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第二章『恋蕾』~黒竜と銀狼・その想いの名は~
迷走する想い
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「きゃっ!!」
アレクさんの有無を言わせぬ迫力に抗えず、腕に抱かれたまま連れて来られた先は……、ウォルヴァンシア王宮内にある、騎士団の寮だった。
昼間だった事もあり、団員の人達は皆出払っていたようだったけれど……。
用事があって戻って来ている人と廊下ですれ違った後、私は一番奥にあった、アレクさんの部屋らしきその場所に連れ込まれてしまった。
薄暗い闇の中、ベッドへと押し倒され、逃げる暇もなくアレクさんに覆い被さってこられて……。
互いの表情はどうにか見えているものの、今だけは……、何も見えない方が良かったと思えた。
ぐっと、両手をシーツの上に押し付けられて、不安と恐怖の波が私の心へと襲い掛かる。
「アレク……、さん。一体、どうしたん、ですか?」
「ユキ……、答えてくれ」
「は、はい……」
「お前は……、あの男に対して、特別な想いを抱いているのか?」
「あの、男……、というのは」
それは尋ねているというよりも、答えなければこの部屋から出さないという脅しめいた音だった。
剣を抜いているわけでもないのに、首元に刃を突き付けられているかのような……。私はごくりと息を呑み、一体誰の事を言っているのか尋ね返した。
けれどアレクさんは、その名を口にするのも忌々しいのか、ただ一言……、竜、と口にする。竜とは、つまり……。
「カインさんの事、ですか?」
「お前の口から、あの男の音が紡がれるのは……、耐え難い苦痛だ」
「私のせいで、アレクさんがカインさんの事を嫌っているのは知ってますけど、本当にどうしたんですか? いつものアレクさんらしくありません……」
どうしてアレクさんが私にこんな事をするのか、どうして、私がカインさんの事を好きだという話になるのか……。
立て続けに起こった突然の事態に、私は平静を保つ事が出来ない。
――だけど、ひとつだけ、わかる事がある。
アレクさんは、自分を見失う程に、大きな不安に押し潰されそうになっている。
それがわかったのは、私を押さえ付けている大きな手の感触から伝わってくる……、震え。
強引な真似をしている一方で、酷く何かに怯えている事が伝わってくるのだ。
(大丈夫……。アレクさんは、どんな事があっても、私を傷付けたりはしない)
呼吸を落ち着け、私は真上にあるアレクさんの辛そうな表情を、真っ直ぐに見据える。
今この人と向き合えるのは、私だけ……。逃げようとしたりすれば、アレクさんの心が傷つく。
「アレクさん」
「ユキ……」
「さっきの質問に、答えますね。私は……、カインさんに対して」
特別な想いを抱いているかどうかは、まだわからない。
それを口にしようとした私の瞳に、アレクさんが堪え切れないと言いたげな辛い表情を強めた。
やっぱり……、怖がっている。
以前にも、カインさんの怪我を手当てしに行く為に行動しようとした私を壁に押し付けた時のように、様子があきらかにおかしい。
カインさんの事を嫌っているにしても、何がここまでアレクさんを追い詰めているのだろうか。
「アレクさん、私は、カインさんに対して特別な想いを抱いているかどうかは、正直言って、わかりません」
「わから……、ない?」
「は、はい。だって、まだ出会ってから一か月と、少し……、ぐらいですから。お互いの事を知って、ようやく友人関係を築けた感じかな、と」
「恋愛感情は……、ない、と、そういう事か?」
特別、という表現から、恋愛感情という明確な言葉に変えたアレクさんが、頷いた私に安堵を覚えたのか、僅かに押さえ付けている力を緩めた。
目を瞬き、蒼の双眸が……、徐々に落ち着きを取り戻していく。
その変化に、一瞬……、まさか、という予感を抱いたものの、すぐにそれを掻き消した。
あるわけがない。アレクさんにとって私は、この国を治めるレイフィード叔父さんの姪であり、偶然面倒を見る事になった存在。保護者として見る事はあっても、一人の女性として見る事はありえないだろう。
けれど、アレクさんはゆっくりと私の両手から拘束を解くと、両肘を私の顔の横に置いて、寂しげな眼差しを寄せてきた。
「本当、か……? あの男に、想いを奪われては、いないんだな?」
「はい……」
「そうか……。良かった」
ぽふんと、アレクさんが私の首筋へと顔を伏せ、熱い吐息を首筋に触れさせてくる。
もう怖い気配は感じられないけれど、これはこれで……、ちょっと不味い気が。
ありえるわけがない。そう思っているのに、もう一度、「良かった」と嬉しそうな音を滲ませたアレクさんに、トクンと鼓動が跳ねた。
「情けない話だが……、お前とあの男が一緒に出掛けた後、騎士団の仕事に集中出来なかった。団員に稽古をつけている時も、書類仕事をしている時も、お前の事で頭がいっぱいだった」
「アレク……、さん」
「俺が見ていない間に、お前とあの男に何か起きたら……。悪夢ような想像ばかりを繰り返した。だから、そうなる前に……、仕事を抜け出してきたのにっ」
騎士団のお仕事をこっそりと抜け出したアレクさんは、私とカインさんの後を追って、城下町の中をくまなく探しまわってくれていたらしい。
そして、大広場の片隅で愛らしい動物達と戯れる私達の姿を見つけ、遠くから眺めていたアレクさんは、ベンチの方に移動した時に起こった……、あの出来事をバッチリと見てしまった。
