王妃は今日も離婚を決意する ~悪役令嬢に転生したけど、息子も夫もクズでした~

朝日みらい

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第一章 目が覚めたら悪女王妃でした

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 まぶしい光が差し込んできました。  
 ゆっくりまぶたを開けると、見たこともないほど豪奢な天蓋が見えます。  

「……え?」  

 金糸の刺繍に、レースのカーテン。目を凝らすと、部屋の端の鏡台に映るのは──  

「え、ええええっ!?」  

 金髪。真珠みたいに滑らかな肌。見たことがないほど整った顔。  
 しかも、それが私と同時に口を開けて驚いているんです。  

「ちょ、ちょっと待ってください。誰ですかあなた……じゃなくて、私!?」  

 鏡に映る“私”が、どう見ても絶世の美女。しかもドレスがまるで時代劇。  
 首元に輝くサファイアの首飾り。部屋の装飾はヨーロッパ風の王宮みたいで、  
 状況を飲み込む前に、頭の中に妙な既視感が走りました。  

(この部屋……この内装……まさか)  

 思い出しました。前世、私が寝る直前までプレイしていた乙女ゲーム──  
『花冠の誓い~神に選ばれし恋人たち~』。  

「……嘘でしょ。ここ、あのゲームの王城じゃない!?」  

 ベッドの下からレースのスリッパを取り出しながら、半信半疑で窓辺へ歩くと、  
美しい庭園と、三つの尖塔が見えました。完全に、あの“リヒト王国”の景観です。  

「じゃあ私は……誰に転生したの……?」  

 震える指で机の上の書簡を手に取ると、筆跡の美しい署名がありました。  

『クラリス・リヒト王妃』  

 ……はい、死んだ。  

(王妃!? よりにもよって、あの悪女王妃クラリス!?)  

 ゲームで主人公をいびって処刑される悪役中の悪役。  
 しかも、ストーリーの開始時点で既に「王の冷遇」と「息子に嫌われる」確定ルートって……。  

「どうして私、よりによって攻略対象の母ポジションなんですか……っ!」  

 そこへ、控えめなノックの音。  

「王妃様、お目覚めになられましたか?」  

 入ってきたのは、白髪混じりの年配の侍女。  
 穏やかな笑みを浮かべながらも、どこかおそるおそるしています。  

「あ、えっと……おはようございます?」  

「王妃様がそのような柔らかいご挨拶をなさるなんて……!」  
「え? いや、その、普通じゃ……?」  

 侍女――後にマルタさんと名乗る彼女の目が丸くなり、  
「今日の殿下のお食事会、王妃様もご出席のご予定でございますね」と続けます。  

 殿下。  
 ああ、その響きだけで心臓が凍りました。  
 つまり、ゲームの攻略対象にして、クラリス(=今の私)の“元婚約者”。  
 そして今の夫――国王の実の息子。  

「……まさか、あのカオス人間関係のままなのね」  
「どうなさいました、王妃様?」  
「いえ。ただ、神様の攻略バランス調整を恨んでいただけです」  

 マルタさんが「?」と首を傾げる姿に、私は苦笑しました。  

---

 食堂に向かう途中、鏡の反射で自分の姿が目に入りました。  
 どう見ても完璧な美女。  
 ゲーム内の時点でも“最も美しいけれど氷のような王妃”として描かれていた人物。  
 でも内側はただの庶民OL・綾乃。  

(冷淡になんて、なれませんよ……)  

 心の中でため息をつきつつ扉を押すと、  
そこには年の離れた夫たる国王アルトゥール陛下と、淡い笑みの側妃たちがそろっておりました。  

「おはようございます、陛下」  
「……うむ、クラリス。ようやく起きたか」  

 第一声がそれですか。  
 あまりの態度に思わず笑いがこぼれました。  

「陛下。ご心配なく、今日は王妃らしく振る舞いますので」  
「……ふん」  

 冷たい。  
 ほんとこの人、ゲームどおりに性格悪っ。  

 側妃たちは口元を手で隠しながらコソコソと笑っていました。  
 きっと“悪女王妃がまた陛下に無視された”とかなんとか噂しているのでしょう。  

(なるほど、これが地獄の社交界パートね)  

 席につくと、銀のカトラリーが並び、  
 香り高いスープの匂いが部屋を満たします。  

 でも、誰も何も話さない。  
 沈黙だけが支配する朝食の空間。  

(……居心地わるっ)  

 やがて会話の中で、聞き捨てならない名前が出ました。  

「そういえば、殿下は聖女リリアンヌ様とのご縁談を進められているとか?」  
「まぁ! 神聖な結びつきですわねぇ」  

 側妃たちの声が甘く響き、国王は満足げにうなずきました。  

 リリアンヌ。  
 聖女。  

 そう、その名前。  
 ゲームの“ヒロイン”にして、今世でもっとも男を狂わせた危険な女。  

(終わってる……時すでにイベント後)  

