蒼麗侯爵様への甘いご奉仕~番外編の館~

古都助(幸織)

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~番外編・グラーゼス×アルディレーヌ~

【番外編】逃避恋愛事情20

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 ――Side グラーゼス


「──あぁっ、あの夜のっ、二人で愛を誓い合った瞬間を夢にしたくないっ!!」

「……で、殿下」

「フィニア、放置しておきなさい。事を焦りすぎる男の醜態でしかありませんからね」

「セレイドぉおおおお!! 焦りんぼ代表ナンバー1は、お前だろうがぁあああああっ!!」

 アルディレーヌとの紆余曲折、波乱さと壮大さに満ちた恋物語の全容を打ち明けて一分未満。
 向かい側のソファーから突き刺さってきたのは、情も慈悲もなく人に酷過ぎる評価を下した眼鏡の悪魔からの一撃!!
 その隣には、悪魔……、いや、グレイシャール侯爵セレイドが愛してやまない婚約者、フィニア嬢が上品に腰を据えながら困り顔をしている。
 菓子や茶の乗っているテーブルを乱暴に打ち付けながら立ち上がった俺だが、腹の立つ悪魔を睨みつけようと、返ってくるのは尤もな反撃の一手だ。
 
「なんですか、俺がフィニアと、愛する婚約者と二人きりで過ごしたいと望む貴重な休日を返上し、ただ嘆くだけのヘタレに付き合い、我慢強く話を聞いてやったというのに……。貴方は何様ですか?」

「一国の王子様ですよ!! セレイド様!!」

「今日は、友人として招かれているんですよ、フィニア。つまり、王子だの、臣下だの、そんな下らない壁は存在しません。ですよね? 殿下」

「うぐっ……ぅぅうっ」

 フィニア嬢に諫められても、セレイドの表情は不機嫌一色だ。
 いや、まぁ……、な。俺が悪いのはわかってる。
 俺だって、アルディレーヌとの二人きりの時間を潰されたら、ヘラヘラ笑いながらも内心じゃ拗ねる。
 だけど、……だけど!! この相談には、俺の未来がっ、薔薇色の云々がかかっているんだぁあああっ!!
 荒くれた野良犬のように肩を怒らせていた俺は自分の感情を鎮め、ソファーに座りなおす。

「フィニア嬢……、それで、アルディレーヌから……、何か、聞いてない、か?」

「え~と……」

 俺とアルディレーヌの長い長い話を真剣に聞いてくれたフィニア嬢。
 途中、セレイドから甘いちょっかいを掛けられながらも、それを制して親身な様子を見せてくれた天使。
 今日、彼女をこの場に呼んだのは、最近どこか様子のおかしいアルディレーヌに不安を覚えていたからだった。
 俺が縋りつきたい思いで彼女を見つめると、申し訳なさそうに頭を下げられた。

「申し訳ありません、殿下……。その、殿下と、アルディレーヌの結婚に関する話というのは、一切……。馴れ初めのお話も、今初めて伺ったばかりで、……御力になれず」

「いやっ! いいんだっいいんだっ!! アイツの親友だからって……、フィニア嬢からアルディレーヌの本音を聞き出そうなんて」

「男らしくありませんね。そのくらい、ご自分で迫るなり、尋問するなりして……。いえ、この際、ありとあらゆる手段を使い、さっさと彼女を婚約者としてお披露目してしまいなさい。そうすれば、籠の鳥ですよ。どんなに図太いアルディレーヌ嬢でもね」

「セレイド様、アルディレーヌが悲しむような、不幸になるような結果になったら……、ふふ」

 ――私達の婚約、解消しますよ?
 ニコッと天使のような笑みを婚約者に向けたフィニア嬢だが、今確かに怒ってるな、これ。
 アルディレーヌとフィニア嬢。二人は幼い頃から共に在り、互いを大切に想い合う親友同士だ。
 大事な親友の意思を無視するような相手には容赦しない。本当にそっくりな反応をする二人だな。
 流石にセレイドも心無い事を言ったと反省したのか、笑顔で威圧感を放っているフィニア嬢に向かって項垂れ、小さく頭を下げた。……流石、フィニア嬢。時には裁きの天使にもなるんだなぁ。

「……というわけですので、殿下。アルディレーヌ嬢と早急に結婚、もしくは婚約に漕ぎ着けたいお気持ちはわかりますが、相手にも心の準備というものがあります。ですが、貴方の場合は必死すぎます」

