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第十章 「王宮の罠」
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王宮の茶会に招かれたのは、わたしにとって身に余る栄誉でした。
けれど同時に、不穏な胸騒ぎを覚えてならなかったのです。
煌めく大理石の広間、庭園から流れ込む花の香り。
豪奢なドレスに身を包んだ令嬢たちの笑顔、果実酒を片手に談笑する貴族たち。
一見すれば和やかな場。ですが、その視線の多くは冷ややかな好奇心を孕み、わたしの一挙一動を測ろうとするものでした。
(……気を抜いてはいけません。ここは戦場と同じです――)
自分に言い聞かせ、ティーカップを手に微笑もうとした、その瞬間でした。
「フェルナー侯爵令嬢――いや、いまは“公爵夫人”でしたね」
艶やかな声とともに、王太子殿下が歩み寄ってきました。
気品に満ちた立ち居振る舞い、鋭い眼光――この国の未来の王たる存在。
その手にわたしの指先が取られ、恭しく持ち上げられます。
「その質素な佇まい、凛とした眼差し……なるほど、兄から聞いていたとおりだ。お会いできて光栄です」
「……恐れ入ります、殿下」
場が微かにざわめきました。
王太子殿下が一介の公爵夫人にこうして声をかけるなど、前例のないことなのでしょう。
ですが、殿下の次の言葉はさらに衝撃的でした。
「公爵夫人。あなた、ヴァルデン公爵の隣にいるには惜しい。
私の妃となり、この国の未来を共に支えてはくれませんか?」
その瞬間、場の空気が凍りつきました。
貴族たちは息を呑み、視線は一斉にわたしへ突き刺さります。
(な、何を仰って……! 公然と、この場で?)
喉がひどく乾き、答えを紡ぐことさえ困難で。
けれど、わたしの隣――。
ずっと沈黙していた彼が、ついに立ち上がりました。
「……殿下」
漆黒の声。
リアン様の目は、渾身の怒気を孕んで王太子を射抜いていました。
「彼女は、私の妻だ」
地を震わすような宣言に、人々は息を呑みます。
威圧される空気の中、殿下でさえ一歩後ずさったほどでした。
「リアン、公爵……」
王太子が声を荒げかける前に、彼は続けます。
「権力を笠に着て、我が妻を奪おうと? ――王太子殿下であろうと、それだけは絶対に許さない」
その声音は鋼のように冷たく、けれど震えるほど強い愛情に満ちていました。
わたしの心臓は破裂しそうに締め付けられます。
(あなたったら……どうしてそこまで……!)
場の空気は緊張の糸を張りつめたまま、しんと凍り付きました。
けれど、リアン様はさらにわたしの傍へ歩み寄り、ためらいなくその手を取りました。
冷たい指先に触れて、一気に血が通うような安心が広がります。
彼はそのまま、わたしを抱き寄せました。
「リディアは、私の妻だ。他の誰にも渡さない」
耳元へ囁かれたその言葉に、目の奥が熱く潤んでしまいました。
「……はい」
小さな声で返すと、彼の手がわたしの髪を撫で、そっと頬に触れます。
その仕草があまりに優しくて、わたしは涙をこらえることができませんでした。
ざわめきが再び広がります。
けれど今度は嘲笑ではなく、驚愕と憧憬の囁きが混じっていました。
「公爵様が……あんなに強く奥方を……」
「まるで王に仇なす勢いだ……」
わたしとリアン様を見つめる視線は、確かに変わり始めていました。
王太子は顔を紅潮させ、唇を噛みしめます。
「……ふん。面白い。だが覚えておけ、公爵。宮廷で敵を作ることは、容易に命を落とすことと同義だ」
「存じております」
リアン様は微笑みさえ浮かべ、静かに答えました。
その隣で彼の腕に抱かれているわたしは、ただ熱く胸を詰まらせます。
茶会の帰路。
王宮を後にした馬車の中。
わたしはどうしても黙っていられず、声を出しました。
「リアン様……あのように、堂々と……恐ろしくはなかったのですか?」
彼はわたしを見て、かすかに笑いました。
「恐ろしくて当然だ。だが――お前を失う方がよほど恐ろしい」
不意に手を取られ、ぎゅっと握られました。
胸がいっぱいになって、涙があふれます。
「……あなたって、本当に不器用ですね」
そう呟いたわたしの頬に、彼の指が触れました。
慈しむように撫でるその仕草。
「不器用でも構わない。お前だけが、俺の妻だ」
その囁きに、わたしはただ涙の中で頷くことしかできませんでした。
