【完結】政略結婚なのに旦那様が不器用すぎて、気づけば私が主導権を握ってました。~雷が怖い侯爵様と、没落令嬢のお話~

朝日みらい

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第6章:婚約破棄の噂と、気持ちのすれ違い

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「……これは、どういうことですか?」

 静まり返った書斎に、私の声だけがぽつんと響きました。

 目の前に差し出されたのは、一通の手紙。

 上質な紙に封蝋が施されていて、そこにしっかりと刻まれているのは、ヴァルトハイム家の荘厳な紋章。

 私の指先が微かに震えながら、それを開封しました。

 中に綴られていたのは、あまりに整った筆跡による、丁寧すぎる婚約解消の申し出。

 あまりに綺麗で、逆に残酷でした。

「……婚約、解消……?」

 声に出した途端、世界がふっと揺らいだ気がしました。

 足元の床が遠ざかるような感覚。喉が乾いて、うまく息が吸えません。

「父が……決めたことだ」

 静かに、しかし決定的に。

 ライネル様は、それ以上なにも言おうとせず、私の顔を見ようともしませんでした。

 視線は窓の外、まるで雨雲の向こうを見ているかのように遠く、冷たいまま。

「……どうしてですか?」

 問いかけた声も、震えていました。

 返事がない沈黙が、やけに重く感じられて、胸の奥が押し潰されそうでした。

「雷の夜、一緒にいてくれて……やっと笑ってくれて……少しだけ……少しだけでも、あなたに近づけたと思ったのに……」

 言葉の端が、涙でにじんでいきます。

「私は、あなたと……一緒にいたいのに……!」

 喉の奥まで出かかった本音を、私はぎりぎりのところで飲み込みました。

 こんなことを言ったって、きっと彼を困らせるだけ。そんなの、ずるい。だから……。

 彼の気持ちが、まるで霧の中にあるようで、見えませんでした。

 けれど、たぶん……私自身も、まだちゃんと伝えていなかったんです。自分の気持ちを。

「……何か、私がいけなかったんですか?」

 勇気を振り絞って、問い直しました。

「君は、何も悪くない」

 それでも、彼の瞳は曇ったままで。

「じゃあ、どうして……」

 重ねた言葉に、彼は苦しげに目を伏せました。

「僕が、君を幸せにできないからだ」

 その言葉は、心臓に冷たい刃を突き立てられたように、私の胸を締めつけました。

 その夜、私はほとんど眠れませんでした。

 何度も寝返りを打ち、枕を濡らしながら、ただひたすら天井を見つめ続けました。

 外では、また雨が降っていて。

 雷の音が遠くで鳴っていました。

 いつもなら、その音が怖くてたまらなかったのに——

 今は、そんな恐怖すら霞んでしまうほど、胸が痛くて、ただ苦しかったのです。

 朝。

 屋敷の空気が、昨日までとは違って感じられました。

 まるで、目に見えない壁が立ち上がったかのように、使用人たちの態度がよそよそしくなっていました。

 誰も目を合わせてくれなくて、私だけが、世界から取り残されたような気がしました。

 厨房で一人、ポタージュを温めながら、私はぽつりと呟きました。

「……やっぱり、私なんかじゃダメなのかな」

 けれど、その呟きのあとに、自然と口をついて出たのは——

「でも、諦めたくない」

 ライネル様が、雷に怯えていたあの夜。

 優しく毛布をかけてくれたあの手。

 寂しそうに、それでも微かに笑ってくれた横顔。

 私は、あの時、確かに思ったのです。

 この人のそばにいたいと。

 完璧じゃなくていい。冷たくても、不器用でも、無口でも、雷に怯えていても。

 私は——彼の隣にいたい。

 その夜。

 私は震える手で、彼の部屋の扉をノックしました。

 自分でもわかるほど鼓動が早くて、けれど引き下がりたくなくて。

「どうしても、婚約を解消しなきゃいけないんですか?」

 部屋の中から現れた彼は、一瞬驚いたように私を見つめました。

 でもすぐに、苦しげに眉を寄せました。

「……僕は、君を幸せにできない」

 その言葉が、また胸に重くのしかかります。

 でも、私は今度こそ、しっかりと言いました。

「それでも、私は首を振ります」

「……セレナ」

 彼の声が、微かに揺れました。

「私は、自分で決めたいんです。幸せかどうか」

 貴族としての掟も、格式も、家のしがらみも。

 そんなものがどれほど厄介かなんて、もうとっくに知っています。

 でも、私が望んだのは——

 侯爵家の跡取りなんかじゃない。

 雷に怯える夜に、そっと毛布をかけてくれた“あなた”と一緒に過ごす、何気ない温かな毎日。

 たとえ人に笑われても、私はそれを望んでいるのです。

「わたし、勝手に婚約者やめませんから!」

 少し頬を膨らませながらそう言った私に、彼は驚いたように目を見開き、そしてふっと——

 困ったように、でもどこか安堵したような笑みを浮かべました。

 その笑顔は、ほんの少しだけ寂しげで。

 でも、私の胸の奥には、小さな灯がぽっとともった気がしました。

 ああ、まだ終わらせたくない。

 これは、ただの政略結婚なんかじゃない。

 私の恋の物語——

 その続きを、きっと掴んでみせる。

「どうも。セレナ嬢、初めまして」

 振り向いた先にいたのは、陽の光をそのまま受け止めたような明るい金髪の青年。

 ひょうきんな笑顔と、完璧すぎる貴族の所作。

 まるで舞台の上から抜け出してきたように、気品と軽やかさをまとった彼が、にこりと私に笑いかけました。

 目の前に立つのは——

 新たな嵐の予感。
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