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第18章 王弟の転落
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曇り空というのは、本当に不思議です。
太陽を隠しているくせに、その裏でちゃんと光を流しています。
――それは、今のわたしにとっての国のようでした。
王弟アデルハルト殿下の“処遇発表”が行われたのは、謁見の間よりも人々に近い場所――王都広場でした。
民の声を直接見届けるという陛下の意向で、王家としては異例の公開宣言です。
静まり返る民衆の前で、エリオット様の声が響きました。
「諜報局前局長、アデルハルト・フォン・ルーヴェン殿下に関する処断を述べます」
わたしは一歩後ろ。
彼の少し後方で侍る形で立っています。
彼の背中越しに聞くだけでも、その言葉の強さが伝わってくる。
「異能者管理制度の悪用、人身の違法取引、及び公印の私的流用。
以上の罪により、王弟殿下はすべての公職を罷免され、爵位と特権を停止――以後、辺境地マグノリア領にて謹慎とする」
ざわめく声が、広場を覆い尽くしました。
重い鐘の音が鳴る。
罪人の立場にある王族が裁かれるなど、この国では前例がありません。
アデルハルト殿下は、鎖を掛けられたわけでもなく、堂々とそこに立っていました。
頭を下げてはいません。
けれども、その瞳の色は――。
(青。……でも、あの時よりも、ずっと薄くなっている)
かつて冷淡と支配欲で濁っていた色が、今は哀しみの海のような青灰。
「……私の正義は、間違っていたのか」
誰の指示でもない、小さな声が零れ落ちました。
問いかけなのに、答えを誰にも求めない響きでした。
エリオット様がそっと前に進み、彼の前に立ちました。
「殿下。間違っていたのではありません。――終わらなかっただけです」
「……終わらなかった?」
「国を守るためという信念。それ自体は尊い。
ですが守る相手を“人”として見られなくなった時、正義は牙を剥く。
それを、貴方は止められなかった」
そう言って、彼は手袋を取った。
細くしなやかな指が、まっすぐ殿下へと差し出される。
「それでも、私は信じます。貴方もまた、“守るため”に生きてきた人だと」
静かに光が差す。
まるで天が、二人に幕を下ろす準備をしているような時間でした。
「……君は残酷だな、ルシアン」
「優しさは時に、残酷に見えるものです」
アデルハルト殿下が、かすかに笑いました。
その笑みは皮肉でも冷笑でもなく、“敗北を受け入れた人間の表情”でした。
「……弟を裁く兄も、兄を恨まぬ弟も、そなたも。……愚かしいほどの理想家だ」
「愚かほどでなければ、光には届きません」
彼らの会話が終わった瞬間、再び鐘が鳴りました。
その音が彼の退場の合図。
衛兵が静かに道を左右に開く。
殿下は最後に一度だけ、私の方を見ました。
「ノワール嬢」
「……はい、殿下」
「君の“色”は、まだ苦しいままだ。だが、もう誰も奪いはしない」
「……ありがとうございます」
それだけ言って、彼は背を向けました。
その背中が遠ざかっていく。
光を捕らえず、ただ灰色の影を落として。
けれど、その影にまだ“救われた温度”があった気がしました。
* * *
人々が散り始めたあと、王都広場を少し離れた石畳の上で、エリオット様が立ち止まりました。
「――リディア」
「はい」
「君、泣いてる」
「え……?」
頬に触れた彼の指が、涙の跡をなぞる。
どうやら自分でも気づかないうちに泣いていたようでした。
「どうして……泣いてるの?」
「さあ……きっと、寂しいんです。
殿下は、最初から誰にも頼れない人だったから……」
「優しいね」
「……多分、あなたにうつされたんですね」
「そうかな。俺、多分君に“甘い”だけだよ」
「それを優しいと言うんです」
二人で小さく笑い合いました。
風が通り抜け、遠くへ鐘の音が消えていく。
「……終わっちゃいましたね」
「終わってないよ」
「え?」
「国は続いていく。君も、俺も。
