無垢なる密蕾は、愛しき腕にて咲き誇らん

古都助(幸織)

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~サージェスティン・フェイシア編~

魔竜の騎士は狼王の姫に翻弄される8◇~サージェスティン×幸希~

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 ――Side 幸希


「ユキちゃーん……、ユ・キ、ちゃん」

「んぅ……、むにゃ。まだ……、眠いです」

「あぁー……、だから、ね? そうやって無防備に擦り寄られちゃうと……」

 微睡む意識の中、大好きな人が困惑しているような声と気配がしたかと思うと、太腿の辺りに何やら不埒な感触が生じた。
 意味深に肌を撫でながら……、徐々にその感触が足の付け根に。

「んっ! やっ、……ぁあっ、だ、めっ」

「寝てるのに感じちゃってるの? 子猫みたいに可愛い声……」

 大事な部分には触れず、それは焦らすような動きで私の身体に快楽の火を灯してくる。
 い、一体何が……。流石に寝ている場合ではないと一気に覚醒した私の視界に、彼の顔が至近距離で映り込んだ。さ、サージェスさん!?
 認識した瞬間に唇を塞がれ、悪戯めいた動きで彼の舌が私の口内へと滑り込んでくる。
 しっとりと濡れた感触は私の中ですぐに唾液を絡みつけ、交わりの気配を零していく。

「サー、ジェ、……んぅっ、……はぁ、な、に」

「起きて、って、……ちゃんと逃げ道をあげたのに俺を煽った罰だよ」

 キスの合間に意地悪な囁きを紡いだサージェスさんがアイスブルーの瞳を楽しげに細め、また、熱を宿した感触を重ねてくる。
 闇の帳で隠された世界の中ではなく、眩い光の降り注ぐ……、蜜事には不似合いなこの場所で。
 おかしい……。確か、昨夜はディアーネスさんの計らいでガデルフォーン皇宮に泊まって、それで、サージェスさんとは寝室が別々だった、はず。
 それなのに、今、私はベッドの中でサージェスさんと向き合いながらキスをされているという意味不明な状況にいる。――本当に意味がわからない!!
 
「んっ、……はぁ、はぁ」

 ようやく熱を共有していた感触が離され、私達の間に行為の余韻である透糸が伝う。

「うーん……、このまま食べちゃいたいくらい可愛い顔。だけど、……こんな早朝から襲っちゃったら」

「容赦なくお前の息子(ブツ)を切り落とす事になるな?」

「ははっ、……だよねー」

 黒いシャツとズボン姿で寝そべっていたサージェスさんが上半身を起こしたその瞬間、ベッドの真正面にゆらりと現れたルイヴェルさん……。あぁっ、だ、大魔王の気配が!!
 銀フレームの眼鏡の奥からサージェスさんに向かってグサグサと突き刺さる強烈な殺意の気配。
 その余波が私の方にまで降りかかってくるから、怖くて仕方がない!!
 でも、サージェスさんはニコニコと笑ったままだ。全然動じてない。流石だ……。
 その上、私の唇にもう一度軽いキスをして、さっさとベッドの外へと抜け出していく。

「ユキちゃん、また後でねー」

「ユキ、お前はもう少し休んでいろ。後で女官を寄越す」

「は、はいっ」

 扉に向かうサージェスさんを足蹴にし、ルイヴェルさんもその後を追った。
 ……で、結局どうして私の部屋にサージェスさんがいたの? それも、ベッドの中に。
 と、暫くぼーっとしながら考えてみた結果、当たり前の答えに行き着いた。
 寝癖のついていた髪、少しよれた衣服。……多分、起きてすぐに私の顔を見に来てくれたんだ。
 昨夜のディヴェラーデ前侯爵家での一件。治療をしたとはいえ、まだ本調子にはなっていないはずなのに……。