まさか、会話まで聞かれてしまったわけでは……、恐る恐る尋ねてみると、顔を上げたアレクさんは、すまなそうに視線を逸らした。聞こえてたんだ……。
「狼王族や一部の種族は、耳がいい。だから、必要がある時は、特定の音を拾う事も可能なんだ……」
「そ、そうだったんですか……。聞いて、たん、ですね」
「あぁ……。これでも……、かなり、堪えていたんだが」
出来る事なら、私に顔を近付けていたカインさんを容赦なく斬り捨てたかったと語るアレクさんの目は、心底本気だった。
あくまで保護者的な感情故、そう思いたかったけれど……、視線を私に戻したアレクさんが、さっきと同じ……、カインさんが抱いていた熱の揺らめきを、その蒼に浮かべている事に気付いてしまう。この部屋に連れて来られた時の恐怖感が消え去ったけれど、今度は別の意味で心臓が危険に晒されてしまう。
「あの時、身体中の血が煮えくり返るかと思った……。お前に気安く触れているあの男に対する憎悪が抑えきれなくて……」
「あ、アレクさん……」
「お前達の許に歩みを向ける前に、お前が大広場を出てくれて助かった。せっかくの賑わいを、血で染めたくはなかったからな……」
ドクドクと早足になっていく鼓動を持て余しながら、私はアレクさんの行き過ぎた本気に慄く。
これはもう、保護者的な立場とか、そういうものを超越しているような気がするっ。
アレクさんの瞳に浮かんでいる、カインさんへの憎悪と、――もうひとつは。
「ユキ、俺は、お前をあの男に、いや、他の誰にも、触れさせたくはない……」
「えっと、あ、あのっ、とりあえず、一度落ち着いて話しませんか? この状態じゃなく、て」
「話は、この状態でも出来る……」
いや、確かにそうなんだけど、この態勢は非常に不味い気がする。
誰かに目撃されたら、アレクさんが私に襲い掛かっているという大きな誤解をされる事は確実だろう。だけど、何かの枷が外れてしまっているかのようなアレクさんは、焦がれるような瞳で私だけを見つめてくる。
「渡したくない、――渡さないっ。まだあの男に、お前の心が奪われていないというのなら」
「あ、アレクさんっ、ちょっ」
「俺にとって、唯ひとつの……、この心が求めてやまない、宝石(お前)を」
カインさんの時と同じように、全身に痺れが駆け抜けるかのような、甘く切ない響き。
だけど、カインさんと違うのは、アレクさんの中に余裕の欠片も感じられないというところだろうか。その右手に頬を包まれ、ゆっくりと……、あ、アレクさんの温もりが一点を目指して近づいてくる。
「アレクさ……、だ」
駄目、と小さな震える音で制止をかけようとした、――その時。
日差しを遮っているカーテンが爆音を受けて荒れ狂い、アレクさんの部屋の一部が破壊された。
い、一体何が!? 色んな意味で心臓が限界を迎えそうになっている私の目の前で、怒声が轟く。
「アレクぅうううううううう!! 姫ちゃんに何やってんだあああああああ!!」
「ルディーさん!?」
破壊された大穴部分から乗り込んで来たルディーさんが、私の上に覆い被さっていたアレクさんの頭上目がけて飛び上がり、両手に握り締めていた剣の鞘を力強く振り下ろした。
見事な一撃、というか、何故アレクさんに攻撃を!?
物凄く痛そうな打撃音が室内に響き渡り、アレクさんは小さく苦痛の音を漏らす。
けれど、突然の襲撃はそれだけでは終わらず、ルディーさんがアレクさんの身体を思い切り容赦なく自分の後方へと投げ飛ばしてしまった。……だから、どうして!?
「ユキ姫様、ご無事ですか?」
「ろ、ロゼリアさん? それに、セレスフィーナさんとルイヴェルさんまで……」
背後の壁に叩きつけられたアレクさんがずるりと絨毯に倒れ込んでいく様に青くなっていると、ベッドに駆け寄って来たロゼリアさんが、私が起き上がる動作を助けに手を貸してくれた。
ルディーさんやロゼリアさんだけでなく、破壊された大穴の付近に散らばっている瓦礫の上を踏み越えて中に入って来る、王宮医師のお二人の姿もあった。
突然の闖入者達の姿にも驚いているけれど、今はそれを気にしている場合じゃない。
壁に叩き付けられてしまったアレクさんが無事かどうか、確かめないとっ。
ベッドから飛び下りた私は、大慌てでアレクさんの許へと駆け寄ろうとしたけれど、行く手をルイヴェルさんの腕に阻まれてしまった。
「ユキ姫様、御心配には及びません。アレクの事は、ルディーにお任せを」
「で、でも!!」
この事態に何の動揺もないのか、ルイヴェルさんは冷静な物言いを崩さずに私をその場に留めた。
ロゼリアさんもセレスフィーナさんも、それが正しい事だとでも言うかのように、疲労の息と共に頷いてみせる。
「ユキ姫様……、アレクの事は、弟の言う通り、ルディーにお任せください。私達で始末を着けますので」
「し、始末って……」
セレスフィーナさんの口から不穏な言葉が零れ出た。
それにサァァッと血の気を引かせた私の肩にロゼリアさんの手がおかれ、苦笑を向けられる。
別に命にかかわるような真似をするわけではない、ただ……。
「副団長には、女性に対する常識的な事をお教えするだけですので、どうかご安心を」
やけに力の入った声音で言い含められ、その有無を言わせぬ静かな迫力を前に、私はこくりと頷いてしまった。その間にも、ルディーさんに引き摺られて、アレクさんが破壊された穴の外に出されていく。お、追いかけないと……!!