「お前に言われたくはないが、……自覚はしてる」

「特に、アルディレーヌ嬢は、次期国王に見初められてしまったという、彼女にしてみれば、あまり幸運とは言えない道です。貴方もわかっているでしょうが、相手はあのアルディレーヌ嬢ですよ? そう簡単にゴールイン出来るとは思わない事ですね。わかっていて、手に入れようと決めたのでしょう?」

 さっきと言ってる事が全然違うが、隣の天使からの圧に屈してる証拠だな。
 勿論、俺だって無理矢理に婚約しようとか、結婚しようとか、そんな事をする気はない。
 ……たまに暴走して、ヤバくなる時はあるが。
 けど、アルディレーヌは俺に愛を誓ってはくれたが、それが永遠だとは一言も……。
 本人も言ってるしなぁ。愛は、時に形を変え、移り変わり、そして、壊れたり消えたりする事もある、と。 
 ついでに、恋人同士になったからといって、必ず結婚まで上手くいくとは限らない、とも。
 だから、焦るんだよ。現実主義なアルディレーヌが、いつ、……俺との事が間違いだと、そう、思い直す日が来るかもしれない、って。
 本当は待ってやりたい。アルディレーヌの心が定まるまで、俺と結婚してもいいと思えるまで……、大切に。

「そう、なんだけどな……。……だけど、アイツにとって、この恋は、……俺達の愛は、永遠じゃない、から」

「俺とフィニアの愛は永え」

「そんな事はありません!!」

「は? フィ、フィニア……、俺と貴女の愛を否定すると……っ?」

「違います!! 私とセレイド様の事ではなくて、殿下とアルディレーヌの事です!! 結婚については、正確な事はわかりませんけど……、でもっ、アルディレーヌは心から殿下の事を想っています!! 殿下がいらっしゃらない時でも、アルディレーヌはふとした時に殿下の事を話題にしますし、殿下に対して呆れているような物言いをしていても、表情は優しいですしっ、それに、それにっ。――ぬいぐるみ店で殿下と雰囲気の似たわんちゃんのぬいぐるみとかを見つけた時のアルディレーヌの顔は、すっごく可愛いんです!!」

「なぁああああっ!?」

 なん、だと……!? 
 俺の知らない、レアショットを目撃したというフィニア嬢からの衝撃カミングアウトに、俺はぐらりとよろけた。ぬいぐるみを両腕に抱き締め、愛らしくはにかむアルディレーヌ……。
 その心には、俺の事だけが……、ぁああああああああああああっ!!

「アルディレーヌは、恋愛事に関して、いえ、自分の事に限っては、とても恥ずかしがり屋さんですから……。愛情を確認しなければ、安心出来ない、婚約して繋ぎ止めたいと不安になってしまう殿下のお気持ちもわかります。でも、やっぱり、結婚というのは、女性にとって一番重要な……、大切な、事、ですから、もう少しだけ、アルディレーヌを見守ってあげてほしいんです。アルディレーヌも、きっと不安を抱えていると思うので」

「フィニア嬢……」

「まぁ、そういう事ですから、焦る必要も、愛が冷める心配も当分の間はいらないという事ですね。後は、貴方が男らしく覚悟を決める番です。一年、二年、いえ、百年でもじっくり腰を据えて待つ余裕を」

「俺に悟りを拓いた何かになれってのかっ!! お前はぁああああっ!!」

 いや、だけど、一応……、まぁ、少しは、落ち着いた気も、する、かな。
 俺が不安なように、アルディレーヌにも、アイツなりの不安や迷いが存在する。
 たとえ俺の事を好きでいてくれても、一国の次期王妃になる覚悟は、その座は、重い。
 わかっていた。わかってやっているつもりだった。その不安を……。
 なのに、最近の俺ときたら、アルディレーヌとイチャイチャ出来る時間が減ってる事や、どことな~く、……たまに、避けられてるような気がする時もあるわけで、……うん、完全に余裕なっしんぐだった。
 アイツが俺を嫌いになったら、愛情が冷めたら、……他の男の所に行ってしまったら。
 悪い想像ばっかりで、……本当に、どうしようもない男だ。

「好きで堪んないって……、辛い。駄目だってわかってるけど、早く結婚、したぃっ。そうしたら、少しは」

 アルディレーヌが俺の婚約者、もしくは妻として世間に認められれば、もう誰も手を出して来れない。
 次期国王の妻。俺の、俺だけのアルディレーヌになる……。そんな安心感を、欲してしまっている浅ましい自分。
 ぽふんと、ソファーに寝そべった俺に、セレイドはクッションを投げて寄越しながら言った。

