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第四章 戴冠式の前夜
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王都に突然広まった「国王崩御」の報せは、まるで天変地異のように人々を震わせました。
重く、悲しい鐘の音が何度も何度も鳴り響き、通りに群がる人々の顔は、驚きと不安とを入り混ぜていました。
その中に、わずかな希望と、大きな絶望とが入り混じっているようにも見えました。
ひとり神殿の片隅でそれを聞いたわたしの指先は、冷たく震えています。
(……崩御。じゃあ、次の王は……)
すぐに思い浮かんだのは、王位継承権第一位のライアン殿下です。
冷酷とも、理知的とも評される若き王子。――つまり、この乙女ゲーム『精霊の巫女と風の王国』においては攻略対象の筆頭であり、物語の舞台を大きく揺るがす人物です。
しかも戴冠式の折には、「精霊の巫女」が正式に選ばれる儀式が執り行われるのです。
「……わたし、参加することになるのですね……」
声に出してみた瞬間、心の底から震えが走りました。
戴冠式の準備で慌ただしい神殿に呼び出され、わたしは豪奢な玉座の間へ向かいました。
頭上では、輝くようなシャンデリアがまばゆい光を放ち、赤い絨毯の上には鎧姿の近衛兵が列をなし、張り詰めた緊張の雰囲気が漂っています。
そして、その正面でわたしを待ち受けていたのは――ライアン殿下です。
底知れぬ光を宿した、蒼い瞳を持つ威容の青年です。
「ミモレ、と言ったな」
名を呼ばれただけで震えるほどの気迫。その声は低く、玉座の空気を支配していました。
「は、はい……」
「おまえには忠告をしておこう。セドリックには、もう会えない」
「……え?」
あまりの衝撃に、声がひっくり返りました。
「忘れることだ。あれは存在してはならぬ者だ。神殿に住まう巫女でなく、巫女候補として務めるつもりならば、余計な情を捨てよ」
言葉は冷たく、まるで刃のようです。
(な、なんでライアン殿下がセドリック様とのことを……!?)
混乱と動揺で視界が揺れ、涙がにじみそうになりました。
玉座の間を出て、その場にへたり込みました。
「……そんなの……できるわけないです」
両手をぎゅっと握りしめます。
たしかに、セドリック様はいません。どこへいってしまったのかわかりません。
けれど、彼から教えてもらった知識や、差し伸べられたあの手の温もりは、心にずっと残っているのです。
(たとえ会えなくても……わたしは彼が示してくれた道を歩みたい)
胸の中で赤々と灯火が揺れるのを、わたしははっきりと感じていました。
その夜遅く。神殿の庭を歩いていると、月明かりの下に立っていたのは
――カナリアさまでした。
「あら。ミモレさん。まぁ、ひとりで涙目をして。殿下に何を言われたのかは……聞かなくてもわかりますわ」
「カナリアさま……」
彼女は少し肩をすくめて、開いていた扇を閉じました。
「情を捨てろとかなんとか、殿方のよくある台詞。……でもね、あなたはいつも、わかりやすいくらい正直なんですわよ」
「わたし……どうしたら……」
「簡単ですわ。あなたが誇れる自分でいなさい。泣いて縮こまるか、胸を張るか。選ぶのは自分ですの」
その物言いは厳しくもありましたが、不思議と温かみがありました。
「……はい」
涙を拭って答えたとき、カナリアさまはにっと笑みを深めました。
「いい返事ですわ」
その夜。自室のベッドで必死に眠ろうとしましたが、胸はざわついて眠れません。
窓から差し込む月明かりが、部屋に影を落とします。
セドリック様の低い声。わたしの名前を呼んでくれたあの優しい響き。頬を撫でてくれた温もり。
涙がまた溢れそうになると、不意に――夢か幻か。
幻影のように、目の前に彼の姿が浮かびました。
『大丈夫。ミモレは、ミモレのままで』
「……セドリック様」
思わず両手を伸ばして、空を抱きしめました。
冷たい夜風しか触れなかったけれど、胸の中には確かな熱が残っていました。
翌朝。荘厳な鐘の音が鳴り響きます。
いよいよ戴冠式の幕開けです。
鏡の前に立つわたしは、白い巫女衣を纏い直していました。頬を軽く叩き、深呼吸。
(大丈夫。セドリック様が教えてくれたこと。カナリアさまの言葉。……全部を胸に、わたしはわたしを貫きます)
揺れる炎のように燃える恋心は、もはやただの憧れではありません。
それは生きる力になり、今度こそわたしを前へと押し出すのです。
控えの間に移動する途中、ふと廊下の片隅に影が動きました。
「……セドリック、様……?」
呼びかけて、はっとしました。けれどそこにいたのは侍従でした。
「候補者さま、お急ぎください」
幻影だったのですね。
でも、彼にもう会えないなんて、誰が決められるのでしょう。
