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赤い記憶が戻る時

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類子は彼女の震える腕を掴んだ。
「もういいよ。今度はボートに乗ろう」
急坂を競争しながら駆け下りた。
10分ほどで、ボート乗り場に着いた。
夕日が水面を赤く染めた。
近くのタバコ屋で買ったピンキーを食べながら、類子は景色を眺めた。
「ここで小学校まで暮らしたそうなの。でも、何も覚えてない」
と光子はオールを脇に置いて言った。
類子は揺れる波に身を任せていた。
「思い出したいの?」
しばらくたってから類子は尋ねた。
「どうかしら…。怖い気もするの。それに、思い出せるのは超能力がある人じゃないと無理なのよ」
「そう…。よし、もう暗くなるから戻ろう。今度はあたしが漕ぐから」
屋敷に戻るともう辺りは真っ暗になっていた。
風呂に入ってお揃いの浴衣に着替えると、夕食まで建物内を探検することにした。
客間から下に降りると、広々とした台所や居間、寝室がある。
そこが父と暮らした場所だろう。
光子の部屋の机には小学校の教材が置かれていて、壁には少女漫画のポスターが張られている。
地下は使用人の部屋になっていて、塩崎が出てきて室内を案内してくれた。
2階と比べると部屋は狭く質素なつくりになっている。
「ここが息子の部屋ですよ」
塩崎はカーテンで仕切られた部屋を見せた。
光子の半分程のスペースしかない場所に所狭しと本とビデオが床に積みあがっている。
そのほとんどが演劇や映画関連のものである。
「彼は劇に夢中でしたよ。私が都心に行くときは、よく一緒に連れて行ってくれとせがまれました。今となっては懐かしいものばかりです。もうこの世にはいませんがね」
1階の食堂に着くと、テーブルには所せましと食事が並べられている。畳に上がって、類子はくんくんと鼻を鳴らす。
「これ、本当においしそうよ!」
すると、お盆を持った女将さんが現れた。
「帽子の子、お行儀よくなさい。それとご要望どおり、ピンキーを買ってきましたからね、イカの塩辛味。それとこれからは私のことをお姉さんと呼びなさい!」
客間に戻ると、すでに布団が敷かれてあった。
女将さんが先回りして準備してくれていたのである。
お揃いの歯ブラシもテーブルに置いてある。
大きなあくびをしてから、類子は帽子を放り投げ、歯も磨かずに布団にもぐりこんだ。光子はバルコニーに出てみた。
澄んだ心地よい夜風が頬に当たる。
胸の携帯電話が鳴った。
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