【完結】もう手を離さない ―失われた王国の王女と、ギターの青年―

朝日みらい

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第四章 旅芸人エミース

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 初めて“エミース”と名乗った朝、空は澄んだ青でした。

 国境近くの村に着く頃には、私たちの衣服もすっかり土にまみれ、立派な王族の影などどこにも残っていませんでした。  
 でも――それでよかったんです。  
 ミルフィーユ王女は、もうあの夜に消えてしまったのですから。

「ようこそ、旅芸人一座『風の灯(かざのともしび)』へ」  
 モルス団長が豪快に腕を広げました。  
 カルベさんが隣で微笑んでいます。  
「今日から君は、“うちの歌姫”エミースだ」

 “歌姫”なんて言葉、くすぐったくて顔が赤くなりました。  
「そ、そんな大それた……!」  
「へえ、照れてるのか? エミース」  
「からかわないでくださいっ!」

 カルベさんの笑い声が風に溶けて、胸の奥がぽっと温かくなりました。

****

 昼間の街は活気に満ちていました。  
 市場には焼きたてのパンの匂いが漂い、子どもたちが大声で遊び、旅人が情報を交換しています。

 私たちの一座は、その中心の広場に仮の舞台を作りました。  
 モルスさんは太鼓を叩き、笛吹きの子が音合わせをしています。  
 そしてカルベさんは、いつものように静かにギターを弾き始めました。

 その音色は懐かしく、私の鼓動にぴたりと重なりました。

「エミース、次は君の番だ」  
「えっ、もう……?」  
「練習だ。本番は夕方だからな」  
「は、はいっ!」

 少し深呼吸をして、マントの裾を揺らします。  
 ここには、貴族の視線も、礼儀も、堅苦しい作法もありません。  
 あるのは、音と笑顔と、風だけ。

「――歌います」  
 その一言で空気が変わりました。  
 カルベさんがゆっくりと伴奏をつけてくれます。  
 ギターの音が柔らかく流れ、私の声がそれに溶け合いました。


♪泣きながら笑った 夜明けの空  
 やっと見つけたよ “生きていたい”って  
 つないだ手が 未来を照らす  
 何度でも始められる  
 君とふたりなら


 忘れかけていた 勇気の色  
 夢見た世界を 君が教えてくれた  
 どこまで続くか わからないけど  
 歩いてみたいんだ きみの横で


 ひとりじゃなかった  
 気づいたその瞬間  
 心が羽ばたいていく


 さよならの代わりに 新しい歌を  
 希望のメロディー 君と奏でたい  
 今度こそ笑顔で “はじめまして”言える  
 君と歩き出す 始まりの歌♪



 風が髪を撫で、空気が震えます。  
 観客はいません。それでも心が震えるほどの自由を感じていました。

****

 やがて夕暮れ。  
 村人が集まり、灯りが一つ、また一つと広場を照らしていきます。  
 舞台の上に立つ私の心臓は、今にも飛び出しそうです。

「大丈夫。僕がいる」  
 カルベさんが、背中越しにささやきました。  
 その言葉に、胸の奥がぎゅっと熱くなります。

 太鼓が鳴り、笛の音が上がり、舞台の照明代わりの松明が揺れました。  
 私は目を閉じます。  
 そして自分の中に残るすべての願いを、声に変えました。



♪揺れるつぼみ あの日のまま  
 孤独の中で 咲き続けてる  
 ほほえみも涙も 忘れはしない  
 遠い約束 守りたいから


 消えそうな夢を そっと抱きしめて  
 朝焼けの光に 希望を描く  
 誰かを想うたび 胸が熱くなる  
 季節の片隅で 花は咲いている


 めぐる時の中 君と出会った奇跡  
 ふたりで歩く 小さな道


 願いがひとつでも 叶うその朝を  
 信じ続けて 花は咲き誇る  
 笑顔も涙も 忘れはしない  
 優しい光で 君を包む♪



 歌うことでしか、生きられなかった私。  
 けれど今は歌うことで、生きていける私。

 歌が終わると、爆発するような拍手が起こりました。  
 子どもたちが笑顔で跳びはね、農夫たちが帽子を振って声を上げてくれます。  
 誰も私を「王女」と呼ぶ人はいません。  
 でも「エミース」と呼ぶ声が、こんなにも嬉しいなんて――。

