。そう、吐いたら、ゆっくり息を吸って……そうだ……ここには、俺もいる。君のお父さんは君との思い出をたくさん残してくれたんだ」耳元で柔らかく低く心地よい声がする。
 正面を見ると、約束の絵があった。

 満面の笑みの小さい女の子と、柔らかな顔の女性が右手。女の子の左手に、絵を描いている男性の絵。
 家族が描かれている。幸せな、日常の一部を絵画にそのまま遺している。
 アイリスは、その絵画から目が離せない。あの日の約束を、父が守ってくれた。最後の最後まで、娘との約束を果たそうと、こと切れそうになりながらも・・・・・・家族への想いを、描いた。
 モーネスが呼吸を整える手伝いをし、落ち着いた彼女がゆっくりと中心の絵画へと歩く。供に、彼も寄り添い歩く。
 侯爵は2人を後ろから見守り続ける。
 絵画の後ろには、父はいつも何かを書いていた。絵画をガーゼルから外し、ゆっくりと裏返す。

【愛しいわたしの娘へ 君への愛として贈る ジョナス・フルフィルメント】

 「ふっ、あぁ!! お父さん!! あぁ!! お母さん!!」

 美術室の中に、アイリスの叫び泣く声が響く。ただ、彼女は、父の絵画を愛おしく優しく大事に抱きしめ。部屋の小窓から差し込んで見える、外の青い空に向かって泣いた。
 泣いている間、侯爵は耐え、モーネスは彼女を後ろから抱きしめ続けた。

 涙が枯れ果てたのではないだろうか? という程に泣き、声も掠れてしまい。疲れ果てたアイリスをモーネスが抱きかかえて部屋のベッドへと運んだ。
 最初は、「自分で」と言っていたが立つこともままならない状態だったため彼に甘えることにした。以前の彼女なら、そうはしなかった。
 その日の夜は、部屋で食事がとれるようにと計らいをしてくれ、モーネスと一緒に部屋で食べた。
 美術室から抱えてきてしまった絵画は、「君に返すものだから大丈夫だ」と侯爵、叔父が言ってくれた。
 食べ終えた食事を下げられた後、モーネスは一旦部屋へと戻った。彼が部屋へ行った後、アイリスはハルが鞄に入れた夜寝るときに着るという服? を出して着てみた。

 「これ、やっぱり肌寒く感じるわ。えっと……たしか他の……ほ、か、の?」
 「アイリス、さっきの君のお父さんの絵画……を……」
 「絵画ですか?」
 「いや、その、あ、アイリス? 君、その恰好は?」
 「ハルが夜に着るものだと。肌寒く感じたので、他のを今探して見たのですが……似たようなのしかないのです」
 「え、えぇぇぇぇ?!」

 モーネスが思わず声が上ずって大きい声が出ると、近くを通りかかった従者が「いかがなさいましたか?」と扉越しに声をかけた。しかし、今のアイリスの恰好を考えると入ってこられても困る。
 レース仕立ての裾に、薄地のネグリジェで彼女の身体の線が露わになっており、下着もレース地だった。

――あのヴォルフといい、ハルも一体どんな日々を……――

 「モーネス様? この格好では、やはり……」

 再びノックの音がして、「大丈夫だ、なんでもない」とモーネスは慌てて答えた。かくいう彼も、ヴォルフに渡された小瓶をガウンのポケットに入れていた。

 『彼女と一緒に寝るときに必要だろう?』

――侯爵邸で、何をっ!!――

 目の前には愛しい花が、自分だけを愛でて欲しいと言わんばかりだった。先ほど、あれほど泣いてしまい喉を傷めた彼女に変な負担はかけたくはなかったが……彼の理性は切れ始めていた。

 「アイリス。その、口づけ、してもいいか?」
 「……っ……」

 その瞳はひどく熱を帯びて、軽く啄む口づけでは終わらなかった。
 父の絵画を受け取り、観た夜。彼女は彼から、どこもかしこも愛され尽くされた。初めて知った、愛する人に愛される行為。
 ぼんやりと天井を見上げ、横にいる、熱を彼女と供にした男は愛しい花を抱きしめて「俺はずっと愛していたい。君を描きたい」と囁いた。

 翌朝、ヴォルフに渡された小瓶がとても役立ったのが分かった。彼女が初めて散らした花の痛みが、酷くはならなかった。ただ、彼の愛し方は激しかったようで……アイリスは、それが初めてのことで愛されることと言うのは、こういうのが普通なのだろうと認識していた。
 それが覆されたのは、侯爵家から王宮に戻ってハルと2人でひそひそと話した時だった。

 侯爵家に1週間程滞在し、父の絵画を全て見終えて王宮に戻る日。

 「いつでも着て構わない。あぁ、次は婚姻式か……楽しみだ」

 笑顔で侯爵家の人々は送り出してくれた。

 馬車の中では、モーネスはデッサンをしていた。行きと違うのはアイリスをデッサン帳に描いていること。
 そして、彼はベッドでの約束どおり、王宮に戻ってから彼女を庭園で見かけた時にスケッチを早業のごとく行い。それをカンヴァスへと、彼女への愛を現すように描いていた。

 【花束を抱いて】

 そう、題名を付けた絵画。柔らかい表情の侍女メイドが花束を抱いて窓辺で佇んでいる。差し込んでくる春の日差しを受けている、日常の侍女の姿。
 カンヴァスの裏に、【愛しい花へ 君への愛と想いを モーネス】と書いた。

 王宮から消え続けていたモーネスとヴォルフの絵画の噂話がでるようになったのは、2人が侯爵家から王宮に戻って半年後だった。
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