“この後”が、本当の人生だよ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
(この人の言葉は、いつも怖いほど現実で、なのに夢みたいなんです)
「でも、少し怖いんです」
「これからの世界が?」
「ええ。わたしが自由になったら、何をすればいいのか分からなくて」
エリオット様がわずかに目を細めた。
「君は、自分の目で“色”を見すぎて疲れたんだよ」
「かもしれません」
「だったら次は、“見える世界”のほうを君が変えなきゃ」
「……わたしが?」
「うん。君が見た“本当の色”を、俺は信じるから」
言いながら、彼が少し屈み、頬にかかる髪を指でそっと払いました。
「リディア。俺の光を共有してくれた君がいれば、
どんな闇でも“綺麗”に見える」
「また……そんな台詞を」
「今は全部本音だよ」
「本音が甘すぎます」
「だって、“甘やかしたくて仕方ない人”の前なんだから」
言葉のあいだに、風が止まる。
そして、彼の手がわたしの頬から首筋へすべり、ゆっくり後ろへ。
逃げられない距離。だけど、もう逃げたいなんて思いません。
「……人前ですよ」
「うん。でも見せつけたい。“奪う側じゃなく、守る男”になった俺を」
「ずるいですね、そういうところ」
「知ってる」
そう呟いて、彼がわたしの額に唇を落としました。
ほんの一瞬なのに、時間が止まるほどの温度。
それは誓いでも、告白でもなく――ひとつの“終演の印”でした。
* * *
後日。
城下にはひとつの通達が掲げられました。
《王弟アデルハルト・フォン・ルーヴェン、全王職を辞任し、王命により国外通信の更新を停止。
――領地マグノリアにて静養に入る。》
人々は驚きながらも、静かに受け止めていました。
派手な断罪ではなく、穏やかで不可逆な終わり。
そして、社交界は同時に一つの新しい噂でにぎわい始めるのです。
《ルシアン公爵家、王の勅命を受け、次期宰相補佐に抜擢》
《公子は“異能者とともに生きる時代”を提唱》
《ノワール嬢、王立学院特別講師に――“心の色”を問う新講義》
(世界は、ゆっくり変わっていくのですね)
噂話を聞きながら、私は少しだけ微笑みました。
太陽を隠しているくせに、その裏でちゃんと光を流しています。
――それは、今のわたしにとっての国のようでした。
王弟アデルハルト殿下の“処遇発表”が行われたのは、謁見の間よりも人々に近い場所――王都広場でした。
民の声を直接見届けるという陛下の意向で、王家としては異例の公開宣言です。
静まり返る民衆の前で、エリオット様の声が響きました。
「諜報局前局長、アデルハルト・フォン・ルーヴェン殿下に関する処断を述べます」
わたしは一歩後ろ。
彼の少し後方で侍る形で立っています。
彼の背中越しに聞くだけでも、その言葉の強さが伝わってくる。
「異能者管理制度の悪用、人身の違法取引、及び公印の私的流用。
以上の罪により、王弟殿下はすべての公職を罷免され、爵位と特権を停止――以後、辺境地マグノリア領にて謹慎とする」
ざわめく声が、広場を覆い尽くしました。
重い鐘の音が鳴る。
罪人の立場にある王族が裁かれるなど、この国では前例がありません。
アデルハルト殿下は、鎖を掛けられたわけでもなく、堂々とそこに立っていました。
頭を下げてはいません。
けれども、その瞳の色は――。
(青。……でも、あの時よりも、ずっと薄くなっている)
かつて冷淡と支配欲で濁っていた色が、今は哀しみの海のような青灰。
「……私の正義は、間違っていたのか」
誰の指示でもない、小さな声が零れ落ちました。
問いかけなのに、答えを誰にも求めない響きでした。
エリオット様がそっと前に進み、彼の前に立ちました。
「殿下。間違っていたのではありません。――終わらなかっただけです」
「……終わらなかった?」
「国を守るためという信念。それ自体は尊い。
ですが守る相手を“人”として見られなくなった時、正義は牙を剥く。
それを、貴方は止められなかった」
そう言って、彼は手袋を取った。