「サージェスさん……」

 今日は……、ディヴェラーデの前当主様と、それに関わった人達の処罰を決める為の話し合いが開かれる。私を禁呪によって呪った事、別空間に術者達を監禁し、利用した事などについて……。
 恐らく、厳罰は避けられない。長く続いたディヴェラーデの歴史も、終わる日がきた。
 でも、私が気になっているのは彼らの行く末ではなく……、愛する人の、心の内。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「ディヴェラーデ侯爵家、前当主……、ギルヴァース・ディヴェラーデ。面を上げよ」

「……御意」

 一面を冷たい氷で敷き詰めた床と、同じく、氷の柱が並ぶ空間。
 罪人の中でも、貴族や特別な地位にある者が処罰を言い渡されるというこの場所に入るのは、私も初めての事だ。
 女帝であるディアーネスさん、宰相のシュディエーラさん、ルイヴェルさん、私とサージェスさん。そして、罪人として膝を着かされているディヴェラーデ家前当主様達と騎士団の人達。
 ディアーネスさんは小柄な少女の姿で槍を持ち、無表情な顔で罪人達を見つめている。

「此度の件は、弁明など出来るものではないと知れ」

「……陛下、私は」

「我が臣下たる者を長きに渡り苦しめ続けた事、多くの術者達を強制的に働かせ、利用した事。そして……、ウォルヴァンシアの王兄姫たる娘に手を出した事。極刑は免れぬ」

「恐れながら陛下に申し上げます。此度の件は、私が独断でやった事……。どうか、息子や孫には慈悲深き温情をっ。長きに渡り皇家を支えてきた我がディヴェラーデ家の血筋を、どうかっ」

 自分のやった事を否定はせず、前当主様は事実だと認めている。
 けれど、やっぱり……、あの人にとって大切なものは、ディヴェラーデ侯爵家と自分達の血筋だけ。サージェスさんに対する謝罪の言葉は、何一つ出て来ない。
 彼が二つの種族の血を受け継いでいるという、ただそれだけの事で……。
 前当主様は、サージェスさんの一生を台無しにしようとした。
 それだけじゃない。何の関係もない術者の人達まで巻き込んで、強引に命令を押し付けて……。
 私は、自分達の事だけしか考えていないあの人を……、許す事が出来ない。

「サージェスさん……」

 柱の陰で前当主様の事をじっと見つめている彼に寄り添いながら、その手を取り、そっと包み込む。伝わってくる……。サージェスさんの、前当主様に対する抑え込まれた憎悪の感情。
 それはきっと、自分に対して行った非道極まりない事じゃなくて……、私を巻き込んだ事に対する怒り。

「サージェス、さん……」

「ユキちゃん……。俺は……、今回の事だけは、人に任せてはおけない、って、そう思うんだ」

 やり取りを交わしているディアーネスさん達を見つめながら、彼が小さく呟いた。
 私の手をしっかりと握り返し、サージェスさんは続ける。

「俺一人なら……、まだ、どうでもいいと、そう思えたと思うんだ。でも、あの人は君に……、関係のない人達まで平然と巻き込んで利用した。許せるはずなんかないよ」

「……」

 ――だから、自分が前当主に終わりを与えたい。
 紡がれなかった続きは、痛いほどに伝わってくる。
 サージェスさんの心に迷いはない。彼は、ディヴェラーデの者ではなく、サージェスティン・フェイシアという一人の存在として、決着の道を定めている。
 けれど、ディアーネスさんはそれを許してはくれない。
 あくまで、国内の貴族がしでかした過ちを、女帝という立場で裁く。そう決めている。

「ギルヴァースよ、我は残念に思う。ディヴェラーデの名を、消し去るこの瞬間を迎えた事を」

「陛下!!」

「竜煌の血はあくまで、エリュセードにおける種族のひとつ。他種族を蔑み、傲慢さを曝け出した挙句の果てに禁じられた術にまで手を染めたお前は、愚かという他ない。我らの一族も、他種族の者達も、同じ世界に住む同胞。そこに優劣の差など、我や他種族の王達は決して認めぬ。……たとえお前が、自身の出自を忌まわしく思っていようとも」