こうして王宮における罠は、ふたたびわたしたちを強く結びつけました。
たとえ国の頂点に立つ存在が敵でも、二人なら――。
けれど同時に、不穏な胸騒ぎを覚えてならなかったのです。
煌めく大理石の広間、庭園から流れ込む花の香り。
豪奢なドレスに身を包んだ令嬢たちの笑顔、果実酒を片手に談笑する貴族たち。
一見すれば和やかな場。ですが、その視線の多くは冷ややかな好奇心を孕み、わたしの一挙一動を測ろうとするものでした。
(……気を抜いてはいけません。ここは戦場と同じです――)
自分に言い聞かせ、ティーカップを手に微笑もうとした、その瞬間でした。
「フェルナー侯爵令嬢――いや、いまは“公爵夫人”でしたね」
艶やかな声とともに、王太子殿下が歩み寄ってきました。
気品に満ちた立ち居振る舞い、鋭い眼光――この国の未来の王たる存在。
その手にわたしの指先が取られ、恭しく持ち上げられます。
「その質素な佇まい、凛とした眼差し……なるほど、兄から聞いていたとおりだ。お会いできて光栄です」
「……恐れ入ります、殿下」
場が微かにざわめきました。
王太子殿下が一介の公爵夫人にこうして声をかけるなど、前例のないことなのでしょう。
ですが、殿下の次の言葉はさらに衝撃的でした。
「公爵夫人。あなた、ヴァルデン公爵の隣にいるには惜しい。
私の妃となり、この国の未来を共に支えてはくれませんか?」
その瞬間、場の空気が凍りつきました。
貴族たちは息を呑み、視線は一斉にわたしへ突き刺さります。
(な、何を仰って……! 公然と、この場で?)
喉がひどく乾き、答えを紡ぐことさえ困難で。
けれど、わたしの隣――。
ずっと沈黙していた彼が、ついに立ち上がりました。
「……殿下」
漆黒の声。
リアン様の目は、渾身の怒気を孕んで王太子を射抜いていました。
「彼女は、私の妻だ」
地を震わすような宣言に、人々は息を呑みます。
威圧される空気の中、殿下でさえ一歩後ずさったほどでした。
「リアン、公爵……」
王太子が声を荒げかける前に、彼は続けます。
「権力を笠に着て、我が妻を奪おうと? ――王太子殿下であろうと、それだけは絶対に許さない」
その声音は鋼のように冷たく、けれど震えるほど強い愛情に満ちていました。
わたしの心臓は破裂しそうに締め付けられます。
(あなたったら……どうしてそこまで……!)
場の空気は緊張の糸を張りつめたまま、しんと凍り付きました。
けれど、リアン様はさらにわたしの傍へ歩み寄り、ためらいなくその手を取りました。
冷たい指先に触れて、一気に血が通うような安心が広がります。
彼はそのまま、わたしを抱き寄せました。
「リディアは、私の妻だ。他の誰にも渡さない」
耳元へ囁かれたその言葉に、目の奥が熱く潤んでしまいました。
「……はい」
小さな声で返すと、彼の手がわたしの髪を撫で、そっと頬に触れます。
その仕草があまりに優しくて、わたしは涙をこらえることができませんでした。
ざわめきが再び広がります。
けれど今度は嘲笑ではなく、驚愕と憧憬の囁きが混じっていました。
「公爵様が……あんなに強く奥方を……」
「まるで王に仇なす勢いだ……」
わたしとリアン様を見つめる視線は、確かに変わり始めていました。
王太子は顔を紅潮させ、唇を噛みしめます。
「……ふん。面白い。だが覚えておけ、公爵。宮廷で敵を作ることは、容易に命を落とすことと同義だ」
「存じております」
リアン様は微笑みさえ浮かべ、静かに答えました。
その隣で彼の腕に抱かれているわたしは、ただ熱く胸を詰まらせます。
茶会の帰路。
王宮を後にした馬車の中。
わたしはどうしても黙っていられず、声を出しました。
「リアン様……あのように、堂々と……恐ろしくはなかったのですか?」
彼はわたしを見て、かすかに笑いました。
「恐ろしくて当然だ。だが――お前を失う方がよほど恐ろしい」
不意に手を取られ、ぎゅっと握られました。
胸がいっぱいになって、涙があふれます。
「……あなたって、本当に不器用ですね」
そう呟いたわたしの頬に、彼の指が触れました。
慈しむように撫でるその仕草。
「不器用でも構わない。お前だけが、俺の妻だ」
その囁きに、わたしはただ涙の中で頷くことしかできませんでした。
こうして王宮における罠は、ふたたびわたしたちを強く結びつけました。
たとえ国の頂点に立つ存在が敵でも、二人なら――。
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