「結婚したところで、その愛が永遠とは限りませんよ……」

「セレイド?」

「愛を交わし、共に住まう場所を同じくしても……、時には、裏切りが起こる事もあります」

「セレイド様……」

 その時、俺に見せたセレイドの表情は、初めて出会った時のようで……。
 優しさも、同情も、どんな感情もいらないと、心が死んでいるかのように昏かったセレイドの瞳。
 一瞬だけ、その気配を感じた。あの時のように。
 孤独だったセレイド……。俺があの時の理由を知ったのは、互いを友と認め合い、よく一緒に行動するようになった頃だった。貴族社会の中で聞いた噂。グレイシャール侯爵家の……、不祥事。
 セレイドが女に対して心を許さなかった理由、幼い頃の抜け殻じみていた顔。
 一度だけ、セレイドが皮肉げな表情で俺に言った事がある。

『そんなに噂が気になりますか? 殿下。俺に確かめたそうにしておられますが、噂は事実ですよ。俺の父は、グレイシャール侯爵は、妻に捨てられたんです。とんだあばずれを妻に迎えてしまったものでしょう? あの頃の事を思い出すと、男女の愛など欲望だけの戯れ、そう思えてなりませんよ』

 アイツは、そんな噂を流されていても、自分は平気だって、反対に俺を気遣っていたんだと思う。
 だけど、俺に対して噂を認め、自分の父親を嗤っていたセレイドの心は……、きっと、まだ泣いていた。
 クッションを腕に抱き込み、俺の近くに立ったセレイドを見上げる。

「だけど、お前はフィニア嬢を愛さずにはいられないんだろう? 未来を恐れていても」

「殿下も、何があろうと、アルディレーヌ嬢を愛し続けるのでしょう?」

「……」

「……」

 愛するが故に生じる葛藤、苦痛、幸福。
 互いに結び合った絆が糸のようにぷつりと切られてしまう日を恐れてしまう自分。
 俺が抱く恐れは、セレイドにも……、いや、俺よりも深く、過去に味わった絶望を背負うが故に、フィニア嬢を愛する事は、最大の歓喜であり、……恐怖でもあるのだろう。
 
「あの、……お二人、共」

「フィニア」

「は、はいっ」

 元の冷静顔に戻り、セレイドがフィニア嬢の座るすぐ近くに行き、片膝を突いた。
 自分の白い手袋を外し、それをテーブルに置いてから、フィニア嬢の手を取るセレイド。
 まるで騎士と姫の、誓いのシーンの始まりか何かのようにも見える光景。

「愛とは尊く、その絆が強まれば強まるほどに、時に、朧げな陽炎のようなものにも変じます……。ですが、俺は貴女と交わした愛を、永遠のものにするつもりです。誰にも壊させはしません。貴女を愛し、愛され続ける為ならば、どんな努力も厭わぬと、改めて誓わせてください」

「せ、セレイド、様? 急に、どうして」

「……俺に見習えって事だろ? セレイド」

「それをおわかり頂けているのでしたら、互いに余裕を持った交際を続けられるように、想い人の不安を拭いに行ってはいかがですか? 次期国王陛下」

 永遠の愛を信じて縋る暇があったら、って事か。
 挑発的に笑みを作ったセレイドを一睨みし、クッションを投げ返す。
 勿論、簡単にキャッチされて元の場所に戻されるわけだが……、もう、休憩の時間はおわりだ。
 
「フィニア嬢、アルディレーヌは今日も自分の屋敷だったよな? 締め切りで忙しいって、この前聞いた気が」

「はい。ですけど、昨日の内に脱稿したはずですから、今頃は自分の部屋でお昼寝中だと思います。行かれますか?」

「あぁ。行ってくる」

 眠り姫は王子のキスで目覚めなきゃ、物語が成立しないからな。
 目が覚めたら、すぐ傍に俺のドアップとか、アルディレーヌもびっくり……、いや、起床一番、パンチか回し蹴り、だろうな。けど、それはそれで面白い。
 俺に寝顔を見られて、大慌てで照れを隠すように暴れまくるアルディレーヌ。
 うん、最高の反応で出迎えられるなんて、男冥利に尽きる!
 それで、アルディレーヌに一発殴られるか蹴られるかしたら……、ちゃんと話し合おう。
 アイツの不安を聞いて、俺のどうしようもなさも曝け出して、そして……。

