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第二章 出会いは図書館で(後半)
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あの日。町の片隅で営んでいた代筆屋の机越しに、不思議な依頼人と向き合った――それが、わたしと皇帝陛下との最初の出会いでした。
粗末な外套をまとったその人に、隣国の古い文書を手渡され、うっかり読み解いてしまったのです。
“盟約”という言葉。百年前の歴史に記された軍事同盟の影。
次々と口からこぼれる知識に、彼は目を見開かれました。
その瞳が、ただ者ではないことを告げていた――けれど、あの時のわたしはまだ知らなかったのです。
彼が皇帝レオンハルトそのひとであるなどと。
「どうして、わたしなんかを――?」
そう心の中で問いかけるのは、これでもう何度目でしょうか。けれど、答えは一向に見つかりそうにありません。
だって、わたしはただの平民の娘。仕事を掛け持ちし、ようやく稼いだわずかなお金を貯めて大図書館に通う。それが唯一の楽しみであり、ささやかな誇りでした。
豪奢な大貴族のご令嬢たちとは違います。輝かしい未来が約束された身でもなければ、誰もが振り返るような容姿を持っているわけでもない。
ただ細々と生きるだけの、無名の歯車にすぎません。
けれど――。
あの方の視線は、そんな現実を易々と踏み越えていました。
まっすぐに。熱を潜ませて。まるで、わたしのすべてを奪い尽くそうとするみたいに。
その日。大図書館の読書席に座り、差し込む薄明かりの中で本を開いたとき。
漆黒の軍服を纏い、凛として現れた若き帝王――レオンハルト陛下が、まっすぐにわたしの前に立っていたのです。
冷たいはずの黒曜石の瞳。なのに不思議と、その奥に燃える炎を見てしまいました。
声が出ないままのわたしに向かい、彼はふと柔らかく口元をゆるめました。
「……なぜ俺がお前を選んだのか、不思議に思っているのだろう?」
心臓が大きく跳ね、息が詰まりました。
「お前は博識だ。本を読むだけではなく、人の心を、歴史の重みを、この帝国そのものを見ている。その眼差しが――俺には必要だ」
静謐にして熱を帯びた声。思わず視線を落としたわたしの鼓動は、耐えきれず震えていました。
「平民であるお前だからこそ、虚飾に惑わされぬ真実の視点を持っている。それが、美しく、聡明だと……俺は思ったのだ」
甘やかな囁きは、同時に厳しい宣告のようで。けれど胸を優しく撫でるあたたかさを孕んでいました。
――気まぐれなんかじゃない。彼は、わたしを“わたしであるからこそ”選んでくださった。
「しかるべき時に、必ず、君を迎えに行く」
抗えぬ響きに、胸がぎゅうっと締めつけられました。
「……迎えに……行く……?」
凛然たる微笑。逃げられない。運命に縛られていくようでした。
「無理です……。わたしなんて平凡で、何の取り柄もなく……っ」
震える拒絶に重なるように、剣の抜ける清冽な音が響きました。
「だめだ。お前がどれほど拒んでも」
その声音は鋼のように揺るがず、それでいて胸に甘い熱を残すのです。
頬に伸ばされた大きな掌。髪をすくい、唇すれすれに触れる指先。
「お前は俺のものだ」
囁きにかき乱され、身体は自然と胸元に引き寄せられていました。
「や……離れて……」
そう言い募っても、無意識に軍服を掴んでしまう指先。
どうして抗えないのだろう。
「クラリッサ。かわいい名だ」
名前を呼ばれた瞬間。冷徹な皇帝ではなく――陰謀うごめく王宮内で孤独を抱え、それでも人を求める一人の青年の姿がそこにありました。
熱い吐息に頬を撫でられ、理性の扉がかすかに揺らぎます。
「王宮には秘蔵の書がある。すべてお前に開こう。だが本だけではない……お前の手で、新しい歴史を綴るのだ」
「……歴史を……?」
「そうだ、クラリッサ。お前の聡明な瞳は俺の未来だ。帝国にとっても、俺にとっても」
その囁きは愛の誓いのように胸へ降り落ち、なぜか、涙が頬を伝いました。
そう告げた陛下は背を翻し去っていきました。
残されたわたしは呆然と立ち尽くし、滴り落ちる涙さえ忘れて。
――あの日を境に、すべてが変わったのです。