「な、何故その事を……っ」

 前当主様の表情が驚愕と恐怖の情に彩られる。
 忌まわしき出自……。精神体の時にはそれどころではなくて気付かなかったけれど、今の、冷静な状態で前当主様を見ている私には、わかる。
 前当主様もまた、サージェスさんと同じ、――二つの血を抱くハーフだ。
 
「お前がサージェスに対して刺客を向け始めた頃より、シュディエーラに調べさせておいた。ギルヴァースよ、お前は先々代の当主が他種族の女に産ませた、混血児。それが元で……、随分と先々代の本妻に疎まれていたようだな? 自身の血を呪うほどに」

「申し訳ありませんね、ディヴェラーデ前侯爵殿。貴方が長年隠し続け、混血児であると周囲に悟られぬように隠し続けてきた細工の件も、今となっては表に出さなければならない重要事となりました。私も陛下と同じく、本当に残念だと思います」

 女性か男性か、判別のつきにくい絶世の美貌を曇らせながら、ガデルフォーンの宰相であるシュディエーラさんが小さく頭を下げた。
 ディヴェラーデ家、先々代の当主……。もう今は亡きその人は、本妻との間に息子を一人設けていたものの、他種族の女性と恋に落ち、前当主様をこの世界に産み落とさせるに至った。
 しかし、その浮気相手の女性は産んだ赤ん坊を先々代の当主様に押し付け、姿を消してしまったらしい。本気だったのは、先々代の当主様だけ……。そう、悟ったそうだ。

「先々代当主はお前を侯爵家で育てる事を決めたそうだが、本妻の罵倒と嫌がらせはその者が死ぬまで続き、お前の出自は周囲には見事に隠されていた……。忌まわしき存在として、地下の牢獄に閉じ込められ続けてきたとも聞いている。だが、本妻が病で亡くなり、侯爵家の長子が妻と共に事故で亡くなった後、お前の環境は一変した」

「……っ」

「先々代当主の血を引くお前は跡継ぎに据えられ、二人の赤ん坊の父親となる事になった。それが、今の当主と、サージェスの母親だ。相違ないな?」

「……その通りで、ございます」

 項垂れる前当主様の背後で、ディヴェラーデの現当主様とルヴァートさんが知らされた真実に目を見開き、戸惑いの表情を見せた。
 前当主様と自分達の本当の関係を知らずに生きてきたのだろう……。
 
「父上……、何故、何故、そのように重要な事を黙っておられたのですかっ」

「お祖父様……っ」

「すまなかった……。だが、真実を口にする事など、私には出来なかったのだ。私は、罪深き混ざり者……。義母上に何度も言われ続けてきた……。他種族の血など、ディヴェラーデの誇り高き在り方を穢す罪深きものだと。だからこそ私は……、お前達純潔のディヴェラーデを守らねばならなかった……。もう、二度と、忌まわしき混血を生み出さぬ為に」

 あの人をそこまで追い詰めたものがどれほどのものであったのか、それを知っているのも、否定された続けてきた苦しみを思い出す事が出来るのも、前当主様だけ……。
 それは一種の洗脳だったのかもしれない。罵倒され続け、存在を否定され、苦痛だけを与え続けられた前当主様の育った環境……。あの人が本当に憎んでいるのは、サージェスさんじゃなくて……、混血児とし生まれた、自分自身。

「先々代当主の本妻は、褒められた性格の方ではなかったようですね……。気位も金使いも荒く、後(のち)に彼女の実家は領地での不正が明るみに出され、位を落とされています。彼女の死後に、ですが……。ご存命の頃は、ディヴェラーデ先々代当主も彼女には大層手を焼いていたそうです」

「……よく調べたものですな。……そうだ、私はあの女に、血筋だけが取り柄のあの女に虐げられ続けてきた。死にたいと、何度思ったか……っ、だが……、出来なかったよ。あの性根の腐った女の子でありながら、私を救おうといつも手を差し延べてくれた……、兄上の存在があったからな」

「事故死したお前の異母兄は、母親に似ず、人格者であったと聞く。お前は……、その異母兄の為に生き続ける事を決め、その死後は残された子供達を守ろうと決めた。だが……、救いの光は、完全にはお前の中の闇を消し去る事は出来なかったようだな」