「殿下、せめて男らしく表情は引き締めてから行ってください。不審者に間違えられますよ。あぁ、違いますね。まぎれもなく、不審者です。シャルドレア伯爵家にとっては、――っ!」

「頑張ってください、殿下。あ、それと、今のアルディレーヌは頭を使いすぎて疲れ切っていますから、何か甘い物でも持って行かれれば、少しは寝覚めの機嫌も良くなるかもしれません」

 きっと殿下は御存知ですよね? と、自分の婚約者の耳を軽く引っ張っりながら応援をくれたフィニア嬢に満面の笑みを返し思う。

(セレイド……、お前も俺みたいに尻に敷かれる日が近いぞ!!)

 やっぱり、アルディレーヌの親友だなぁ。
 たとえ正反対の性格に見えて、淑やかで心優しそうでも……、遠慮がなくなれば、ああなる、と。
 最初はあった遠慮深さが消えたフィニア嬢だが、セレイドは痛がりながも内心喜んでいるんだろう。
 自分の部屋を飛び出して行く時にチラッとだけ振り返ったが、フィニア嬢に何か文句を言い始めたセレイドの声音は、やっぱり嬉しそうな響きを隠しきれていなかった。
 




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side フィニア


「フィニア……」

「セレイド様が殿下を遠回しに応援していらっしゃるのはわかっています。ですが、少々お言葉が過ぎると思うんです」

「いいんですよ。昔からあの調子なんですから」

 殿下がアルディレーヌの許にお急ぎになってから、すぐに隣の婚約者様からじっとりと恨みめいた視線と文句が飛んできた。セレイド様と出会い、婚約してから早一年近く。
 結婚式を間近に控えている私達の関係は、以前よりも砕けたものに変わっていた。
 主に、私がセレイド様に対する遠慮を徐々に無くしてきているというか……。
 時々、セレイド様の態度が悪かったりすると、つい手が出てしまうようになったのだ。
 今日は、蒼く長い艶やかな髪を水流れのように背へと流しているセレイド様が、ご自分の耳を擦りながらもう片方の手を伸ばしてくる。

「きゃっ」

「お返しです」

 私と同じように耳を引っ張って仕返しをしたセレイド様は、ムッとしている表情を和らげ、お茶目な笑みを浮かべた。こんなちょっとした戯れも、最近ではよくある幸せのひとつとなっている。

「フィニア」

「はい?」

 コツンと、セレイド様のぬくもりが触れたのは、私の額。
 同じ部分をくっつけあいながら、彼は真剣な眼差しで囁く。

「さっき、殿下の前で誓った事は偽りなき俺の心です。永遠の愛は、信じるものではなく、二人で紡いでゆくもの……。俺は貴女との愛を、最期まで守り続けます」

「セレイド様……。私も、貴方との愛を、生涯をかけて守り続けていくと、誓います」

 お互いの両手のひらを絡み合わせ、しっかりとぬくもりを抱き締め合う。
 激しく燃え上がる愛、いつか……、壊れてしまうかもしれない、愛。
 どんな絆も、時の流れと共に形を変えていく可能性を秘めている。
 だからこそ、信じるだけでは何も守れないのだと、私はこの一年の間に知った。
 特に、今もセレイド様を苦しめている幼い頃の事件(記憶)……。
 私を心から愛しているとそう言ってくださるセレイド様。
 でも、自分のお母さまが犯した裏切りが彼の心の底に根強く刻まれている限り……、
 当時の話を知ってから、ただ愛されているだけでは駄目だと、私も、この人を全力で守っていかなければと、そう、強く、強く、切なる想いを抱くようになった。

「……ふふ、まるで、今、婚姻の誓いをしているかのようですね」

「ふふ、私もそう思いました。でも、もうすぐですよ」

「ええ。もうすぐです。俺達のさらなる幸せ、その始まりの日が……、もう、すぐそこに」

 好きな人と将来を誓い合う、大切な日。 
 セレイド様がどんなにその日を待ち侘びて下さっていた事か……。
 そして私も、この人の妻となれる一生に一度の大切なその日を、一日千秋の思いで待っている。

「幸せになりましょうね。二人一緒に」

「はい。貴女と、これから生まれてくる家族と一緒に」

「ふふ。どこまでご期待に沿えるかわかりませんけど、頑張りますね。……あ、そういえば」

「どうしました? フィニア」

 グラーゼス殿下とアルディレーヌの、二人で紡いだ恋の物語。
 だけど、そこには別の恋のお話もあったはず。
 私はセレイド様と手の温もりを重ねたまま、どうしても知りたかった事をお聞きしてみた。

