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翌日の朝には、軽やかに晴れて、わたしは平熱に戻っていました。
かたわらに、子爵様が目を閉じたまま、うとうとしながら座っていました。
「目が覚めましたか」
子爵様は気づかれて、わたしの顔色を見、安心したように頬笑みました。かたわらに、酒瓶はありません。
「ごめんなさい。急がないと……」
わたしが半身を起こそうとすると、子爵様はそっと肩をおさえて、
「まだ病み上がりだ。無理しないでほしい。今日はきみは、お父上が雇っていた職人たちに指示をするだけでいいから」
わたしはにわかに信じがたい話です。
「ありえません。みんな、職人たちはいなくなったはずですもの」
「それは違う。ワイルダー公爵のご子息が、これからはきみを棟梁として従うよう、熱心に説得したそうです。もし、上手くいかない場合でも給料は肩代わりするとも」
(婚約破棄したベンが、わたしを庇って、ここまでしてくださるなんて)
わたしが離れの窓から外を覗きますと、確かに見覚えのある職人たちにまじって、背の高い青年がいるのが見えました。
輝くばかりに美しい金髪の髪は、まさしく彼に違いないのでした。
子爵様は、なだめるように、わたしの肩に手を置きました。
「この仕事をきみに推薦したのはベン様だよ。マチルダさんなら、しっかり最後までやりぬける方だとね。婚約破棄はあくまで父親の当主の指示で、彼の本意ではなかったんだろうね」
「ベン……」
わたしは彼の姿を追いかけようとしました。わたしの苦境を知って、仕事と、離散した職人たちまで集めてくださったのです。だから、どうしても感謝の気持ちを伝えたかったのです。
子爵様の制止をふりきり、庭先に出た時には、すでにベンの姿はありませんでした。
確かに両家同士の婚約であったものの、5歳年上のベンは時々、わたしに会いに来てくださいました。
朗らかでいつもお優しい反面、ご自身に対してはとても厳しい方です。
今回の破棄にしても、家の判断とはいえ、その意向にあらがえないご自分を恥じてらっしゃるのでしょう。結ばれることができな定めとしても、わたしのそばで助けてくださろうとしているのが嬉しかったのでした。
子爵様は、わたしのそばに寄り添っていました。
「まずは朝食をしっかり取りなさい。仕事はその後だ。わかったね」
ハリエットさんの料理で、食卓には焼きたてのパンや、家畜の鶏やヤギからいただいた産みたての卵焼きやミルク、それに近くの山から取れた木莓まで、それは豪勢なものでした。
「まったく、面倒をかける方ですわね」と、いった風な渋い顔でしたが、ハリエットさんの目の下には眠れずにつくったクマができていました。
「ありがとうございます」
わたしは、ハリエットさんに深々と頭を下げてから、子爵様と二人きりで、ゆっくりと食事を楽しみました。
「子爵様、お酒はおやめになられたのですね」
わたしが、少し冗談のつもりでききました。
子爵様は一瞬、我に帰られたように、「そういえば、昨日から飲んでいない。介抱していて必死だったようです」と、おっしゃりました。
それから、クスクスと笑ってから、続けます。
「そういえば、わたしは妻のシャーロッテが亡くなってから、ずっと酒を飲み忘れたことはなかったな……」
「そうですか。忘れるためにお飲みになられておられたのですね」
「そうだね。わたしは家中のシャーロッテの想い出の品は焼いてしまったよ。肖像画はもう1枚もない。酒を飲めば、彼女の記憶は思い出さずに済むから」
子爵様は、「ふう……」と小さく吐息をはくと、わたしを正面からしげしげと眺めました。
「でも、不思議だ。マチルダさんが来てから、わたしは酒を飲んでも、あの庭の手入れをしていた妻の面影が目の前に浮かぶのです」
「でしたら、それは奥様のお心がお庭で生きづいている証拠ですわ!」
わたしは、スカートの裏ポケットから、小さなロケットのついた銀色のネックレスを取り出しました。
子爵様はネックレスに驚きを隠せませんでした。
息をひそめてわたしの手に包まれたロケットに釘付けになっています。
わたしがそっと卵形のロケットの蓋を開きますと、その中に小さな女性の肖像画が収められていたのでした。
「奥様は、妖精の石像の足下に、宝箱にしっかりしまっておられましたよ」
子爵様はネックレスをわたしから受けとると、食い入るように小さな妻の顔をながめていました。
「子爵様は、お忘れになりたいとおっしゃりましたけど、このお屋敷もお庭も手放そうとなさりませんでしたよね。心の底では、奥様のことを忘れたくなかったのですよね」
わたしは席を立ち、静かに涙をにじませている子爵様の肩を抱いていました。
「シャーロッテは、この庭が……好きだった。大好きだったんだ……」
子爵様はふるえる唇をかみしめながら、おっしゃいました。わたしは頷きながら、
「分かっています。奥様の造られたお庭をもう一度わたしたちで造り直しましょう。そして、このお庭のお世話を末永くいたしましょう。きっと、きっと、シャーロッテ様もおそばで、草木の息吹とともにほほえんでいらっしゃるでしょうから」
子爵様は黙ったまま、わたしの指にご自身の大きな指を絡ませて、「おねがいします」と言いました。