「ユキ姫様、お留(とど)まりください。また、襲われたいのですか?」
「ルイヴェルさん……。別にアレクさんは、私の事を襲ったわけじゃ」
「寛大なお言葉ですね? ユキ姫様は、男に寝台へと組み敷かれても、それを何でもない、と、そう思えるのですか?」
「うっ」
何だろう……。ルイヴェルさんの機嫌が、言葉の中に滲む険のある音の気配が、怖い。連れ出されて行くアレクさんを見つめながらも、同時に、私に対しても、何か怒っているような気がする。だけど、それが何故なのかがわからない。
「ユキ姫様、アレクの事では、色々と驚かれた事でしょう。王宮医務室にお連れいたしますので、そちらでゆっくりとお心をお休めください」
「セレスフィーナさん……、はい」
「お二人とも、申し訳ありませんが、ユキ姫様の事、よろしくお願いいたします。私は、団長の後を追いますので」
「しっかりと灸を据えてやれ。念入りにな」
私に対するのとは違い、ルイヴェルさんは駆け出そうとするロゼリアさんへと、素の口調で声をかけた。念入りにって……、アレクさんに何か恨みでもあるんですか? ルイヴェルさんっ。
勿論、それを口に出来るような雰囲気ではなく、私はセレスフィーナさんに肩を抱かれて、王宮医務室へと向かう事になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「少しは……、落ち着かれましたか?」
「はい……。あの、アレクさんは、本当に大丈夫でしょうか?」
口の中に甘いチョコ、この世界では、チルフェートと呼ばれるそれをミルクと一緒に温めた飲み物の余韻を感じていると、それまで静かに見守ってくれていたセレスフィーナさんが声をかけてくれた。目の前のソファーに腰かけている彼女は、その隣で不機嫌そうにホットチルフェートミルクを飲んでいたルイヴェルさんと視線を交わすと、こう切り出した。
「アレクの事は先程も申し上げました通り、何の心配もございません。それよりも……、今は、アレクとカイン皇子がユキ姫様の御心にもたらした影響の方が気になっております」
「え?」
「今日の事で、二人の気持ちを……、理解なされましたでしょう?」
何の事を指して言っているのか……、流石に、気付かないわけがなかった。
理由はわからないけれど、セレスフィーナさんも、ルイヴェルさんも、私と二人の間にあった事を知っている。何故だか、彼女達の気配から、そう感じ取れた。
まさか、カインさんだけでなく、アレクさんからも同じ想いを向けられるなんて……。
今もまだ、少しだけ……、熱を抱いた鼓動が苦しく感じられる。
戸惑いの満ちる胸を押さえた私は、肯定の頷きを向けた。
「さぞ驚かれた事と思います。アレクに至っては、ユキ姫様に対して強引な真似をしてしまいましたし、恐れを抱かれたとしても、不思議はありません……」
けれど、私とカインさんが一緒に出掛けてしまった事で、酷く、その心を不安定に乱してしまっていたから、どうか、嫌わないでほしい。そう、セレスフィーナさんは静かに訴えてきた。
わかってる……。アレクさんの状態がおかしかった事は。酷く怯えているような姿を見せていた事も、全て……、私が原因だという事も。
ずっと堰き止められていた濁流が噴出するかのように、アレクさんの心もまた、私へと向かってその激情を現した。
「大丈夫ですよ。私がアレクさんの事を嫌いになるような事なんて、絶対にありません」
「有難うございます、ユキ姫様。アレクの幼馴染として、友として、お礼を申し上げます」
ほっと安堵の笑みを浮かべ、セレスフィーナさんは私へと小さく頭を下げる。
今回の事は、彼女には何の罪もないのに、本当に幼馴染の情が深いんだな……。
けれど、ルイヴェルさんの方は、いまだに機嫌が悪い。
セレスフィーナさんの温かな気配とは逆に、何だかピリピリしているような気が……。
私、この王宮医師様に何か悪い事でもしてしまったのだろうか?
「あ、あの……、ルイヴェルさん」
「何でしょうか」
「どうして……、怒ってるんですか?」
「別に怒ってはいません。お気になさらず」
気になり過ぎているからご機嫌を窺っているんでしょう!!