「ダリュシアン様と、その想い人の方は……、どうなったんでしょうか?」

 アルディレーヌ、セレイド様、二人と同じく、王家を支えていらっしゃるお家柄の次期伯爵様。
 当時、私も一応は少しだけダリュシアン様とお話を出来たのだけど……、彼のその後は知らない。
 だって、アルディレーヌが話してくれなかったんですもの。
 突然、婚約はなかった事になったって、お互いの道や価値観の違いなどのせい、そう簡単に説明してくれただけで……、他は、何も。
 ただ、アルディレーヌの表情や態度はすっきりとしたものだったから、良い意味でのお別れだったのだろう。
 でも、……まさか、あの婚約破棄の裏側にあんな出来事があったなんて。
 殿下が王家を支える役割を担っているアルディレーヌの生家の事や他家の事を話して下さったのも、私がその事を少しだけ知っていたから。
 そして、次期にグレイシャール侯爵家に嫁ぐ事が決まっているから。
 そのお話を聞かせて頂く過程で知った、ダリュシアン様が諦めようとしていた想い人の存在。
 セレイド様は私の唇に星形の小さなクッキーをそっと押し当て、

「知りたいですか? もうひとつの、恋の行く末を」

「ん……っ。は、はい」

 秘密を共有するような、少し悪戯めいた笑み。
 私が星型のクッキーを手に取り頷くと、昔語りをするかのように、彼は話してくれた。
 
「想い人がいながら、別の女性と縁(えにし)を結ぼうとした、東の領主。彼は、己の部下が引き起こした責任を取り、王家から託された任を下ろされました。一時的にですがね」

「まぁ……。殿下のお話では、陛下達のお陰で、重い罰を課される事にはならかったと……」

「ええ。まったく重くはありませんでしたね。なにせ、自分の父親に長の座を返し、自由の身となれたのですから」

 けれど、それは一時的なものだとセレイド様は仰った。
 なら、ダリュシアン様は罰をお受けになられてから、どうなさっていたのかしら?

「東の長として、まだまだ修行が足りない。そう断じられたダリュシアン殿は、グランティアラ王国と永く友好的な関係を築いている王国に出されました。不完全な己を律する為に……。そして、あの件を利用し、主を思い遣り過ぎてしまったカーティス殿達は、それはそれは、過酷な任地に飛ばされたと聞いています」

「そんな……っ」

 主であるダリュシアン様の幸福を願い、行動した二人……。
 確かに、王家への反逆であり、大罪だけど……。命を救われた事自体が奇跡と考えるべきかしら。
 胸の前で両手を重ね小さな祈りの形を作った私の肩に、セレイド様がぬくもりを添えてくる。

「大丈夫ですよ。過酷とは言っても、東の領地で厳しすぎる程に、いえ、ド鬼畜極まりない試練を与えられ成長した二人の大人にとっては、命に関わる大事は起きなかったそうですからね」

「本当ですか?」

「ええ。それと、二人がその程度の罰で済んだのは、……フィニア、耳を貸してください」

「はい? ……え? ……っ!? ……ほ、本当、ですか?」

 内緒話の体(てい)でセレイド様に囁かれた『真実』は、あまりにも意外な事だった。
 むしろ、そんな重要機密を私に話してもいいものなのか……。
 一瞬で青ざめてしまった私に、セレイド様はくすりと笑う。

「貴女は、俺の対となる人です。俺が担っているグレイシャール侯爵家の『影』の仕事に関しても、妻として理解し、把握しておいて貰わなくてはならない事が多いんですよ。まぁ、今お話しした件は……、ふふ、二人だけの秘密です」

「で、でも……」

 王家の地下、今は修復され、完全に元の状態を取り戻しているという、地下の重要機密に続く大迷宮。
 だけどそれが、丸ごとフェイクで、侵入者を欺く為の大掛かりな場だったなんて……!!
 迷宮の奥にある間に、重要機密を内包した大きな球体がある、だけど、それもフェイク……。偽物。
 それらしい事は書いてあるけれど、全部デタラメ。
 だけど、それを知るのは極一部の人だけで、ダリュシアン様の生家でさえ、それを知らされていなかったらしい。

