25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい

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第30章 消えた書簡

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 朝の光が差し込む研究室は、いつになく静かでした。  
 机の上の書類は整っているのに、肝心の“研究記録”だけが丸ごと姿を消しているのです。

「やっぱり、ありませんね……昨夜ここに置いたのです」

「確かに見ました」  
 ユリウス先生が真剣な表情で頷きます。  
「夜の見回りも異常はなかった。内部の者しか入れない部屋だ。外部からの犯行ではありません」

「では……この学院の誰かが?」

「断定はできません。ただ、この内容が外に漏れれば、悪意のある商会が“奇跡の薬”を偽造するでしょう。王国中が混乱に陥ります」

 私の心臓はどくんと嫌な音を立てました。  
 “25種の薬草計画”は、まだ未完成なのです。完全な理解がなければ、毒に化す危険だってある。

「……どうして、誰……」

 震える指を唇に当てたそのとき。  
 研究室の扉前に小さな足音が近づき、侍従が封書を差し出しました。

「ヴァレンティーヌ公爵閣下からのお手紙でございます」

「え! アレクシス様から?」

 嫌な胸騒ぎのまま封を切ると、整った文字が静かに並んでいました。

『盗難の件をすでに把握した。王都で人を動かす。君は慎重に行動を。真に信じられる人間は限られている。  
 追伸:君を守る――アレクシス』

 なぜでしょう。読めば読むほど、心が締め付けられました。  

「公爵閣下から……ですか」  
 ユリウス先生が覗き込み、紙を見て顔を曇らせました。  
「疑いはあなたに向かってはいませんか? “王立学院の者を信用しすぎるな”――そう読めますが」

「そんなこと……アレクシス様は私を信じてくださっています」

「失礼しました。でも、信頼とは脆いものですよ、夫人。少しの陰でも割れる」

 ユリウス先生の低い声に、私は首を横に振りました。  
「いいえ、信じます。あの方は、氷のように見えても、誰よりも誠実な方ですから」

 そう言いながら、自分の声がわずかに震えていました。  



* * *



 午後、学院の講堂で臨時会議が開かれました。  
 盗まれた研究書について調査委員会が設けられ、全職員の荷物検査が始まることに。

「物騒ですねえ。夫人まで疑われたら大変です」

 数人の学士が囁いていたのを、私は耳にしました。  
 その言葉にユリウス先生が険しい顔をします。

「誰が疑うものか。彼女こそこの研究の要だ。そんな中傷――」

「ユリウス先生」  
 私は静かに遮りました。  
「誰も悪意で言っているわけではないでしょう。証拠が出るまでは……静観を」

「静観? あなたが悪者扱いされても?」

「どんなにそう見られても構いません。真実があれば、それでいいんです」  
 ――そう、あの人も言いました。  
 私の努力と信念は、誰にも奪えないと。

 けれど同じ時刻、王都中の噂がひとつ流れ始めていました。  
 “リリアーナ夫人の研究を持ち出したのは、彼女自身だ。王家に取り入るために証を作ったのだ”――と。

「ま、まさか、そんな馬鹿な……!」



* * *



 夕刻、学院を出た私は馬車の中で深く息を吐きました。  
 人々の視線が妙に冷たく感じる。  
 街の噂があっという間に広がっているのがわかりました。

「リリアーナ様、どうされます?」  
 メアが心配そうに覗き込みます。  
「領地に戻られれば、公爵様も安心なさいます」

「ダメです。戻っては……このまま逃げるみたいになってしまうわ」

「でも、こんな理不尽な……!」

「私はアレクシス様の妻です。真実を自分の手で証明してみせます」

 そう言い切った瞬間、馬車が急停車しました。  
 外で騒ぐ声、そして――扉を叩く大きな拳の音。

「ヴァレンティーヌ夫人! 学院調査官の命により、同行願います!」

「ど、同行? ま、待ってください、私は――」

「証言が必要だそうです。ご協力を」

 門の向こうで、見慣れた黒衣の男が控えていました。  
 その人物が口元をほころばせて言います。

「お久しぶりですね、夫人。ライオネル殿下の名を出せば、話が早いと思いまして」

 ――ライオネル。  
 忌まわしい名前。過去に切り捨てたはずの、私の元婚約者。なぜ王都でその名が動くのか。

「あなた……まさか、協力者が学院内に!?」

「さあ、どうでしょう。私はただの行政書士に過ぎません」  
 相手は冷笑を残して去っていきました。

 胸の鼓動が早まります。  
 ――過去は、終わっていなかった。  
 彼がまだ、裏で私を貶めようとしているのかもしれない……。



* * *



 夜。  
 宿舎の窓辺で、私は震える灯の下、再びアレクシス様に手紙をしたためました。

『私は必ず真実を突き止めます。どうか心配しないでください。  
 けれどもし、今後王都の噂があなたにまで届いても――私を、信じていてください。』

 震える指で封を閉じると、ふいに涙が落ちました。  
 恐怖ではなく、もどかしさの涙。  
 会いたい。顔を見て笑いたい。たったそれだけなのに、距離が遠く感じる。

 窓外の月が淡くかすんで見えました。



* * *



 翌朝、学院前広場。  
 私はユリウス先生とともに調査官の質問を受けていました。

「失礼ですが、この研究内容に触れられるのは君とハートマン氏だけ、という事実で間違いないか?」

「……はい。その通りです」

「ならば今回の盗難も、内部の犯行と断定せざるを得ない」

 ざわめく空気の中、ユリウス先生が口を開きました。

「証拠もないまま夫人を疑うのは許されません! むしろ私の不手際です。責任は私にあります」

「ユ、ユリウス先生!」

「この国に必要なのは、彼女の研究だ。彼女がいなければ多くの命が……!」

 その叫びに、会場が静まりました。  
 誰も、次の言葉を発せません。



 ――けれどその翌日、事態はさらに悪い方向へと傾きました。  
 王都の新聞見出しが、こう告げていたのです。

《新薬の原案、ユリウス・ハートマンによる発表へ》  

 ――私の名は、そこには一行もありませんでした。

「まさか……!」

 手にした紙が、震えて視界が滲みました。  
 この国の誰もが、その名を“奇跡の学士”として讃えるでしょう。  
 けれどそれは、私が積み上げた努力の上に立つもの。

「ユリウス先生……あなたまで……?」

 問いは空に消えました。  
 薄雲の向こう、春の太陽がまるで皮肉のように眩しい――。
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