かたわらに、子爵様が目を閉じたまま、うとうとしながら座っていました。
「目が覚めましたか」
子爵様は気づかれて、わたしの顔色を見、安心したように頬笑みました。かたわらに、酒瓶はありません。
「ごめんなさい。急がないと……」
わたしが半身を起こそうとすると、子爵様はそっと肩をおさえて、
「まだ病み上がりだ。無理しないでほしい。今日はきみは、お父上が雇っていた職人たちに指示をするだけでいいから」
わたしはにわかに信じがたい話です。
「ありえません。みんな、職人たちはいなくなったはずですもの」
「それは違う。ワイルダー公爵のご子息が、これからはきみを棟梁として従うよう、熱心に説得したそうです。もし、上手くいかない場合でも給料は肩代わりするとも」
(婚約破棄したベンが、わたしを庇って、ここまでしてくださるなんて)
わたしが離れの窓から外を覗きますと、確かに見覚えのある職人たちにまじって、背の高い青年がいるのが見えました。
輝くばかりに美しい金髪の髪は、まさしく彼に違いないのでした。
子爵様は、なだめるように、わたしの肩に手を置きました。
「この仕事をきみに推薦したのはベン様だよ。マチルダさんなら、しっかり最後までやりぬける方だとね。婚約破棄はあくまで父親の当主の指示で、彼の本意ではなかったんだろうね」
「ベン……」
わたしは彼の姿を追いかけようとしました。わたしの苦境を知って、仕事と、離散した職人たちまで集めてくださったのです。だから、どうしても感謝の気持ちを伝えたかったのです。
子爵様の制止をふりきり、庭先に出た時には、すでにベンの姿はありませんでした。
確かに両家同士の婚約であったものの、5歳年上のベンは時々、わたしに会いに来てくださいました。
朗らかでいつもお優しい反面、ご自身に対してはとても厳しい方です。
今回の破棄にしても、家の判断とはいえ、その意向にあらがえないご自分を恥じてらっしゃるのでしょう。結ばれることができな定めとしても、わたしのそばで助けてくださろうとしているのが嬉しかったのでした。
子爵様は、わたしのそばに寄り添っていました。
「まずは朝食をしっかり取りなさい。仕事はその後だ。わかったね」
ハリエットさんの料理で、食卓には焼きたてのパンや、家畜の鶏やヤギからいただいた産みたての卵焼きやミルク、それに近くの山から取れた木莓まで、それは豪勢なものでした。
「まったく、面倒をかける方ですわね」と、いった風な渋い顔でしたが、ハリエットさんの目の下には眠れずにつくったクマができていました。
「ありがとうございます」
わたしは、ハリエットさんに深々と頭を下げてから、子爵様と二人きりで、ゆっくりと食事を楽しみました。
「子爵様、お酒はおやめになられたのですね」
わたしが、少し冗談のつもりでききました。
子爵様は一瞬、我に帰られたように、「そういえば、昨日から飲んでいない。介抱していて必死だったようです」と、おっしゃりました。
それから、クスクスと笑ってから、続けます。
「そういえば、わたしは妻のシャーロッテが亡くなってから、ずっと酒を飲み忘れたことはなかったな……」
「そうですか。忘れるためにお飲みになられておられたのですね」
「そうだね。わたしは家中のシャーロッテの想い出の品は焼いてしまったよ。肖像画はもう1枚もない。酒を飲めば、彼女の記憶は思い出さずに済むから」
子爵様は、「ふう……」と小さく吐息をはくと、わたしを正面からしげしげと眺めました。
「でも、不思議だ。マチルダさんが来てから、わたしは酒を飲んでも、あの庭の手入れをしていた妻の面影が目の前に浮かぶのです」
「でしたら、それは奥様のお心がお庭で生きづいている証拠ですわ!」
わたしは、スカートの裏ポケットから、小さなロケットのついた銀色のネックレスを取り出しました。
子爵様はネックレスに驚きを隠せませんでした。
息をひそめてわたしの手に包まれたロケットに釘付けになっています。
わたしがそっと卵形のロケットの蓋を開きますと、その中に小さな女性の肖像画が収められていたのでした。
「奥様は、妖精の石像の足下に、宝箱にしっかりしまっておられましたよ」
子爵様はネックレスをわたしから受けとると、食い入るように小さな妻の顔をながめていました。
「子爵様は、お忘れになりたいとおっしゃりましたけど、このお屋敷もお庭も手放そうとなさりませんでしたよね。心の底では、奥様のことを忘れたくなかったのですよね」
わたしは席を立ち、静かに涙をにじませている子爵様の肩を抱いていました。
「シャーロッテは、この庭が……好きだった。大好きだったんだ……」
子爵様はふるえる唇をかみしめながら、おっしゃいました。わたしは頷きながら、
「分かっています。奥様の造られたお庭をもう一度わたしたちで造り直しましょう。そして、このお庭のお世話を末永くいたしましょう。きっと、きっと、シャーロッテ様もおそばで、草木の息吹とともにほほえんでいらっしゃるでしょうから」
子爵様は黙ったまま、わたしの指にご自身の大きな指を絡ませて、「おねがいします」と言いました。
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