「仰る通りでございます……。私は、あの女の呪いから逃れる事が出来なかった……。竜煌の血に他種族の血を入れる事が禁忌であり、汚点であると……。兄上の遺した貴き血を守らねばと、あんなに愛していた娘を、その子供を……っ」

 受け続けてきた苦しみが、地獄の怨嗟が……、前当主様を狂わせた。
 再び自分と同じ存在が生まれる事を恐れ、本来であれば祖父としてその手で守るべきだったはずの命。けれど、前当主様は道を誤ってしまった。
 先々代当主様の本妻であった女性の行った仕打ちが、その憎悪の心が、混血の存在を憎むように仕向けてしまったのだ……。自分と同じ存在を生み出してはならない、と。
 根深く刻まれた怨嗟の念とお異母兄さんへの想いが複雑に絡み合って起きた悲劇。
 前当主様の心は、遥か遠い昔に壊れていたのだろう……、深く、大きな亀裂を。

「愛しているから……、憎む、か」

「サージェスさん?」

「前に話したでしょ? 俺が、実の母親と一度だけ会った事」

「は、はい」

「その時にね、言ってたんだよ……。あの人は可哀想な人だって。家族を愛しすぎていて……、裏切られた事が、許せなくて……」

 前当主様を見つめるサージェスさんの瞳には、怒りでも、憎しみでもなく、ただただ……、悲しげな気配が揺れている。

「あの人が殺したかったのは……、きっと、自分自身だったんだろうね。俺はあの人で、あの人は、俺で……。亡くなった人の遺していった憎しみの情に、取り憑かれ続けて……」

「ずっと、苦しんでいたんでしょうね……。ディヴェラーデ侯爵家の中で一人だけ、自分だけが違うと、前当主様は消したくても消せない自分の存在を憎んで……」

「うん。……可哀想な人、だね」

 お異母兄さんの遺した子供達との日々も、育んだ愛情も……、前当主様の中に根付いた呪いのようなそれを、払い飛ばす事は出来なかった。
 もし、それが出来ていれば……、娘さんが出て行く事もなかったのに。
 
「だが、どのような事情があろうと、犯した罪の重さは変わらぬ。ディヴェラーデ家は取り潰しとなり、一族の者達は」

「お願いでございます!! どうか、どうかっ、裁くのは私だけにして下さい!! 兄上の息子や孫には、何の非もないのでございます!!」

「ならぬ。我はガデルフォーンを統べる長だ。裁きは下さねばならん」

「どうかっ、どうか、お慈悲をっ!!」

 氷の床に額を擦り付けて懇願する前当主様を見ても、ディアーネスさんの表情は動かない。
 あまりに事が大きくなりすぎてしまったから……。沢山の人達の命や心を踏み躙り、犯してしまった罪の重さ。知らなかったとはいえ、現当主様とルヴァートさんの事を思うと……。

「……いいのですよ、父上。貴方がこんなにも苦しんでいる事に気付かなかった私は、息子失格です」

「ウォゼル……」

「私もです、お祖父様……。時折、お祖父様がお辛そうな顔をなさっている事に気付いていたのに、私は見て見ぬふりをしていました」

「ルヴァート……」

 自分達は減刑を望まない。現当主様とルヴァートさんは頭を垂れてディアーネスさんに罰を受け入れる旨を伝えると、前当主様の肩を抱いて寄り添った。

「ディヴェラーデ侯爵家は潰す。これは女帝たる我の決断、覆す事は出来ぬ。だが……、此度の件は前当主の独断であり暴走だ。何も知らずにいた現当主と息子、一族の者達の命は保証しよう」

