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屋上で出会った青年

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『劇団黒テント 秋公演。
 会場、緑が丘市民公園。
 演目近日告知!
 ご参加希望者の方、7月20日までに、
 ぜひお問い合わせください』

 9月20日から一週間の公演予定だから、残り3ヶ月となる。
 裏には問い合わせ先、劇団黒テント座長、望月登という記載がある。

 光子は丁寧にチラシを丸めてバックに大切にしまい、手のひらを頬に押しつけた。

 パーティーから抜け出した屋上で、初めて会ったはずの、望月 登。

 でも、初めて会った気がしないのは、まさか運命? いや、ありえない。

 でも、微かに残っている、彼の温もりを感じたいのは、一体どうしてなのだろう。

 しかしバタバタと大きな羽虫のまばたく音が、光子の繊細な感情を打ち消した。
 彼女は、軽く吐息をはくと、手すりに両肘を置いて、ホームをひっきりなしに立ち寄る電車を眺め始めた。


 光子の住むマンションは、埼玉のS電鉄の緑が丘駅に隣接している。

 ほんの20年前までは、この駅周辺には立派なバスターミナルも歩行者用の陸橋などなく、木々が生い茂っていた。しかし、S電鉄が地下鉄と直通になったおかげで、東京や新宿など通勤に便利な沿線として利用者が急増している。

 沿線に延々と続いた田畑は、たちまち住宅地に生まれ変わった。それに続いてS鉄系列の建設会社が中心となって駅前を整備し、大型のマンションが次々と建設されている。

 光子が通っている、緑が丘国際大学はちょうど2つ先にある。入学が決まった翌日、叔父が通学に便利だからと、S電鉄の付き合いから、あっさりここを購入してくれた。

 20階建ての、淡いベージュ色のマンションは、辺りを悠然と見下ろし夜空を照ら出している。
 こんな大きな鉄塔のまばゆい光に、虫たちも吸いつけられてしまうんだろうと、光子は考えた。

 そろそろ家に入ろうとして振り返ると、あの騒がしかった一匹の蝉が、ペタリと壁に張り付いていた。
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