勿論声にはしないけれど、心の中でツッコミを入れておく。
だけど、困惑している私とは違って、セレスフィーナさんの方は、何かに気付いているようだ。
「ユキ姫様、弟の事はお気になさらないでください。年甲斐もなく、拗ねているだけですから」
「拗ねる?」
「ふふ、放っておけばすぐに元の状態に戻りますから。ねぇ? ルイヴェル」
「だから、俺は機嫌を曲げてなどいないと言っているだろう」
冷静さを保ってはいるけれど、セレスフィーナさんに対して向けられている深緑の瞳には、やはり不機嫌の気配が留まっている。
ツン、と頬を突《つつ》かれたルイヴェルさんが、溜息と共に肩を落とす。
「今は俺の事よりも、別の問題事が重要だろう」
「なら、早く大人らしく機嫌を直しなさい。――ユキ姫様、アレクとカイン皇子の事ですが、戸惑われるお気持ちは重々承知の上で、申し上げさせて頂きます」
「は、はい」
柔らかな気配はそのままに、セレスフィーナさんはしっかりと私の顔を見据えた。
「どうか……、アレクと、カイン皇子の想いを、ゆっくりとでも良いのです。真剣に考えては頂けませんでしょうか」
「セレスフィーナさん……」
「アレクもカイン皇子も、ユキ姫様の事を、唯一人の女性として慕っています。特に……、アレクに関しては、自身を抑え込めないほどに、深く」
「……はい。二人の気持ちは、今日の事で、わかったつもりでは、います」
私の事を異性として想ってくれている事、あれで気付かなければ大問題だ。
どちらも、心の底から真剣な想いを私に伝えてくれた。
だけど、私にはまだ、それを上手く受け止められる余裕がない。
二人の強すぎる気持ちの波に、自分というちっぽけな存在が呑み込まれてしまいそうな感覚。
それは一種の、恐怖にも似ているかもしれなかった。
「ユキ姫様、別に焦る必要はありませんよ。あの二人が勝手に想いを抱いているだけです。困るのであれば、早々に振ってしまうのも手かと」
「ルイヴェル、貴方は黙ってなさい」
ぴしり……。余計な意見を入れてきたと判断されたルイヴェルさんが、ギギッと顔を横に向けてきたセレスフィーナさんに、静かな絶対零度の迫力が漂う笑みに牽制された。
流石双子のお姉さんだ……。ルイヴェルさんが早々に白旗を上げてしまう。
「勿論、考えた上で想いを受け入れられないと言うのであれば、それもまた、ひとつの結末です。ですから、ユキ姫様の御心のままに、どんなに時間がかかっても構いませんから、二人の事を、どうか、よろしくお願いいたします」
「は、はいっ。それは勿論、真剣に考えさせて頂こうと思っています。ただ……、物凄く時間がかかりそうな気がしますけど」
私にとってあの二人は、どちらも、恋愛という関係など考えた事もない対象だ。
アレクさんは、いつもお世話になっている、頼りになる存在。
カインさんは、喧嘩もするけれど、どうにか仲良くなれた友人的存在。
まだまだ始まったばかりという印象が強くて、そういう風には……。
というか、どちらも女性の好意を惹き付けやすそうな美しい容姿をしているから、てっきり……、意中の相手がいてもおかしくはないと、勝手に思っていた。
それなのに、何故こんな事に……。
「私、どこからどう見ても、平平凡凡なタイプだと思うんですよね……。なのに、どうして二人から好意を向けられてしまったのか……」
心底謎です。目の前の二人にそう伝えると、……何故か、思いっきり複雑そうな顔をされてしまった。
「セレス姉さん……」
「ルイヴェル、黙ってなさい。いつの世も、純粋な方が無自覚という事は、よくある事なのよ」
「それはそうなんだが……、やはり、ユーディス殿下のガードが固かった故、か。……これはこれで、色々と不味いな」
「そうね……」
王宮医師のお二人が揃って残念そうな息を吐き出すのを見た私は、一体何をそんなに困っているのだろうかと首を傾げた。
元いた世界では、綺麗で美人な女の子が沢山いたし、その中に放り込まれたら、私は確実にモブだ。華やかな主役級のヒロイン達を引き立てる脇役。
その事実を伝えただけなのに、何がお二人をこんなにも困らせているのだろうか。
「ユキ姫様……、僭越ながら、ひとつ、よろしいでしょうか」
「はい?」
コホンと咳払いをしたセレスフィーナさんが、ルイヴェルさんと同時に音を重ねた。
「「外で異性から声をかけられても、絶対に二人きりにはなられませんように」」
「……はい?」
私は何を心配されているの?
やけに真剣すぎる眼差しで、ずいっと目の前に顔を差し出してきたお二人に、え? え? と、戸惑いの視線を向ける。あれかな……、私がお父さんの娘だから、色々と必要のない事を心配していたりする、のかな。
とりあえず、よくわからないけど、「はい」と頷いておく。
セレスフィーナさんみたいな正真正銘の美人さんにこそ、外ではどうか不埒な人に気を付けてくださいね、と言いたいのだけど。
「ふぅ……。とにかく、ユキ姫様にお伝えしたい事は以上です。どうか、焦ったりはせずに、ゆっくりと二人の事をお考えください。ユキ姫様が二人の事を想われて出された結論ならば、どのようなものであろうとも、納得して貰えるはずですから」
「セレスフィーナさん……。はい、ありがとうございます。私、二人の想いから逃げずに、真剣に、考えてみます」
恋愛初心者でも、自分に向けられた想いに背を向ける事は失礼な事だ。
私に出来る事があるのなら、真剣に、しっかりと考えてみよう。
アレクさんとカインさん、二人の事を思い出すと、また、トクトク……と、少しだけ鼓動が速くなる。自分の心臓がある場所に両手を添えた私は、瞼を閉じた。
(アレクさん……、カインさん……)
実際にはまだ、確かな告白をされたわけじゃない。
