上 下
19 / 211

10

しおりを挟む


   「ぷっ、」

   開いた車窓から微かに聞こえるのは、リリーの吹けない掠れた口笛。それを教えたエレクトは、吹き出した同じく護衛であるパイオド侯爵家のセセンテァ・オウロを睨んでたしなめた。

   「失礼ですよ。オウロ卿」

   「だって可愛いじゃないか、うちの姫様、ぷぷっ、」

   トライオンを筆頭に、十枝の護衛が五人揃って動くのは初めての事である。その他にも騎士の護衛を後方に従えて、リリーの初外出は仰々しいものとなった。

   馴染みの騎士たちに囲まれたダナー家の黒い馬車。その車窓からは、時折リリーが外に顔を出す。

   「またやってる」

   景色を見て、前を見て、後ろを見て、少し後方のエレクトとセセンテァに愛想をふる。

   「ちゃんと仕事してますよー」

   笑うセセンテァが手を振ると、リリーはトライオンの目を盗んで手を振り返してくれるのだ。

   「ほんとに可愛い」

   「はぁ、」

   エレクトよりも四歳年上の十七歳のセセンテァ。彼が主のリリーに気安いと、エレクトはいつも不満に思っている。

   「それより、行き先はヤアハ孤児院とサテラの街でいいんだよな?」

   笑いはない。仕事の話しに返答すると、セセンテァは森を眺めた。
   
   「クロスって、聞いたことある?」

   「最近、王都で男爵位を受けた者ですね。商人からの成り上がりだと聞きました。この一年で名が挙がったと、プラン領うちでも話しは聞きますね」

   「奴らの商材が問題なんだよね」

   「?、なんですか?」

   「幻獣ヴェルムネルを使っているらしい」

   「!!」

   スクラローサ王国には、幻獣ヴェルムが存在する。過去には王獣と崇められていた幻獣ヴェルムだが、今は森に隠れ住みほとんど姿を現さない。

   そして幻獣ヴェルムを狩る事は、各領主の許可がいる。ダナー・ステイ領内では、幻獣ヴェルムの狩りは禁じられていた。

   だがこの一年、城下街を取り囲む森の中、何者かが幻獣ヴェルムを無断で狩り、死骸が打ち捨てられているのだ。

   「証拠が無いから、クロスは捕まってないのですね」

   「そう。だが限りなく怪しい」

   ふっふーふふふーふふー…。

   再び聞こえ始めた拙い笛の音に、話しは中断される。到着した孤児院では院長に支援物資を渡すが、子供は隠れて出てこない。それに思い付いたリリーは、騎士たちの見た目に怯える子供たちと、触れ合いの時間を作ると言い出した。

   「最近、街では子供たちの貧困が減っているのか、当院の入所者数が、この一年で減りました」

   「良いことですね」 

   「なんでも、貴族の方が積極的に孤児を受け入れてくれているとか」

   「殊勝な方ですね。どこの家の者ですか?」

   「それが、「ゥワッ!!!」「ぎゃーーーー!!!」

   「…申し訳ない」

   「いえいえ」

   トライオンと院長が見守る中、リリーが突然背後から子供たちを驚かし、笑う子と泣き出す子で院内は騒がしい。

   それにトライオンが青筋を立てて対応していたが、穏やかに時は流れて、一行は孤児院を後にした。

   「バーイバーイ!」
   「ひめさま、バーイバーイ!」

   馬車を乗り出して大きく手を振るリリー。

   そして初めてやって来た街、城下では有名な噴水の大広場にリリーは興奮していた。

   リリーは目を輝かせ、行儀作法も忘れてあちらこちらを見ている。

   「お城の方だ、」
   「あのお嬢様が、まさか?」

   「大公様のお嬢様だ」

   一目で分かるダナー一族の黒い衣装の騎士たち。彼らに護られる様に、淡い青色のドレスの少女は街を進む。

   「あれは、ケーキのお店ね」

   狙いを定めた猫の様に、蒼い瞳はキラキラと煌めく。

   「姫様、次の大きな通りにも、お勧めのお菓子のお店がございます」

   侍女を兼ねた護衛であるデオローダ侯爵家のナーラ・フレビアが耳打ちすると、リリーは慎重に頷いていた。

   「ナーラ様のお勧めならば間違いないわね。ではそちらへ…、」

   「?」

   「どうされましたか?」

   商店街の街道。人々は大公の令嬢に興味がありつつも、遠巻きに彼らを見ているだけ。ザワザワと市場と人々の喧騒が過ぎる中、リリーは突然立ち止まった。

   「………」

   「姫様?」

   「フレビア卿、何か…!」

   隣に居たナーラの焦り。エレクトが近寄り様子を見ると、リリーは無表情に何処かに耳を澄ます。
   
   見たことの無いリリーの顔。その様子に周囲を見回していた護衛も訝しむが、エレクトは、過去にそれを見たことがあった。

   「姫様」

   露店の間、商業家屋の細い路地。そこに向かって無言で進むリリー。薄暗い路地は危険だと、引き留めようと思ったトライオンだが、リリーのただならぬ様子にそれを躊躇する。

   少し進んだだけで目的のものは見つかったのか、リリーはぴたりと止まった。

   『…やっぱりね』

   時折、少女は誰しもが聞き取れない言葉を口にする。それは衝動的に、興奮した時に、学者にもわからない、この国には無い発音。

   無表情のリリーの見つめる先、薄暗い路地裏には、太った貴族が従者の少年に暴行していた。

   何度も顔を撲り、何度も腹を蹴り、罵声を浴びせた男は少年を打ち捨てると、見物人に気づいて怒りの形相で睨み付けた。


   「気に入らないわね」


   大公婦人を思わせる様に冷淡に言いはなったリリー。生意気な少女に男は何かを言いかけたが、トライオンたちを見ると閉口する。

   (あの少年か)

   幼少期から見守ってきた者たちは、リリーが何を気にかけるのか、それもよく知っていた。

   トライオンがふと見ると、リリーの手も足も緊張に小さく震えている。だがその手の握りこぶしに力を入れると、太った男の元へと歩み寄った。

   暴行に身を丸める少年と男の間に割り入ると、ふわりと屈みこむ。そして少年の顔に手を当てた。

   「どちらのお嬢さんか知りませんけどね、うちのに、勝手に触らないでもらえますか?」

   「……」

   見下ろされ、慇懃無礼に告げられた言葉に振り返る。するとリリーは、さっと肩口を手で払った。

   「トライオン様、」

   「はっ、」

   「私に、この者の唾がかかったの。許せない」

   「はぁっ!? なんだとっ、うわっ!!」

   瞬時に捩じ伏せられた男は、通路の外に引きずり出された。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:141,181pt お気に入り:5,151

【R18】あんなこと……イケメンとじゃなきゃヤれない!!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:390pt お気に入り:60

くまさんのマッサージ♡

BL / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:20

どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:312pt お気に入り:1,740

車いすの少女が異世界に行ったら大変な事になりました

AYU
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:489pt お気に入り:53

お兄ちゃんと内緒の時間!

BL / 連載中 24h.ポイント:234pt お気に入り:59

罰ゲームで告白した子を本気で好きになってしまった。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:347pt お気に入り:104

処理中です...