細くしなやかな指が、まっすぐ殿下へと差し出される。
「それでも、私は信じます。貴方もまた、“守るため”に生きてきた人だと」
静かに光が差す。
まるで天が、二人に幕を下ろす準備をしているような時間でした。
「……君は残酷だな、ルシアン」
「優しさは時に、残酷に見えるものです」
アデルハルト殿下が、かすかに笑いました。
その笑みは皮肉でも冷笑でもなく、“敗北を受け入れた人間の表情”でした。
「……弟を裁く兄も、兄を恨まぬ弟も、そなたも。……愚かしいほどの理想家だ」
「愚かほどでなければ、光には届きません」
彼らの会話が終わった瞬間、再び鐘が鳴りました。
その音が彼の退場の合図。
衛兵が静かに道を左右に開く。
殿下は最後に一度だけ、私の方を見ました。
「ノワール嬢」
「……はい、殿下」
「君の“色”は、まだ苦しいままだ。だが、もう誰も奪いはしない」
「……ありがとうございます」
それだけ言って、彼は背を向けました。
その背中が遠ざかっていく。
光を捕らえず、ただ灰色の影を落として。
けれど、その影にまだ“救われた温度”があった気がしました。
* * *
人々が散り始めたあと、王都広場を少し離れた石畳の上で、エリオット様が立ち止まりました。
「――リディア」
「はい」
「君、泣いてる」
「え……?」
頬に触れた彼の指が、涙の跡をなぞる。
どうやら自分でも気づかないうちに泣いていたようでした。
「どうして……泣いてるの?」
「さあ……きっと、寂しいんです。
殿下は、最初から誰にも頼れない人だったから……」
「優しいね」
「……多分、あなたにうつされたんですね」
「そうかな。俺、多分君に“甘い”だけだよ」
「それを優しいと言うんです」
二人で小さく笑い合いました。
風が通り抜け、遠くへ鐘の音が消えていく。
「……終わっちゃいましたね」
「終わってないよ」
「え?」
「国は続いていく。君も、俺も。
“この後”が、本当の人生だよ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
(この人の言葉は、いつも怖いほど現実で、なのに夢みたいなんです)
「でも、少し怖いんです」
「これからの世界が?」
「ええ。わたしが自由になったら、何をすればいいのか分からなくて」
エリオット様がわずかに目を細めた。
「君は、自分の目で“色”を見すぎて疲れたんだよ」
「かもしれません」
「だったら次は、“見える世界”のほうを君が変えなきゃ」
「……わたしが?」
「うん。君が見た“本当の色”を、俺は信じるから」
言いながら、彼が少し屈み、頬にかかる髪を指でそっと払いました。
「リディア。俺の光を共有してくれた君がいれば、
どんな闇でも“綺麗”に見える」
「また……そんな台詞を」
「今は全部本音だよ」
「本音が甘すぎます」
「だって、“甘やかしたくて仕方ない人”の前なんだから」
言葉のあいだに、風が止まる。
そして、彼の手がわたしの頬から首筋へすべり、ゆっくり後ろへ。
逃げられない距離。だけど、もう逃げたいなんて思いません。
「……人前ですよ」
「うん。でも見せつけたい。“奪う側じゃなく、守る男”になった俺を」
「ずるいですね、そういうところ」
「知ってる」
そう呟いて、彼がわたしの額に唇を落としました。
ほんの一瞬なのに、時間が止まるほどの温度。
それは誓いでも、告白でもなく――ひとつの“終演の印”でした。
* * *
後日。
城下にはひとつの通達が掲げられました。
《王弟アデルハルト・フォン・ルーヴェン、全王職を辞任し、王命により国外通信の更新を停止。
――領地マグノリアにて静養に入る。》
人々は驚きながらも、静かに受け止めていました。
派手な断罪ではなく、穏やかで不可逆な終わり。
そして、社交界は同時に一つの新しい噂でにぎわい始めるのです。
《ルシアン公爵家、王の勅命を受け、次期宰相補佐に抜擢》
《公子は“異能者とともに生きる時代”を提唱》
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