それを音にする前に、私はカインさんから逃げてしまったし、アレクさんの時も、ルディーさん達が現れてしまったから……。
だけど、きっと、そう遠くない内に、二人の想いは確かな形となって目の前に表れる事だろう。
その時の為に、心の準備をしておかないと。
ふぅ……、と、気持ちを落ち着ける為の息を吐き出していると。
「まったく……」
「ルイヴェルさん?」
瞼を開けると、横を向いて腕を組むルイヴェルさんの独り言が小さく聞こえた。
何やら、アレクさんとカインさんの名前が呟かれたような気がしたけれど、聞き取れたのはそれだけ。ただ、呆れと苛立ちが入り交じっているかのような気配だけが、先程よりも強まっていた。
アレクさんの有無を言わせぬ迫力に抗えず、腕に抱かれたまま連れて来られた先は……、ウォルヴァンシア王宮内にある、騎士団の寮だった。
昼間だった事もあり、団員の人達は皆出払っていたようだったけれど……。
用事があって戻って来ている人と廊下ですれ違った後、私は一番奥にあった、アレクさんの部屋らしきその場所に連れ込まれてしまった。
薄暗い闇の中、ベッドへと押し倒され、逃げる暇もなくアレクさんに覆い被さってこられて……。
互いの表情はどうにか見えているものの、今だけは……、何も見えない方が良かったと思えた。
ぐっと、両手をシーツの上に押し付けられて、不安と恐怖の波が私の心へと襲い掛かる。
「アレク……、さん。一体、どうしたん、ですか?」
「ユキ……、答えてくれ」
「は、はい……」
「お前は……、あの男に対して、特別な想いを抱いているのか?」
「あの、男……、というのは」
それは尋ねているというよりも、答えなければこの部屋から出さないという脅しめいた音だった。
剣を抜いているわけでもないのに、首元に刃を突き付けられているかのような……。私はごくりと息を呑み、一体誰の事を言っているのか尋ね返した。
けれどアレクさんは、その名を口にするのも忌々しいのか、ただ一言……、竜、と口にする。竜とは、つまり……。
「カインさんの事、ですか?」
「お前の口から、あの男の音が紡がれるのは……、耐え難い苦痛だ」
「私のせいで、アレクさんがカインさんの事を嫌っているのは知ってますけど、本当にどうしたんですか? いつものアレクさんらしくありません……」
どうしてアレクさんが私にこんな事をするのか、どうして、私がカインさんの事を好きだという話になるのか……。
立て続けに起こった突然の事態に、私は平静を保つ事が出来ない。
――だけど、ひとつだけ、わかる事がある。
アレクさんは、自分を見失う程に、大きな不安に押し潰されそうになっている。
それがわかったのは、私を押さえ付けている大きな手の感触から伝わってくる……、震え。
強引な真似をしている一方で、酷く何かに怯えている事が伝わってくるのだ。
(大丈夫……。アレクさんは、どんな事があっても、私を傷付けたりはしない)
呼吸を落ち着け、私は真上にあるアレクさんの辛そうな表情を、真っ直ぐに見据える。
今この人と向き合えるのは、私だけ……。逃げようとしたりすれば、アレクさんの心が傷つく。
「アレクさん」
「ユキ……」
「さっきの質問に、答えますね。私は……、カインさんに対して」
特別な想いを抱いているかどうかは、まだわからない。
それを口にしようとした私の瞳に、アレクさんが堪え切れないと言いたげな辛い表情を強めた。
やっぱり……、怖がっている。
以前にも、カインさんの怪我を手当てしに行く為に行動しようとした私を壁に押し付けた時のように、様子があきらかにおかしい。
カインさんの事を嫌っているにしても、何がここまでアレクさんを追い詰めているのだろうか。
「アレクさん、私は、カインさんに対して特別な想いを抱いているかどうかは、正直言って、わかりません」
「わから……、ない?」
「は、はい。だって、まだ出会ってから一か月と、少し……、ぐらいですから。お互いの事を知って、ようやく友人関係を築けた感じかな、と」
「恋愛感情は……、ない、と、そういう事か?」
特別、という表現から、恋愛感情という明確な言葉に変えたアレクさんが、頷いた私に安堵を覚えたのか、僅かに押さえ付けている力を緩めた。
目を瞬き、蒼の双眸が……、徐々に落ち着きを取り戻していく。
その変化に、一瞬……、まさか、という予感を抱いたものの、すぐにそれを掻き消した。
あるわけがない。アレクさんにとって私は、この国を治めるレイフィード叔父さんの姪であり、偶然面倒を見る事になった存在。保護者として見る事はあっても、一人の女性として見る事はありえないだろう。
けれど、アレクさんはゆっくりと私の両手から拘束を解くと、両肘を私の顔の横に置いて、寂しげな眼差しを寄せてきた。
「本当、か……? あの男に、想いを奪われては、いないんだな?」
「はい……」
「そうか……。良かった」
ぽふんと、アレクさんが私の首筋へと顔を伏せ、熱い吐息を首筋に触れさせてくる。
もう怖い気配は感じられないけれど、これはこれで……、ちょっと不味い気が。
ありえるわけがない。そう思っているのに、もう一度、「良かった」と嬉しそうな音を滲ませたアレクさんに、トクンと鼓動が跳ねた。
「情けない話だが……、お前とあの男が一緒に出掛けた後、騎士団の仕事に集中出来なかった。団員に稽古をつけている時も、書類仕事をしている時も、お前の事で頭がいっぱいだった」
「アレク……、さん」
「俺が見ていない間に、お前とあの男に何か起きたら……。悪夢ような想像ばかりを繰り返した。だから、そうなる前に……、仕事を抜け出してきたのにっ」