「ちなみに、本物の機密がどこに在るのかは、俺も知りません。このレベルになると、機密の在処を知っているのは……、ふふ、宰相閣下ぐらいではないでしょうかね」

「セレイド様、あまりみだりに口にされない方が……」

 たとえここが殿下の私室であっても、誰が聞き耳を立てているか……。
 心配でたまらない私に、セレイド様は左手の中指にしていた指輪を見せてくれた。

「この指輪に込められている魔術が発動している間は、何も外に漏れる事はありません。それどころか、誰かが聞き耳を立てているとしても、貴女と私が睦言に耽っているようにか聞こえませんよ」

「よ、用意周到なんですね……。ふぅ、ビックリしました」

「ふふ、すみません。ですが、これからは色々な面倒事を把握して頂かなくてはなりませんよ? ね? グレイシャール侯爵夫人」

「うっ……、が、頑張らせて、頂き、ますっ」

 申し訳なさそうに、ではなく、なんだかすごく、楽しそうにしているセレイド様。
 私と結婚出来る事、秘密を共有出来る事、もしかしなくても、全部嬉しくて、堪らない、のかしら?
 
「安心してください、フィニア。たとえどんな秘密を共有する事になっても、貴女は俺が守ります。愛する貴女を害そうとする者は、この手を汚してでも、必ず」

「セレイド様!! そ、そういう事は、や、やめてくださいっ。お願いですからっ」

 出来れば、お仕事絡みでも血を見るような真似はやめてほしいのだけど……。
 以前にフィニーの故郷で出会った旅の男性に忠告された言葉。
 ――セレイドに血を見せるな。感情を荒れさせるな。
 その意味までは教えて貰えなかったけれど、セレイド様の王家から下されるお仕事の中には、血を見るような危険な任務もあると聞いている。本当は、それも止めたい。だけど……。
 セレイド様は嬉しそうに「貴女は心配性ですね。でも、嬉しいですよ、とてもね」と、幸せそうに笑むばかり。

「あの、セレイド、様っ」

「あぁ、そうでした。肝心の、ダリュシアン殿の恋路ですが、他国に渡った彼は、往生際悪く、愛する女性にプロポーズさえ出来ずにいたようでして」

「あ……。えっと、そ、それは、他国に行かれたのですし、なかなか……、連絡を取るのも難しいのでは?」

 何度も言い含めてきたつもりの話題を、もう一度念押しの為に切り出そうとしたけれど、最初の疑問によってすり替えられてしまった。。
 
「手紙くらいは出せますよ。魔術道具だってありますしね。ですが、ダリュシアン殿はその勇気さえ出し渋っていた。そして、その結果」

 大丈夫。今のところ、セレイド様に変わった様子はない。何も、恐ろしい事など起きていない。
 あの男性に出会ってから何度もお願いしているのだもの。大丈夫、大丈夫……。
 私は困惑の表情を好奇心へと無理やり変え、続きを待つ事にした。

「俺と殿下が恋のキューピッド役を買いまして、ダリュシアン殿の大切な方に話を通しました。すると、なんと彼女は一人で他国に向かい、素晴らしい迫力でダリュシアン殿を陥落させてくれたようなのです」

「まぁ……っ」

「彼女からの熱い説得を受け、腹を決めたダリュシアン殿は、現在彼女と婚約中です。いずれ長の座に戻る日が来れば、彼女を連れて東の領地に戻る事でしょう。ふふ、可愛いお子さんを連れてね」

 そうやって微笑むセレイド様は、まるで自分の事のように幸せそうだった。
 多分、今の自分とダリュシアン様達を重ね合わせているのだろう。
 いつもは冷静な方なのに、結婚式を前にはしゃいでいらっしゃるようにも見えて……。
 居ても立ってもいられなくなった私は、セレイド様のぬくもりにぽふんと身を委ね、その顔を見上げる。

「幸せにしますっ。必ず、必ずっ」

「ふふ、さっきと同じ、いえ、さっきよりも強い想いを感じますね、フィニア。ですが、そんなに力まないでください。俺の男としての立場が危うくなってしまいますよ? 二人で幸せになる、そう誓い合うのですから」

「セレイド様……」

 幸福に酔いしれる仲睦まじい、奇跡のようなひととき。
 私は胸の奥に小さな不安を抱えながらも、徐々に近づいてくる彼からの口づけをそっと受け入れるのだった。
 そして、それから一週間後の事。
 私とセレイド様は、ついにアルディレーヌが殿下との婚約話を受け入れた事を、レアンドル様やブランシュちゃん達と一緒に喜んだのだった。




 グラーゼス×アルディレーヌ


 fin
 
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