****

 公演が終わり、夜の広場が静かになったころ、カルベさんが舞台裏で私を待っていました。  
「お疲れ。初舞台、大成功だな」

 その声を聞いた瞬間、こみ上げてきてしまって涙があふれました。  
「う、うまく歌えたかどうか……全然覚えてなくて……」  
「ちゃんと届いてたよ。あの拍手が証拠だ」

 彼は笑いながら、私の頬にそっと触れました。  
 温かい指先が、涙をぬぐってくれる。  
 こんな優しさを知るのは、きっと、生まれて初めて。

「泣くな。せっかくきれいな顔が台無しじゃないか」  
「そ、そんなこと言われたら……余計……」  
 また涙が出そうになり、思わず俯きました。

「ま、泣いて笑って歌って。今の君の全部が“エミース”だ」  
 その言葉に、胸の奥で何かが光りました。

****

 その晩、一座はささやかな打ち上げをしました。  
 焚き火の周りでモルスさんたちが陽気に歌い、村で手に入れたワインが回っています。

「恋の歌、歌ってくれよ!」  
 誰かがはしゃいで叫び、笛の少女が私を見ました。  
「エミース、あなたも一緒に!」

「こ、恋の歌ですか……?」  
 あたふたする私を見て、カルベさんがからかうように言いました。  
「王国一の歌姫が恋を知らないなんて話、信じてもらえないぞ?」  
「ま、まさか! し、知ってます! 恋ぐらい……!」  
「ほう、どんな恋だ?」  
「そ、それは……!」

 思わず固まる私に、皆が笑い出しました。  
 頬が真っ赤になって、思わず肩をすくめました。  
 そんな風に笑える夜が、今までどれほど恋しかったのか――ようやく、気づきました。

****

 夜も更け、皆が寝息を立てる中、私は焚き火のそばでひとり空を眺めていました。  
 カルベさんがいつの間にか隣に座って、ギターを弾いていました。

「眠れないのか?」  
「はい。……歌うと、頭の中がまだ熱いみたいで」  
「それは歌い手として最高の状態だ。君の声、きっと誰かの灯りになってる」  
「灯り、ですか?」  
「ああ。僕ら芸人は、夜を照らす灯りみたいなもんだからな」

 優しい言葉でした。  
 その音と声を聞いていると、胸の奥がじんわり温かくなる。  
 思わずそのまま視線が絡み合いました。

 火の粉が舞う。月明かりが彼の横顔を照らす。  
 心臓がまた早く打ちはじめ、言葉にならない何かが込み上げました。

「カルベさん……」  
「ん?」  
「ありがとう。あなたに会えて、本当によかった……」

 その時、カルベさんが微笑んで、私の頭に手を伸ばし、そっと髪を撫でました。  
 まるで風が優しく触れるように。  
 その手の温もりが、消えてしまいそうで怖くて――私はその手を軽く掴みました。

「もう少し、このままでもいいですか」  
「好きなだけどうぞ。夜は長いからな」

 焚き火の音が、ぱちぱちと柔らかく響きました。  
 私の瞼は次第に重くなり、気づけばカルベさんの肩にもたれていました。

 遠い国での逃避行の夜が、どれほど暗く恐ろしいものだったか。  
 けれど今、同じ夜の中にあっても、こんなにも温かい。

****

 次の日の朝、モルス団長が声を上げました。  
「さて、次は王都方面だ。シリウスの国境まではまだ先だぞ!」  
「足が痛いです……」  
「行くしかないだろう。芸の旅に終わりはない。お前たちもついてこい、エミース!」

 私は笑って頷きました。  
「はい。行きます。どこまでも」

 カルベさんが、隣で少しだけ笑いました。  
 太陽の光が木々の間から差し込み、彼の黒髪をきらきらと照らします。  
 その光景を見て、私は静かに胸の中でつぶやきました。
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