「陛下……っ、本当でございますかっ」

「うむ。貴族位の剥奪と領地、財産の没収は避けられぬが、お前以外の者達の命は保証する。我の言葉に二言はない」

「では陛下……、やはり、父上だけは、極刑を免れぬのでしょうかっ」

 現当主様たちもわかっているはず。何も知らなかった人達の命は助けられても、前当主様だけは……。犯した罪を考えれば、その命ひとつでは贖いきれないはず。

「良いのだ、ウォゼル……。私だけで済むのであれば、喜んで罰を受け入れよう。お前達家族が生き永らえるのであれば」

「父上……。では、これだけは覚えておいてください。私も、ルヴァートも、一族の者達も、父上が混血であろうと、家族として愛する気持ちに変わりはありません。父上は、私にとって自慢の、大切な方です」

「お祖父様、出来る事ならば……、大罪を犯す前にその心をお救いしたかったです。不甲斐ない孫を、どうか、お許しください」

「お前達……」

 どんな生まれでも、一緒に育んできた愛情が変わる事はない。
 家族を愛し、愛されていたのに……、あまりにも辛い結末だ。
 ディアーネスさんは現当主様とルヴァートさんを前当主様から離れさせると、槍の後部で床を打ち鳴らし、サージェスさんの名を呼んだ。

「ガデルフォーン騎士団長、サージェスティン・フェイシア。そして、ウォルヴァンシア王国、王兄姫、ユキ・ウォルヴァンシアよ、前に」

 ディアーネスさんの呼び声に応じて、私はサージェスさんと一緒に彼女の許へと向かう。
 前当主様の戸惑うような視線がこちらを向き、俯かれる。

「ギルヴァースよ、お前が今日この日まで疎み続けてきた混血の出自。家族に受け入れられた今もまだ、その憎しみはあるか?」

「……いえ、私は今まで……、本当の事を息子達に知られれば、拒絶され憎まれると思ってまいりました。ですが、結局……、混血である事を憎悪し続けていたのは、私自身の問題であったと、そう、痛感させられました。此度の事に巻き込んでしまった者達、そして、騎士団長殿と王兄姫殿下に働いた罪の数々、もし叶うのでしたら……、どうか、騎士団長殿に処刑して頂きたく」

「こう言っているが、サージェスティンよ……。処刑役を請け負う気はあるか?」

 前当主様のせいで傷ついた人達が沢山いるのだから、ここで命を絶つべきなのだろう。
 命を以って償うべき罪。わかってはいたけれど……、このまま、前当主様をサージェスさんの手で殺させて良いものかと、迷いが生じている。
 罪人の命を絶てば、そこでその人の償いは終わる。でも、その後は?
 前当主様を、彼がその手で処刑したとして、彼の心は……。
 サージェスさんは無言で鞘から剣を引き抜くと、躊躇いのない動きで前当主様の首筋にそれを突き付けた。

「何か言いたい事、ある?」

「……本当に、すまなかった。この言葉と思いを、騎士団長殿と王兄姫殿下、利用した者達に。そして……、我が娘に、いや、兄上の娘に会う事があったら、伝えてほしい」

 サージェスさんの顔を見る事も出来ないのか、前当主様は項垂れたまま涙と共に震える声でそう言った。

「サージェスさん……」

 前当主様の命を絶つという事は、現当主様達から大切な家族を奪うという事。
 それも、彼らが見ている目の前で……。家族の心に、消えない傷を刻み付ける、恐ろしい瞬間を。
 じっと……、何を考えているのか読めなくなったアイスブルーの瞳で、サージェスさんは前当主さんを見つめ下ろしたまま瞼を閉じる。

「――これ、意味あるのかな?」

「さ、サージェス、さん?」

 静かに零れ落ちたサージェスさんの溜息。吃驚といった表情で顔を上げた前当主様。
 首筋に突き付けられていた剣が引き戻され、鞘の中に吸い込まれていく。

「どういうつもりだ、サージェスティンよ」

「だってさ、処刑される、って事は、命を絶たれた時点で償い終了って事でしょ? それってなんか、ズルくないかな?」

「では、お前はその男を生かせというのか? それでは償いにならぬであろう?」

「なるんじゃない? 死んで楽になったら、この人が得するだけでしょ。自分だけ満足してスッキリ、って事だよ? 今回の被害者の一人として、納得出来ないね」

 どうせ償いの道を歩むのなら、死ぬよりも辛い目に遭えばいい。
 そう寂しげに笑ったサージェスさんに、その場の全員がどう反応していいのかわからない戸惑いの表情でざわつく。
 サージェスさんがそう決めたのなら、私はそれでもいいけれど……。
 問題は、禁呪によって寿命を奪われた術者達の事。
 前当主様が処刑を免れたなんて事が知られれば、彼らの苦しみと憎しみはどこに行けばいいのか。
 かといって、サージェスさんが処刑を実行してしまう事が最善なのかといえば……、答えは否だ。

