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少年の日の終わり
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それからは急いで山を下った。
来るときに危険そうな場所は覚えているので時間をかけずに下れたとは思うが、それでも湧き水のところに着くころには夕暮れになっていたし、いつもの川に着いた時には暗くなり始めていた。
「足元気を付けてね。」
「ごめん。俺が我儘言ったせいでこんな遅くなって。ヨーコ姉ちゃんは大丈夫?帰れる?」
「大丈夫だよ。マコト君も気をつけてね。」
薄暗くなってはいたが慣れた道、俺はそんなに苦労することなく帰りの山の頂上まで着いた。
その頃にはもう日が沈んでいたが、そこからは道がひらけているので月明かりが十分入ってきてそんなに困ることはなかった。
家に着いたのは夕飯の頃。
「どこ行ってたの!」
母親に怒られたがまさか一人で遠くの山に行っているとは思わないのか適当に謝ったら許してくれた。
普段から日が沈んでも中々帰らないのもいいカモフラージュになっていたのかも知れない。
特にお小言もなく、俺は次の日も普通にいつもの川に向かった。
初めての時は探り探り下りて行ったことが懐かしく思える程、俺は簡単に進むことができるようになっていた。
いつもの川に着いて岩の上でヨーコ姉ちゃんを待つ。
来ない。
その日は太陽が真上に来ても、傾いても、沈みそうになっても、ヨーコ姉ちゃんは来なかった。
もしかして帰り道に事故にあったのかもしれない。
不安になったが俺はヨーコ姉ちゃんの来る方の山を登ったことがない。
道がわからなければ相当苦労するだろう。はたして俺一人で行けるのだろうか。だけど今日はもう日が沈む。
俺が行ってみたところでどうにもならないことはわかっているが明日、明日になったら、行ってみようか。
次の日、覚悟を決めて川に着いた時にはいつもの岩の上にヨーコ姉ちゃんがいた。
「ヨーコ姉ちゃん!心配したよ。昨日は来なかったから。一昨日は無事に帰れた?」
「うん・・・。大丈夫。昨日はごめんね。ちょっと疲れちゃって。今日は何しよっか?」
良かった。ヨーコ姉ちゃんに怪我がなくて。
俺の我儘でヨーコ姉ちゃんが怪我なんてしたらどうしようかと思っていた。
そうしてまた川で遊んだ。
あの山に登ったのは楽しかったが、帰るのが遅くなってヨーコ姉ちゃんは危ない目にあったかもしれない。
また冒険じみたことをしたら今度こそ危ない目にあわせてしまうかもしれない。
それは嫌だと、俺は臆病になっていた。
いつもの遊びでも危険なことはしたくないと思うようになったし、させたくなかった。
木登りや探検は止めたし、川への飛び込みも、河原での競争すら止めた。
一緒に思い切り遊べるのが楽しかったハズなのに、ヨーコ姉ちゃんは何も変わっていないのに。
俺は遠慮をしていたのかもしれない。
俺のこの気持ちは優しさでも配慮でもない。ただの我儘だ。守りたいという、傷ついてほしくないという、我儘。
ヨーコ姉ちゃんは気づいていたのかも知れないが、それに付き合ってくれた。
穏やかな、それでいて幸せな毎日。
こういうのもいいなと思った。それが大人になるってことなのかも、と。
今年も夏休み中はずっと続くと、来年もずっと続くと、思っていた。
だけど夏休みもまだ半ばを過ぎた程度の頃、それは突然だった。
「・・・ねえ。話があるんだ。・・・大事な話。」
帰り際、夕暮れ時。ヨーコ姉ちゃんが目線を伏せながら凄く落ち着いた声で俺を呼び止めた。
「何?」
何かを感じ取った俺は向き直ってヨーコ姉ちゃんに近づく。
「あのね、・・・私・・・。」
言いづらそうにしているヨーコ姉ちゃんを見ていると、それが普通じゃないってことは予測できた。
「・・・私、・・・。もうここに来れなくなった。」
今度ははっきりと、俺の目を見据えて。表情でわかる。冗談なんかじゃないって。
「・・・今年はもう終わりってこと?」
少しの沈黙の後
「ううん。もう来れないの。来年も。再来年も。ずっと。」
「え?なんで?・・・どうして?」
「・・・ごめんね。私・・・。」
その時、ヨーコ姉ちゃんは涙を流していた。初めて見た。ヨーコ姉ちゃんが泣くところを。
「私、マコト君に会えてよかったよ。・・・絶対、ずっと、忘れないから。」
「忘れないって、そんな。もう会えないみたいな言い方。やだよ、俺。だって、」
だって、何なのか。自分の気持ちに未だ理解が追い付いていない俺に、ヨーコ姉ちゃんが微笑みながら一歩近づいて。
「初めて会った時は私より小さかったのにね。背、同じくらいになったね。きっと来年は追い越されちゃうんだろうな。」
そうだよ、だから来年も。と、開いたその口は言葉を発することなく塞がれた。
それはほんの数秒。両肩に添えられたヨーコ姉ちゃんの手が離れるまでの間、俺は気が動転していた。
「・・・じゃあね。・・・ばいばい。」
唇を噛みしめ涙を堪えながら、そして無理して作った笑顔でそう言って背を向ける。
そのまま走って行ってしまう。
俺はあまりに突然の事に呆然として、ただ立ち尽くしてその後姿を見送った。
次の日、いつもの川にヨーコ姉ちゃんは来なかった。その次の日もその次も。
残りの夏休みの間中ずっと。