騎士団のお仕事をこっそりと抜け出したアレクさんは、私とカインさんの後を追って、城下町の中をくまなく探しまわってくれていたらしい。
そして、大広場の片隅で愛らしい動物達と戯れる私達の姿を見つけ、遠くから眺めていたアレクさんは、ベンチの方に移動した時に起こった……、あの出来事をバッチリと見てしまった。
まさか、会話まで聞かれてしまったわけでは……、恐る恐る尋ねてみると、顔を上げたアレクさんは、すまなそうに視線を逸らした。聞こえてたんだ……。
「狼王族や一部の種族は、耳がいい。だから、必要がある時は、特定の音を拾う事も可能なんだ……」
「そ、そうだったんですか……。聞いて、たん、ですね」
「あぁ……。これでも……、かなり、堪えていたんだが」
出来る事なら、私に顔を近付けていたカインさんを容赦なく斬り捨てたかったと語るアレクさんの目は、心底本気だった。
あくまで保護者的な感情故、そう思いたかったけれど……、視線を私に戻したアレクさんが、さっきと同じ……、カインさんが抱いていた熱の揺らめきを、その蒼に浮かべている事に気付いてしまう。この部屋に連れて来られた時の恐怖感が消え去ったけれど、今度は別の意味で心臓が危険に晒されてしまう。
「あの時、身体中の血が煮えくり返るかと思った……。お前に気安く触れているあの男に対する憎悪が抑えきれなくて……」
「あ、アレクさん……」
「お前達の許に歩みを向ける前に、お前が大広場を出てくれて助かった。せっかくの賑わいを、血で染めたくはなかったからな……」
ドクドクと早足になっていく鼓動を持て余しながら、私はアレクさんの行き過ぎた本気に慄く。
これはもう、保護者的な立場とか、そういうものを超越しているような気がするっ。
アレクさんの瞳に浮かんでいる、カインさんへの憎悪と、――もうひとつは。
「ユキ、俺は、お前をあの男に、いや、他の誰にも、触れさせたくはない……」
「えっと、あ、あのっ、とりあえず、一度落ち着いて話しませんか? この状態じゃなく、て」
「話は、この状態でも出来る……」
いや、確かにそうなんだけど、この態勢は非常に不味い気がする。
誰かに目撃されたら、アレクさんが私に襲い掛かっているという大きな誤解をされる事は確実だろう。だけど、何かの枷が外れてしまっているかのようなアレクさんは、焦がれるような瞳で私だけを見つめてくる。
「渡したくない、――渡さないっ。まだあの男に、お前の心が奪われていないというのなら」
「あ、アレクさんっ、ちょっ」
「俺にとって、唯ひとつの……、この心が求めてやまない、宝石(お前)を」
カインさんの時と同じように、全身に痺れが駆け抜けるかのような、甘く切ない響き。
だけど、カインさんと違うのは、アレクさんの中に余裕の欠片も感じられないというところだろうか。その右手に頬を包まれ、ゆっくりと……、あ、アレクさんの温もりが一点を目指して近づいてくる。
「アレクさ……、だ」
駄目、と小さな震える音で制止をかけようとした、――その時。
日差しを遮っているカーテンが爆音を受けて荒れ狂い、アレクさんの部屋の一部が破壊された。
い、一体何が!? 色んな意味で心臓が限界を迎えそうになっている私の目の前で、怒声が轟く。
「アレクぅうううううううう!! 姫ちゃんに何やってんだあああああああ!!」
「ルディーさん!?」
破壊された大穴部分から乗り込んで来たルディーさんが、私の上に覆い被さっていたアレクさんの頭上目がけて飛び上がり、両手に握り締めていた剣の鞘を力強く振り下ろした。
見事な一撃、というか、何故アレクさんに攻撃を!?
物凄く痛そうな打撃音が室内に響き渡り、アレクさんは小さく苦痛の音を漏らす。
けれど、突然の襲撃はそれだけでは終わらず、ルディーさんがアレクさんの身体を思い切り容赦なく自分の後方へと投げ飛ばしてしまった。……だから、どうして!?
「ユキ姫様、ご無事ですか?」
「ろ、ロゼリアさん? それに、セレスフィーナさんとルイヴェルさんまで……」
背後の壁に叩きつけられたアレクさんがずるりと絨毯に倒れ込んでいく様に青くなっていると、ベッドに駆け寄って来たロゼリアさんが、私が起き上がる動作を助けに手を貸してくれた。
ルディーさんやロゼリアさんだけでなく、破壊された大穴の付近に散らばっている瓦礫の上を踏み越えて中に入って来る、王宮医師のお二人の姿もあった。
突然の闖入者達の姿にも驚いているけれど、今はそれを気にしている場合じゃない。
壁に叩き付けられてしまったアレクさんが無事かどうか、確かめないとっ。
ベッドから飛び下りた私は、大慌てでアレクさんの許へと駆け寄ろうとしたけれど、行く手をルイヴェルさんの腕に阻まれてしまった。
「ユキ姫様、御心配には及びません。アレクの事は、ルディーにお任せを」
「で、でも!!」
この事態に何の動揺もないのか、ルイヴェルさんは冷静な物言いを崩さずに私をその場に留めた。
ロゼリアさんもセレスフィーナさんも、それが正しい事だとでも言うかのように、疲労の息と共に頷いてみせる。
「ユキ姫様……、アレクの事は、弟の言う通り、ルディーにお任せください。私達で始末を着けますので」
「し、始末って……」
セレスフィーナさんの口から不穏な言葉が零れ出た。
それにサァァッと血の気を引かせた私の肩にロゼリアさんの手がおかれ、苦笑を向けられる。
別に命にかかわるような真似をするわけではない、ただ……。
「副団長には、女性に対する常識的な事をお教えするだけですので、どうかご安心を」
やけに力の入った声音で言い含められ、その有無を言わせぬ静かな迫力を前に、私はこくりと頷いてしまった。その間にも、ルディーさんに引き摺られて、アレクさんが破壊された穴の外に出されていく。お、追いかけないと……!!
