25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

文字の大きさ
29 / 45

第29章 25種の薬草

しおりを挟む
 王都に到着したのは、春の盛りを過ぎたころでした。  
 道の両脇では白花の並木が風に揺れ、微かな香りが流れてきます。  
 それなのに、私の胸の中には期待と不安が縒り合わさったものが、ひどくざわついていました。

「リリアーナ夫人、こちらの宿舎になります。学院の学者方にはすでにご紹介を済ませています」

 案内人の声に頷きながら、私は大きな門を見上げました。  
 王立薬草学院――公爵領とは空気も時の流れも違う、学問と野心の都です。

「ここが、あの学院……王都の象徴みたいな場所なんですね」

 立派な回廊の石畳を歩きながら、思わず呟きました。  
 長い廊下の向こうには薬の香り、紙をめくる音、誰かの笑い声――。懐かしささえ感じる匂いでした。

「夫人! ご到着を待ちわびていました」

 現れたのはユリウス先生。相変わらず爽やかに微笑みながら駆け寄ってきます。

「さあ、こちらへ。新しい研究室を用意してあります! 広さも採光も、完璧ですよ」

「相変わらずお早いですね……学院中を駆け抜けていそう」

「あなたの研究となれば当然です」

 ユリウス先生の目は期待に輝いていました。  
 その熱意はありがたいのですが――その目の奥にあるものは、果たして純粋な学者の目だけなのか、ふと考えてしまいます。



* * *



 研究室には、広い窓と天井の高い本棚が並び、中央に大きな実験台がありました。  
 いくつもの薬草標本が分類・陳列され、王都らしい整然さと美しさを感じさせます。

「素晴らしい設備ですね……それに、この香り……」

「ええ、王都ではまだ未分類の草も含まれています。あなたに分析していただきたくて集めたんです」

「こんなにたくさん……!」

「さあ、さっそく始めましょう。“25種の薬草”計画の第一段階です」

 ユリウス先生は机上の布をぱっと外しました。  
 その下に現れたのは一枚の図面。25輪の花が円を描くように配置されています。

「これが《ミラ・コロヌ計画》。奇跡の冠草を、あなたとともに完成させるのが私の夢です」

「……25種類の薬草を基盤にした万能治療薬。まるで夢のような構想ですね」

「夢を現実にできるのは、夢を見る勇気を持つ者だけです」

 そう言って笑うユリウス先生の瞳に、昔の自分の姿が重なりました。  
 ――まだ何者でもなかったころ、努力だけを信じていたあの頃の私。

「ぜひ一緒に取り組みましょう。多くの命を救える可能性があります」

「ありがとうございます。王国の未来のために、全力を尽くします」

 そう口にしながらも、心のどこかで、アレクシス様の表情が思い浮かびました。  
 あのときの静かな声、「失うのが怖いだけだ」という言葉が、ずっと響いていたのです。



* * *



 研究に没頭する日々が始まりました。

「リリアーナ夫人、新しい抽出法を試してみました。従来の温度より低温で……」

「なるほど、揮発性を抑えられますね。ではこちらに“夜露草”を加えて、安定化を試してみましょう」

 朝から夜まで実験と記録の繰り返し。  
 ユリウス先生の知識と手際は驚くほど精密で、私も刺激を受けました。

 ただ……

「夫人、あまり無茶をなさらないでください。目の下のくまが心配です」

「平気です。集中していると時間を忘れてしまって……」

「研究も結構ですが、あなたは一人の女性でもある。どうかご自身を大切に」

「……ありがとうございます」

 柔らかい声。けれど、どこか距離を詰めてくるような口調。  
 その瞬間、扉の向こうで足音が響きました。

 開いた扉の先に立っていたのは――。

「……アレクシス様!?」

「王立学院に御用がありましてな」

 まさか領地を離れて王都まで来られるとは思わず、驚いてしまいました。  
 ですがアレクシス様の表情はやや険しく、目の奥で冷たく光るものがありました。

「ハートマン殿。随分と熱心に働かれているようだ」

「閣下。これは王国のための仕事です。個人的なものではありませんよ」

「そうであってほしいものだ」

 ぴしり、と空気が凍りました。  
 私は慌てて二人の間に割って入りました。

「お二人とも落ち着いてください。目的は同じはずです。誰かを救うこと――それだけです」

 そう言うと、アレクシス様が少しだけ目を伏せました。

「……そうだな。すまない、つい言葉が過ぎた」

「いえ、奥さまを案じておられるのだとわかります」と、ユリウス先生も一歩下がり、その場はおさまりました。



* * *



 その夜。  
 宿舎の窓辺に立つと、王都の夜空は宝石のように灯が輝いて見えました。

「アレクシス様、お休みにならないのですか?」

 背後から声をかけると、彼は小さく息を吐きました。

「君の研究を見て、思い知らされた。……君はもう、自分の足で立っている。誇らしくもあり、少し怖くもある」

「怖い?」

「君が遠くへ行ってしまうようで」

 その言葉は、まるで春の夜風のように、優しく痛みを伴いました。

「行きはしますが、離れません。あなたの信じてくれた道を歩きたいんです」

「ならば信じよう。だが、どうか忘れないでくれ。君がどれほど多くの人を癒やしても、君を癒やせるのは――」

「あなただけ、ですね」

 私が微笑んで言うと、アレクシス様はわずかに目を見開いた後、静かに頷かれました。  
 そしてそっと私の髪を撫で、低く囁きます。

「……その言葉で、氷が溶けそうだ」

 胸の鼓動が跳ねて、頬が熱くなりました。  
 彼がそっと手を取ってくださるだけで、世界が静まる気がします。



* * *



 けれど翌朝、研究室で思わぬことが起こりました。  
 一晩かけてまとめた資料が、一部なくなっていたのです。

「……確かにここに置いておいたはずなのに」

 机の上を探す私を見て、ユリウス先生も眉を寄せました。

「まさか、盗難……?」

「どうしてそんな……!」

 学院の中で、貴重な研究資料が消えるなど前代未聞。  
 ただの盗難ならまだしも――。  
 ふと、嫌な予感が脳裏をよぎりました。  
