【完結】地味モブ巫女候補に転生したら、図書館で出会った彼に恋をしました ―補佐役エンド志望だったのに、恋がわたしを変えていく―

朝日みらい

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第三章 揺らぐ心

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セドリック様と過ごす日々は、わたしにとって、宝石箱を開けるような毎日でした。

 図書館の窓辺に並んで腰掛け、午後のやわらかな光の中で厚い古文書を抱えるだけの時間。それなのに、わたしの胸は温かく満たされていったのです。

​「この符文は精霊力の循環を示しているんですよ」

​「えっと、このラインを重ねることで……え、こうですか?」

​「そう。それで一気通貫になりますね。――ほら、できました」

​ 不意に彼の手が伸びて、わたしの指先に触れました。

 まるで導線を正すように、ほんの軽くなぞっただけ。それなのに、心臓が飛び跳ねてしまったのです。

​「っ……あ、ありがとうございます」

​「どうしたんですか? まるで火がついたみたいに真っ赤ですよ」

​「ち、違います! これはその……その……!」

​ あたふたと弁解するわたしに、セドリック様はくすっと笑って、わたしの髪を少しなでおろしました。

​「無理をしなくて構いませんよ。君の真面目さは十分伝わっていますから」

​ そのやさしい声音に、胸の高鳴りを抑えきれません。

​ (だめだめだめ! これは勉強が楽しいだけ。……そういうことにしないと!)

​ 必死に打ち消そうとしても、触れそうな指先や彼の笑顔を前にすれば、鼓動は勝手に跳ね上がります。

​ そんな穏やかな日々にも、嵐の種はありました。

​「まあまあ。お二人、今日も仲睦まじいですこと」

​ 廊下に立ちはだかったのは――公爵令嬢カナリアさまです。

黄金の髪を揺らして、扇子をぱたぱたと仰ぎながら、まるで舞台の主役のように微笑んでいました。

​「ち、違いますから! 仲睦まじいとかじゃないです!」

​「あら? そうかしら。だってあなた、まっ赤な顔をしていますわよ」

​「あぅ……!」

​ くっ……敵ながら、鋭く突いてきます。

​ その横でセドリック様は苦笑し、わたしを庇うように一歩前に出ました。

​「カナリア嬢。彼女は神殿に仕える巫女になるために、真剣に学んでいるだけですよ。からかわないであげてください」

​「まあ……セドリック様。かばってあげるなんて優しいんですのね」

​ その言葉の裏にある含みを察して、わたしはますます顔を赤くしてしまいました。

​ (ううっ、いったいどういう立場なんですか私……!)

​ カナリアさまはクスクスと笑い、去って行きます。

去り際に小声で「可愛い反応ですわね」と囁いてきたのは、絶対に聞き間違いじゃありません。

​ とはいえ、カナリアさまの挑発がどうこうより、胸をかすかに落とす瞬間がありました。

 セドリック様の表情に、不思議な影がよぎる時があるのです。

​ 指導の途中でふと目を伏せて、遠い何かを見るような眼差し。

 そして――深い吐息。

​「……セドリック様? どうかされたのですか?」

​「え? ああ……。少し、疲れただけですよ」

​ 笑ってごまかされてしまいましたが、なにかを抱えているのは明らかでした。

​ (わたしに……教えてくださらないのですか?)

​ 胸に小さな痛みが刺さって、知らず拳を握りしめていました。

​ けれど、その問題が現実になるのは、思っていたよりずっと早く。

​ ――ある朝。

​ 図書館へ足を運んでも、セドリック様の姿はありませんでした。

 翌日も。その次の日も。

​「どうして……」

​ 声が震えてしまいます。

 毎日のように一緒にいたのに。あの微笑みに支えられていたのに。

​ 扉を開けた静まり返る図書館は、ただ広すぎる空虚だけを返してきました。

​ (どうしたのですか……? どこに行ってしまったのですか、セドリック様……)

​ 胸の奥にぽっかりと開いた穴から、涙が零れそうになります。

​ そんなわたしを見かねたように、後ろから声をかけてきた人がいました。

​「泣いている暇がおありなのですか?」

​「カ、カナリアさま……」

​ 彼女は淡い紅茶色の瞳を細めて、わたしを真っ直ぐに見ました。

​「あなた、彼がいなくてしょんぼりしてばかりじゃありませんの? 待っているだけでは駄目ですわよ」

​「……でも、わたしになにができるというんですか」

​「わたくしから言わせてもらえば、あなたは自分を過小評価しすぎですの。……いいですか? 次に彼と会うときに、“誇れる自分”でいなさい」

​ 思わず息を飲みました。

 嫌味の多い彼女の言葉でしたが、そのときだけは妙に真剣でした。

​「誇れる……自分」

​「そうですわ。あなたにしかできない努力をなさい。将来どうなるかなんて関係なく。胸を張れる自分でいれば、きっと後悔はいたしませんわ」

​ そう言い残して去って行ったカナリアさまの後ろ姿は、なんだかいつになく眩しく見えました。

​ それからの日々、わたしは泣いて過ごすのをやめ、必死で魔術の鍛錬に打ち込みました。

​ 欠けているものを補おうと、夜遅くまで文献を読み漁り、実技の練習も欠かさずに。

 もとより「補佐役エンド」でかまわないと思っていたはずなのに、今のわたしはただ――彼に胸を張れる自分でいたいと願っていました。

​ (会えない寂しさと……この想いが、わたしを変えていくのです)

​ だから。彼がどこにいても構いません。

 もう一度出会える時が来たら、きっと今のわたしを見せたい。
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