「次に会えたとき、誇れる自分でいます」
その誓いを新たにして、わたしは玉座の大広間へ、胸を張って歩みを進めました。
重く、悲しい鐘の音が何度も何度も鳴り響き、通りに群がる人々の顔は、驚きと不安とを入り混ぜていました。
その中に、わずかな希望と、大きな絶望とが入り混じっているようにも見えました。
ひとり神殿の片隅でそれを聞いたわたしの指先は、冷たく震えています。
(……崩御。じゃあ、次の王は……)
すぐに思い浮かんだのは、王位継承権第一位のライアン殿下です。
冷酷とも、理知的とも評される若き王子。――つまり、この乙女ゲーム『精霊の巫女と風の王国』においては攻略対象の筆頭であり、物語の舞台を大きく揺るがす人物です。
しかも戴冠式の折には、「精霊の巫女」が正式に選ばれる儀式が執り行われるのです。
「……わたし、参加することになるのですね……」
声に出してみた瞬間、心の底から震えが走りました。
戴冠式の準備で慌ただしい神殿に呼び出され、わたしは豪奢な玉座の間へ向かいました。
頭上では、輝くようなシャンデリアがまばゆい光を放ち、赤い絨毯の上には鎧姿の近衛兵が列をなし、張り詰めた緊張の雰囲気が漂っています。
そして、その正面でわたしを待ち受けていたのは――ライアン殿下です。
底知れぬ光を宿した、蒼い瞳を持つ威容の青年です。
「ミモレ、と言ったな」
名を呼ばれただけで震えるほどの気迫。その声は低く、玉座の空気を支配していました。
「は、はい……」
「おまえには忠告をしておこう。セドリックには、もう会えない」
「……え?」
あまりの衝撃に、声がひっくり返りました。
「忘れることだ。あれは存在してはならぬ者だ。神殿に住まう巫女でなく、巫女候補として務めるつもりならば、余計な情を捨てよ」
言葉は冷たく、まるで刃のようです。
(な、なんでライアン殿下がセドリック様とのことを……!?)
混乱と動揺で視界が揺れ、涙がにじみそうになりました。
玉座の間を出て、その場にへたり込みました。
「……そんなの……できるわけないです」
両手をぎゅっと握りしめます。
たしかに、セドリック様はいません。どこへいってしまったのかわかりません。
けれど、彼から教えてもらった知識や、差し伸べられたあの手の温もりは、心にずっと残っているのです。
(たとえ会えなくても……わたしは彼が示してくれた道を歩みたい)
胸の中で赤々と灯火が揺れるのを、わたしははっきりと感じていました。
その夜遅く。神殿の庭を歩いていると、月明かりの下に立っていたのは
――カナリアさまでした。
「あら。ミモレさん。まぁ、ひとりで涙目をして。殿下に何を言われたのかは……聞かなくてもわかりますわ」
「カナリアさま……」
彼女は少し肩をすくめて、開いていた扇を閉じました。
「情を捨てろとかなんとか、殿方のよくある台詞。……でもね、あなたはいつも、わかりやすいくらい正直なんですわよ」
「わたし……どうしたら……」
「簡単ですわ。あなたが誇れる自分でいなさい。泣いて縮こまるか、胸を張るか。選ぶのは自分ですの」
その物言いは厳しくもありましたが、不思議と温かみがありました。
「……はい」
涙を拭って答えたとき、カナリアさまはにっと笑みを深めました。
「いい返事ですわ」
その夜。自室のベッドで必死に眠ろうとしましたが、胸はざわついて眠れません。
窓から差し込む月明かりが、部屋に影を落とします。
セドリック様の低い声。わたしの名前を呼んでくれたあの優しい響き。頬を撫でてくれた温もり。
涙がまた溢れそうになると、不意に――夢か幻か。
幻影のように、目の前に彼の姿が浮かびました。
『大丈夫。ミモレは、ミモレのままで』
「……セドリック様」
思わず両手を伸ばして、空を抱きしめました。
冷たい夜風しか触れなかったけれど、胸の中には確かな熱が残っていました。
翌朝。荘厳な鐘の音が鳴り響きます。
いよいよ戴冠式の幕開けです。
鏡の前に立つわたしは、白い巫女衣を纏い直していました。頬を軽く叩き、深呼吸。
(大丈夫。セドリック様が教えてくれたこと。カナリアさまの言葉。……全部を胸に、わたしはわたしを貫きます)
揺れる炎のように燃える恋心は、もはやただの憧れではありません。
それは生きる力になり、今度こそわたしを前へと押し出すのです。
控えの間に移動する途中、ふと廊下の片隅に影が動きました。
「……セドリック、様……?」
呼びかけて、はっとしました。けれどそこにいたのは侍従でした。
「候補者さま、お急ぎください」
幻影だったのですね。
でも、彼にもう会えないなんて、誰が決められるのでしょう。
「次に会えたとき、誇れる自分でいます」
その誓いを新たにして、わたしは玉座の大広間へ、胸を張って歩みを進めました。
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