「ユキ姫様、お留(とど)まりください。また、襲われたいのですか?」
「ルイヴェルさん……。別にアレクさんは、私の事を襲ったわけじゃ」
「寛大なお言葉ですね? ユキ姫様は、男に寝台へと組み敷かれても、それを何でもない、と、そう思えるのですか?」
「うっ」
何だろう……。ルイヴェルさんの機嫌が、言葉の中に滲む険のある音の気配が、怖い。連れ出されて行くアレクさんを見つめながらも、同時に、私に対しても、何か怒っているような気がする。だけど、それが何故なのかがわからない。
「ユキ姫様、アレクの事では、色々と驚かれた事でしょう。王宮医務室にお連れいたしますので、そちらでゆっくりとお心をお休めください」
「セレスフィーナさん……、はい」
「お二人とも、申し訳ありませんが、ユキ姫様の事、よろしくお願いいたします。私は、団長の後を追いますので」
「しっかりと灸を据えてやれ。念入りにな」
私に対するのとは違い、ルイヴェルさんは駆け出そうとするロゼリアさんへと、素の口調で声をかけた。念入りにって……、アレクさんに何か恨みでもあるんですか? ルイヴェルさんっ。
勿論、それを口に出来るような雰囲気ではなく、私はセレスフィーナさんに肩を抱かれて、王宮医務室へと向かう事になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「少しは……、落ち着かれましたか?」
「はい……。あの、アレクさんは、本当に大丈夫でしょうか?」
口の中に甘いチョコ、この世界では、チルフェートと呼ばれるそれをミルクと一緒に温めた飲み物の余韻を感じていると、それまで静かに見守ってくれていたセレスフィーナさんが声をかけてくれた。目の前のソファーに腰かけている彼女は、その隣で不機嫌そうにホットチルフェートミルクを飲んでいたルイヴェルさんと視線を交わすと、こう切り出した。
「アレクの事は先程も申し上げました通り、何の心配もございません。それよりも……、今は、アレクとカイン皇子がユキ姫様の御心にもたらした影響の方が気になっております」
「え?」
「今日の事で、二人の気持ちを……、理解なされましたでしょう?」
何の事を指して言っているのか……、流石に、気付かないわけがなかった。
理由はわからないけれど、セレスフィーナさんも、ルイヴェルさんも、私と二人の間にあった事を知っている。何故だか、彼女達の気配から、そう感じ取れた。
まさか、カインさんだけでなく、アレクさんからも同じ想いを向けられるなんて……。
今もまだ、少しだけ……、熱を抱いた鼓動が苦しく感じられる。
戸惑いの満ちる胸を押さえた私は、肯定の頷きを向けた。
「さぞ驚かれた事と思います。アレクに至っては、ユキ姫様に対して強引な真似をしてしまいましたし、恐れを抱かれたとしても、不思議はありません……」
けれど、私とカインさんが一緒に出掛けてしまった事で、酷く、その心を不安定に乱してしまっていたから、どうか、嫌わないでほしい。そう、セレスフィーナさんは静かに訴えてきた。
わかってる……。アレクさんの状態がおかしかった事は。酷く怯えているような姿を見せていた事も、全て……、私が原因だという事も。
ずっと堰き止められていた濁流が噴出するかのように、アレクさんの心もまた、私へと向かってその激情を現した。
「大丈夫ですよ。私がアレクさんの事を嫌いになるような事なんて、絶対にありません」
「有難うございます、ユキ姫様。アレクの幼馴染として、友として、お礼を申し上げます」
ほっと安堵の笑みを浮かべ、セレスフィーナさんは私へと小さく頭を下げる。
今回の事は、彼女には何の罪もないのに、本当に幼馴染の情が深いんだな……。
けれど、ルイヴェルさんの方は、いまだに機嫌が悪い。
セレスフィーナさんの温かな気配とは逆に、何だかピリピリしているような気が……。
私、この王宮医師様に何か悪い事でもしてしまったのだろうか?
「あ、あの……、ルイヴェルさん」
「何でしょうか」
「どうして……、怒ってるんですか?」
「別に怒ってはいません。お気になさらず」
気になり過ぎているからご機嫌を窺っているんでしょう!!