「ねぇ、陛下。禁呪の儀式に利用された術者達で、『裏』の人達だったんでしょ? いなくなっても騒ぎにならない、暗殺者の類の」

「うむ。その辺りはギルヴァースも考えていたようだな。禁呪によって疲弊した者達も、他の術者達も、全て何らかの罪を犯した者ばかりだ。多額の報酬にでもつられたのであろう」

「なら、彼らも良い勉強になったんじゃないかな? 報酬欲しさに何でもかんでも引き受けたら、今回みたいな痛い目に遭う、って。ある程度の融通を利かせてあげたら、この件を忘れてくれるかもよ?」

「お前にしては……、随分と生温い事を言うものだな。だが、その場合は前当主に課す別の罰を考えねばならん。死罪に値する、別の何かをな」

 でなければ、示しがつかない。
 何もなかった自分の背後に魔力で椅子を創ると、ディアーネスさんはそこに座って槍を消し、頬杖を着いた。死と同等、もしくは、それに匹敵する罰……。
 たとえ死を逃れたとしても、生きながら拷問の日々を送るような事にしかならない可能性が高い。

「あるでしょ? 俺達長寿の種族にとっては耐え難い……、『種奪(しゅだつ)の法』が」

「サージェス……、どこでそんな情報を仕入れてきた?」

「んー? これでも色々知識欲は旺盛なんだよー。その法を使えるのは各国の王族か神様だけで、その術を使われた対象は長寿の種としての在り方を奪われ、人間となる。でしょ? それって、俺達的に言えば、死ぬのと同じくらい損な事ばっかりだからね。丁度いいんじゃないかなーと思って」

 種奪の法……。それは、私も聞いた事だけはある。
 長く生きても三百年程の寿命を持つ人間は、他種族の者達にとって儚い命のように思われている。
 私が暮らしていた地球の常識から考えれば、一年を二十四ヶ月としているエリュセードの人間達は、あまりにも長生きだと思われる存在だ。
 でも、ここではその常識が違うから……。獣と人の姿を抱く種族の人が人間になる事は、罰以外の何物でもない。

「あーあぁ、可哀想だねー、ディヴェラーデ前当主様ー。あんなにご立派な血筋に拘ってたのに、ただの人間になっちゃったら、それも全部パァ。でも……、大切な家族と一緒にいられるなら、それで十分、だよね?」

 前当主様と向き合う形で腰を屈めたサージェスさんが、ニッコリと微笑む。
 あんな酷い事をされて、もう少しで本当に死ぬところだったのに……、この人は。
 
「サージェス、ティン……、私は」

「人間になったら、長くは生きられないよ。残念だね? ひ孫の顔が見られないかもよ? あー、可哀想。同情しちゃうね」

 そうやって意地悪な事を言っていても、サージェスさんの視線にも声音にも、冷たさは感じられない。前当主様の肩を茶化すようにポンポンと叩いて立ち上がると、上機嫌の様子で私の傍に戻ってきた。

「サージェスさ、きゃっ!!」

「その点、俺のこれからの人生はとっても長ぁーいし、愛するユキちゃんといーっぱい可愛い子供を作って幸せになる予定だから、どう? 羨ましいでしょー? だ・か・ら、今度俺達に、特に、彼女にまた危害を加えるような真似を見せたら……、その時は今度こそ、本気で息の根を止めてやるから、――ふふ、覚悟しといてねー」

 軽々と私を抱き上げて挑戦的に言い放つと、サージェスさんはそのまま上機嫌スキップで出口へと向かい始めてしまう。え? え? 結局、種奪の法を死刑の代わりにする事で決まったの?
 というか、ディヴェラーデ侯爵家の件でも思ったけれど、サージェスさんは本気で怒ると口調や気配ががらりと変わるというか、うん、今も一部分だけ鳥肌が立つような凄まじい恐怖を感じた!!