それでもと、俺は翌年の夏休みも川へ行った。でもやっぱりヨーコ姉ちゃんは来なかった。
来るときに危険そうな場所は覚えているので時間をかけずに下れたとは思うが、それでも湧き水のところに着くころには夕暮れになっていたし、いつもの川に着いた時には暗くなり始めていた。
「足元気を付けてね。」
「ごめん。俺が我儘言ったせいでこんな遅くなって。ヨーコ姉ちゃんは大丈夫?帰れる?」
「大丈夫だよ。マコト君も気をつけてね。」
薄暗くなってはいたが慣れた道、俺はそんなに苦労することなく帰りの山の頂上まで着いた。
その頃にはもう日が沈んでいたが、そこからは道がひらけているので月明かりが十分入ってきてそんなに困ることはなかった。
家に着いたのは夕飯の頃。
「どこ行ってたの!」
母親に怒られたがまさか一人で遠くの山に行っているとは思わないのか適当に謝ったら許してくれた。
普段から日が沈んでも中々帰らないのもいいカモフラージュになっていたのかも知れない。
特にお小言もなく、俺は次の日も普通にいつもの川に向かった。
初めての時は探り探り下りて行ったことが懐かしく思える程、俺は簡単に進むことができるようになっていた。
いつもの川に着いて岩の上でヨーコ姉ちゃんを待つ。
来ない。
その日は太陽が真上に来ても、傾いても、沈みそうになっても、ヨーコ姉ちゃんは来なかった。
もしかして帰り道に事故にあったのかもしれない。
不安になったが俺はヨーコ姉ちゃんの来る方の山を登ったことがない。
道がわからなければ相当苦労するだろう。はたして俺一人で行けるのだろうか。だけど今日はもう日が沈む。
俺が行ってみたところでどうにもならないことはわかっているが明日、明日になったら、行ってみようか。
次の日、覚悟を決めて川に着いた時にはいつもの岩の上にヨーコ姉ちゃんがいた。
「ヨーコ姉ちゃん!心配したよ。昨日は来なかったから。一昨日は無事に帰れた?」
「うん・・・。大丈夫。昨日はごめんね。ちょっと疲れちゃって。今日は何しよっか?」
良かった。ヨーコ姉ちゃんに怪我がなくて。
俺の我儘でヨーコ姉ちゃんが怪我なんてしたらどうしようかと思っていた。
そうしてまた川で遊んだ。
あの山に登ったのは楽しかったが、帰るのが遅くなってヨーコ姉ちゃんは危ない目にあったかもしれない。
また冒険じみたことをしたら今度こそ危ない目にあわせてしまうかもしれない。
それは嫌だと、俺は臆病になっていた。
いつもの遊びでも危険なことはしたくないと思うようになったし、させたくなかった。
木登りや探検は止めたし、川への飛び込みも、河原での競争すら止めた。
一緒に思い切り遊べるのが楽しかったハズなのに、ヨーコ姉ちゃんは何も変わっていないのに。
俺は遠慮をしていたのかもしれない。
俺のこの気持ちは優しさでも配慮でもない。ただの我儘だ。守りたいという、傷ついてほしくないという、我儘。
ヨーコ姉ちゃんは気づいていたのかも知れないが、それに付き合ってくれた。
穏やかな、それでいて幸せな毎日。
こういうのもいいなと思った。それが大人になるってことなのかも、と。
今年も夏休み中はずっと続くと、来年もずっと続くと、思っていた。
だけど夏休みもまだ半ばを過ぎた程度の頃、それは突然だった。
「・・・ねえ。話があるんだ。・・・大事な話。」
帰り際、夕暮れ時。ヨーコ姉ちゃんが目線を伏せながら凄く落ち着いた声で俺を呼び止めた。
「何?」
何かを感じ取った俺は向き直ってヨーコ姉ちゃんに近づく。
「あのね、・・・私・・・。」
言いづらそうにしているヨーコ姉ちゃんを見ていると、それが普通じゃないってことは予測できた。
「・・・私、・・・。もうここに来れなくなった。」
今度ははっきりと、俺の目を見据えて。表情でわかる。冗談なんかじゃないって。
「・・・今年はもう終わりってこと?」
少しの沈黙の後
「ううん。もう来れないの。来年も。再来年も。ずっと。」
「え?なんで?・・・どうして?」
「・・・ごめんね。私・・・。」
その時、ヨーコ姉ちゃんは涙を流していた。初めて見た。ヨーコ姉ちゃんが泣くところを。
「私、マコト君に会えてよかったよ。・・・絶対、ずっと、忘れないから。」
「忘れないって、そんな。もう会えないみたいな言い方。やだよ、俺。だって、」
だって、何なのか。自分の気持ちに未だ理解が追い付いていない俺に、ヨーコ姉ちゃんが微笑みながら一歩近づいて。
「初めて会った時は私より小さかったのにね。背、同じくらいになったね。きっと来年は追い越されちゃうんだろうな。」
そうだよ、だから来年も。と、開いたその口は言葉を発することなく塞がれた。
それはほんの数秒。両肩に添えられたヨーコ姉ちゃんの手が離れるまでの間、俺は気が動転していた。
「・・・じゃあね。・・・ばいばい。」
唇を噛みしめ涙を堪えながら、そして無理して作った笑顔でそう言って背を向ける。
そのまま走って行ってしまう。
俺はあまりに突然の事に呆然として、ただ立ち尽くしてその後姿を見送った。
次の日、いつもの川にヨーコ姉ちゃんは来なかった。その次の日もその次も。
残りの夏休みの間中ずっと。
それでもと、俺は翌年の夏休みも川へ行った。でもやっぱりヨーコ姉ちゃんは来なかった。
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