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第一章 再会の衝撃
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春の陽ざしはやわらかでした。
王都の宮殿奥に設けられた庭園は、戦乱が終結した今、ようやく平和を取り戻した証のように、見事に整えられた花々で彩られております。
白や紅の薔薇が咲き誇り、小鳥の囀りが高らかに響く。噴水から流れる水音は、午後の日差しを浴びて細やかな虹を描いていました。
わたくしは、その場に似つかわしくないほど硬直した背筋を伸ばし、紅茶を口に含むふりをしながら、ただひたすら緊張に耐えていたのです。
「今日、正式に顔を合わせるのよ」
朝から幾度も母に言われた言葉が、耳の奥に残っていました。
相手は、王国が誇る第二王子にして将軍殿下——レオンハルト様。
名は知っております。
戦場で数々の武功を重ね、その冷徹な采配により〈戦神〉とまで呼ばれるお方。
恐ろしくも栄誉ある婚約先。
政略としては最高の結びつきであり、平和を強固にするための大義。
……ですが。
「まさか、そのお方が……」
わたしの胸の奥には、誰にも告げられぬ秘密がありました。
記憶を反芻すれば、喉の奥から冷えた鉄の匂いが蘇る。
前世のこと。
わたしはかつて、敵国の姫として生まれ落ち、逆臣として捕らえられ、そして——。
その剣で、たしかに斬られたのです。
◆
「——セリーヌ・アルフォード嬢ですね?」
澄んだ声が、空気を切りました。
わたしの胸が跳ね、その瞬間、すべての音が遠のいた気がします。
視線を上げれば、そこに立つのは。
銀糸を編んだような髪が陽を反射し、整いすぎたほどの顔立ちが影を作る。
厳しくも冷静な青い瞳。
一歩踏み出せば大地すら従わせるような威令を宿した、将軍殿下——。
「——あぁ……」
わたしは息を吸い込み損ねました。
紅茶の湯気が白く昇り、指先が震える。ティーカップがカタリと震え、案の定、わずかに中身が縁から溢れました。
「おや……」
わたしの粗相に気づいた彼が小さく眉を寄せます。
その仕草さえ凛然としていて、叱られるよりもずっと苦しい。
違うのです。
礼儀がなっていないのではありません。
震えて仕方がないのです——恐怖と、もう一つ、説明のつかない動揺とで。
「……セリーヌ嬢」
彼が歩み寄ったその刹那。
驚くべきことに、屈強な将軍殿下が——わたしの前で片膝をつきました。
「えっ……!?」
わたしは目を見開きました。
冗談? 見間違い? しかし、そうではない。
膝を折り、まるで忠誠を誓うかのように、彼は静かにわたしを見上げています。
「私はこの命にかけて、貴女を愛し、そして守ると誓いましょう」
……何を。
この人は、何を言っているのですか?
前世、わたしの命を奪った、その手で。
わたしに、愛を——?
◆
「せ、殿下……」
どうにか声を搾り出したものの、喉が乾いて上手く言葉になりませんでした。
「わたくしに……なぜ、そのような……?」
問いかけた視線を、避けられない。
その青い瞳に映されるだけで、全身が射抜かれるようでした。
彼はわずかに微笑みました。
戦神と呼ばれる者がこんなにも穏やかに笑うなど、誰が信じましょう。
「理由など要るだろうか。俺が君を愛している。ただ、それだけで十分だ」
「っ!」
言葉を返す余裕もなく、わたしはただ頬に熱を覚えました。
今世の彼と、前世の彼、重なるのは姿だけ。
けれど、その声音は——まるで、別人のように優しかったのです。
(わたくしは、なにをしているの……?)