 もう婚約破棄済み。  
 そしてその父親と再婚済み。  
 つまり元カレの親と結婚した私。  

 この構図、冷静に考えると相当ホラーです。  

(うん、離婚しよう)  

 心の中で即決しました。  
 だけど――今はただ表面を繕うしかありません。  

「それは結構なことですわね。殿下には……ぜひ末永く幸せに」  

 そう言って微笑むと、周囲の視線が一瞬だけ氷のように静まりました。  
 たぶん“悪女王妃が何か企んでる”と思われたのでしょう。  

(違うのよ、ただもう面倒くさいの)  

---

 執務室に戻ると、マルタさんがそっと紅茶を差し出してくれました。  

「……本当にどうなさったんです? 今日の王妃様はまるで別人のようで」  
「そう見えるなら、悪女脱却の第一歩ですわ」  

 紅茶の香りを吸い込みながら、私は机に積まれた書類をめくりました。  
 税の不正、謎の支出、教育の崩壊。  
 聖女ブームのせいで若者たちが勉学も仕事も放棄している。  

(えぐっ、これ国家的ブラック企業では……?)  

「恋愛よりも数字を見ます。前世OLの血が騒ぐわ」  
「前世……?」  
「ええ、ちょっとした気の迷いです」  

 ふと机の横の窓から庭園が見えました。  
 子どもたちが花を摘みながら笑っている。  
 ああ、守りたいな、ああいう笑顔。  

 ふと、マルタさんが心配そうに尋ねます。  
「陛下とお話し合いを?」  
「おっしゃる通り。でもきっと話すだけ無駄でしょうね」  

 自嘲気味に笑うと、彼女は苦笑いして両手を合わせました。  
「王妃様、どうかお気をつけて」  

---

 夕刻、私が資料に没頭していると、ドアが静かに開きました。  
 入ってきたのは、銀髪の青年――王太子フィリップ殿下。  

 美しいというより、少女漫画的に整いすぎた顔立ち。  
 でも、その目の奥には幼いころからの“甘やかされた王子”の影。  

「母上、また仕事をされているのですか」  
「ええ。あなたの花嫁様が祈っている間にね」  

 一瞬、殿下の顔がかすかに強張りました。  
「リリアンヌ様のことを悪く言うのは──」  
「悪く言っていませんわ。彼女が祈る間に、私は税の帳簿を祈ってるだけですもの」  

 皮肉な笑みが浮かび、殿下は黙り込みました。  
 そして、憎まれ口の裏に潜む忌々しい現実を、私は誰より理解していました。  

 この国を動かしているのは“感情”じゃなく“自己愛”だということを。  

「殿下」  
「……なんですか」  
「あなたの幸せを願っています。本当に」  

 優しく言うと、殿下ははっとしたように顔を上げました。  
 その瞳に一瞬、少年のような戸惑いが浮かびます。  

「……母上は、やっぱり不思議です」  
「悪女にも母性はありますの」  

 そう返したとき、彼は思わず微笑みました。  
 あの笑顔が、ほんの少しだけ心に痛かった。  

(この子だって、ただの被害者なのかもしれない)  

---

 夜更け。机の上で眠り込んだ私の頬に、ふと誰かの手が触れました。  
 ゆっくり目を開けると、そこに陛下の姿。  

「……お休みのところをすまない」  
 低い声が、闇に溶けるように響きます。  

「王妃が最近、変わったと聞いた。貴様が何を考えているのか、見極めておきたくてな」  

 私はゆっくりと椅子から立ち上がり、優雅に礼をしました。  

「陛下。もし変わったと言われるなら、それは“諦めた”だけですわ」  
「諦めた?」  
「愛も、期待も。代わりに、国を信じることにしました」  

 静かに言うと、陛下の瞳にほんの一瞬だけ複雑な色が宿りました。  

「……勝手にせよ」  

 踵を返して去っていくその背を、私は見送ります。  
 その瞬間、胸の奥からぽつりと小さな決意がこぼれました。  

(そう、これでいい。  
 恋愛も、婚姻も、もう懲りました。  
 この人生では、仕事をします)  

 窓の外、満月が雲間から顔を出しました。  
 月光に照らされたクラリス王妃の姿は、まるで静かな微笑をたたえる悪女のように見えたことでしょう。  

 でも、胸の奥では確信していました。  

(私は、もう“悪女”なんかじゃない。  
 ただ、自分を取り戻しているだけ)  

 紅茶の香りがまだ残る部屋で、私は静かにペンを握りました。  

「教育改革、婚約制度、そして女性が立てる社会……。  
 ふふ、いいじゃない。やってみましょう、クラリス王妃の経営戦略。」  

 新しい夜が、ゆっくりと幕を上げようとしていました。  
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