「陛下―、シュディエーラ、後よろしくー」

「ちょっ、サージェスさんっ!! どこに行くんですか~!!」

「えー? 勿論、二人っきりになれる場所、だよー!!」

 場の緊迫した空気はどこへやら。周囲にカラフルなお花が飛び交いそうなテンションで走り始めたサージェスさんの腕の中で最後に聞こえたのは、ディアーネスさんの呆れ気味な溜息の音だった。
 出口を飛び抜けたかと思うと、長い石の階段を駆け上がり……、やがて辿り着いたのは皇宮内の回廊。誰もいないその場所を暫く歩き……、サージェスさんの足が止まった。

「……ごめんね、ユキちゃん」

「え?」

「本当は、君を危険な目に遭わせて苦しめたあの人を……、俺は今も、許せないんだ。陛下が駄目だって言っても殺す気だったし、そうした方がお互いの為だって思ってたんだよね。今だって、殺してやりたい程に、憎んでる。……だけど」

 結局、非情になりきれなかった。サージェスさんは私の顔を見下ろしながら自嘲気味に微笑む。
 私が味わった辛さを、苦しめた元凶を裁けなくてごめん、って……。
 そんな事、謝らなくてもいいのに……。

「一度だけ会った事のある、……俺の母親が言っていた意味がわかったよ。あの人は全部わかっていたんだ。俺が、前当主を殺せない事を。最後には情をかける未来を、読んでた」

「後悔、してますか……?」

「ううん。不思議と……、これで良かったんじゃないかな、って、何かスッキリしてる。まぁ、俺らしくもない、甘すぎる選択だったけど……」

 気でも狂ったかなーと冗談めいた口調で言ったサージェスさんだけど、多分……、前当主様の為というよりは、あの選択はルヴァートさん達の為だったんだと思う。
 許せない気持ちを抱えながら前当主様に温情をかけたサージェスさんは、同時に、とても強い人。
 私はサージェスさんの腕の中で身動ぎをしてその首に両手をまわすと、首を傾げて顔を近づけてきた彼の唇に温もりを押し付けた。

「んっ……、ユキ、ちゃん?」

「私も、迷ってたんです……。前当主様の事を酷い人だって、そう思ってて……。もし、サージェスさんがあの人を斬る時が訪れたら、私も一緒にやろう、って考えてました」

 彼が手を汚すのなら、私も一緒に。その心に寄り添って、穢れよう。
 そう決めていた事を告げると、サージェスさんは少しだけ驚いた顔をした後に、泣きそうな笑顔で「そっか……」と呟いた。

「じゃあ、処刑しなくて正解だったね……。君の手を、心を穢さずに済んだ」

「たとえサージェスさんと一緒に前当主様を処刑する事になっていたとしても、私は後悔なんてしなかったと思いますよ?」

 好きな人が、一人で苦しむ姿なんて見たくないから……。
 綺麗な場所になんていなくていい。そんなところに押し込められて大切にされるよりも、私は好きな人と一緒に、穢れながらでも、苦しみながらでも、傍に寄り添っていたい。
 それは、この人を好きになった時から決めていた事だから……。

「どんな事があっても、傍にいます。ずっと、ずっと」

「ユキちゃん……。……あー、どうしよう。ちょっと、これは……、ねぇ?」

「サージェスさん?」

「……いや、大丈夫、大丈夫。今はそれよりも」

「?」

 嬉しさを抑えきれない、そんな表情で私を横抱きにしたまま、サージェスさんは何度も「自制心、自制心、忍耐!」とブツブツ小さく呟いて、一度私の精神を地上の器に戻すために天上へと向かったのでした。
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