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第1章:辺境の雪と少女
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雪が降っていました。いいえ、「降る」なんてやさしいものではありませんでした。
吹雪です。視界はほとんど白に閉ざされ、ただでさえ寂しい村の風景が、さらに音を消して凍りついていました。
その夜、私は祠の前に捨てられたそうです。
捨てられた、なんてひどい言い方ですけれど……それが事実です。
誰が置いていったのか、なぜそんな場所に私を残したのか、今となっては知る由もありません。
ただ、誰にも望まれず生まれ、誰にも名を呼ばれず、誰の腕にも抱かれないまま、私はそこにいたのです。
白い息を吐きながら、私は空を見上げました。
雪は容赦なく私の髪や睫毛に降り積もり、薄い布の包みにも容赦なく冷たさを染み込ませてきます。
寒い。
手足の感覚が薄れていって、このまま眠ってしまえたらどんなに楽だろうって、ぼんやりと思っていたそのとき――
風の中から、コツン、コツンと靴音が聞こえました。
こんな夜に、誰かが歩いている?
目をこらすと、雪煙の向こうにひとりの人影が見えました。
背が高くて、真っ黒な外套をひるがえして歩いてくる、男の人です。
……貴族の方でしょうか?
その足取りはまるで氷の上を歩くように静かで、それなのに目が離せませんでした。
そして彼は、私のすぐ目の前で立ち止まりました。
その人の目を、私は生まれて初めて見ました。
深い灰色をした目。まるで、積もる前の雪雲のような色をしていて……とても冷たくて、でも、なぜかあたたかかったのです。
「……生きているのか」
その声は低く、少し掠れていて、でも不思議と耳に残りました。
私は震えながら、小さくうなずいた……気がします。
うなずいたかどうか、自分でもよく覚えていません。
覚えているのは、その人が一言も言わず、私をそっと抱き上げてくれたこと。
雪が降る音さえ聞こえるほどの静寂の中で、私はその腕に包まれました。
あたたかい。
そのぬくもりが、胸の奥にじんわり染みてきて――私は、ようやく声にならない涙を流したのです。
◇ ◇ ◇
「今日からお前は、ラストールの娘だ」
その人――ゼグレイド・ラストール伯爵さまは、そうおっしゃいました。
冷たい声音でした。
まるで何かを拒むように、隙をつくらないように話すお方でした。
でも、どうしてでしょう。
その声は、どこか私の心の隙間を満たしてくれたのです。
広くて寒そうなお屋敷に連れてこられて、執事さんたちに囲まれて、あれよあれよという間に髪を整えられ、暖炉の前に座らされて、あたたかいスープまで出されて――
私は、まるで夢を見ているようでした。
ゼグレイドさまは、それからというもの、多くを語られることはありませんでした。
けれど、いつも私のことを見てくださっていました。
熱が出れば夜通しそばについていてくれましたし、誕生日にはさりげなくリボンのついた本を手渡してくださったこともありました。
「礼はいい。好きに読め」
そう言いながら、ほんの少しだけ、口元をやわらげるような仕草。
あのときのことは、今でもはっきりと覚えています。
ゼグレイドさまは冷たい人だと、世間では言われているようです。
戦場では「氷の伯爵」と呼ばれ、容赦のない軍人だとも。
けれど――私は知っています。
本当は、とてもやさしい方だと。
そして、私をこの世界に引き上げてくれた、たったひとりの人なのだと。
◇ ◇ ◇
雪の夜の記憶は、いつまでも私の胸に残り続けています。
名前のなかった私に「エルフィーナ」と名づけてくださったのも、ゼグレイドさまでした。
“祝福された雪の娘”――そんな意味があると、あとから執事さんが教えてくれました。
私は、望まれなかった命ではなかったのだと。
あの夜、確かに、誰かに選ばれたのだと。
そう信じられるようになったのは、ゼグレイドさまのおかげです。
けれど……それから十年。
私はいつしか、ただの“娘”ではいられなくなってしまったのです――。
吹雪です。視界はほとんど白に閉ざされ、ただでさえ寂しい村の風景が、さらに音を消して凍りついていました。
その夜、私は祠の前に捨てられたそうです。
捨てられた、なんてひどい言い方ですけれど……それが事実です。
誰が置いていったのか、なぜそんな場所に私を残したのか、今となっては知る由もありません。
ただ、誰にも望まれず生まれ、誰にも名を呼ばれず、誰の腕にも抱かれないまま、私はそこにいたのです。
白い息を吐きながら、私は空を見上げました。
雪は容赦なく私の髪や睫毛に降り積もり、薄い布の包みにも容赦なく冷たさを染み込ませてきます。
寒い。
手足の感覚が薄れていって、このまま眠ってしまえたらどんなに楽だろうって、ぼんやりと思っていたそのとき――
風の中から、コツン、コツンと靴音が聞こえました。
こんな夜に、誰かが歩いている?