鼓動はいまだ騒がしく、皇帝の「ひとりのもの」になることが危うい未来を意味していると頭では理解しているのに。
それでも――彼の掌の温もりだけは、どうしても忘れられなかったのです。
粗末な外套をまとったその人に、隣国の古い文書を手渡され、うっかり読み解いてしまったのです。
“盟約”という言葉。百年前の歴史に記された軍事同盟の影。
次々と口からこぼれる知識に、彼は目を見開かれました。
その瞳が、ただ者ではないことを告げていた――けれど、あの時のわたしはまだ知らなかったのです。
彼が皇帝レオンハルトそのひとであるなどと。
「どうして、わたしなんかを――?」
そう心の中で問いかけるのは、これでもう何度目でしょうか。けれど、答えは一向に見つかりそうにありません。
だって、わたしはただの平民の娘。仕事を掛け持ちし、ようやく稼いだわずかなお金を貯めて大図書館に通う。それが唯一の楽しみであり、ささやかな誇りでした。
豪奢な大貴族のご令嬢たちとは違います。輝かしい未来が約束された身でもなければ、誰もが振り返るような容姿を持っているわけでもない。
ただ細々と生きるだけの、無名の歯車にすぎません。
けれど――。
あの方の視線は、そんな現実を易々と踏み越えていました。
まっすぐに。熱を潜ませて。まるで、わたしのすべてを奪い尽くそうとするみたいに。
その日。大図書館の読書席に座り、差し込む薄明かりの中で本を開いたとき。
漆黒の軍服を纏い、凛として現れた若き帝王――レオンハルト陛下が、まっすぐにわたしの前に立っていたのです。
冷たいはずの黒曜石の瞳。なのに不思議と、その奥に燃える炎を見てしまいました。
声が出ないままのわたしに向かい、彼はふと柔らかく口元をゆるめました。
「……なぜ俺がお前を選んだのか、不思議に思っているのだろう?」
心臓が大きく跳ね、息が詰まりました。
「お前は博識だ。本を読むだけではなく、人の心を、歴史の重みを、この帝国そのものを見ている。その眼差しが――俺には必要だ」
静謐にして熱を帯びた声。思わず視線を落としたわたしの鼓動は、耐えきれず震えていました。
「平民であるお前だからこそ、虚飾に惑わされぬ真実の視点を持っている。それが、美しく、聡明だと……俺は思ったのだ」
甘やかな囁きは、同時に厳しい宣告のようで。けれど胸を優しく撫でるあたたかさを孕んでいました。
――気まぐれなんかじゃない。彼は、わたしを“わたしであるからこそ”選んでくださった。
「しかるべき時に、必ず、君を迎えに行く」
抗えぬ響きに、胸がぎゅうっと締めつけられました。
「……迎えに……行く……?」
凛然たる微笑。逃げられない。運命に縛られていくようでした。
「無理です……。わたしなんて平凡で、何の取り柄もなく……っ」
震える拒絶に重なるように、剣の抜ける清冽な音が響きました。
「だめだ。お前がどれほど拒んでも」
その声音は鋼のように揺るがず、それでいて胸に甘い熱を残すのです。
頬に伸ばされた大きな掌。髪をすくい、唇すれすれに触れる指先。
「お前は俺のものだ」
囁きにかき乱され、身体は自然と胸元に引き寄せられていました。
「や……離れて……」
そう言い募っても、無意識に軍服を掴んでしまう指先。
どうして抗えないのだろう。
「クラリッサ。かわいい名だ」
名前を呼ばれた瞬間。冷徹な皇帝ではなく――陰謀うごめく王宮内で孤独を抱え、それでも人を求める一人の青年の姿がそこにありました。
熱い吐息に頬を撫でられ、理性の扉がかすかに揺らぎます。
「王宮には秘蔵の書がある。すべてお前に開こう。だが本だけではない……お前の手で、新しい歴史を綴るのだ」
「……歴史を……?」
「そうだ、クラリッサ。お前の聡明な瞳は俺の未来だ。帝国にとっても、俺にとっても」
その囁きは愛の誓いのように胸へ降り落ち、なぜか、涙が頬を伝いました。
そう告げた陛下は背を翻し去っていきました。
残されたわたしは呆然と立ち尽くし、滴り落ちる涙さえ忘れて。
――あの日を境に、すべてが変わったのです。
鼓動はいまだ騒がしく、皇帝の「ひとりのもの」になることが危うい未来を意味していると頭では理解しているのに。
それでも――彼の掌の温もりだけは、どうしても忘れられなかったのです。
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