勿論声にはしないけれど、心の中でツッコミを入れておく。
だけど、困惑している私とは違って、セレスフィーナさんの方は、何かに気付いているようだ。
「ユキ姫様、弟の事はお気になさらないでください。年甲斐もなく、拗ねているだけですから」
「拗ねる?」
「ふふ、放っておけばすぐに元の状態に戻りますから。ねぇ? ルイヴェル」
「だから、俺は機嫌を曲げてなどいないと言っているだろう」
冷静さを保ってはいるけれど、セレスフィーナさんに対して向けられている深緑の瞳には、やはり不機嫌の気配が留まっている。
ツン、と頬を突《つつ》かれたルイヴェルさんが、溜息と共に肩を落とす。
「今は俺の事よりも、別の問題事が重要だろう」
「なら、早く大人らしく機嫌を直しなさい。――ユキ姫様、アレクとカイン皇子の事ですが、戸惑われるお気持ちは重々承知の上で、申し上げさせて頂きます」
「は、はい」
柔らかな気配はそのままに、セレスフィーナさんはしっかりと私の顔を見据えた。
「どうか……、アレクと、カイン皇子の想いを、ゆっくりとでも良いのです。真剣に考えては頂けませんでしょうか」
「セレスフィーナさん……」
「アレクもカイン皇子も、ユキ姫様の事を、唯一人の女性として慕っています。特に……、アレクに関しては、自身を抑え込めないほどに、深く」
「……はい。二人の気持ちは、今日の事で、わかったつもりでは、います」
私の事を異性として想ってくれている事、あれで気付かなければ大問題だ。
どちらも、心の底から真剣な想いを私に伝えてくれた。
だけど、私にはまだ、それを上手く受け止められる余裕がない。
二人の強すぎる気持ちの波に、自分というちっぽけな存在が呑み込まれてしまいそうな感覚。
それは一種の、恐怖にも似ているかもしれなかった。
「ユキ姫様、別に焦る必要はありませんよ。あの二人が勝手に想いを抱いているだけです。困るのであれば、早々に振ってしまうのも手かと」
「ルイヴェル、貴方は黙ってなさい」
ぴしり……。余計な意見を入れてきたと判断されたルイヴェルさんが、ギギッと顔を横に向けてきたセレスフィーナさんに、静かな絶対零度の迫力が漂う笑みに牽制された。
流石双子のお姉さんだ……。ルイヴェルさんが早々に白旗を上げてしまう。
「勿論、考えた上で想いを受け入れられないと言うのであれば、それもまた、ひとつの結末です。ですから、ユキ姫様の御心のままに、どんなに時間がかかっても構いませんから、二人の事を、どうか、よろしくお願いいたします」
「は、はいっ。それは勿論、真剣に考えさせて頂こうと思っています。ただ……、物凄く時間がかかりそうな気がしますけど」
私にとってあの二人は、どちらも、恋愛という関係など考えた事もない対象だ。
アレクさんは、いつもお世話になっている、頼りになる存在。
カインさんは、喧嘩もするけれど、どうにか仲良くなれた友人的存在。
まだまだ始まったばかりという印象が強くて、そういう風には……。
というか、どちらも女性の好意を惹き付けやすそうな美しい容姿をしているから、てっきり……、意中の相手がいてもおかしくはないと、勝手に思っていた。
それなのに、何故こんな事に……。
「私、どこからどう見ても、平平凡凡なタイプだと思うんですよね……。なのに、どうして二人から好意を向けられてしまったのか……」
心底謎です。目の前の二人にそう伝えると、……何故か、思いっきり複雑そうな顔をされてしまった。
「セレス姉さん……」
「ルイヴェル、黙ってなさい。いつの世も、純粋な方が無自覚という事は、よくある事なのよ」
「それはそうなんだが……、やはり、ユーディス殿下のガードが固かった故、か。……これはこれで、色々と不味いな」
「そうね……」
王宮医師のお二人が揃って残念そうな息を吐き出すのを見た私は、一体何をそんなに困っているのだろうかと首を傾げた。
元いた世界では、綺麗で美人な女の子が沢山いたし、その中に放り込まれたら、私は確実にモブだ。華やかな主役級のヒロイン達を引き立てる脇役。
その事実を伝えただけなのに、何がお二人をこんなにも困らせているのだろうか。
「ユキ姫様……、僭越ながら、ひとつ、よろしいでしょうか」
「はい?」
コホンと咳払いをしたセレスフィーナさんが、ルイヴェルさんと同時に音を重ねた。
「「外で異性から声をかけられても、絶対に二人きりにはなられませんように」」
「……はい?」
私は何を心配されているの?
やけに真剣すぎる眼差しで、ずいっと目の前に顔を差し出してきたお二人に、え? え? と、戸惑いの視線を向ける。あれかな……、私がお父さんの娘だから、色々と必要のない事を心配していたりする、のかな。
とりあえず、よくわからないけど、「はい」と頷いておく。
セレスフィーナさんみたいな正真正銘の美人さんにこそ、外ではどうか不埒な人に気を付けてくださいね、と言いたいのだけど。
「ふぅ……。とにかく、ユキ姫様にお伝えしたい事は以上です。どうか、焦ったりはせずに、ゆっくりと二人の事をお考えください。ユキ姫様が二人の事を想われて出された結論ならば、どのようなものであろうとも、納得して貰えるはずですから」
「セレスフィーナさん……。はい、ありがとうございます。私、二人の想いから逃げずに、真剣に、考えてみます」
恋愛初心者でも、自分に向けられた想いに背を向ける事は失礼な事だ。
私に出来る事があるのなら、真剣に、しっかりと考えてみよう。
アレクさんとカインさん、二人の事を思い出すと、また、トクトク……と、少しだけ鼓動が速くなる。自分の心臓がある場所に両手を添えた私は、瞼を閉じた。
(アレクさん……、カインさん……)
実際にはまだ、確かな告白をされたわけじゃない。
それを音にする前に、私はカインさんから逃げてしまったし、アレクさんの時も、ルディーさん達が現れてしまったから……。
だけど、きっと、そう遠くない内に、二人の想いは確かな形となって目の前に表れる事だろう。
その時の為に、心の準備をしておかないと。
ふぅ……、と、気持ちを落ち着ける為の息を吐き出していると。
「まったく……」
「ルイヴェルさん?」
瞼を開けると、横を向いて腕を組むルイヴェルさんの独り言が小さく聞こえた。
何やら、アレクさんとカインさんの名前が呟かれたような気がしたけれど、聞き取れたのはそれだけ。ただ、呆れと苛立ちが入り交じっているかのような気配だけが、先程よりも強まっていた。
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