心の奥から声が響くけれど、制御できません。
鼓動は速まるばかり。逃げたい。なのに足が動かない。
◆
その後の茶会は、記憶が霞んでしまうほどに落ち着きませんでした。
菓子の味を感じる余裕もなく、言葉もぎこちなく。
「顔色が優れないな」
隣から響いた声。しかめた横顔が美しすぎて、息が止まりそうになります。
「熱でもあるのか?」と、大きな掌が伸ばされ——。
「ひゃっ……!」
思わず椅子を揺らしてしまいました。
しかし彼は構わず、その手をわたしの頬に触れさせる。
指先はわずかに硬質で、それでいて穏やかに温かい。
「やはり、すこし熱いな。無理をするな」
「め、滅相もありません! 大丈夫ですわ、殿下!」
慌てて声を上げ、視線を逸らしました。
けれど頬に残る微かな熱が、余計に心臓を乱すのです。
前世で刃を突きつけられたことを思い出すたび、体の奥が凍り付くようなのに——。
なぜか今は、逆に。あまりにも、あたたかい。
◆
それだけでは終わりませんでした。
庭園を抜ける時、わたしが裾を踏んで転びそうになった瞬間、彼は自然に腰を支え、片腕で引き寄せてきたのです。
「きゃ……!」
思わず胸に収まったわたしを、鍛え上げられた腕がすっぽりと包みます。
広い肩越しに見える空が、やけに遠い。
——震えが止まりません。
拒絶しなければならないのに。
本来なら「お放しください」と毅然と言うべきなのに。
わたしの唇から出たのは、掠れた呟きだけでした。
「どうして……そんなふうに、優しいのですか」
レオンハルトは一拍置いて、笑います。
その目は冗談ではなく、真剣そのもの。
「優しくしたい相手が、君だからだ」
そして、そのままわたしの手をとり、指先に口づけを落としました。
「っ……!」
胸が揺さぶられ、頭が真っ白になります。
耳元で囁かれた声が、甘く、苦しく、生きている心臓の奥底まで浸みわたるようでした。
「俺は必ず、証明してみせよう。言葉だけだとは思わせない」
その言葉は、わたくしを呪いから解き放とうとする誓いのようでもありました。
前世でわたしを斬った手が、今はわたしを包み込み、愛を誓う。
それは残酷な運命の悪戯か、神から与えられた救済か——。
答えはまだわかりません。
けれど、瞳を逸らせないわたしの心は、すでに揺れに揺れておりました。
王都の宮殿奥に設けられた庭園は、戦乱が終結した今、ようやく平和を取り戻した証のように、見事に整えられた花々で彩られております。
白や紅の薔薇が咲き誇り、小鳥の囀りが高らかに響く。噴水から流れる水音は、午後の日差しを浴びて細やかな虹を描いていました。
わたくしは、その場に似つかわしくないほど硬直した背筋を伸ばし、紅茶を口に含むふりをしながら、ただひたすら緊張に耐えていたのです。
「今日、正式に顔を合わせるのよ」
朝から幾度も母に言われた言葉が、耳の奥に残っていました。
相手は、王国が誇る第二王子にして将軍殿下——レオンハルト様。
名は知っております。
戦場で数々の武功を重ね、その冷徹な采配により〈戦神〉とまで呼ばれるお方。
恐ろしくも栄誉ある婚約先。
政略としては最高の結びつきであり、平和を強固にするための大義。
……ですが。
「まさか、そのお方が……」
わたしの胸の奥には、誰にも告げられぬ秘密がありました。
記憶を反芻すれば、喉の奥から冷えた鉄の匂いが蘇る。
前世のこと。
わたしはかつて、敵国の姫として生まれ落ち、逆臣として捕らえられ、そして——。
その剣で、たしかに斬られたのです。
◆
「——セリーヌ・アルフォード嬢ですね?」
澄んだ声が、空気を切りました。
わたしの胸が跳ね、その瞬間、すべての音が遠のいた気がします。
視線を上げれば、そこに立つのは。
銀糸を編んだような髪が陽を反射し、整いすぎたほどの顔立ちが影を作る。
厳しくも冷静な青い瞳。
一歩踏み出せば大地すら従わせるような威令を宿した、将軍殿下——。
「——あぁ……」
わたしは息を吸い込み損ねました。
紅茶の湯気が白く昇り、指先が震える。ティーカップがカタリと震え、案の定、わずかに中身が縁から溢れました。
「おや……」
わたしの粗相に気づいた彼が小さく眉を寄せます。
その仕草さえ凛然としていて、叱られるよりもずっと苦しい。
違うのです。
礼儀がなっていないのではありません。
震えて仕方がないのです——恐怖と、もう一つ、説明のつかない動揺とで。
「……セリーヌ嬢」
彼が歩み寄ったその刹那。
驚くべきことに、屈強な将軍殿下が——わたしの前で片膝をつきました。
「えっ……!?」
わたしは目を見開きました。
冗談? 見間違い? しかし、そうではない。
膝を折り、まるで忠誠を誓うかのように、彼は静かにわたしを見上げています。
「私はこの命にかけて、貴女を愛し、そして守ると誓いましょう」
……何を。
この人は、何を言っているのですか?