目をこらすと、雪煙の向こうにひとりの人影が見えました。
背が高くて、真っ黒な外套をひるがえして歩いてくる、男の人です。
……貴族の方でしょうか?
その足取りはまるで氷の上を歩くように静かで、それなのに目が離せませんでした。
そして彼は、私のすぐ目の前で立ち止まりました。
その人の目を、私は生まれて初めて見ました。
深い灰色をした目。まるで、積もる前の雪雲のような色をしていて……とても冷たくて、でも、なぜかあたたかかったのです。
「……生きているのか」
その声は低く、少し掠れていて、でも不思議と耳に残りました。
私は震えながら、小さくうなずいた……気がします。
うなずいたかどうか、自分でもよく覚えていません。
覚えているのは、その人が一言も言わず、私をそっと抱き上げてくれたこと。
雪が降る音さえ聞こえるほどの静寂の中で、私はその腕に包まれました。
あたたかい。
そのぬくもりが、胸の奥にじんわり染みてきて――私は、ようやく声にならない涙を流したのです。
◇ ◇ ◇
「今日からお前は、ラストールの娘だ」
その人――ゼグレイド・ラストール伯爵さまは、そうおっしゃいました。
冷たい声音でした。
まるで何かを拒むように、隙をつくらないように話すお方でした。
でも、どうしてでしょう。
その声は、どこか私の心の隙間を満たしてくれたのです。
広くて寒そうなお屋敷に連れてこられて、執事さんたちに囲まれて、あれよあれよという間に髪を整えられ、暖炉の前に座らされて、あたたかいスープまで出されて――
私は、まるで夢を見ているようでした。
ゼグレイドさまは、それからというもの、多くを語られることはありませんでした。
けれど、いつも私のことを見てくださっていました。
熱が出れば夜通しそばについていてくれましたし、誕生日にはさりげなくリボンのついた本を手渡してくださったこともありました。
「礼はいい。好きに読め」
そう言いながら、ほんの少しだけ、口元をやわらげるような仕草。
あのときのことは、今でもはっきりと覚えています。
ゼグレイドさまは冷たい人だと、世間では言われているようです。
戦場では「氷の伯爵」と呼ばれ、容赦のない軍人だとも。
けれど――私は知っています。
本当は、とてもやさしい方だと。
そして、私をこの世界に引き上げてくれた、たったひとりの人なのだと。
◇ ◇ ◇
雪の夜の記憶は、いつまでも私の胸に残り続けています。
名前のなかった私に「エルフィーナ」と名づけてくださったのも、ゼグレイドさまでした。
“祝福された雪の娘”――そんな意味があると、あとから執事さんが教えてくれました。
私は、望まれなかった命ではなかったのだと。
あの夜、確かに、誰かに選ばれたのだと。
そう信じられるようになったのは、ゼグレイドさまのおかげです。
けれど……それから十年。
私はいつしか、ただの“娘”ではいられなくなってしまったのです――。
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