 まだ、何かが動いている。

「リリアーナ夫人、落ち着いてください。私が責任をもって調べます」

「お願いします。誰かがこの研究を悪用すれば、救える命が失われてしまうかもしれません」

 私は拳を握りしめていました。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

噂の聖女と国王陛下 ―婚約破棄を願った令嬢は、溺愛される

柴田はつみ
恋愛
幼い頃から共に育った国王アランは、私にとって憧れであり、唯一の婚約者だった。 だが、最近になって「陛下は聖女殿と親しいらしい」という噂が宮廷中に広まる。 聖女は誰もが認める美しい女性で、陛下の隣に立つ姿は絵のようにお似合い――私など必要ないのではないか。 胸を締め付ける不安に耐えかねた私は、ついにアランへ婚約破棄を申し出る。 「……私では、陛下の隣に立つ資格がありません」 けれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。 「お前は俺の妻になる。誰が何と言おうと、それは変わらない」 噂の裏に隠された真実、幼馴染が密かに抱き続けていた深い愛情―― 一度手放そうとした運命の絆は、より強く絡み合い、私を逃がさなくなる。

【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。

たまこ
恋愛
 公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。  ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。 ※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

捨てられた者同士でくっ付いたら最高のパートナーになりました。捨てた奴らは今更よりを戻そうなんて言ってきますが絶対にごめんです。

亜綺羅もも
恋愛
アニエル・コールドマン様にはニコライド・ドルトムルという婚約者がいた。 だがある日のこと、ニコライドはレイチェル・ヴァーマイズという女性を連れて、アニエルに婚約破棄を言いわたす。 婚約破棄をされたアニエル。 だが婚約破棄をされたのはアニエルだけではなかった。 ニコライドが連れて来たレイチェルもまた、婚約破棄をしていたのだ。 その相手とはレオニードヴァイオルード。 好青年で素敵な男性だ。 婚約破棄された同士のアニエルとレオニードは仲を深めていき、そしてお互いが最高のパートナーだということに気づいていく。 一方、ニコライドとレイチェルはお互いに気が強く、衝突ばかりする毎日。 元の婚約者の方が自分たちに合っていると思い、よりを戻そうと考えるが……

【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない

ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。 公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。 旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。 そんな私は旦那様に感謝しています。 無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。 そんな二人の日常を書いてみました。 お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m 無事完結しました!

公爵家の赤髪の美姫は隣国王子に溺愛される

佐倉ミズキ
恋愛
レスカルト公爵家の愛人だった母が亡くなり、ミアは二年前にこの家に引き取られて令嬢として過ごすことに。 異母姉、サラサには毎日のように嫌味を言われ、義母には存在などしないかのように無視され過ごしていた。 誰にも愛されず、独りぼっちだったミアは学校の敷地にある湖で過ごすことが唯一の癒しだった。 ある日、その湖に一人の男性クラウが現れる。 隣にある男子学校から生垣を抜けてきたというクラウは隣国からの留学生だった。 初めは警戒していたミアだが、いつしかクラウと意気投合する。クラウはミアの事情を知っても優しかった。ミアもそんなクラウにほのかに思いを寄せる。 しかし、クラウは国へ帰る事となり…。 「学校を卒業したら、隣国の俺を頼ってきてほしい」 「わかりました」 けれど卒業後、ミアが向かったのは……。 ※ベリーズカフェにも掲載中(こちらの加筆修正版)

二十五席目の君 ― Cafe Twenty-Five

チャチャ
恋愛
25歳の総務OL・白石侑里は、昼休みの避難先として席数25の小さなカフェ“Twenty-Five”にたどり着く。窓際の25番席、月に一度の限定25皿ミルフィーユ、無口な店主・三浦湊も25歳。「毎月二十五日にここで」——ふとした約束から、二人は25文字のメモや25分の同席など“25”の小さな儀式を重ねていく。やがて湊は店の契約更新の岐路、侑里には本社25階への打診。どちらを選んでも人生は動く。でも、簡単じゃない。クリスマスの12月25日、25番席で交わされる答えは、数字の向こうにある“ふつうでやさしい恋”。読むほど数字が好きになる、ささやかな幸福の物語。

王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。が、その結果こうして幸せになれたのかもしれない。

四季
恋愛
王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。

貴族の爵位って面倒ね。

しゃーりん
恋愛
ホリーは公爵令嬢だった母と男爵令息だった父との間に生まれた男爵令嬢。 両親はとても仲が良くて弟も可愛くて、とても幸せだった。 だけど、母の運命を変えた学園に入学する歳になって…… 覚悟してたけど、男爵令嬢って私だけじゃないのにどうして? 理不尽な嫌がらせに助けてくれる人もいないの? ホリーが嫌がらせされる原因は母の元婚約者の息子の指示で… 嫌がらせがきっかけで自国の貴族との縁が難しくなったホリーが隣国の貴族と幸せになるお話です。

処理中です...