前世、わたしの命を奪った、その手で。
わたしに、愛を——?
◆
「せ、殿下……」
どうにか声を搾り出したものの、喉が乾いて上手く言葉になりませんでした。
「わたくしに……なぜ、そのような……?」
問いかけた視線を、避けられない。
その青い瞳に映されるだけで、全身が射抜かれるようでした。
彼はわずかに微笑みました。
戦神と呼ばれる者がこんなにも穏やかに笑うなど、誰が信じましょう。
「理由など要るだろうか。俺が君を愛している。ただ、それだけで十分だ」
「っ!」
言葉を返す余裕もなく、わたしはただ頬に熱を覚えました。
今世の彼と、前世の彼、重なるのは姿だけ。
けれど、その声音は——まるで、別人のように優しかったのです。
(わたくしは、なにをしているの……?)
心の奥から声が響くけれど、制御できません。
鼓動は速まるばかり。逃げたい。なのに足が動かない。
◆
その後の茶会は、記憶が霞んでしまうほどに落ち着きませんでした。
菓子の味を感じる余裕もなく、言葉もぎこちなく。
「顔色が優れないな」
隣から響いた声。しかめた横顔が美しすぎて、息が止まりそうになります。
「熱でもあるのか?」と、大きな掌が伸ばされ——。
「ひゃっ……!」
思わず椅子を揺らしてしまいました。
しかし彼は構わず、その手をわたしの頬に触れさせる。
指先はわずかに硬質で、それでいて穏やかに温かい。
「やはり、すこし熱いな。無理をするな」
「め、滅相もありません! 大丈夫ですわ、殿下!」
慌てて声を上げ、視線を逸らしました。
けれど頬に残る微かな熱が、余計に心臓を乱すのです。
前世で刃を突きつけられたことを思い出すたび、体の奥が凍り付くようなのに——。
なぜか今は、逆に。あまりにも、あたたかい。
◆
それだけでは終わりませんでした。
庭園を抜ける時、わたしが裾を踏んで転びそうになった瞬間、彼は自然に腰を支え、片腕で引き寄せてきたのです。
「きゃ……!」
思わず胸に収まったわたしを、鍛え上げられた腕がすっぽりと包みます。
広い肩越しに見える空が、やけに遠い。
——震えが止まりません。
拒絶しなければならないのに。
本来なら「お放しください」と毅然と言うべきなのに。
わたしの唇から出たのは、掠れた呟きだけでした。
「どうして……そんなふうに、優しいのですか」
レオンハルトは一拍置いて、笑います。
その目は冗談ではなく、真剣そのもの。
「優しくしたい相手が、君だからだ」
そして、そのままわたしの手をとり、指先に口づけを落としました。
「っ……!」
胸が揺さぶられ、頭が真っ白になります。
耳元で囁かれた声が、甘く、苦しく、生きている心臓の奥底まで浸みわたるようでした。
「俺は必ず、証明してみせよう。言葉だけだとは思わせない」
その言葉は、わたくしを呪いから解き放とうとする誓いのようでもありました。
前世でわたしを斬った手が、今はわたしを包み込み、愛を誓う。
それは残酷な運命の悪戯か、神から与えられた救済か——。
答えはまだわかりません。
けれど、瞳を逸らせないわたしの心は、すでに揺れに揺れておりました。
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