【完結】本好き平民娘は皇帝に執着されて困惑しています

朝日みらい

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第五章 愛に囚われて

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 あの日、隣国の軍勢は新兵器を携え国境へ迫っていました。

 帝国中枢を揺るがす報が届き、将校たちが血相を変えて広間に集います。

 わたしは震えながらも、図書館で読んだ記述を思い出していました。

 地図に浮かぶ地名、古文書に載っていた兵器の記述――それらが脳裏で火花のように結びついていきます。

「……お待ちください」

 自分の声はかすかで、誰も耳を貸さないと思いました。けれど、黒曜石の瞳――皇帝陛下がこちらを振り向いてくださったことで、勇気を奮い起こしました。

「敵の兵器は“黒火”。火薬を扱うものです。古い隣国誌にありました……水分に弱く、湿地では決して発火しないと。ちょうど今の季節、あの谷には霧が濃く、湿気が満ちております。そこへ誘えば……必ず不発に終わります」

 軍議は一瞬にして静まり返りました。ざわつく将校たちを制して、レオンハルト陛下は重く頷かれます。

「よく聞いた。……全軍を南東の湿原へ誘い込む。黒火が沈黙したその時が、我らの好機だ」

 その場を辞す前に、わたしはさらに勇気を振り絞りました。

「陛下……もしお許しいただけるなら、もうひとつ。帝国の武具についてです」

 武官たちは怪訝そうに振り向きましたが、わたしは怯まず言葉を繋げました。

「図書館で読みました。新しく発見された鉱石と繊維を合わせれば、従来の鉄より軽く、それでいて丈夫な甲冑が作れるのです。兵がより速く動き、疲労を減らすことができます」

 軍技官の目が見開かれ、「確かに古い西方誌に同様の記録が……!」と声を上げました。

「さらに、弓の弦を麻だけでなく獣の腱で補強すれば、湿気にも強く張力が保てます。刃には、湿らせた油布で磨きをかけて防錆を」

 細やかな提言に武官たちは驚きを隠せず、やがてざわめきを飲み込みました。

 レオンハルト陛下は微かに笑みを刻み、低く言われます。

「クラリッサ……お前の目は帝国を護る刃と同じだな」

 わたしはさらに、躊躇いながらももうひと言を口にしました。

「……そして、市民たちへの言葉も必要です。わたくしは平民の出ですから分かるのです。皆、不安で眠れぬ夜を過ごしているはず。もし陛下ご自ら城門前に立たれ、“帝国は揺るがぬ”と力強く宣言なさったなら――恐怖は和らぎ、民は再び信頼を寄せるでしょう」

 場に居合わせた宰相たちが互いを見合い、深々と頷きました。

「まさしく理に適っておりますな。士気を保つは兵だけでなく、市民も含めてこそ帝国」

 誰もが驚きと尊敬を込めた眼差しでわたしを見ていました。


 そして、決断は見事に的中しました。

 湿原に踏み込んだ敵は火薬に火を入れられず、混乱に陥った軍勢を、帝国軍が一気に蹴散らしたのです。

 炎に包まれるはずの大地は霧と湿り気に守られ、人々は歓喜に包まれました。

――その時わたしは、初めて自分の知識が人を救ったのだと実感したのです。
 ただ本を読み漁っていただけの自分が、こうして帝国と陛下を支えうるのだと。


 戦の勝利から間もなく、帝都の大通りは凱旋の喜びに包まれていました。

 空には無数の旗がはためき、道の両側には民衆が咲き誇る花を抱えて列をなし、帝国の英雄を迎えんと声を張り上げます。

 そして、その晴れやかな式典の壇上に――わたしは立っていました。

 身にまとったのは、純白の絹に金糸で百合の紋を刺繍した美しい衣装。

 アパートで擦り切れた裳を纏っていた日々からは想像もつかない姿でありながら、いまや誰一人として「平民上がり」と嘲る者はありませんでした。

 陛下のそばにあって共に戦を支えたこと――知識をもって兵士を救い、戦術を献じ、帝国を勝利へ導いたことはすでに広く伝わっていたからです。

 人々の眼差しに宿るのは、嘲笑ではなく、憧憬と讃美でした。


 わたしは、隣に立つ彼をそっと見上げました。

 レオンハルト陛下は戦場で受けた傷の痛みにまだ顔をしかめる瞬間がある――それを見て胸が締めつけられ、わたしは裾を寄せながらそっとその手に触れました。

「……無理はなさらないでくださいませ」

 かすかに囁いた声に、陛下は苦笑しつつ深い安堵を宿した瞳でわたしを見返しました。

 その黒曜石の瞳が柔らかな光をともしてわたしだけに注がれると、周囲の熱狂も祝宴の喧騒も不思議と遠のいてしまう。

 まるでこの式典の華やぎが、すべて二人を祝福するために存在するのだと思えるほどでした。

 群衆の歓声の中、レオンハルト陛下はゆるやかにわたしの手を掲げました。

「この者は、クラリッサ。帝国を救い、我が心を救った妃である」

 その宣言に、広場中から大きなどよめきと拍手が巻き起こりました。

 花片が空に舞い、光を反射しながら降り注いでいきます。

 わたしは思わず涙ぐみながら彼を見つめ返しました。

 そんなわたしを支えるかのように、陛下はその手をさらに強く包み込みます。

「お前がいたから、俺は生きて帰れた」

「……陛下、わたしはただ、そばにいただけで」

「それでいい。お前がいてくれること、それこそが俺にとっての武具であり、勝利の証だった」

 彼の声は人々にも届きながら――けれど、その熱を帯びた眼差しはただ一人、わたしにだけ向けられていました。

 その真心を受け止めた時、周囲の煌びやかな祝声も花片の舞もすべて、まるで夢のように甘やかしく胸へと降り注いだのです。


 凱旋式が終わり、夕刻の柔らかな光に庭園が染まるころ。

 痛む腕を庇いながら、それでもわたしの肩へと自然に添えられる彼の仕草に、胸が高鳴りました。

「クラリッサ……これからも共に在れ」

「ええ、必ず。わたしは、陛下の妃として――いえ、一人の女として、ずっと」

 その言葉に彼はわたしを抱き寄せ、傷の痛みなど忘れたように微笑まれました。
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